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Posted by おてもやん at

2016年12月31日

子どもの心

子どもの世界と子供の心 どんな夢を見ているのかな・・・




詩人平田俊子さんが選んだ今年(2016)の6編から、遊びつかれて寝ている双子の姿を見ながら、こんな詩を選んでみました 

わるもの
かいぞくとかどろぼうとか
わるものは
つかまるのはかわいそうだから
そだててあげればいいんじゃない
やさしくしたら
いいひとになるとおもうよ
(東京都板橋区・東京家政大付属みどりケ丘幼稚園年中)菅野康佑・・読売新聞10月24日掲載
  


Posted by マー君 at 09:14Comments(0)つぶやき記事

2016年12月30日

本末転倒


年の瀬にどう考える?・・・今の日本

『本末転倒・ほんまつてんとう』・・【意味】根本になる大切なことと、末節のつまらないことを取り違えて、反対に扱うこと。四字熟語


西日本新聞 【春秋】 2016・12・30
「もはや日本政府は連盟と協力する努力の限界に達した」。1933年2月の国際連盟総会。日本全権の松岡洋右はそう言って席を立った。満州事変は日本の侵略行為とする「リットン報告書」が採択されたからだ►日本政府は翌月、国際連盟脱退を通告。世界で孤立を深め、日中戦争、太平洋戦争への道を突き進むことになる。多大な犠牲を払って日本が国際社会に復帰するまでに23年の時を要した►1956年12月の国際連合総会で、日本は80番目の国連加盟国となった。それからちょうど60年。日本は平和を希求し国際協調に努力してきたはずだ。その理念から外れてはいないか►国連安保理で、日本は南スーダンへの武器輸出を禁じる制裁決議案の採決を棄権した。制裁で南スーダン政府と国連との対立が深まれば、かえって情勢は緊迫すると判断したという。核兵器廃絶を目指す「核兵器禁止条約」でも、日本は国連総会で反対票を投じた。核保有国と非保有国の対立を招くとの理由だ►本音はどうか。反対を押し切って「駆け付け警護」の任務を与えて南スーダンに派遣した自衛隊に何かあっては困るから、戦争被爆国でありながら米国の「核の傘」に守られているから►単純な話ではないのは分かる。それでも、核や武器をなくすことが平和に続く道だと信じたい。本末転倒を重ねれば、日本が60年間努力して築いた平和国家の看板まで疑われよう。
  


Posted by マー君 at 17:56Comments(0)記事

2016年12月29日

どの様に考えますか?


振り返ってみますと今年もいろいろな事がありました。世の中には色々な人がいて、それぞれがいろいろな考えを持って生活をしています。ものの見方も人それぞれ、その人たちをまとめていくのも大変な苦労がいります。新聞を読んでいて常に思うことは、もう一つの考え方についてです。今日はいい例がありましたので参考に取り上げてみました。

読売新聞 【よみうり寸評】 12・28夕刊
【隕石】はなじみでも【隕】という字は常用漢字表に載っていない。国木田独歩の『おとずれ』に〈大空の星の隕ちたるがごとし〉との表現がある◆空から何かが降るさまを言うらしい。【隕涙】なる言葉もあるそうで、文字通り涙が隕ちることを示すのだろうが、独歩の文章に影響されてか、空一面から降り注ぐ涙を浮かべてしまう◆4年もの間、激烈な戦争をした日米両国である。どれほどの悲しい涙が人々に注いだろう。きょうが真の和解の1日になるといい◆安倍主相とオバマ米大統領がハワイ・オワフ島の真珠湾を訪れ、旧日本軍による攻撃の犠牲者を慰霊した。「和解の力」を強調した安倍主相の演説は、日米同盟のゆるぎなさばかりでなく、紛争の絶えない世界への意義あるメッセージになったろう◆主相らが花を散らした海に沈む戦艦アリゾナは1100人以上の乗員を抱いたまま海中に眠る。今も流れ出る油の膜は、涙とも称されてきた。その場所で不戦が立てられたことは後世、忘れるべきではない。

