越冬のためビニール袋をかぶせていた孔雀サボテンに今年は何とか花芽が付きました。
このサボテンは手入れが悪くて買って来ては枯らし、買って来ては枯らしを何度も繰り返し、今年やっと自分の手入れで花が見れそうです。
【お知らせ】
王塚古墳特別公開
平成30年度春の公開予定
4月14日(土)・15日(日)
受付時間 9:30~16:00
公開は。現地で直接受け付けます。
手順は以下のとおりです。
(1)受付で住所・氏名を記入。番号の入った見学証を受け取る。
(2)番号を呼ばれたら、王塚古墳の説明を聞く。
(3)観察室でガラス越しに石室壁画を見学します。
※役場前からシャトルバスを運行していますので、ご利用ください。
お問い合わせ先:王塚装飾古墳館
TEL:0948-65-2900
FAX:0948-65-3313
遠賀川流域古墳・遺跡同時公開があります。日時及び時間は王塚古墳と一緒。
1.竹原古墳 宮若市
2.水町遺跡群 直方市
3.川島古墳11号墳 飯塚市
4.小正西古墳 飯塚市
5.沖出古墳 嘉麻市
6.伊方古墳 福智町
7.夏吉古墳群1・21号 田川市 4月15日(日)のみ公開
8.建徳寺2号墳 大任町
9.戸山原古墳1号墳 川崎町
3/25(日)に毎年恒例の装飾古墳一斉公開に行ってきました。
公開は3月17日(土)、24日(土)、25日(日)の3日間ありましたが25日しか予定が取れなくてこの日にしました。
玉名にある大坊古墳と永安寺東古墳を見学しました。
急に暖かくなったせいか古墳入り口のガラス面に水滴がついて今回はきれいに見えませんでした。
装飾古墳は熊本県の各地に点在しています。
福岡県にも装飾古墳はあります。
いったい、どの地域からこの文化が始まり広まっていったのか。
そんな疑問に対する答えを何とか見つけようと装飾古墳の一斉公開には参加をしていますがなかなかいい答えにはたどり着けません。
ここには去年も来ているのでそんなに落胆はしませんでしたが、今回、古墳見学の受付で『玉名市歴史ガイドブック』を購入したところ、玉名地域がどの様に出来たのか・・こんなことも勉強出来ましたので紹介します。

永安寺東古墳


大坊古墳
大地の創造
熊本県北部に位置する玉名市は、菊池川が市域の中央部を蛇行しながら流れ、北西側が小代山麓、南東側が金峰山麓の給料が広がっています。玉名地方でも最も古い地層は、玉名市東部の木葉山を形成する木葉変成岩類で、古生代に生成されました。次に古いのが小岱山を中心とする玉名花崗岩類で、中生代に生成されました。恐竜などがいた時代であり、これらを土台として金峰山や三の岳の火砕流、阿蘇の火砕流などが大地を覆い、それを河川が浸食して現在の地形に形成されました。河川の働きは下流側に土砂を堆積させ、またそれを侵食して新たな地形が形成されて行きました。
木葉山麓は石灰岩の産地、小岱山麓は山砂採取地として現代までのさまざまな産業に利用されています。9万年前までに堆積した阿蘇溶結凝灰岩は「灰石」と呼ばれ、加工しやすく古墳時代の石棺から現代の墓石、石垣などの建築材に各時代を通じて利用されています。灰石が露出した崖では石切り場になったり、古墳時代の横穴墓が築造され現在も残っています。
玉名地方の主要河川流域は、1級河川の菊池川であり、繁根木川や木葉川、境川などの支流が流れ込んでいます。前述した阿蘇の火砕流などの影響で浸食と堆積を繰り返しつつ2万年前までに概ね現在のような地形が形成されたと考えられています。玉名市岱明町内のJR鹿児島本線は、ちょうどかっての古い川の流路に沿って敷設(ふせつ)されています。
公開は3月17日(土)、24日(土)、25日(日)の3日間ありましたが25日しか予定が取れなくてこの日にしました。
玉名にある大坊古墳と永安寺東古墳を見学しました。
急に暖かくなったせいか古墳入り口のガラス面に水滴がついて今回はきれいに見えませんでした。
装飾古墳は熊本県の各地に点在しています。
福岡県にも装飾古墳はあります。
いったい、どの地域からこの文化が始まり広まっていったのか。
そんな疑問に対する答えを何とか見つけようと装飾古墳の一斉公開には参加をしていますがなかなかいい答えにはたどり着けません。
ここには去年も来ているのでそんなに落胆はしませんでしたが、今回、古墳見学の受付で『玉名市歴史ガイドブック』を購入したところ、玉名地域がどの様に出来たのか・・こんなことも勉強出来ましたので紹介します。
大地の創造
熊本県北部に位置する玉名市は、菊池川が市域の中央部を蛇行しながら流れ、北西側が小代山麓、南東側が金峰山麓の給料が広がっています。玉名地方でも最も古い地層は、玉名市東部の木葉山を形成する木葉変成岩類で、古生代に生成されました。次に古いのが小岱山を中心とする玉名花崗岩類で、中生代に生成されました。恐竜などがいた時代であり、これらを土台として金峰山や三の岳の火砕流、阿蘇の火砕流などが大地を覆い、それを河川が浸食して現在の地形に形成されました。河川の働きは下流側に土砂を堆積させ、またそれを侵食して新たな地形が形成されて行きました。
木葉山麓は石灰岩の産地、小岱山麓は山砂採取地として現代までのさまざまな産業に利用されています。9万年前までに堆積した阿蘇溶結凝灰岩は「灰石」と呼ばれ、加工しやすく古墳時代の石棺から現代の墓石、石垣などの建築材に各時代を通じて利用されています。灰石が露出した崖では石切り場になったり、古墳時代の横穴墓が築造され現在も残っています。
玉名地方の主要河川流域は、1級河川の菊池川であり、繁根木川や木葉川、境川などの支流が流れ込んでいます。前述した阿蘇の火砕流などの影響で浸食と堆積を繰り返しつつ2万年前までに概ね現在のような地形が形成されたと考えられています。玉名市岱明町内のJR鹿児島本線は、ちょうどかっての古い川の流路に沿って敷設(ふせつ)されています。
今回(3/24)は金峰山関連の流山(山体崩壊によって崩れ落ちた膨大な量の土砂が山麓に流下してできた、大小さまざまな小山)について見学をするというのがテーマです。
そして現在の地形をとどめる金峰山の成り立ちに触れるものです。
上の地図はその日の集会で頂いたものですが、▲印で下から金峰山の一の岳、二の岳、三の岳の位置関係を示すととともに、〇印にて今回、観察する場所を示したもので流山観察及び露頭観察、温泉(前田家別邸)、湧水(天水湖)と「島原大変肥後迷惑」の時、津波が押し寄せ津波石が確認された場所を示しています。
金峰山がいつ頃どの様にして出来たのか、そしてこの近辺の地形を形づくるのにどういう役割を果たしているのか、今日の活動の中で川路先生からもお話がありましたが、より理解を深めるために金峰山についての参考文章を抜き出してみました。
ウィキペディアから
金峰山というと一般的には一ノ岳を指すが、これを中央火口丘とする二重式火山(現在火山活動はしていない)であり、熊ノ岳(685m)(二ノ岳ともいう)や三ノ岳(681m)・荒尾山(445m)などの外輪山を含む山の総称である。ほかに河内山、小萩山、花岡山、独鈷山、離れた所にある立田山も外輪山である。その成立は阿蘇山より古く、過去100万年以上かけて徐々に形成され、火山活動は56万年から50万年に火山活動が活発となり外輪山の縁(へり)の崩れたあたりが噴火して現在の二ノ岳、三ノ岳が誕生した。その後西山地域にカルデラ湖が形成された。20万年から15万年前に最後の噴火が起こった。最後に出来た溶岩ドームが一の岳である。同じくカルデラ式火山で熊本県の東部に位置する阿蘇山が「火の国」熊本のシンボル的な存在として広く知られているのに対し、金峰山は熊本市を象徴する山として市民に親しまれている。
山頂には展望台があり、晴れた日には有明海の湾奥、佐賀平野から島原半島、天草諸島の島影までを見渡せ、夜は熊本市街の夜景を一望することができる。山中には、巨石がいくつも横たわり宗教遺跡とみられる拝ケ石巨石群や、宮本武蔵が籠もって五輪書を書き記したことで知られる霊巌洞(岩戸観音)および五百羅漢のある雲巌禅寺、熊本から小天温泉までの旅を題材にした夏目漱石の小説「草枕」の一シーンに登場する峠の茶屋などが、また東側の麓には宮本武蔵ゆかりの美術品等を収蔵する島田美術館や加藤清正の菩提寺本妙寺などがあり、熊本の歴史や文化を語る上でも重要なエリアとなっている。
今年、熊本大学を退官されました渡辺 一徳氏がこんなお話をされています。
「 金峰山の成り立ち 」について
金峰山は20万年前に誕生
金峰火山は阿蘇火山と同じ二重式火山です。その中心的存在である金峰山は一ノ岳とも呼ばれ、二ノ岳、三ノ岳をはじめとする外輪山に囲まれたカルデラ内にできた溶岩ドームです。もっともカルデラとはいっても阿蘇のような円形でなく、四角の升形をしているのが特徴です。
金峰山が火山であることが明らかにされたのはおよそ100年前に起きた熊本地震の前年のことです。熊本地震のときにも金峰山が爆発したのではないかと騒がれました。そのため地震の直後には学者によって金峰山の調査が行われましたが、ガスの噴出や噴火などの火山活動を示す特別の異常は認められませんでした。熊本地震は立田山断層が動いたことに伴う地震であることが、最近の私たちの研究でほぼ明らかになっています。
形成時期については、いろいろの意見があり、誕生の時期ははっきりしないものの、年代測定の結果から約100万年前までに外輪部が出来上がり、同じく20万年前に中央の金峰山ができたと考えられます。植物化石から金峰山には直径3キロメートルの湖が存在したことも分かっています。芳野層とよばれる湖成層が観察できるからです。
また立田山、花岡山、万日山なども火山形成後の断層運動や河川の浸食によってできたと推定され、金峰山は熊本自然体を形作っている「風景」とも深くかかわっているのです。
何故、この学習に雲仙普賢岳の噴火によって起きた津波の痕跡を見学に行くのか、その時は理解できなかったのですがこうして後でまとめ直してみると、1792年(寛政4年) - 群発地震と普賢岳の噴火の後、火山性地震を直接の原因とした山体崩壊が発生し、多量の土砂が有明海に流れ込んだことにより島原大変肥後迷惑が発生したことが分かりました。
島原も熊本も普賢岳や金峰山で山体崩壊が起りどちらにも流れ山が出来ています。
横島干拓(玉名)の歴史
熊本県には「八代郡築干拓」と並んでもう一つ有名な干拓地がある。玉名市にある「横島干拓」だ。
干満の差の大きな有明海に面した玉名地域では、加藤清正公が肥後に入国して以来、精力的に干拓が進められてきた江戸時代後期には文化4年(1807年)の「一番開」から慶応2年(1866年)の「十番開」までの新田が造成された。近代に入ると、明治26年(1893年)に「明丑(めいちゅう)開」と「明豊開」、同28年(1895年)に「末広開」、同35年(1902年)に「大豊開」の干拓が続々と完成。度重なる潮害で決壊などの被害を受けたが、その都度、補修・改修が施され、昭和42年(1967年)の「国営横島干拓事業」の完工により、第一線堤防としての役割を終えた。
総延長約5.1kmに及ぶ(末広開~明丑開~明豊開~大豊開の)潮受堤防と樋門は、昭和2年の潮害後に改修されて以来ほぼそのまま状態を保っており、平成18年(2006年)に末広、明丑の堤防は県指定重要文化財に指定され、平成20年(2008年)には末広、明丑、明豊、大豊開の4つの堤防や樋門などが社団法人土木学会の土木遺産に選定されている。
実際に車(自転車)で横を走ってみるとよくわかるが、明丑・明豊・大豊開の堤防は、高さ5~6mの石積堤防が約4kmも連続し、壮大な景観を呈している。干拓の歴史(先人達による国土への働きかけの歴史)を伝える貴重な土木遺産である。
(熊本国土学ブログより)

