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Posted by おてもやん at

2019年11月30日

老いらくの恋

11月も今日が最後、昨日は朝、八代高校のイチョウと夜、夕焼けの写真を撮りました。
何故か寂しさを感じます。
今日はシルバーラブの日、〝老いらくの恋〟という言葉の語源を初めて学びました。


シルバーラブの日(11月30日 記念日)
1948年(昭和23年)のこの日、歌人の川田順(かわだ じゅん、1882~1966年)が弟子の大学教授夫人とともに家出した。
当時、川田順は66歳で、3年前から続いていた教授夫人(40歳)との恋の行く末を悲観して、死を覚悟しての行動だったが、養子に連れ戻された。その後、2人は結婚した。川田が詠んだ「墓場に近き老いらくの恋は恐るる何もなし」から「老いらくの恋」が流行語となった。
今日は何の日より

●老いらくの意味
「老いらく」という言葉には、「年老いること」「老後の楽しみ、安らぎ(「老い楽」と書く)」という2つの意味があります。これらを踏まえると「老いらくの恋」とは、「年老いてからの恋愛、老後の恋愛、老人の恋愛」という意味になります。

cherishより引用

  


Posted by マー君 at 10:13Comments(0)日記つぶやき
昨日、現役の時に転勤で2度住んだことのある玉名にさわやか大学11期生秋季バス旅行で行ってきました。
毎年、参加者数が減っていくのが気がかりです。
年齢的な事が原因であれば仕方がないのですがそうでもないような気もします。
●行程
ハーモニーホール→草枕温泉→菊池川のハゼ並木→疋野神社→蓮華院奥の院→司の湯(昼食)→金栗四三生家・資料館→菊水道の駅→ハーモニーホール
●見どころ
草枕温泉:夏目漱石ゆかりの地
菊池川のハゼ並木:江戸時代に植えられたハゼ並木 植物としては全国初の「国登録記念樹」
蓮華院奥の院:真言律宗 「願いが叶う寺」「世界一の大梵鐘」「厄払いのお寺」
疋野神社:玉名温泉開湯と結びつきがあり2000年の歴史ある由緒正しい神社 温泉水が涌き出る泉源もあります

草枕温泉

疋野神社




蓮華院奥の院




金栗四三生家・資料館

紅葉はいまいち、ハゼ並木はすでに葉っぱは散ってしまっていました月初めであれば・・さぞ美しい紅葉が見られたかも・・。
今回の旅行、「体力」「気力」「努力」の言葉が私には収穫です。  


Posted by マー君 at 10:26Comments(0)日記

2019年11月28日

「旦那」の語源・由来

昨日の雑学ネタ帳に大変勉強になる記事がありましたので紹介します。


妻が夫のことを誰かに話す時、「うちの旦那はいつも…」と「旦那」という言葉を使う。なぜ「夫」のことを「旦那」と呼ぶのか。
「旦那」という言葉は、仏教の発祥の地である古代インドのサンスクリット語に由来する。サンスクリット語で「施し・布施」を意味する「ダーナ(dāna)」、または「施す・与える」という意味の「ダーナ(dānam)」がその語源とされる。
古代インドの僧侶は生活の全てを修行にささげるという習わしがあった。自分たちで生活物資の用意ができない僧侶の代わりに、出家をしていない人々が衣服や食べ物を分け与えた。この「施し」を「ダーナ(dāna)」といい、ダーナによって僧侶の生活は支えられていた。
ダーナ(施し)は、自分たちに代わって毎日厳しい修行を行う僧侶への感謝の気持ちを表したものである。見返りを求めず、自らの衣服や食べ物を与えるダーナは、仏教に込められた精神である。
そして、「ダーナ」という言葉が中国や日本に伝わると、「檀那(旦那)」という漢字が当てられ、その意味も「施すこと」から「布施をする人」に変わっていった。その後、江戸時代の寺請(てらうけ)制度がきっかけとなり、「夫」が「旦那」と呼ばれるようになった。
寺請制度とは、当時キリシタンを弾圧していた江戸幕府が、宗教統制の一環として始めた政策のことである。寺院の住職が一般の人々の戸籍などを管理し、キリシタンではないことを保証した。代わりにその家の家長は寺にお布施を払い、葬式や盆などの法事を依頼することを義務付けた。
この家長は寺から見たら「旦那」であり、この寺請制度により一家の父親が「旦那」となった。もともと仏教に由来して、お金や施しを与えてくれる「旦那」という言葉は、仏教を離れた場面でも使われるようになった。
例えば、雇われて家事などをする奉公人が自分の主人を呼ぶ時に、「うちの旦那さんはよく面倒を見てくれる」などの使われ方がされた。奉公人からすれば、主人は面倒を見てくれ、お金をくれる「旦那」である。また、物を売る商売人から見ると、買い物をして、お金をくれる客も「旦那」である。
これらと同じように、家族の中でもお金を家に持ってくる家長(主人)を「旦那」と呼ぶようになった。つまり、「旦那」という言葉は、「施し・布施」という意味のサンスクリット語「ダーナ(dāna)」を語源とし、「物やお金をくれる人」という意味に由来して「夫」のことを指すようになった。