西日本新聞 【春秋】 2016・12・29
日米開戦の舞台となった米ハワイ・真珠湾を安倍晋三主相が訪れ、オバマ大統領と戦没者に祈りをささげた。5月にオバマ氏が被爆地・広島を訪問したことと併せ、開戦75年の節目に、敵対した両国の和解を改めて印象付けた意義は大きい►「戦争が終わり、日本が貧しさのどん底で苦しんでいる時、皆さんが送ってくれたセーターで、ミルクで、日本人は未来へと命をつなぐことができた」。現地で演説した主相は「(米国の)大いなる寛容の心を子や孫にも語り継ぎ、決して忘れない」とも述べ、深い感謝を示した►主相としては、かなり踏み込んだ発言だ。日本に厳しい態度をちらつかせるトランプ次期大統領の就任を前に、日米関係をより強固なものにしたい、との狙いもあろう►米国ばかりでなく、それ以上に、感謝を忘れず、寛容を示して和解に努力しなければならない相手がいよう。「皆さんが多くの命を犠牲にして本土の盾となり、戦後も基地負担に耐えてくれたおかげで、日本人は今の平和と繁栄を享受できました」と►主相がハワイに到着した日、政府は沖縄県名護市辺野古で工事を再開した。沖縄県が強く反対している米軍普天間飛行場の移設に向けた作業だ►不時着事故を起こして、県民が不安を訴えた米軍輸送機オスプレイも、1週間足らずで飛行を再開し、政府も容認した。強まる米国追従と沖縄冷遇。それも開戦75年の縮図か。  


Posted by マー君 at 11:50Comments(0)記事

2016年12月24日

2016・海外のニュース



2016年・海外ニュースベスト30・・・読売特別面より

①米大統領選でトランプ氏勝利 11/8
②英国民投票で「EU離脱」過半数 6/24
③韓国・朴大統領、友人女性の国政介入疑惑で窮地に 10/30
④ノーベル文学賞にボブ・ディランさん 10/13
⑤「パナマ文書」公開で各国に波紋 5/25
⑥オバマ米大統領がキューバ訪問 3/21
⑦北朝鮮が初の「水爆実験」実施発表 1/6
⑧ロシアの国主導でのドーピング認定 7/18
⑨ミャンマー新政権発足。スーチー氏は事実上トップの国家顧問に就任 4/6
⑩キューバのカストロ前議長死去 11/25
⑪フィリッピン大統領にドゥテルテ氏就任 6/30
⑫仏でトラック突入テロ、85人死亡 7/15
⑬ジカ熱でWHOが緊急事態宣言 「小頭症との関連に強い疑い」 2/1
⑭エクアドルで大地震、死者660人超 4/17
⑮仲裁裁、南シナ海の中国主権認めず 7/12
⑯イタリア中部で大地震。死者約300人 8/24
⑰ボクシング元王者モハメド・アリさん死去 6/3
⑱タイのプミポン国王死去 10/13
⑲ブリュッセルで空港・地下鉄同時テロ 3/22
⑳米フロリダで銃乱射、49人死亡 6/12
㉑コロンビア和平合意、サントス大統領にノーベル平和賞 10/7
㉒重力波を初観測、米研究チーム発表 「重力波・・宇宙空間にできた「ゆがみ」が波となって伝わる現象」 2/11
㉓台湾南部の地震で死者約120人 2/6
㉔米大リーグ、カブスが108年ぶり制覇 11/2
㉕シリア北部アレッポ空爆、内戦泥沼化 11月
㉖ローマ法王とロシア正教会の総主教、1054年の分裂以降、初の会談 2/12
㉗台湾総統選で蔡英文氏が当選 1/16
㉘トルコの空港で爆弾テロ、44人死亡 6/28
㉙パリ同時テロ実行犯をベルギーで逮捕 3/19
㉚英メイ首相就任 7/14

こうして今年の海外ニュースの記録を辿ってみると、頭の中に残っていないものが多くて自分ながらにびっくりします。発生日を調べてみますと記憶の曖昧さにも驚かされます。海外ニュースの関心度の低さには反省させられました。

  