昨日は一日中、森友学園の文書改ざん問題でテレビにかじりついていました。
証人喚問された佐川さんが何を語るか、日本国中の人たちが興味を抱いていました。
この問題をどのように考えるかは人それぞれ。
でも日本という国の根幹を揺るがしかねない問題であることも確かです。
財務省の役人が勝手に公文書の改ざんや書き換えを行うなど許されるべき問題ではありません。
今日の【春秋】は過去の悪しき政治の実例を上げた後、今回の問題に触れています。
神と仏を一緒にすることはまかりならん---。150年前のきょう、明治政府は神仏習合を禁じる「神仏分離令」を布告した。神道の保護と国教化を進め、天皇の権威を絶対的なものにする狙いだ►これに伴い仏教を迫害する廃仏毀釈運動が過熱した。寺院や仏像が壊され、多くの文化財が失われた。寺領の没収で困窮した奈良・興福寺は五重塔を競売に。落札価格は焼却処分をした後に残る廃材の見積額だったという。類焼を恐れた住民の反対で、国宝の党は焼かれずに済んだ►今の世には「政官分離令」が必要かもしれない。森友学園問題を巡る佐川宣寿前国税庁長官の国会証人喚問で、改めて思った►佐川氏は安倍晋三首相や昭恵夫人、政治家の指示はきっぱり否定した。一方で「誰の指示で」「何のために」などの核心部分は証言を拒んだ。決裁文書から首相や夫人の名が消えた理由も答えなかった►それほど隠したいのか。そんな印象がかえって強まる。公文書改ざんという犯罪に等しい行為に役所ぐるみで手を染めたのは、1強政権の権威を絶対視した官僚の忖度ではなかったのか。疑念は一向に晴れない►権威の源は安倍政権が握る中央省庁幹部の人事権だろう。国民の代表である政治家に仕えることと出世や保身のための忖度を一緒にすることはまかりならん。その温床も正さねばなるまい。官僚のモラルの類焼で霞が関の信用が焼け落ちる前に。
夕食を終えて家内と夜桜を見るために〝緑の回廊〟まで散歩に出かけました。
花見は昼間もいいが夜桜もいい。






花見は昼間もいいが夜桜もいい。
彼岸明けの24日(土)はいつもであれば奇数月の第一日曜日にある「金峰山の地質」の集まりが予定変更でこの日になりました。
自分の予定としては毎年この時期に行われる熊本県内装飾古墳一斉公開、山鹿市の横山古墳と和水町の塚坊主古墳の見学に行く予定にしていました。
「金峰山の地質」についての活動内容は「山体崩壊によって崩れ落ちてできた流山」というものでグループでの活動でもあるのでそちらを優先しました。
装飾古墳の一斉公開には違う場所になりますが日曜日に玉名の大坊古墳と永安寺東古墳の見学に行ってきました。
土日の異なった活動についてはそのうちまとめ上げたいと思っています。
ただちょっと難義な問題が起きて現在 困っています。
最近、ブログとフェイスブックとの連携に何か問題が生じているらしく、現在、フェイスブックとの連携が取れていません。
連携操作を繰り返しても「 このURLのドメインはアプリのドメインに含まれていません。このURLを読み込むには、アプリ設定のアプリドメインにすべてのドメインとサブドメインを追加してください。」のエラーメセージがでます。
自分なりに色々問題解決に取り組んでいますが、パソコン用語が大量に出てくる解決方法は私にはなかなか理解できない状態です。
パソコンをもっと勉強しなくてはいけないのかな。・・・