雑学ネタ帳、2019・11・27、トップページより   


Posted by マー君 at 06:47Comments(0)日記記事
1895年(明治28年)のこの日、スウェーデンの化学者アルフレッド・ノーベル(Alfred Nobel、1833~1896年)が、自らの発明したダイナマイトで得た富を人類に貢献した人に与えたいという遺言を書いた。
ノーベルの死後、ノーベル財団が設立され、1901年(明治34年)のこの日、ノーベル賞の第1回受賞式が行われた。 ノーベルの遺産を元にした基金168万ポンドの利子が、物理学・化学・生理学医学・文学・平和事業の5分野に貢献した人に贈られている。その後、経済学が追加され、「5分野+1分野」となった。
現在では、毎年ノーベルの命日の12月10日に、平和賞はノルウェーの首都オスロで、その他の賞はスウェーデンの首都ストックホルムで授賞式が行われている(記念日「ノーベル賞授賞式」)。受賞者には、賞金の小切手・賞状・メダルがそれぞれ贈られる。
経済学賞だけはノーベルの遺言にはなく、スウェーデン国立銀行の設立300周年祝賀の一環としてノーベルの死後70年後に当たる1968年(昭和43年)に設立され、翌1969年(昭和44年)から授与されている。
経済学賞のみ、その原資はノーベルの遺産ではなく、スウェーデン国立銀行の基金による。そのため、ノーベル財団は「ノーベル賞ではない」としているが、一般にはノーベル賞の一部門として扱われることが多い。










●アルフレッド・ノーベル
アルフレッド・ベルンハルド・ノーベル(スウェーデン語: Alfred Bernhard Nobel, 1833年10月21日 - 1896年12月10日)は、ダイナマイトの発明で知られるスウェーデンの化学者、発明家、実業家。
ボフォース社を単なる鉄工所から兵器メーカーへと発展させた。350もの特許を取得し、中でもダイナマイトが最も有名である。ダイナマイトの開発で巨万の富を築いたことから、「ダイナマイト王」とも呼ばれた。
遺産を「ノーベル賞」の創設に使用させた。自然界には存在しない元素ノーベリウムはノーベルの名をとって名付けられた。ディナミット・ノーベル(英語版)やアクゾノーベルのように現代の企業名にも名を残している(どちらもノーベルが創業した会社の後継)。

●A・ノーベルの歴史
A・ノーベルは、1833年10月21日ストックホルム市で発明家イマヌエルの三男として生まれ、1842年ノーベルは、ペテルブルクの離れ離れだった父の元へ家族と共に移住します。このころ家庭教師がつき、ノーベルはロシア語、フランス語、英語、ドイツ語を習得していきます。同52年には、ほかの欧米諸国に留学し、各国の見聞を広めました。 その後父の工場で働き始めますが、59年工場が倒産し、そのためストックホルムに帰郷します。当時、世界の産業は発展の為に安全な爆薬が必要不可欠でした、そこに目をつけた彼は、安全な爆薬の研究に取り掛かかります。彼は68年に、これまでわずかな衝撃で爆発してしまっていた「ニトログリセリン」を珪藻土にしみこませることで問題を解決し、87年「ダイナマイト(混合無煙火薬)」の特許をとりました。そして、アメリカやイギリスなど世界各国で特許をとります。それにより、すでに86年に「ノーベル・ダイナマイト・トラスト」を設立していた彼は巨万の富を手に入れます。しかし、彼はこの研究の間に末の弟を爆発事故で亡くす、という不幸に見舞われます。ノーベル自身ダイナマイトの戦争利用を考えていた節はあります(事実「死の商人」といわれたこともありました。)が、晩年彼はダイナマイトの戦争利用に強く反対しています。また、彼はダイナマイト以外にも色々な発明をしており、数多くの特許をとっています。 このダイナマイト等の収入により彼は莫大な財産を築き、ノーベル賞設立の遺言を残し、心臓病と脳梗塞のため(皮肉にも「ニトログリセリン」を使っていた)、1896年12月10日亡くなりました。(墓はイタリアのサン・レモにあります。)



  


Posted by マー君 at 11:09Comments(0)記念日

2019年11月26日

いい風呂の日

風呂の日と言えば毎月26日が頭に浮かぶ。
八代市のお風呂は少し前まで入浴料は100円だった。
今は200円のところと300円のところがあります。
風呂の日には無料で入れたのですが今は割引券を出しているようです。


浴用剤の有効性・安全性・品質確保などに関する事業を手がける日本浴用剤工業会が制定。
日付は「いい(11)ふろ(26)」(いい風呂)と読む語呂合わせから。また、11月下旬になると、お風呂でゆっくり温まって疲れを取りたいという人が増えることから。入浴剤の効用と普及拡大をアピールすることが目的。
記念日は一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録された。この日を記念して、クイズに正解すると旅行券や入浴剤、化粧石鹸などの賞品が当たるキャンペーンが実施される。