Posted by マー君 at 12:21Comments(0)記事

2016年12月23日

2016・日本のニュース



2016年日本のニュース30選・・・読売特別面から

①熊本地震 死者50人 4/16
②東京都知事に小池百合子氏 都知事選 8/1
③リオ五輪、史上最多のメダル41個 8/5~8/21
④天皇陛下、退位のご意向を示唆 7/13
⑤オバマ大統領が広島訪問 5/27
⑥ノーベル生理学・医学賞に大隅良典東京工業榮譽教授 「自食作用(オートファジー)」 10/3
⑦北海道新幹線開業 3/26
⑧相模原市の障害者施設で19人刺殺、27人重軽傷 容疑者は元職員の植松聖 7/26
⑨18歳選挙権施行 6/19
⑩「ポケモンGO」日本で配信開始 7/22
⑪伊勢志摩サミット開始 5/26
⑫参院選で与党大勝、改憲派2/3超 (開票日7/10)
⑬長野でスキーバス転落、15人死亡 1/15
⑭元プロ野球選手・清原容疑者を覚せい剤取締法違反で逮捕 2/3
⑮日銀がマイナス金利導入決定 1/29
⑯113番新元素は「ニホニウム」 理化学研究所 元素記号は「Nh」 6/9
⑰台風10号、岩手・北海道で死者22人 8/19~8/30
⑱イチロー、日米通算最多安打 4257安打 6/16
⑲博多駅前の市道が大規模陥没 11/8
⑳日本ハムが10年ぶり3度目の日本一 10/29
㉑舛添東京都知事が辞職(21日付け辞職願) 6/15
㉒レスリング女子・伊調馨選手に国民栄誉賞 9/24
㉓東京五輪新エンブレムに「組市松紋」 4/25
㉔消費税率を2年半延期 5/28
㉕電力小売り全面自由化スタート 4/1
㉖三笠宮様ご逝去 10/27
㉗「山・鉾・屋台行事」がユネスコ無形文化遺産に 10/31
㉘経営再建中のシャープ、鴻海(ホンハイ)が買収(完了) 8/12
㉙三菱自動車が燃費データ偽装(25年前から) 4/26
㉚民進党が発足 3/27

 
  


Posted by マー君 at 12:49Comments(0)記事

2016年12月22日

文化財 回顧2016



2016年の主な文化財ニュース 12・21読売文化面より
【4月】
●熊本地震により特別史跡・熊本城跡(熊本市)では重要文化財の櫓や門など13棟すべてが損壊し、石垣は50カ所で崩壊した
●阿蘇神社(熊本県阿蘇市)では重文の楼門が倒壊し、社殿の被害も大きい
●熊本に集中する古墳内部を彩色などで飾った装飾古墳も多くが損傷した
●切支丹屋敷跡(東京都文京区)で出土した人骨がイタリア人宣教師ジョバンニ・シドッチ(1668~1714)の可能性が高いと判明
【5月】
●金井下新田遺跡(群馬県渋川市)で榛名山噴火で火山灰に埋まった古墳時代(6世紀初頭)の政治・祭祀拠点
●瀬田遺跡(奈良県橿原市)で前方後円墳に似た形の弥生時代末(2世紀後半)の周溝墓
【7月】
●金閣寺(京都市北区)で足利義満が建立した北山大塔の頂上を飾った九輪の一部地見られる破片
●東京博物館所蔵の法隆寺献納放物に出土品以外で最古級の飛鳥時代(7世紀後半ごろ)の木簡
【9月】
●オランダのハーグ国立文書館で大阪の陣(1614~15年)前後の状況をオランダ人が記した文書500点
●キトラ古墳(奈良県明日香村)の極彩色壁画を保存、公開する「四神の館」開館
●勝連城跡(沖縄県うるま市)で3~4世紀頃のローマ帝国の銅貨
●藤原京跡(奈良県橿原市)で701年の元日朝賀で「幢幡・どうばん」と呼ばれる旗を立てたとみられる跡
【10月】
●淡路島で昨年発見された弥生時代中期(紀元前3~前2世紀)の銅鐸7個中2個が、島根県の加茂岩倉遺跡・荒神谷遺跡出土の銅鐸と同じ鋳型で造られた〝兄弟〟と判明
【11月】
●文教遺跡(松山市)で縄文時代晩期末~弥生時代前期初頭(紀元前700~前500年頃)の国内最古の畑跡
【12月】
●山車を使う全国33の祭り「山・鉾・屋台行事」がユネスコ文化遺産に登録
●薬師寺(奈良市)の東塔の心柱と部材が奈良時代前半に伐採されたヒノキと判明。藤原京からの移築説もあったが、平城京での新築を裏付け
  


Posted by マー君 at 12:16Comments(0)記事

2016年12月20日

情動・・?