韓国では歴代の大統領が政権が変わる度に汚職事件で大統領が逮捕される。
権力を持てば誰もがおかしくなってしまうのだろうか。
今日の【春秋】は我が国の政治体質についても厳しく批判をしています。
時代は先へ先へと進む。世の中の変化を表す「新語」「造語」が次々と生まれ、アナログ世代の中高年は戸惑う。先日聞いたある経済評論家の講演では、こんな言葉が続いた►「デジタルエコノミー」(電子化経済)「フィンテック」(金融技術革新)「データリズム」(データ至上主義)・・・。インターネットが幅を利かし、それを駆使した金融システムが世界を席巻する。そしてデータを支配する者が経済を支配する時代であるーと►他方、いまの日本では「ジェロントロジー」(老人学)が鍵を握るという。増加する高齢者を生かす社会をいかに構築するか。広義では「高齢社会工学」を意味する►なるほど、とうなずいたが、片仮名用語には〝眉唾もの〟もある。例えば「アベノミクス」。斬新な旗印を掲げた政権が「忖度・そんたく」「改竄・かいざん」という漢字に揺さぶられ、あたふたとしている►思えば、森友学園問題にとどまらない。南スーダン平和維持活動(PKO)を巡る自衛隊の〝日報隠し〟、裁量労働制に関する厚生労働省のずさんな調査・・・。どれも根っこは同じだろう►そもそも、この国では肝心のデータが怪しい。政治家や役人が平気で国民を欺こうとする。ならば、それを根絶する「政治刷新工学」のような新概念が必要だろう。英語でどう表現するかは二の次。時代は進んでいるように見えて旧態依然とした国政の病理に、いま一度目を凝らすことから。
縄文文化と縄文時代を考える上で遺跡や遺物などからうかがえることはあまりにも期間としては長すぎること、そして文化として捉えた場合には地域によっての特殊性を持つ文化もあるので同一視できない文化面が多数出てきます。
このつかみどころがない長い歴史を持つ文化や時代を、ユネスコ遺産登録を目指して各地で行われている活動や現状など九大の古谷嘉章教授が事細かに述べられて登録推薦の難しさを述べておられます。

●世界遺産登録推薦のため優位性を示すことの困難について・・
北海道・青森・秋田・岩手の1道3県では、「北海道・北東北の縄文遺跡群」のユネスコ世界遺産登録を推進している。「顕著な普遍的価値」とされるのは「人々が狩猟・漁労・採集により定住生活を送り、自然とともに生き、様々な環境の変化に適応しながら一万年以上も続いた世界でも珍しい文化」(『縄文ブック』)だという点だ。遺跡の整備、ウエブサイトの開設、推進議員連盟の結成など、官民一丸の努力を積み重ねて2013年から挑戦してきたが、5回連続して国内推薦を見送られた。ライバルが強力だったことも確かだが、不足点を指摘されているのも事実で、2017年に国の文化審議会世界文化遺産部会が指摘したのは、「北海道・北東北にある縄文時代の資産の優位性や特異性を十分に説明し、日本列島の縄文文化を代表している点を示す」ことだった。
世界遺産認定のハードルが高くなりつつある現状では、縄文文化枠は1件だけだろう。であればこそ、長野や山梨や新潟の重要遺跡を含まない北海道・北東北のリージョナルな縄文文化を、どのようにナショナルへと格上げできるのか。これは厄介な問題である。というのも、1万年に及ぶ縄文時代の日本列島の文化が単一なのかという難問が炙り出されるからだ。八ヶ岳山麓産の(石鏃の材料になる)黒曜石が北海道まで到達していた例などから推定すれば、単一の縄文文化があったとも言える。しかし著しく多様な土器の様式からすると多文化・多言語社会だったかもしれない。それならば縄文文化は多数ということになる。要するに、縄文ルネサンスのなかで、「日本」というもの自体が、予期しなかったかたちで俎上に載せられているのである。
縄文を接着剤として自治体が手を結ぶ動きは、あちこちで活発化していて、首長たちが握手したり、一緒に大臣に陳情したりして写真に納まっている。「信濃川流域の市町村が交流と連携をはかり、地域振興や広域観光を推進すること」を目的として2000年に設立された「信濃川火焔街道連絡協議会」は、かって、火焔型土器という文化的共通性が存在した地域のチームワークの復活である。「縄文遺跡を有する都市のネットワーク化を図り、縄文の魅力・深さ・歴史的意義を全国にPRするとともに、縄文の心や文化観を共有し、まちづくりに活用する方策を探ること」を目的に16都市が設立した「縄文都市連絡協議会」は、1998年から毎年「縄文シティサミット」を開催している国宝の縄文遺物を保有する5自治体の連携は、会員制の縄文国宝クラブといった趣だ。
縄文を介したこうした地域連携が、いくつかの対立陣営を生み出しているのかどうかは不明だが、こと縄文となると、日本列島の中でも東と北に大きく偏っており、それは明らかに縄文遺跡の偏在を反映している。ここでもまた、「縄文時代の日本なるもの」が自明の前提ではなく、解明すべき謎として浮かび上がってくる。
(九州大教授、文化人類学) 古谷嘉章
西日本新聞 文化面 「縄文ルネサンス」 2018・3・9
このつかみどころがない長い歴史を持つ文化や時代を、ユネスコ遺産登録を目指して各地で行われている活動や現状など九大の古谷嘉章教授が事細かに述べられて登録推薦の難しさを述べておられます。

●世界遺産登録推薦のため優位性を示すことの困難について・・
北海道・青森・秋田・岩手の1道3県では、「北海道・北東北の縄文遺跡群」のユネスコ世界遺産登録を推進している。「顕著な普遍的価値」とされるのは「人々が狩猟・漁労・採集により定住生活を送り、自然とともに生き、様々な環境の変化に適応しながら一万年以上も続いた世界でも珍しい文化」(『縄文ブック』)だという点だ。遺跡の整備、ウエブサイトの開設、推進議員連盟の結成など、官民一丸の努力を積み重ねて2013年から挑戦してきたが、5回連続して国内推薦を見送られた。ライバルが強力だったことも確かだが、不足点を指摘されているのも事実で、2017年に国の文化審議会世界文化遺産部会が指摘したのは、「北海道・北東北にある縄文時代の資産の優位性や特異性を十分に説明し、日本列島の縄文文化を代表している点を示す」ことだった。
世界遺産認定のハードルが高くなりつつある現状では、縄文文化枠は1件だけだろう。であればこそ、長野や山梨や新潟の重要遺跡を含まない北海道・北東北のリージョナルな縄文文化を、どのようにナショナルへと格上げできるのか。これは厄介な問題である。というのも、1万年に及ぶ縄文時代の日本列島の文化が単一なのかという難問が炙り出されるからだ。八ヶ岳山麓産の(石鏃の材料になる)黒曜石が北海道まで到達していた例などから推定すれば、単一の縄文文化があったとも言える。しかし著しく多様な土器の様式からすると多文化・多言語社会だったかもしれない。それならば縄文文化は多数ということになる。要するに、縄文ルネサンスのなかで、「日本」というもの自体が、予期しなかったかたちで俎上に載せられているのである。
縄文を接着剤として自治体が手を結ぶ動きは、あちこちで活発化していて、首長たちが握手したり、一緒に大臣に陳情したりして写真に納まっている。「信濃川流域の市町村が交流と連携をはかり、地域振興や広域観光を推進すること」を目的として2000年に設立された「信濃川火焔街道連絡協議会」は、かって、火焔型土器という文化的共通性が存在した地域のチームワークの復活である。「縄文遺跡を有する都市のネットワーク化を図り、縄文の魅力・深さ・歴史的意義を全国にPRするとともに、縄文の心や文化観を共有し、まちづくりに活用する方策を探ること」を目的に16都市が設立した「縄文都市連絡協議会」は、1998年から毎年「縄文シティサミット」を開催している国宝の縄文遺物を保有する5自治体の連携は、会員制の縄文国宝クラブといった趣だ。
縄文を介したこうした地域連携が、いくつかの対立陣営を生み出しているのかどうかは不明だが、こと縄文となると、日本列島の中でも東と北に大きく偏っており、それは明らかに縄文遺跡の偏在を反映している。ここでもまた、「縄文時代の日本なるもの」が自明の前提ではなく、解明すべき謎として浮かび上がってくる。
(九州大教授、文化人類学) 古谷嘉章
西日本新聞 文化面 「縄文ルネサンス」 2018・3・9
今日の天候は晴れているにもかかわらず少し底冷えがするような寒さがあります。
俳句で花と言えば桜の花を指すそうですが、この桜にちなむ言葉は数々あります。
テレビを見ていても「桜前線」から始まり「花曇り」、「花冷え」、「花日和」、「花盛り」など色々な花言葉が出てきます。
今日は花言葉で言えばちょうど「花冷え」がふさわしい日和のようです。
八代の桜は場所により開花状態はまちまちの様ですが平均すれば4分咲きという所かな。
散歩を終えて。
※花冷え・・桜の花の咲く頃、急に冷えこむことをいう
八代はここ4日間ほど雨が続き、朝の散歩にも行けませんでした。
久しぶりに近所の公園近くに出かけてみると桜が見頃になるまでに咲いているではありませんか。
1週間前には開いた花を見つけるのにも難しいほどのかたい蕾でしたが雨を挟んでいっきに咲いた模様です。
今日の天候はまさに「花曇り」、寒い朝です・・。
今日は暦の上で「立春」です。
今年のお彼岸のお墓参りも又、大阪組にまかせました。
年に2度のお彼岸ですが、私の墓参りは年に1度の姉弟旅行の時に墓参りを済ませています。