●お風呂について
「風呂」という言葉は、本来「蒸し風呂」を意味していた。蒸し風呂は、蒸気を浴びて身体の汚れをふやかし、こすりだした後、湯で流すという仕組みのため、蒸気を逃がさない狭い部屋(室)にこもる。そのため「室(ムロ)」から派生して「風呂(フロ)」という言葉が生まれたとも言われる。
日本は世界でも有数の温泉国であり、古くから人々は天然の温泉を利用して病気やケガの治療、健康保持増進に役立ててきた。また、同様の目的で薬用植物の利用も盛んに行われ、今日まで伝えられている。この天然の温泉と薬用植物による「薬湯」が、現在の「入浴剤」につながっている。
ストレスの多い現代社会において、入浴剤は疲労回復や肩こり、腰痛などの諸症状を緩和し、さらに香りや色による気分転換や癒し、リラックス効果などが期待できる。お風呂の効果をより高める入浴剤は日々の健康維持に役立てられている。

今日は何の日・明日は何の日より  


Posted by マー君 at 08:37Comments(0)記念日

2019年11月25日

先生ありがとう

調べればこんな記念日もあるんですね。




幼稚園でいつもお世話になっています。

先生ありがとうの日(11月25日 記念日)
株式会社サンケイリビング新聞社が発行する幼稚園児とママの情報誌『あんふぁん』が制定。
先生に感謝の気持ちを伝えるのは終業式や卒園式などのお別れの場面がほとんどで、日常生活で伝える機会は少ない。先生に「ありがとう」のメッセージを伝えるきっかけの日。
日付は年度の中間期で学校行事が少ないことと、「1」(先生)と「1」(親・子ども)が向かい合って先生に感謝を伝え、お互いが「25」(ニッコリ)する日との意味合いから。記念日は一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録された。

雑学ネタ帳より   


Posted by マー君 at 16:37Comments(0)記念日
読売新聞・文化面・こどもの詩

大人のお酒
砂押 眞日琉(まひる) 茨城県ひたちなか市・高野小5年

大人っていいなー
お酒飲んでぜんぶ忘れられるから
でも顔を真っ赤にしてるお父さん
きっといつか
お母さんにおこられるよ


どこにでもありそうな、誰もが心の片隅に残っていそうな景色ですね。
そろそろ忘年会が始まる季節です。
世の中のお父さんは飲み過ぎに要注意!  


Posted by マー君 at 08:54Comments(0)記事
国民の祝日の一つ。1948年(昭和23年)に公布・施行された「祝日法」で制定。「勤労をたっとび、生産を祝い、国民たがいに感謝しあう」ことを趣旨としている。 国民の祝日の一つ。1948年(昭和23年)に公布・施行された「祝日法」で制定。「勤労をたっとび、生産を祝い、国民たがいに感謝しあう」ことを趣旨としている。
農業国家である日本は、古くから神々に五穀の収穫を祝う風習があった。この日は戦前において宮中祭祀の一つ「新嘗祭」(にいなめさい・しんじょうさい)の日であった。新嘗祭とは、天皇が新しく収穫された新穀を食べて、その年の収穫を感謝する儀式である。これが第二次世界大戦後のGHQの占領政策によって天皇行事・国事行為から切り離される形で改められたものが「勤労感謝の日」である。
新嘗祭は1872年(明治4年)までは旧暦11月の2回目の卯の日に行われていた。1873年に太陽暦(グレゴリオ暦)が導入されたが、そのままでは新嘗祭が翌年1月になって都合が悪いということで、新暦11月の2回目の卯の日に行うこととした。それが1873年では11月23日だった。
しかし、翌1874年(明治7年)からは11月23日に固定して行われるようになった。11月23日という日付自体に深い意味はなく、たまたま日本が太陽暦を導入した年(1873年)の11月の2回目の卯の日が11月23日だっただけのことである。
休日としての歴史は1873年(明治6年)公布の太政官布告「年中祭日祝日ノ休暇日ヲ定ム」から続いている。一時は5月1日のいわゆる「メーデー」に「勤労感謝の日」を移動させる案が浮上したが、現在は頓挫している。
「勤労感謝の日」に由来する記念日は多く、「外食の日」「小ねぎ記念日」「珍味の日」「ワーク・ライフ・バランスの日」「生命保険に感謝する日」「キンカンの日」「キンレイ感謝の日」「お赤飯の日」「産業カウンセラーの日」「フードバンクの日」「ストレスオフの日」「いい入札の日」「ラク家事の日」などがある。



今日の八代は妙見祭御神幸式お上り行事の日です。一般的には22日のお下がりと、23日のお上りを妙見祭と思われがちですが実はこの祭りの行事は10月31日注連縄立て(しめなわだて)~12月1日注連納(しめおさめ)まで続くものなのです。
   


Posted by マー君 at 09:55Comments(0)記念日

2019年11月22日

小 雪(しょうせつ)