救えるか?・・・サイコパス
いらいらするな くよくよするな ぎすぎすするな おおらかに、おおらかに

12・19 夕刊 【よみうり寸評】
人間の〈良心〉は生まれながら脳に備わる機能ではないらしい。心理学には【情動】(怒り、悲しみ、喜びなど急激な感情の動き)が育むという説がある◆どういうことか。脳科学者の中野信子さんの近著に、【情動】について次のような記述があった。〈こんなことしちゃダメだ、人間ならこんなときこうするべきだと気持ちがざわつく〉(『サイコパス』文春新書)こと◆どうしたら〈良心〉が反転することになるだろう。今年7月、神奈川県相模原市の知的障害者施設で19人が殺害された事件は今振り返っても背筋が凍る◆元職員植松聖容疑者(26)は負傷した入所者24人の殺人未遂容疑でも追送検された。施設でどんな情動を覚えたか。職員として生活の不自由な人たちの世話をすれば、気持ちは様々にざわつこう。まっとうなら「助けよう」となるべきところが、残忍な殺意に導かれた容疑者である◆気の毒に思うどころか、いじめる。原発事故から避難してきた小中生への中傷が各地で問題となる。似てないだろうか。

サイコパスとは・・サイコパスとは精神病質、あるいは反社会性人格障害などと呼ばれる極めて特殊な人格を持つ人々のことを指す言葉です。 そして、サイコパスの特徴を一言で表すなら、良心や善意を持っていないということです。


  


Posted by マー君 at 15:13Comments(0)記事
                          福岡の珍敷塚(めずらしづか)古墳の壁画‥上 エジプトのセン・ネジェム古墳の壁画‥下

昨日(12/17)、八代市厚生会館ホールで吉村作治先生による『日本の祭りとその起源・日本のお祭りの起源は古代エジプトにあった』という特別講演会がありました。この企画は八代の妙見祭が先月ユネスコ無形文化遺産登録が決まった事を記念して、八代妙見祭保存振興会・八代市が主催して行ったものです。
吉村作治先生は1966年アジア初の早大エジプト調査隊を組織し現地に赴いて以来、約半世紀にわたり発掘調査を継続し、数々の発見により国際的評価を得る。エジプトの歴史について国内第一人者です。話は妙見祭の話から神輿で運ばれる神様の話になり広がって行くのですが、この祭りというものが『神事』、『神輿』、『余興』というもので構成されており、古代エジプトの祭り「オペト祭」が原型ではないかと話されます。ルクソール神殿は、新王国時代にカルナック神殿の副神殿として建てられました。これは年に1度、ナイル川の増水期に、アメン神が妻ムト女神と過ごすために訪れる「オペト祭・豊穣を祈る祭」のために造られました。ルクソール神殿にこれらの神を迎えるとき、オペト祭という盛大な祭りが行われた。古代エジプト人たちが最も楽しみにしていた祭りの一つです。その祭りの様子がカルナック神殿やルクソール神殿のパピルス柱(高さ19m)の大列柱廊の左右の柱にはオペトの祭りのレリーフが多数描かれているという話をされました。又1954年および1987年にギザの大ピラミッドの付近で発見された2隻の船クフ王の船は紀元前2500年頃、古代エジプト・古王国時代第4王朝のファラオであったクフのために造られたとされていて、この船は、復活する王を運ぶ儀式の船に似ていたため「太陽の船」と呼ばれています。太陽信仰は日本だけではなく、古代文明のエジプトやマヤでも世界中で信仰されていたもので古代エジプトの初期には死者は北極星のまわりに帰ると考えられていました。夜の間に星々や星座は沈んでしまいますが北極星だけは決して見えなくなることはありません。そのことから「永遠に生きるもの」、「滅亡を知らないもの」とされ、死者の永世の世界だと思われるようになりました。北極星信仰は妙見信仰などに今日も残っており、古代エジプトの信仰が神様の違いはあれ、同じ多神教を信仰する日本にも何らかの形で伝播したということです。時代がうつるにつれ、死者の国は西方の地下にあると考えられるようになりました。太陽は西に沈み、死者の国を通って東方に再生すると思われたからです。大ピラミッドの脇には巨大な太陽の舟が埋められていましたが、このような船によって太陽は東方の再生の地に運ばれると考えられていました。これは日本の古代でもエジプトの太陽信仰と全く同じような死者に対しての畏怖とよみがえりをねがう太陽信仰がありました。エジプトにもそして日本にもミイラというものが存在します。6世紀ごろの古墳の(珍敷塚古墳)絵がエジプトのセン・ネジェム古墳の絵にそっくりという話もありました。福岡の浮羽地区には原(はる)古墳,鳥船塚(とりふねづか)古墳,などにも船の装飾古墳があります。これは決して偶然ではありません。古代の世界ははるか大昔から繋がっていたと考えることが妥当だと話されます。
その外、先生の話にはピラミッドは王の墓ではなく、神様を祀る神殿であるという話もされました。日本の教科書には、いまだに墓とされていることには憤慨されていました。この話には訳があって、ピラミッドが墓だとする文部省に対して、それなら王の墓を別の場所で見つければ自分の主張が認められるだろうと墓を探されたそうです。今はピラミッドが墓だと教科書に記述している国はあまり無いそうです。ピラミッドは日本の神社と同じで神様が降臨する部屋があるだけで、死者を埋葬する部屋は無いそうです。