去年もそうだったけど、どうやら今年も墓参りはこの頃になりそうだ・・・。

立春
昼夜の長さがほぼ同じになる日で、この日を境に陽が延びていきます。春分の日は彼岸の中日で前後3日間を春彼岸といい、先祖のお墓参りをする習慣があります。「自然をたたえ、生物をいつくしむ」として国民の祝日になっています。
さて今日の【春秋】
佐賀出身の下村͡湖人の代表作「次郎物語」にこんな場面がある。軍国主義が学校にも影を落とした時代。生徒たちに慕われた教師が辞めることになった。5.15事件についての発言を軍部がとがめ、県知事に辞表を勧告されたという►理不尽を怒り、留任を嘆願しようとする生徒を、教師はたしなめ、「危険分子」と見られた自分に近づかないように諭す。「今の時代は、やたら犬ばかりがふえて行く時代だからね。実は、この家のまえあたりにも、背広を着た犬がうろつきだしたらしいよ」►軍国教育の反省から、戦後の教育基本法は「教育は、不当な支配に服することなく・・」と定めた。「不当な支配」とは、文部科学省のホームページは「官僚とか一部の政党とか、その他の不当な外部的な干渉」とした政府答弁を例示している►これは「不当な支配」ではないか。前文部省事務次官の前川喜平氏が名古屋市立の中学校で公演した内容について、文部省が市教委に報告を求めていた►その際、天下り問題での引責辞任や「出会い系バーの利用」に言及。まるで前川さんが子どもの前で話すのに不適格な人物だと印象付けるように、市教委に報告を求める前に、質問内容を自民党議員が〝添削〟したことも分かった►安倍晋三政権に批判的な前川氏である。「危険分子」と見て排除しようとする「背広を着た何か」が、今の時代もうろついているのか。
西日本新聞 2018・3・21

下村 湖人(しもむら こじん、1884年(明治17年)10月3日 - 1955年(昭和30年)4月20日)は、日本の小説家・社会教育家。本名は下村 虎六郎(しもむら ころくろう)、旧姓は内田(うちだ)。
佐賀県神埼郡千歳村大字崎村(現神埼市千代田町崎村)出身。東京帝国大学英文科卒。大学卒業後に母校佐賀中学校教師や鹿島中学校校長等を歴任。教職辞任後は、同郷で高校・大学同窓の田澤義鋪に従い、講演や文筆活動で社会教育に尽力。青少年に影響を与えた『次郎物語』の著者として知られる。
今年のお彼岸のお墓参りも又、大阪組にまかせました。
年に2度のお彼岸ですが、私の墓参りは年に1度の姉弟旅行の時に墓参りを済ませています。
去年もそうだったけど、どうやら今年も墓参りはこの頃になりそうだ・・・。

立春
昼夜の長さがほぼ同じになる日で、この日を境に陽が延びていきます。春分の日は彼岸の中日で前後3日間を春彼岸といい、先祖のお墓参りをする習慣があります。「自然をたたえ、生物をいつくしむ」として国民の祝日になっています。
さて今日の【春秋】
佐賀出身の下村͡湖人の代表作「次郎物語」にこんな場面がある。軍国主義が学校にも影を落とした時代。生徒たちに慕われた教師が辞めることになった。5.15事件についての発言を軍部がとがめ、県知事に辞表を勧告されたという►理不尽を怒り、留任を嘆願しようとする生徒を、教師はたしなめ、「危険分子」と見られた自分に近づかないように諭す。「今の時代は、やたら犬ばかりがふえて行く時代だからね。実は、この家のまえあたりにも、背広を着た犬がうろつきだしたらしいよ」►軍国教育の反省から、戦後の教育基本法は「教育は、不当な支配に服することなく・・」と定めた。「不当な支配」とは、文部科学省のホームページは「官僚とか一部の政党とか、その他の不当な外部的な干渉」とした政府答弁を例示している►これは「不当な支配」ではないか。前文部省事務次官の前川喜平氏が名古屋市立の中学校で公演した内容について、文部省が市教委に報告を求めていた►その際、天下り問題での引責辞任や「出会い系バーの利用」に言及。まるで前川さんが子どもの前で話すのに不適格な人物だと印象付けるように、市教委に報告を求める前に、質問内容を自民党議員が〝添削〟したことも分かった►安倍晋三政権に批判的な前川氏である。「危険分子」と見て排除しようとする「背広を着た何か」が、今の時代もうろついているのか。
西日本新聞 2018・3・21

下村 湖人(しもむら こじん、1884年(明治17年)10月3日 - 1955年(昭和30年)4月20日)は、日本の小説家・社会教育家。本名は下村 虎六郎(しもむら ころくろう)、旧姓は内田(うちだ)。
佐賀県神埼郡千歳村大字崎村(現神埼市千代田町崎村)出身。東京帝国大学英文科卒。大学卒業後に母校佐賀中学校教師や鹿島中学校校長等を歴任。教職辞任後は、同郷で高校・大学同窓の田澤義鋪に従い、講演や文筆活動で社会教育に尽力。青少年に影響を与えた『次郎物語』の著者として知られる。
内科の検診を受ける間に待ち時間があったので、そこにあった熊本日日新聞を手に取り、1面の左下にあるコラムに目をやると、今問題になっている時事問題を「常識」という言葉から問題を提起して最後に同じ言葉で結んでいます。
書かれている内容も誰もが知っていると思われる単語の意味について改めて教えられたところもあります。
いい勉強になりました。
鳥取県や岡山県など本州西部の5県をなぜ「中国」というのだろう。頭の片隅に浮かんでは消えていた疑問がやっと氷解した。答えは、九州と畿内の真ん中の国という意味で14世紀頃から使われている地名だという►教えてくれたのは 中世史が専門だった故網野善彦氏の『海民と日本社会』という20年前の本。たまたま古書店で手に取ると、みんなの常識を疑う史実が数多く紹介されていた。その代表例が「百姓」である►百姓に農民の意味は全くなく、たくさんの名字を持った人、つまり一般の人民を指した。「百姓ー農民」という誤解は支配者がつくり出し、特に明治以降は学校教育によって広く教え込まれたのだと網野氏は指摘する►常識だと思ったことが、実はつくられたものだった。そんな例は昔からあるし今もある。中国やロシアの人たちの常識と日本人のそれとはおのずと違う。外部から見ればあり得ないことも、内部の人にとっては当たり前。そのギャップを埋めるのが民主主義の仕組だったはずだ►財務省の決裁文書改ざん問題で安倍晋三内閣の支持率が急落した。佐川宜寿前国税庁長官に加え、昭恵夫人を国会に呼んで話を聞くべきだというのが大方の意見だ。行政文書の改ざんという予想外の事態を受け、みんな真実を知りたがっている►昨日の国会で安倍首相は、改ざん前文書を見れば忖度がなかったことは明確だと強弁した。ではなぜ改ざんしたのだろうか。同じ文書を前にして、首相と国民の常識が大きく食い違っている。
熊本日日新聞 【新生面】 2018・3・20