今日の「小雪」という節気を捉えて西日本新聞【春秋】は次のようなコラムにまとめています。


「小雪」と書いて「しょうせつ」と読めば二十四節気の一つ。冷え込みが始まり、雨が雪に変わっていく時季のこと。今日はその小雪である
▼長崎県の雲仙・妙見岳から今季初の霧氷の便りが届いた。クリスマスプレゼントや年賀状の準備も始めないといけない。食いしん坊には鍋の季節到来か。旬の春菊を入れた鍋から立ち上る湯気を思い浮かべれば、温かく幸せな気持ちになる
▼一方「小雪」をすんなり「こゆき」と読めば、中原中也のこの詩が思い浮かぶ。<汚れつちまつた悲しみに/今日も小雪の降りかかる>。この詩はどこか肌寒く、薄幸の香りをまとう
▼中也は山口県出身。言葉の魔術師、北原白秋に憧れて詩を志した。幼い頃から神童と呼ばれ、白秋に匹敵する軽快なリズムで言葉を操った。だが、生前に出版できた詩集は1冊。30歳で病死した悲運の詩人である
▼その中也と同じ山口県を地盤とするこの方の周りにも小雪がちらつき始めたようだ。首相在職日数が憲政史上最長となった安倍晋三首相である。内閣改造直後に閣僚2人が辞任。大学入学共通テストへの英語民間検定試験は導入を見送り。さらには「桜を見る会」が問題化し、来年の会を中止した
▼「経済」を隠れみのに「改憲」を進めてきた政権の終わりの始まりにならぬよう襟を正す時だろう。<汚れつちまつた悲しみに/なすところもなく日は暮れる……>と中也の詩は終わる。

日本の行事・暦には
11月23日頃(2018年、2019年は11月22日)。および大雪までの期間。
太陽黄径240度。
立冬から数えて15日目ごろ。 
北国から雪の便りが届く頃ですが、まだ本格的な冬の訪れではありません。雪といってもさほど多くないことから、小雪といわれたものだそうです。
陽射しが弱くなり紅葉が散り始めるころで、いちょうや柑橘類は黄色く色づいてきます。
次第に冷え込みが厳しくなってきますので、冬の備えは整えておきましょう。お歳暮の準備をする目安にも。
※「こゆき」ではなく「しょうせつ」と読みます。お間違いなく。

●気象の「小雪」
気象庁の予報用語における「小雪(こゆき)」は、数時間降り続いても、1時間あたりの降水量が1mmに満たない雪のこと。
※北日本や日本海側の地方で「小雪」の表現が適切でないときは「雪」の表現を用いるそうです。  


Posted by マー君 at 13:35Comments(0)季節
西日本新聞の宣伝をするわけではありませんが、「春秋」というコラムは何か引き付けられる魅力があります。
今日のお話はくまモンと新幹線のお話です。




NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」は、さまざまな分野の一線で活躍するプロに焦点を当て、熱い仕事ぶりを紹介する人気番組だ。ことし1月、初めて人間ではない「プロ」が登場した。さて、誰でしょう
▼仕事は地方公務員。熊本県営業部長兼しあわせ部長と言えば、お分かりだろう。同県PRキャラクター「くまモン」である。その人気は国内にとどまらず、海外でそっくりの“にせモン”まで現れるほどだ

▼県職員時代、誕生に関わった宮尾千加子同県立美術館長によると、くまモンが生まれた背景には、地元の強い危機感があったという
▼九州新幹線鹿児島ルートが全線開業した2011年。鹿児島から福岡、関西まで直通新幹線で結ばれ、熊本は通過点になるとの懸念が募った。そこで、関西での熊本PR戦略の一部として企画されたのがくまモンだった
▼愛嬌(あいきょう)のある外見とユニークな動きが評判になり、イラストの無料利用を認めたこともあって知名度は急上昇。18年の関連商品の売上高は1500億円の大台を超えた。くまモン目当ての来県客も多く、新幹線をてこに交流人口を増やした成功例といえる
▼九州新幹線は今、西九州ルート建設を巡って佐賀、長崎両県が対立している。巨額の費用負担や並行在来線をどうするのか、答えが見えない。地元の根強い危機感を好機に変えられないか-。九州全体の課題として知恵を出し合いたい。  


Posted by マー君 at 11:30Comments(0)熊本記事

2019年11月20日

五家荘の紅葉

昨日から急に寒くなって今日は全国的に強い寒気がなだれ込み、全国的に気温が下がり、九州から関東は晴れ、北陸は断続的に雨、東北から北海道の日本海側は雪と天気予報にあります。昨日は急に冷え込んだので五家荘の紅葉見学に行ってまいりました。
















せんだん轟滝、樅木の吊り橋、平家の里、梅の木轟公園吊り橋、泉村の紅葉




  