八代市厚生会館入り口



   


Posted by マー君 at 17:12Comments(0)講座

2016年12月13日

編集手帳について


いつも感心するのだが、読売新聞第一面の左下の約10センチ四方の枠の中に450字余りの字数で最新のニュースを色々な手法を使って読者に今日はこれっ!ていうような感じでニュースを取り上げまとめておられるので、毎日楽しみに読ませていただいております。この編集手帳に目をやることで漢字や日本語の勉強にもなりますし、いつも作者の勉強ぶりには感心させられます。


今日は太宰治を皮切りにカジノ解禁法案と2016年の世相を表す「今年の漢字」に選ばれた「金」の文字を取り上げています。

12月13日火曜日・読売新聞 【編集手帳】
太宰治の『斜陽』に「経済学を」語った下りがある。〈人間というものはケチなもので、永遠にケチなものだという前提がないと全く成り立たない学問・・・〉であると◆ケチというよりも、〝惜しむ〟学問だろう。お金を惜しみ、資源を惜しみ、時間を惜しむ。経済活動という地図上に、無駄のない最短の道順を追及してやまない。国の財政も家計のやりくりも、地道ながら尊い〝惜しむ〟心があって初めて成り立つ◆その対極にあるものは、一獲千金を狙う賭博だろう。「惜」という字の心(立心偏)が金に置き換わると、錯誤の「錯」になる。心が金に・・・は、ギャンブル依存症の悲劇そのままである◆歳末恒例「今年の漢字」は〈金〉だという。。メダルラッシュに沸いたリオの夏を思い出す前に、与野党の攻防がつづく通称「カジノ解禁法案」を連想してしまった。日本選手団の面々には少々申し訳ない気持ちでいる◆経営上の妙味がどれほどあろうとも、カジノは人の不幸と不運を養分にして咲く徒花(あだばな)である。日本経済の定評であった優秀の「秀」の字が悲しい金にまみれ、「銹(さび)」 に変わる。見るに忍びない。



   


Posted by マー君 at 16:46Comments(0)記事

2016年12月12日

文学散歩阿蘇 宋不旱

阿蘇市的石御茶屋跡に宋不旱が昭和14年に詠んだ句があります。前山光則先生の案内で文学散歩の旅の最初の場所として案内をしていただきました。途中雨も降り出して少し心配しながらバスに乗っていましたが、目的地に着く頃には雨も上がり気分よく観光する事が出来ました。
宋不旱についての豆知識や隼鷹天満宮にある宋不旱の句についてバスの中で前山光則先生の作品を頂きましたので紹介します。

連載コラム『本のある生活』2016・9・12 前山光則
第271回 隼鷹の宮居の神は・・・
この連載コラム第269回に添えた湧水の写真は8月2日に阿蘇市的石御茶屋跡で撮ったものであるが、その後、8月31日にも同じ場所にも行ってみた。御茶屋跡の奥、隼鷹天満宮の手前に宋不旱の昭和14年作の歌