網野善彦
1928-2004 昭和後期-平成時代の日本史学者。
昭和3年1月22日生まれ。日本常民文化研究所員となり「日本漁村史料」にであい,海人や職人など非農業民の世界に着目。「日本中世の非農業民と天皇」「無縁・公界・楽」などを発表し,従来の日本史観の見直しをせまる問題を提起。名大助教授,神奈川大短大部教授をへて神奈川大教授。平成16年2月27日死去。76歳。山梨県出身。東大卒。著作に「日本中世の民衆像」「異形の王権」「「日本」とは何か」など。
書かれている内容も誰もが知っていると思われる単語の意味について改めて教えられたところもあります。
いい勉強になりました。
鳥取県や岡山県など本州西部の5県をなぜ「中国」というのだろう。頭の片隅に浮かんでは消えていた疑問がやっと氷解した。答えは、九州と畿内の真ん中の国という意味で14世紀頃から使われている地名だという►教えてくれたのは 中世史が専門だった故網野善彦氏の『海民と日本社会』という20年前の本。たまたま古書店で手に取ると、みんなの常識を疑う史実が数多く紹介されていた。その代表例が「百姓」である►百姓に農民の意味は全くなく、たくさんの名字を持った人、つまり一般の人民を指した。「百姓ー農民」という誤解は支配者がつくり出し、特に明治以降は学校教育によって広く教え込まれたのだと網野氏は指摘する►常識だと思ったことが、実はつくられたものだった。そんな例は昔からあるし今もある。中国やロシアの人たちの常識と日本人のそれとはおのずと違う。外部から見ればあり得ないことも、内部の人にとっては当たり前。そのギャップを埋めるのが民主主義の仕組だったはずだ►財務省の決裁文書改ざん問題で安倍晋三内閣の支持率が急落した。佐川宜寿前国税庁長官に加え、昭恵夫人を国会に呼んで話を聞くべきだというのが大方の意見だ。行政文書の改ざんという予想外の事態を受け、みんな真実を知りたがっている►昨日の国会で安倍首相は、改ざん前文書を見れば忖度がなかったことは明確だと強弁した。ではなぜ改ざんしたのだろうか。同じ文書を前にして、首相と国民の常識が大きく食い違っている。
熊本日日新聞 【新生面】 2018・3・20

網野善彦
1928-2004 昭和後期-平成時代の日本史学者。
昭和3年1月22日生まれ。日本常民文化研究所員となり「日本漁村史料」にであい,海人や職人など非農業民の世界に着目。「日本中世の非農業民と天皇」「無縁・公界・楽」などを発表し,従来の日本史観の見直しをせまる問題を提起。名大助教授,神奈川大短大部教授をへて神奈川大教授。平成16年2月27日死去。76歳。山梨県出身。東大卒。著作に「日本中世の民衆像」「異形の王権」「「日本」とは何か」など。
この童謡は幼稚園か小学生のころに習った覚えがあります。
今日の春秋を担当された方がどうしてこの青い目の人形の話を取り上げられたのかは知る由もありません。
人形の贈られた時期が3月だったということからかも知れませんが、読み手の私には昨日からの彼岸入りを含めて、昔を偲ぶには良い機会ではないかと感じられます。
小さな歴史の出来事ですが、子供から大人に育つ間に人間はどうしてここまで変わっていくのだろうと思わせる節も感じます。
戦争を挟さむと何故「友情人形」が「敵性人形」になるんでしょうか?
1927年3月、米国からの舟が大量の人形を続々と日本に運んだ。総数は1万3千体近くにも及び、全国の幼稚園や小学校に寄贈された。「友情人形」とも「青い目の人形」とも呼ばれている►取り組んだのは宣教師のシドニー・ギューリックさん。熊本などでの布教活動を終えて戻った米国で、反日感情の高まりに心を痛めた。やがて排日移民法が成立。それでも変わらぬ友好を願い、子供たちに呼びかけて人形を集めた►しかし、日米が開戦すると軍部は「敵性人形」の処分を命じる。多くが壊されたり焼かれたりした中で、一部は大切に守られてきた。厳しい監視の目を盗んで心ある人たちがかくまった。今全国に約330体が残るそうだ►最近の本紙にも人形たちの「その後」が報じられている。長崎県島原市は、京都府福知山市で愛知県幸田町との間で人形交流を深める構想があるという。3市町に1体ずつ残る人形を「3姉妹」と縁付けて、平和へのメッセージ発信をと願う►大分県日田市では、ひな祭りに合わせて地元の幼稚園が保管する2体が園児たちとパレードした。寄贈当時の熱烈な歓迎ぶりを再現したという►不幸な歴史を挟みながらも、90年以上も生き続ける友好の思い。併せて、勇気ある人たちの行動があったことも次の世代に伝えていきたい。日本の子供たちがお小遣いを出し合って、米国にお返しの人形を贈ったことも。
西日本新聞 【春秋】 2018・3・19

野口雨情
青い眼の人形※1921年に発表された日本の童謡
青(靑)い眼(目)をしたお人形はアメリカ生れのセルロイド(ト)
日本の港へついたとき一杯涙をうかべてた
「わたしは言葉がわからない迷ひ子になつたらなんとせう」
やさしい日本の嬢ちやんよ仲よく遊んでや(遣)つとくれ ・・・
野口雨情(のぐち うじょう、1882年(明治15年)5月29日 - 1945年(昭和20年)1月27日)は、詩人、童謡・民謡作詞家。多くの名作を残し、北原白秋、西條八十とともに、童謡界の三大詩人と謳われた。
本名、野口英吉 茨城県多賀郡磯原町(現・北茨城市)に生まれる。東京専門学校(現・早稲田大学)に入学し、坪内逍遥に師事するが、1年余りで中退、詩作を始める。
代表作は『十五夜お月さん』『七つの子』『赤い靴』『青い眼の人形』『シャボン玉』『こがね虫』『あの町この町』『雨降りお月さん』『証城寺の狸囃子』『よいよい横町』など、枚挙にいとまがない。他に『波浮の港』『船頭小唄』など。
青い目の人形が送られた学校・幼稚園
熊本県
241体が寄贈され、2体が現存。()は送られた当時の人形の名前
●氷川町立宮原小学校(パトリシア・ジェーン)
●八代市立鏡小学校(ベティ・ジェーン)
王栄幼稚園:九州で最も古い幼稚園で、青い目の人形が贈られた時の写真も残されている
今日の春秋を担当された方がどうしてこの青い目の人形の話を取り上げられたのかは知る由もありません。
人形の贈られた時期が3月だったということからかも知れませんが、読み手の私には昨日からの彼岸入りを含めて、昔を偲ぶには良い機会ではないかと感じられます。
小さな歴史の出来事ですが、子供から大人に育つ間に人間はどうしてここまで変わっていくのだろうと思わせる節も感じます。
戦争を挟さむと何故「友情人形」が「敵性人形」になるんでしょうか?
1927年3月、米国からの舟が大量の人形を続々と日本に運んだ。総数は1万3千体近くにも及び、全国の幼稚園や小学校に寄贈された。「友情人形」とも「青い目の人形」とも呼ばれている►取り組んだのは宣教師のシドニー・ギューリックさん。熊本などでの布教活動を終えて戻った米国で、反日感情の高まりに心を痛めた。やがて排日移民法が成立。それでも変わらぬ友好を願い、子供たちに呼びかけて人形を集めた►しかし、日米が開戦すると軍部は「敵性人形」の処分を命じる。多くが壊されたり焼かれたりした中で、一部は大切に守られてきた。厳しい監視の目を盗んで心ある人たちがかくまった。今全国に約330体が残るそうだ►最近の本紙にも人形たちの「その後」が報じられている。長崎県島原市は、京都府福知山市で愛知県幸田町との間で人形交流を深める構想があるという。3市町に1体ずつ残る人形を「3姉妹」と縁付けて、平和へのメッセージ発信をと願う►大分県日田市では、ひな祭りに合わせて地元の幼稚園が保管する2体が園児たちとパレードした。寄贈当時の熱烈な歓迎ぶりを再現したという►不幸な歴史を挟みながらも、90年以上も生き続ける友好の思い。併せて、勇気ある人たちの行動があったことも次の世代に伝えていきたい。日本の子供たちがお小遣いを出し合って、米国にお返しの人形を贈ったことも。
西日本新聞 【春秋】 2018・3・19