Posted by マー君 at 09:57Comments(0)紹介 まち歩き季節

2019年11月19日

「宇宙起源説」

何のことかといえば、生命の起源の話です。
生命はどこから来たのか?
今日の読売新聞社会面の見出し・・隕石に生命構成の糖、東北大など検出、「宇宙起源説」裏付けか
これである程度のことは理解できますが細かく記事を読んでみますと・・
生物の遺伝情報を伝えるRNAの骨格を作る糖「リボース」を、隕石から初めて検出したと東北大などが発表したm過去にも隕石から糖が発見された例はあるが、生物の誕生に欠かせない種類の糖は初めてという。生命の起源となった物質が宇宙から飛来したとする説を裏付ける新たな証拠だとしている。論文が19日、米科学アカデミー紀要に掲載される。
※RNA
生き物で遺伝情報の伝達やたんぱく質の合成の際に使われる鎖状の分子。糖「リボース」に別の有機化合物やリン化合物が結合した構造を持つ。


  


Posted by マー君 at 18:02Comments(0)記事

朝起きて新聞を取りに郵便受けまで出ていくと急に暖かい空気が吹いてきたのでびっくり。
今日は久しぶりのゴルフの日でしたが午後から雨になるそうなので中止になりました。
気象庁の天気予報を確認しますと以下のような解説があり八代ではまだ雨は降ってはいませんが生暖かい風が吹いていて今にも雨は降りそうな気配です。
確かに最近の天気予報はよく当たるようになりました。

きょう(18日)は本州付近を寒冷前線が通過。日本海側から雨雲がかかり、全国的に南よりの風が強まるでしょう。
前線に向かって暖かく湿った空気が流れ込むため、大気の状態が不安定になるでしょう。長く降り続く雨ではありませんが、前線に近い場所では雷雲にまで発達することもありそうです。一時的に雨脚が強まったり、落雷や竜巻などの突風が吹く恐れがあるため注意が必要です。また全国的に南よりの風が強まります。傘があっても足元が濡れてしまうかもしれません。レインシューズや長靴を履いても良さそうです。

【沖縄】南西諸島周辺には発達した雨雲が海上を中心に広がっています。昼頃から雷を伴って激しく降る所もあるでしょう。風が強まり、海上ではうねりを伴って波が高くなりそうです。

【九州から東北】九州や山陰は昼前から本降りの雨となるでしょう。北陸や東北の日本海側も昼頃から次第に雨が降り出しそうです。太平洋側は夕方以降、雨の降る所が多いでしょう。関東は前線が通過する前から、にわか雨がありそうです。


tenki.jpより  


Posted by マー君 at 10:07Comments(0)日記気象


●家族の日
内閣府が2007年(平成19年)に制定。
内閣府では、2006年(平成18年)6月20日に少子化社会対策会議によって決定された「新しい少子化対策について」に基づき、11月の第3日曜日を「家族の日」とし、さらに、その前後1週間を「家族の週間」と定めた。子供を家族が育み、家族を地域社会が支えることの大切さについて理解を深めてもらうことが目的。
「家族の日」の日付は以下の通り。
2016年11月20日(日)
2017年11月19日(日)
2018年11月18日(日)
2019年11月17日(日)
2020年11月15日(日)

子供と子育てを応援する社会の実現のためには、子供を大切にし、社会全体で子育てを支え、個人の希望がかなえられるバランスの取れた総合的な子育て支援を推進していく必要がある。
内閣府は、この期間を中心として、地方公共団体・関係団体などと幅広く連携・協力し、「家族の日フォーラム」の開催や「家族や地域の大切さに関する作品コンクール」の募集などの取組みを行っている。また、生命を次代に伝え育んでいくことや、子育てを支える家族と地域の大切さが国民一人ひとりに再認識されるよう呼び掛けている。
今日は何の日より  


Posted by マー君 at 09:15Comments(0)記念日

2019年11月16日

地震・雷・火事・親爺

朝のテレビで日奈久断層の話がありました。
熊本地震が起きて3年がたちますが、あの時の地震を思い出すと今でもぞっとします。
できる事ならもう起きてほしくはありません。
熊本地震は布田川断層で起きました。
日奈久断層はいつ地震が起きても不思議ではない状態であるそうです。
テレビで産総研の活断層評価研究グループ研究グループ長・宮下由香里さんが八代市でトレンチした画面の説明をされていました。
トレンチで見つかった断層を指さして過去に起きた地震で同じ場所にズレが起きて、落ち込んだ地盤の上に土砂などが積もって柔らかい地盤が出来ている八代の地形の話をされていました。
布田川断層が動いたことで、日奈久断層の地盤に負荷がかかった状態になっているので、いつ地震が起きても不思議ではないとの話です。
この話を聞いて何日か前の【春秋】の話を思い浮かべました。
今年は台風や各地で大雨の被害をもたらした線状降水帯が発生しました。


●線状降水帯(せんじょうこうすいたい)とは?