隼鷹の宮居の神は藪のなかの石のかけにておはしますかも

を刻んだ石碑がある。不旱は友人の案内で御茶屋跡を訪れた際、林や泉の美しさに感動して歌を詠んだのだそうだが、ピンとこない。歌意を確かめたくて再訪したのである。江戸時代に熊本城の藩主・細川綱利公が参勤交代で東上した折、嵐にあって船が難航した。その時、船柱に一羽の白鷹(準用)が泊まったところ、不思議や嵐がおさまった。その後、綱利公は夢の中で、あのときの白鷹は隼鷹天満宮の権化である、との神喩を受け、それが的石御茶屋内の社殿建立につながったと言い伝えられているのだが、宋不旱の歌はこの神のことを「薮なかの石のかけにておはしますかも」と詠んでおり、これが分からない。
美人のKさんMさんが同行してくれていて、二人ともお茶屋の湧水池や木々の見事さに感嘆の声を挙げた。参勤交代の折り、熊本の殿様が大分方面へ山越えをしてから船に乗って江戸を目指す途中の休憩場所としてここは造られたのだそうだ。立派な庭園があり、紅葉の頃にはまた一層美しさを堪能できるだろう。それにしても、「石のかけ」の意味は何なのだ。地元の人達がいたから聞いてみたが、首を傾けるだけだ。ところが、駐車場に引き返したら、Kさんが目をキラキラさせて説明版に見入っている。Mさんもわたしもそこへ近寄ってみたところ、おおなーん だ、書いてある。それには御茶屋跡の一キロ先の地点にある「的石」という石についての由緒が記されており、「阿蘇開拓の祖、健盤龍尊・たけいわたつのみことが往生岳からこの石をめがけて弓矢の練習をした、と伝わる石」とある。ここ的石地区の地名の由来とされる伝承だ。ははあ、神様が石を的にして弓矢の腕を磨いたのか。不旱は林や泉に惚れ込んだだけでなく、この健盤龍尊にちなむ的石伝説にも興を催し、面白がったのではなかろうか。
この歌を詠んだ3年後の昭和17年5月、このすぐ近く内牧温泉で、
内之牧朝闇いでて湯にかよふ道のべに聞く田蛙のこゑ
との歌を遺した後、行方不明になり、世を去った、享年、58歳。熊本市のど真ん中生まれだが、硯職人として各地を放浪した宋不旱。説明板を見ながら、的石地区や内牧温泉あたりはこの放浪の歌人には無視できぬ縁があるなあ、と感じ入ったのであった。
その内牧温泉も夏目漱石や宋不旱ゆかりの場所を散策した。阿蘇神社にも参拝。昼飯には蕎麦を食べ、道の駅では朝採りのトウモロコシを買って帰った。阿蘇はいいところだ。








4月の地震で御茶屋跡もあちこち崩れた個所があり、隼鷹天満宮も被害を受けています。宋不旱の歌碑は何とか持ちこたえたようです。

【宋不旱・そうふかん】明治17年(1884)熊本市で生まれる。明治24年(1891)来民(くたみ)小学校入学(現在の山鹿市鹿本町)。明治37年(1904)上京、下宿で窪田空穂(くぼたうつぼ)を知り短歌の道へ。明治40年(1907)「十月会」の第一合同歌集『白露集』刊行、22首掲載。明治45年(1912)朝鮮大陸から中国大陸へ渡り各地を放浪。作硯を覚える。大正12年(1923)帰国。窪田空穂宅で関東大震災に遭遇。大正13年(1924)『短歌雑誌』に「私の見た現代代表歌人」11回連載。大正14年(1925)初めての作品集『柿本人麻呂歌集』刊行。大正15年(1926)従姉妹の米村咲と結婚。昭和3年(1928)放浪の旅再開。昭和4年(1929)再び台湾へ。第一歌集『筑摩鍋』刊行。父と14年ぶりに再開。昭和7年(1932)京都大学の今田哲夫と知り合う。昭和14年(1939)長女死去。九州新聞に入社し校正係となるも翌年退社。昭和15年(1940)夫人と離婚、家族別離。次女死去。昭和16年(1941)第二歌集「茘支」出版。長男、四男死去。昭和17年(1942)阿蘇で行方不明になる・・・没後・・・昭和23年(1948)水前寺公園に最初の歌碑建立。昭和27年(1952)没後10年『あけび』九月増大号で追悼特集。昭和37年(1962)遺墨遺品展開催。昭和40年(1965)死亡地点が推定される。昭和41年(1966)鹿本に第二歌碑建立。昭和47年(1971)没後30年『日本談義』5月号で特集。昭和53年(1978)旭志に第三歌碑建立。昭和58年(1983)山鹿市立博物館で「生誕99年展」開催。昭和61年(1986)阿蘇に第四歌碑建立。昭和63年(1988)阿蘇に第五歌碑建立。
隼鷹の宮居の神は・・・の碑文は第五歌碑となります。不旱絶筆の・・内之牧朝闇いでて・・の句は第四歌碑で内之牧温泉の道智寺裏に建立されています。
熊本の近代歌人、宋不旱については、彼の生まれは熊本市だが育ったのは鹿本来民(山鹿)で育っているので、山鹿市教育委員会が『近代の山鹿を築いた人たちシリーズ』で幼年期の様子、上京して歌作を始めた事、朝鮮半島から中国大陸への放浪、結婚生活、そして家族別離、行方不明の事などわかり易く冊子にして紹介しています。