野口雨情
青い眼の人形※1921年に発表された日本の童謡
青(靑)い眼(目)をしたお人形はアメリカ生れのセルロイド(ト)
日本の港へついたとき一杯涙をうかべてた
「わたしは言葉がわからない迷ひ子になつたらなんとせう」
やさしい日本の嬢ちやんよ仲よく遊んでや(遣)つとくれ ・・・
野口雨情(のぐち うじょう、1882年(明治15年)5月29日 - 1945年(昭和20年)1月27日)は、詩人、童謡・民謡作詞家。多くの名作を残し、北原白秋、西條八十とともに、童謡界の三大詩人と謳われた。
本名、野口英吉 茨城県多賀郡磯原町(現・北茨城市)に生まれる。東京専門学校(現・早稲田大学)に入学し、坪内逍遥に師事するが、1年余りで中退、詩作を始める。
代表作は『十五夜お月さん』『七つの子』『赤い靴』『青い眼の人形』『シャボン玉』『こがね虫』『あの町この町』『雨降りお月さん』『証城寺の狸囃子』『よいよい横町』など、枚挙にいとまがない。他に『波浮の港』『船頭小唄』など。
青い目の人形が送られた学校・幼稚園
熊本県
241体が寄贈され、2体が現存。()は送られた当時の人形の名前
●氷川町立宮原小学校(パトリシア・ジェーン)
●八代市立鏡小学校(ベティ・ジェーン)
王栄幼稚園:九州で最も古い幼稚園で、青い目の人形が贈られた時の写真も残されている

今日からお彼岸に入りますが、暦ではお彼岸は雑節というものに入るそうです。
雑節は、二十四節気や五節供のように中国から伝わったものではなく日本独特のもので、日本人の生活文化から生まれたものです。そして、貴族や武家の儀式からのものではなく、農作業に照らし合わせた日本の気候風土に合わせたものです。
●彼岸といえばお墓参りが頭に浮かびますが、彼岸はインドなど他の仏教国にはない日本だけの行事です。日本では、神仏両方を共にまつるという風土があるので、太陽神を信仰する「日願」と仏教の「彼岸」が結びついたからという説があります。また、春の種まきや秋の収穫とも結びつき、自然に対する感謝や祈りがご先祖様に感謝する気持ちにもつながって、お彼岸は大切な行事となりました。
●彼岸には春彼岸と秋彼岸があります。それぞれ、春分の日(3月21日頃)、秋分の日(9月23日頃)を中日とし、その前後の3日を合わせた7日間を彼岸といいます。
【 春彼岸 】春分の日が3月21日の場合
3月18日:彼岸入り
3月21日:彼岸の中日(=春分の日・祝日)
3月24日:彼岸明け
くらし歳時記参考

今日の【春秋】,先ずことばの勉強から入らないといけないらしい。
それにしてもややっこしい言葉からの始まりである。
この「耳ざわり」の言葉から、漱石の「こころ」の中の文章が出て来たり、広辞苑につながり、はたまたトランプ大統領の話にまで、あらすじとしてはつかみどころがないような話ですが、ちゃんと落としどころを考えて書かれているのが憎らしい。
「耳ざわりが良い」と言えば、社内では即座に「耳当たりが良い、だろう」と誤用を指摘される。「耳障り」は聞いて不愉快に感じる場合の言葉。そう教わったが、怪しくなってきた►用法の混乱は今に始まったことではなさそう。夏目漱石の「こころ」に〈奥さんの言葉は少し手痛(てひど)かった。しかしその言葉の耳障(みみざわ)りからいうと、決して猛烈なものではなかった〉という表現も►近頃は「手触り」などからの連想で、「耳触り」と書いて「聴いた時の感じ」を表すことが増えた。「耳障り」「耳触り」の両方を載せる辞書も目にする。10年ぶりに改訂された広辞苑から〈「耳障りがよい」というのは誤用〉との説明が消え、〝誤用派〟は劣勢か►彼の辞書からは「耳障り」が消され、心地よい「耳触り」しかないのだろう。トランプ米大統領がティラーソン国務長官を解任した。国際協議を無視した独善外交への苦言が耳障りだったとされる。世界の常識からすれば「長官の言葉の耳障は決して猛烈なものではなかった」と思えるが►米朝首脳会義が目前。なのに、トランプ政権では北朝鮮担当特別代表が辞め、駐韓国大使も空席だ。大丈夫かと心配になる。むちゃな関税措置に反対して国家経済会議委員長も去った。政権内の〝良識派〟は劣勢に►イエスマンで周囲を固めるトランプ氏の危うさ。「苦言は薬なり甘言は疾(やまい)なり」の箴言(しんげん)も彼の辞書には載っていないか。
ドナルドトランプ
生年月日:1946年6月14日 (71歳)
設立団体:トランプ・シャトル
配偶者:メラニア・トランプ (2005年〜)
学歴:ウォートン・スクール
受賞歴:ゴールデンラズベリー賞 最低助演男優賞
ドナルド・ジョン・トランプは、アメリカ合衆国の実業家、政治家。第45代アメリカ合衆国大統領。不動産会社トランプ・オーガナイゼーションの会長兼社長を務めており、カジノ・ホテル運営会社トランプ・エンターテイメント・リゾーツの設立者である。Wikipedia
詳しくは分からないが自分の出来ることを一生懸命やり続けた人のように思います。
そしてその生きざまが多くの人に感動を与え、その研究が人類に大きな未来や希望をもたらしたと思います。
素晴らしい人がまた旅立ちました。

強大な重力で光さえ閉じ込めてしまう「ブラックホール」は、エネルギーを放出しながら縮み、最後は消滅するー。画期的な理論を提唱したのは「車いすの天才科学者」として知られる英国のホーキング博士。14日、76歳で亡くなった►独創的なひらめきと考察は宇宙の成り立ちなどの研究に大きな影響を与えた。世界的ベストセラーとなった著書「ホーキング、宇宙を語る」は、むつかしい数式を使わず分かりやすく解説。一般の人にも宇宙への関心を広げた►科学の分野での功績だけではない。ホーキング博士の存在そのものが世界に光を放ち続ける「ホワイトホール」だったように思える。学生だった21歳の時、全身の筋肉が徐々に動かなくなる難病を発症し、余命数年と診断された。絶望し、運命を恨んだろう►博士は後に「宇宙を読み解くのに神は必要ない」と言ったが、神はその才能を惜しんだか。奇跡的に病状の進行が遅くなった。手足が動かなくなり、声も失ったが、妻や周囲に支えられ、50年以上、研究を続けることができた►「いかに人生が困難でも、必ず成し遂げられるものがある」。2012年のロンドン・パラリンピック開会式で博士は訴えた。自らの人生と重ねたメッセージは、どれほど多くの障害がある人を勇気づけたことだろう►宇宙の謎を追い続けた人らしく、こんな言葉も「足元ばかりを見ず、星を見上げることも忘れないで」
西日本新聞 【春秋】 2018・3・16
スティーヴン・ホーキング
●生誕
1942年1月8日
イギリス オックスフォード
●死没
2018年3月14日(76歳没)
イギリス ケンブリッジシャー
●居住
イギリス
●国籍
イギリス
●研究分野
物理学
理論物理学
天体物理学
宇宙論
●研究機関
ケンブリッジ大学
●出身校
オックスフォード大学(学部)
ケンブリッジ大学(大学院)
●主な業績
ブラックホールの蒸発理論
特異点定理
そしてその生きざまが多くの人に感動を与え、その研究が人類に大きな未来や希望をもたらしたと思います。
素晴らしい人がまた旅立ちました。