次々と発生する発達した雨雲(積乱雲)が列をなした、組織化した積乱雲群。
要するに雨を降らせる雲が線状に伸びているのです。
この雨雲が、数時間にわたり同じ場所に雨を降らせるため「集中豪雨」が発生する際には、この線状降水帯が原因になることが少なくありません。

世の中で恐ろしいものと言えば「地震、雷、火事、おやじ」。この例え話は江戸時代から伝わる。現代では、おやじの威厳に?が付くが、そもそもの疑問もある。なぜこの中に台風が入っていないのか
▼古来、台風禍はあっても、江戸を直撃することはまれだったのか。それとも風雨は今ほど強くなかったのか。理由は定かではないが、ネット上ではこんな俗説も

▼かつて日本では山から吹き下ろす強風を「やまじ」「おおやまじ」などと呼んだ。それがなまったのではないか-。つまり、おやじ=台風。確たる根拠はない
▼けれども、なるほどと思わせる面もある。山と風の二つの漢字が合体すると「嵐」になる。四国の愛媛では今でも「やまじ」と呼ばれる局地風が吹くし、台風という呼称が気象用語として定着したのは戦後のこと
▼北海道には「やまおやじ」と呼ばれる動物も。こちらは恐ろしいヒグマのこと。親しみも込められているようだが、自然への畏敬、畏怖の念が伝わってくる。それこそ忘れてはなるまい
▼人間の油断が見透かされたのか。今秋の風水害は昨年とは一転、東日本に集中。特に台風19号の傷痕は深い。70以上の河川の堤防がほぼ同時に決壊し、住宅被害は8万棟超。100人近くが犠牲になり、いまだ2千人以上が避難生活を送る。無論、おやじ(親父)の威厳回復より、防災の強化が先決である。19号の襲来からきょうで1カ月。

2019/11/12 10:40
西日本新聞 オピニオン面  


Posted by マー君 at 10:20Comments(0)日記記事
七五三のお祝いがなぜ11月15日になったのかご存知ですか?
1.11月15日に祝うこととなったのは、この日が二十八宿の鬼宿日(きしゅくにち)にあたり、
婚礼以外は何事の祝い事にも吉とされていたからだそうです。
また、旧暦の11月は、秋の実りを神に感謝する月でしたので、その満月にあたる15日に、
氏神に収穫の感謝とともに子供の成長を感謝したそうです。
2.もうひとつのいわれは、江戸時代、「お犬様」で有名な五代将軍綱吉のお子様、
徳松君のお祝いをした日に由来するのだそうです。
また七五三の意味は3歳、5歳、7歳のまで育った子供たちの節目として次のような儀式を行なうことからきています。
○三歳=男女とも、髪を伸ばし始める「髪置」(かみおき)
○五歳=男の衣装である袴を着る  「袴着」(はかまぎ)
○七歳=女の子の着物帯の装い始め 「帯解」(おびとき)
そして七五三の由来は室町時代にまで遡り、当時は幼児の死亡率が今とは比べ物にならないくらい高く、生まれてから3年~4年たって、
初めて、当時の戸籍に当たる人別帳や、氏子台帳に登録がされました。
七五三は、死亡率の高い危険な幼児期を乗り切って、無事に成長してこれた事の節目として、その子の生まれた土地の神様に感謝と加護を祈る儀式として、江戸時代に定着しました。


我が家では3歳になった孫のお祝いは子どもたちの仕事の都合で10月に済ませました。  


Posted by マー君 at 09:08Comments(0)季節行事
「今日は何の日」によると「人生100年時代の日」という日だそうです。
喜ばしいことでもありますが半分以上は不安に覆われます。
東京都墨田区吾妻橋に本社を置き、各種飲料水の製造・販売などを手がけるアサヒ飲料株式会社が制定。
日付はココロもカラダも健康な「いい(11)とし(14)」(良い歳)と読む語呂合わせから。「人生100年時代」を迎えるにあたり、自分の健康を見つめ直す日。また、同社の健康飲料を生活の中に取り入れてもらうことで、より多くの人の健康をサポートすることが目的。記念日は2018年(平成30年)に一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録された。
同社の健康飲料には、特定保健用食品=トクホ、機能性表示食品、乳酸菌活用飲料がある。
トクホとは、消費者庁が「保健の用途・効果」を具体的に表示することを許可した食品である。アサヒのトクホには、食後の血糖値の上昇・中性脂肪の吸収をおだやかにする「三ツ矢サイダーW(ダブル)」や、おなかの調子を整える「アサヒ ファイバー7500」がある。
機能性表示食品とは、事業者の責任において、科学的根拠に基づいた機能性を表示した食品である。販売前に安全性や機能性の根拠に関する情報などを消費者庁に届け出る必要がある。
アサヒの機能性表示食品には、注意力の維持と計算作業の効率維持に役立つ「はたらくアタマに」シリーズ(ワンダ・抹茶ラテなど)や、体脂肪を減らす「カラダカルピス」、心理的なストレスを和らげ、睡眠の質を高めるのに役立つ「届く強さの乳酸菌」シリーズ、血圧が高めの人にお勧めの「アミール」シリーズなどがある。
リンク:アサヒ飲料




金融庁からは少し前に人生100年時代、2000万円不足、という報道があり年金問題が大きく世間を騒がせたことがありました。
厚生労働省のホームページには以下のようにこの問題を取り上げています。
人生100年時代について
(人生100年時代構想会議中間報告より引用)
ある海外の研究では、2007年に日本で生まれた子供の半数が107歳より長く生きると推計されており、日本は健康寿命が世界一の長寿社会を迎えています。
100年という長い期間をより充実したものにするためには、幼児教育から小・中・高等学校教育、大学教育、更には社会人の学び直しに至るまで、生涯にわたる学習が重要です。
人生100年時代に、高齢者から若者まで、全ての国民に活躍の場があり、全ての人が元気に活躍し続けられる社会、安心して暮らすことのできる社会をつくることが重要な課題となっています。  


Posted by マー君 at 09:52Comments(0)記念日

2019年11月13日

今日は「うるしの日」

今日は何の日に今日は「うるしの日」という記念日になっていますがここに書かれている時代よりももっと古く1万年以上前から始まるうるしの歴史は日本が世界に誇れる文化だと思われますのでwikipediayから補てんしておきました。


日本漆工芸協会が1985年(昭和60年)に制定。
日付は、平安時代、文徳天皇の第一皇子・惟喬・これたか親王が京都・嵐山の法輪寺に参籠し、その満願の日のこの日に「漆(うるし)」の製法を菩薩より伝授されたという伝説から。この日は、以前から漆関係者の祭日で、親方が職人に酒や菓子などを配り労をねぎらう日であった。日本の伝統工芸である「漆」の美しさを知ってもらうことが目的。
うるしについて
漆(うるし)とは、ウルシ科のウルシノキ(漆の木:Poison oak)やブラックツリーから採取した樹液を加工した、ウルシオールを主成分とする天然樹脂塗料である。塗料とし、漆工などに利用されるほか、接着剤としても利用される。

●最古の漆器
河姆渡文化時期の赤い漆の塗られたお椀。(浙江省博物館)
長江河口にある河姆渡遺跡で発掘された木弓は、放射性炭素年代測定で約7500~7400年前と確認されたことから、漆器は中国が発祥地で技術は漆木と共に大陸から日本へ伝わったと考えられていた。ところが、北海道函館市南茅部地区から出土した漆の装飾品6点が、米国での放射性炭素年代測定により中国の漆器を大幅に遡る約9000年前の縄文時代早期前半の装飾品であると確認された。縄文時代の集落と生活様式の変遷が確認できる垣ノ島遺跡からは、赤漆を染み込ませた糸で加工された装飾品の他に、黒漆の上に赤漆を塗った漆塗りの注口土器なども発見されている。さらに、福井県(鳥浜貝塚)で出土した漆の枝は、放射性炭素(C14)年代測定法による分析の結果、世界最古の約 12600年前のものであると確認された。更なる調査で技術的に高度な漆工芸品である「赤色漆の櫛」も出土、 この他に、木製品、丸木船、縄、編物、その加工に用いられた工具なども相次いで出土しており、漆工芸品も含めた木材加工の関連品が発見されている。こういった遺構、遺品から、日本では縄文時代早期末以降にはウルシが生育していたとされる。
上記の垣ノ島遺跡から出土した漆器は2002年12月28日の深夜、8万点に及ぶ出土文化財や写真、図面とともに火災にあった。幸い形の認識と繊維状の痕跡がはっきりと視認できる部分は焼失を免れ、2004年の4月には12ページの調査報告『垣ノ島B遺跡出土漆製品の分析と保存処理』が出された。
Wikipediaより   


Posted by マー君 at 19:36Comments(0)歴史記念日

2019年11月12日

東京裁判で有罪判決

この年になっても知らないことが多すぎる。
今日は東京裁判が結審した日です。
A級戦犯という言葉はこれまでに幾度となく耳にしてきましたがA級の意味さえ理解していませんでした。
こうして毎日、日記がわりのブログを書くことによって、あやふやに覚えていたことが少しづつまともな知識になってきます。


極東国際軍事裁判で戦犯25被告に有罪判決 1948年11月12日
極東国際軍事裁判(きょくとうこくさいぐんじさいばん、英語: The International Military Tribunal for the Far East)とは、第二次世界大戦で日本が降伏した後の1946年(昭和21年)5月3日から1948年(昭和23年)11月12日にかけて行われた、連合国が「戦争犯罪人」として指定した日本の指導者などを裁いた一審制の裁判のことである。東京裁判(とうきょうさいばん)とも称される。
●概要
この裁判は連合国によって東京に設置された極東国際軍事法廷により、東條英機元首相を始めとする、日本の指導者28名を、「平和愛好諸国民の利益並びに日本国民自身の利益を毀損」した「侵略戦争」を起こす「共同謀議」を「1928年(昭和3年)1月1日から1945年(昭和20年)9月2日」にかけて[1] 行ったとして、平和に対する罪(A級犯罪)人道に対する罪(C級犯罪)および通常の戦争犯罪(B級犯罪)の容疑で裁いたものである。「平和に対する罪」で有罪になった被告人は23名、通常の戦争犯罪行為で有罪になった被告人は7名、人道に対する罪で起訴された被告人はいない。裁判中に病死した2名と病気によって免訴された1名を除く25名が有罪判決を受け、うち7名が死刑となった。日本政府及び国会は1952年(昭和27年)に発効した日本国との平和条約第11条によりこのthe judgments を受諾し、異議を申し立てる立場にないという見解を示している。  