強大な重力で光さえ閉じ込めてしまう「ブラックホール」は、エネルギーを放出しながら縮み、最後は消滅するー。画期的な理論を提唱したのは「車いすの天才科学者」として知られる英国のホーキング博士。14日、76歳で亡くなった►独創的なひらめきと考察は宇宙の成り立ちなどの研究に大きな影響を与えた。世界的ベストセラーとなった著書「ホーキング、宇宙を語る」は、むつかしい数式を使わず分かりやすく解説。一般の人にも宇宙への関心を広げた►科学の分野での功績だけではない。ホーキング博士の存在そのものが世界に光を放ち続ける「ホワイトホール」だったように思える。学生だった21歳の時、全身の筋肉が徐々に動かなくなる難病を発症し、余命数年と診断された。絶望し、運命を恨んだろう►博士は後に「宇宙を読み解くのに神は必要ない」と言ったが、神はその才能を惜しんだか。奇跡的に病状の進行が遅くなった。手足が動かなくなり、声も失ったが、妻や周囲に支えられ、50年以上、研究を続けることができた►「いかに人生が困難でも、必ず成し遂げられるものがある」。2012年のロンドン・パラリンピック開会式で博士は訴えた。自らの人生と重ねたメッセージは、どれほど多くの障害がある人を勇気づけたことだろう►宇宙の謎を追い続けた人らしく、こんな言葉も「足元ばかりを見ず、星を見上げることも忘れないで」
西日本新聞 【春秋】 2018・3・16
スティーヴン・ホーキング
●生誕
1942年1月8日
イギリス オックスフォード
●死没
2018年3月14日(76歳没)
イギリス ケンブリッジシャー
●居住
イギリス
●国籍
イギリス
●研究分野
物理学
理論物理学
天体物理学
宇宙論
●研究機関
ケンブリッジ大学
●出身校
オックスフォード大学(学部)
ケンブリッジ大学(大学院)
●主な業績
ブラックホールの蒸発理論
特異点定理
今日は朝から漢文の勉強だ。
とはいっても、毎日目にする新聞から教わることなのだが・・
文中で説明があるので理解できますがあまり目にしない「吏道」、「曲学阿世」など多分多くの読者の方はあまり見たり聞いたりしない言葉のように思います。
「東大を優秀な成績で卒業し、国家公務員上級試験をトップクラスで合格した人材のほとんどが、わが省入りを希望する」。財務省が大蔵省だったころ、友人の同省官僚が話していた►自慢話というより、予算編成、税、財政、金融を所轄し、国家を支えている「官庁の中の官庁」の自負であろう。その評価が地に落ちたのは1998年の接待汚職事件。金融機関の検査情報などを漏らす見返りに官僚が過剰接待を受けていた►責任を取って三塚博蔵相が辞任。同省は財務省と金融監査庁に解体・分離され、1300年続いた「大蔵省」の名を失った。財務省は猛省し再生を誓った。それなのに、今回の公文書改ざんである►明らかになった決裁文書を見ると、安倍晋三首相への忖度から、国有地売却に特例的な便宜を図り、ばれそうになると、政権を守るためにごまかしを重ねてきたとしか思えない。「大蔵」の看板と一緒に、官僚としての矜持も、守るべき「吏道」もなくしたか►「吏道」は司馬遷が著した中国の歴史書「史記」に登場する。漢の武帝が官職を金で買えるようにしたため、吏道が乱れたと嘆いている►史記には「曲学阿世」という言葉も。心理を曲げて権力者や世間におもねることだ。財務省は、権力者ではなく国民の奉仕者であるという吏道に立ち返り、保身を捨てて疑惑を徹底的に解明しない限り、「曲学阿世の徒」の汚名はそそげまい。
西日本新聞 【春秋】 2018・3・15
※曲学阿世
学問の真理にそむいて時代の好みにおもねり、世間に気に入られるような説を唱えること。真理を曲げて、世間や時勢に迎合する言動をすること。▽「曲学」は真理を曲げた正道によらない学問。「阿世」は世におもねる意。「阿」はへつらいおもねる意。
とはいっても、毎日目にする新聞から教わることなのだが・・
文中で説明があるので理解できますがあまり目にしない「吏道」、「曲学阿世」など多分多くの読者の方はあまり見たり聞いたりしない言葉のように思います。

「東大を優秀な成績で卒業し、国家公務員上級試験をトップクラスで合格した人材のほとんどが、わが省入りを希望する」。財務省が大蔵省だったころ、友人の同省官僚が話していた►自慢話というより、予算編成、税、財政、金融を所轄し、国家を支えている「官庁の中の官庁」の自負であろう。その評価が地に落ちたのは1998年の接待汚職事件。金融機関の検査情報などを漏らす見返りに官僚が過剰接待を受けていた►責任を取って三塚博蔵相が辞任。同省は財務省と金融監査庁に解体・分離され、1300年続いた「大蔵省」の名を失った。財務省は猛省し再生を誓った。それなのに、今回の公文書改ざんである►明らかになった決裁文書を見ると、安倍晋三首相への忖度から、国有地売却に特例的な便宜を図り、ばれそうになると、政権を守るためにごまかしを重ねてきたとしか思えない。「大蔵」の看板と一緒に、官僚としての矜持も、守るべき「吏道」もなくしたか►「吏道」は司馬遷が著した中国の歴史書「史記」に登場する。漢の武帝が官職を金で買えるようにしたため、吏道が乱れたと嘆いている►史記には「曲学阿世」という言葉も。心理を曲げて権力者や世間におもねることだ。財務省は、権力者ではなく国民の奉仕者であるという吏道に立ち返り、保身を捨てて疑惑を徹底的に解明しない限り、「曲学阿世の徒」の汚名はそそげまい。
西日本新聞 【春秋】 2018・3・15
※曲学阿世
学問の真理にそむいて時代の好みにおもねり、世間に気に入られるような説を唱えること。真理を曲げて、世間や時勢に迎合する言動をすること。▽「曲学」は真理を曲げた正道によらない学問。「阿世」は世におもねる意。「阿」はへつらいおもねる意。
縄文時代の1万年をどう捉えるか?文化の区切りとしては非常に長すぎる。
日本列島各地の縄文時代を見てみると同じようなものも見つかるがその地特有のものもある。
でもそれをひとくくりにしている無理な部分を見つめてみようとしたのが今日のこの記事だと思います。