Posted by マー君 at 10:20Comments(0)歴史出来事

2019年11月11日

葛籠尾崎湖底遺跡








葛籠尾崎湖底遺跡(つづらおざきこていいせき)ってご存知ですか?
縄文時代に縄文人が丸木舟を使って遠い所へ行き来をしていたことが知られていますがその丸木舟の現物をしっかりと見た記憶がありません。
丸木舟で古いものといえば約6000年前のものが京都府舞鶴市の浦入遺跡で見つかっています。
少し前迄一番古いとされてきたものは島根県松江市の島根大構内遺跡の約7000年前のものだったのですが、2015年に千葉県市川市の雷下遺跡(かみなりしたいせき)で見つかったものは約7500年前のものと鑑定され現在では一番古いものとされています。
今回の関西旅行で本来寄ってみたかったのは舞鶴の浦入遺跡で出土した丸木舟を見たかったのですが、出土した舟は全国各地の博物館に展示品として出品中で現在どこにあるかわからないので琵琶湖にある丸木舟を捜して葛籠尾崎湖底遺跡資料館と琵琶湖博物館を見て歩くことにしました。
今回、丸木舟だけではなく琵琶湖の湖底遺跡というものを初め知り、小江 慶雄という研究者も知ることができました。
滋賀県内には約3000の遺跡があります。このうち琵琶湖や内湖にある遺跡を「湖底遺跡」と呼んでいます。その数は約90か所で、これらに遺跡のほとんどは、水深1~5mと比較的浅い所に位置しています。
湖底遺跡の発掘調査によると、守山市の湖底では水深3、071mから縄文時代後期の丸木舟が出土しています。延勝寺・今西の湖岸では1.651~1,881mで弥生時代中期の意向が確認されています。
多少の上下はありますが、縄文時代、弥生時代、古墳時代、平安時代の琵琶湖の水位は、現在の平均水位から低い時代で4,0m、高い時代でも2,0mも水位が下がっていたことが確認されています。このことから、現在琵琶湖に沈んでいる縄文時代~平安時代のほとんどの湖底遺跡が水位の上昇によって水面下に沈んだと考えられます。
しかしこのような現象では理解できない湖底遺跡があります。それが葛籠尾崎湖底遺跡です。
葛籠尾崎湖底遺跡は、琵琶湖に突き出した葛籠尾崎の先端から東沖6メートルから700メートル、岬の湖岸に沿って北へ数キロの範囲で、水深10~70メートルの湖底にあります。大正13年(1924)の暮れ、尾上の漁師がイサザ漁をしていたところ、縄文・弥生土器各2個、土師器2個が網にかかり引き上げました。この後、たくさんの縄文土器、弥生土器などの古代の土器や鹿の角が引き上げられ、その存在が明らかとなりました。今までに引き上げられた土器はm縄文時代早期から平安時代の土器でその総数は約140点にのぼります。これらの土器は完成品が多く、また、風化がほとんど見られず数千年、数百年の時を経てきたとは思えないほどよく原形を止めています。葛籠尾崎湖底遺跡の土器は一般の遺跡とは異なり、湖底の土中に埋没せず露出しています。このような遺跡は他に例がなくその成因はなぞに包まれています。




小江 慶雄(おえ よしお/おおえ よしお、1911年 - 1988年11月7日)は考古学者。
1911年滋賀県東浅井郡湖北町尾上(現・長浜市湖北町尾上)に生まれる。九州帝国大学(現・九州大学)で考古学を学んだ後に京都学芸大学(現・京都教育大学)で考古学を教え、後進の指導も熱心に行なった。京都学芸大学学長に就任後も精力的に国内外の遺跡調査に奔走した。
1970年代以降に地中海を中心として調査が進められていた欧米の水中考古学を幅広く日本の考古学会に紹介し、島国である日本における水中遺跡調査の必要性を積極的に教授したが、当時は陸上の遺跡調査が優先であって協力・賛同を得ることは困難であった。特に郷里の葛籠尾崎湖底遺跡の研究では多数の土器の調査・分析をし、琵琶湖周辺に関する湖中遺跡の研究に尽力した。
また伊香郡西浅井町大字菅浦に伝わる、乾元元年(1302)作の古図「竹生島図」に着目しこの図に描かれた葛籠尾崎を検証し、岬南端の湖岸にあった遺跡が波の浸食によって流出したという「湖岸遺跡流出説」を発表した。

葛籠尾崎湖底遺跡資料館は滋賀県長浜市湖北町尾上自治会が管理されています。
行かれる場合は0749-79-0315紅鮎まで予約を入れてから自動車又は河毛駅(JR)からレンタサイクルを借りて約1時間ほど。
バスがありましたが今はありません。タクシーだと片道5000円くらいかかるそうです。  


Posted by マー君 at 16:07Comments(0)紹介 まち歩き縄文