三内丸山遺跡
左:縄文のビーナス 右:仮面の女神
〝縄文ルネサンス〟③ 古谷嘉章
日本列島のあちこちで、現代の私たちのアイデンティティーを縄文時代の文化とつなげる企てが目につく。その「私たち」には、様々なレベルがある。「日本人」というナショナルなレベル、「東北人」や「津軽海峡人」や「八ヶ岳山麓人」や「信濃川流域人」といったリージョナル(地方的)なレベル、「茅野市民」や「三内丸山人」といったローカルなレベルまで、「私たち」は入れ子状になっており、「私たちの縄文文化」が、それぞれに対応する地元の縄文遺跡・遺物を活用して構築される。現在の行政単位が縄文時代の文化的単位と一致するわけではないし、原住民の祖先が縄文時代から何千年も同じ土地に住んできたと考えるのも現実味を欠く。つまり原住民を「地元の縄文人」と直結するのは無理である。それでも、地元の縄文遺跡や縄文人と繋がっていると感じたい、この願望こそが「縄文ルネサンス」の核にある。例えば長野県の茅野市。「縄文のビーナス」と「仮面の女神」という2体の国宝土偶を擁する同市では、2010年に縄文文化を生かした町づくりをめざして「縄文プロジェクト」を構想し、2014年に本格的に始動した。市民参加の実行会議など町ぐるみで、縄文まつり、縄文学習、縄文カルタ、土器文様を商品開発に活用する「ブランドブック」など、多彩な事業を展開している。
茅野市ほど本格的でなくても、そこそこの縄文遺跡が保存されている市町村で、縄文まつりや土器作りワークショップをやらない所を探すのは難しい。あちこちで、政治家や役人や製造業者など、それまで遺跡や遺物などと縁遠かった人たちまで、「縄文」を熱く語り始めているのを目にすると、単なる経済効果といった思惑を越えた何かを感じる。もちろん、過疎化など地域それぞれの事情はあるがそうした違いを超えて、ある種の「過去への思い」とでも言えるものが湧き出してきている。
茅野市では、東京オリンピックの年に第1回を予定しているトリエンナーレ『八ヶ岳JOMONライフフェスティバル』の第0回を2017年の秋に開催した。全体テーマは〈「生きる」はもっと素直でいい〉というもので、趣意書には「私たちの暮らしの原点は縄文時代にあると言われています。また、そのライフスタイルや縄文文化を築いた人たちの心のありようは、現代の人が求める答えに通じていると私たちは考えます」とある。ここから、エコロジーやスローライフにつながる人生観・世界観・価値観を読み取ることができるし、1万年も続いた縄文文化は「じつは究極の持続可能な社会だったのだ」という言い回しも、各地の取り組みのなかでよく聞かれる。そうした認識の変化の背後に、東日本大震災や福島第1原発の事故の反響を聞き取ることも可能だろう。多くの人々が現代的な生活の行きつく先に疑問を感じ始めているのである。そしてそのような人々にとって、「原点としての縄文」が新たなモデルとして存在感を増しつつあるのかもしれない。(九州大教授、文化人類学)
日本列島各地の縄文時代を見てみると同じようなものも見つかるがその地特有のものもある。
でもそれをひとくくりにしている無理な部分を見つめてみようとしたのが今日のこの記事だと思います。

〝縄文ルネサンス〟③ 古谷嘉章
日本列島のあちこちで、現代の私たちのアイデンティティーを縄文時代の文化とつなげる企てが目につく。その「私たち」には、様々なレベルがある。「日本人」というナショナルなレベル、「東北人」や「津軽海峡人」や「八ヶ岳山麓人」や「信濃川流域人」といったリージョナル(地方的)なレベル、「茅野市民」や「三内丸山人」といったローカルなレベルまで、「私たち」は入れ子状になっており、「私たちの縄文文化」が、それぞれに対応する地元の縄文遺跡・遺物を活用して構築される。現在の行政単位が縄文時代の文化的単位と一致するわけではないし、原住民の祖先が縄文時代から何千年も同じ土地に住んできたと考えるのも現実味を欠く。つまり原住民を「地元の縄文人」と直結するのは無理である。それでも、地元の縄文遺跡や縄文人と繋がっていると感じたい、この願望こそが「縄文ルネサンス」の核にある。例えば長野県の茅野市。「縄文のビーナス」と「仮面の女神」という2体の国宝土偶を擁する同市では、2010年に縄文文化を生かした町づくりをめざして「縄文プロジェクト」を構想し、2014年に本格的に始動した。市民参加の実行会議など町ぐるみで、縄文まつり、縄文学習、縄文カルタ、土器文様を商品開発に活用する「ブランドブック」など、多彩な事業を展開している。
茅野市ほど本格的でなくても、そこそこの縄文遺跡が保存されている市町村で、縄文まつりや土器作りワークショップをやらない所を探すのは難しい。あちこちで、政治家や役人や製造業者など、それまで遺跡や遺物などと縁遠かった人たちまで、「縄文」を熱く語り始めているのを目にすると、単なる経済効果といった思惑を越えた何かを感じる。もちろん、過疎化など地域それぞれの事情はあるがそうした違いを超えて、ある種の「過去への思い」とでも言えるものが湧き出してきている。
茅野市では、東京オリンピックの年に第1回を予定しているトリエンナーレ『八ヶ岳JOMONライフフェスティバル』の第0回を2017年の秋に開催した。全体テーマは〈「生きる」はもっと素直でいい〉というもので、趣意書には「私たちの暮らしの原点は縄文時代にあると言われています。また、そのライフスタイルや縄文文化を築いた人たちの心のありようは、現代の人が求める答えに通じていると私たちは考えます」とある。ここから、エコロジーやスローライフにつながる人生観・世界観・価値観を読み取ることができるし、1万年も続いた縄文文化は「じつは究極の持続可能な社会だったのだ」という言い回しも、各地の取り組みのなかでよく聞かれる。そうした認識の変化の背後に、東日本大震災や福島第1原発の事故の反響を聞き取ることも可能だろう。多くの人々が現代的な生活の行きつく先に疑問を感じ始めているのである。そしてそのような人々にとって、「原点としての縄文」が新たなモデルとして存在感を増しつつあるのかもしれない。(九州大教授、文化人類学)

森友文書改ざん問題で近畿財務局の職員が亡くなりました。
内容は分かりませんが遺書もあったとの事。
職員が自殺した直後、国会に混乱を起こしたとその責任を取って国税庁長官の佐川宣寿(のぶひさ)氏が辞任しました。
今日の【春秋】は松本清張黒い画集 第八話 「濁った陽」を思い浮かべながらこの問題に目を剥けています。
ある公団が輸入品の横流しで不正な利益を上げ、大金が政界に流れた疑いが強まった。だが、鍵を握る公団の課長補佐が自殺し、検察の捜査は行き詰まる・・・。松本清張さんの小説「濁った陽」►事件を調べた主人公は、こう考える。〈汚職事件が起こると、中堅役人がいつも人柱的な犠牲者になる〉〈峻烈な取り調べで動揺しているところへ、上司から保身のための苛烈な追及を受けるので、実直な者ほど自殺に追い込まれやすい〉〈彼らの自殺は精神的な他殺である〉►小説は実際の事件がモデル。〈一人の犠牲者によって上司の幾人かが、それにつながる外部の十数人かが助かり、のうのうと生きて暮らしている〉。権力者や組織を守るために個人を犠牲にする、太陽が濁ったような社会への作者の憤りが伝わる►森友学園への国有地売却を巡る決裁文書の書き換え疑惑が大問題となる中、売却を担当した近畿財務局の職員が自ら命を絶った。この人も「人柱的な犠牲者」ではなかったか►財務省は「事前の価格交渉はなかった」「価格は適正」「記憶は破棄した」と言い張ってきた。全ては覆り、ついに改ざんを認めた►当時、理財局長だった佐川宜寿氏は「国会混乱の責任を取る」として国税庁長官を辞任したが、「何のために」という疑惑の核心は黙したまま。佐川氏もまた「人柱」なのだとしたら、濁った陽の下で、のうのうとしている誰かがいよう。
庭の鉢植えの沈丁花が満開になりました。
花はいっぱいついていますが葉があまりなく元気がないもよう。
それでも夜中にこの花の匂いで起こされる事もあります、なんとも例えようのないいい匂いをただよわせています。
今日は少し肌寒い朝でしたが沈丁花の写真を撮ろうとしたら庭で鶯が鳴いていました。
いつもなら庭に出るとすぐに逃げてしまうのですが、よほど鳴き声に自信があるのか人の気配も気にすることなく長い間鳴いていました。
ちょうど1週間前に、仕事の為、関東の方に研修にいっていた次男坊が半年間の研修が終わるというので孫たちは佐世保に帰りました。
1週間前は家の中では着ているものをほとんど脱いで暴れまくっていた孫達ですが、1週間姿を見ないと「どうしているのかな」「理恵さんは買い物に行けてるんだろうか」と、いらぬ心配事が夫婦の会話になります。
この歳になって子供のおもりは確かにキツイものはありますがなかなか会えないとなればそれは又寂しいものです。