阿蘇を題材に作品を作った作家にこの様な人達もいます。
【蔵原伸二郎・くらはらしんじろう】明治32年(1899)~昭和40年(1965)現在の阿蘇市黒川に生まれる。本名、惟賢(これかた)。父・惟暁(これあき)は神官で、阿蘇氏の直系。母・いくは医学者・北里柴三郎の妹。七歳で熊本市に移住し、九州学院中学に学ぶ。慶大在学中に萩原朔太郎の影響を受けて詩作を始める。詩集に『東洋の満月』『暦日の鬼』『乾いた道』『岩魚』(読売文学賞)、小説集に『猫のいる風景』など。

【三好達治・みよしたつじ】明治33年(1900)~昭和39年(1964)。大阪生まれ。東大仏文科卒。堀辰雄、丸山薫らと詩誌「四季」を 創刊。詩集に『測量船』『春の岬』『艸千里浜』など。三好達治は大正9年・昭和11年・36年と三回阿蘇へ旅している。「艸千里浜」は二度目の来訪の折に生まれた作品。阿蘇を題材にした作品としては、他に「大阿蘇」などがある

【国木田独歩・くにきだどっぽ】明治4年(1871)7月15日(旧暦)、現在の千葉県銚子市に生まれる。幼名、亀吉。後に哲夫。父が裁判所勤めだった関係で、東京・山口・広島・等を転々として育つ。明治21年、東京専門学校(早稲田大学の前身)英語普通科に入学。24年、同校を退学。明治26年2月から「欺かざるの記」を書き始める。また同年9月、徳留蘇峰の勧めにより大分県佐伯の鶴谷学館に教頭として赴任。教職のかたわら執筆活動も盛んに行う。翌年7月、同学館を辞職。9月、東京へ戻り、国民新聞社に入社。明治30年頃より「独歩」と号する。32年、榎本春子と結婚。34年3月、最初の短編集『武蔵野』を刊行。その他、この年「帰去来」「牛肉と馬鈴薯」等を発表。以後も「巡査」「富岡先生」「空知川の岸辺」「春の鳥」等、次々に発表。自然主義の代表作家と目されるに至る。しかし38年頃から肺結核に冒されて徐々に病状悪化し、明治41年(1907)6月23日、永眠、享年、37歳。

【梅崎春生・うめざきはるお】大正4年(1915)2月15日、福岡市簀子町(すのこちょう)生まれ。修猷館中学から五高、東大国文科と進む。昭和14年(1939)、青春の心の痛みを描いた処女作「風宴」を発表。15年に東大卒業後は東京市教育局教育研究所の雇員となるが、翌翌年には召集を受け、二等兵曹となる。敗戦まで九州の陸上基地を転々とする。戦後、こうした軍隊経験を踏まえて「桜島」を書き、本格的に作家として出発。以後、「崖」「日の果て」「B島風物誌」「ルネタの市民兵」などの作品を相次いで発表し、戦後派作家として注目された。その一方で「蜩・ひぐらし」「風雪」「ある顛末」「麺麭(めんぼう)の話」「蜆・しじみ」などでは戦後の荒廃した風俗や人間心理を描いてみせた。さらに市井(しせい)のさりげない出来事にシリアスな笑いや人情を探る、いわゆる「市井もの」にも天分を発揮し、昭和29年(1954)発表の「ボロ家の春秋」で第32回直木賞を受賞。この系列では「空の下」「A君の手紙」「突堤にて」「古呂小父さん」などがある。
晩年になって「狂ひ凧」「朱色の天」と連続して意欲作に取り組み、その集大成というべき「幻化」を発表。自らの戦中・戦後を照らし直す作品として高い評価を得た。しかし、持病の肝硬変が悪化し、昭和40年(1965)7月19日、逝去。没後すぐに『幻化』が刊行され、したがってこの作品はこの作家の絶筆となった。享年50歳。

この文学散歩で訪れる場所はそんなに多くを巡ることは出来ませんが、実際に現場を見て説明を受けることにより作品を鮮明に味わう事が出来るので、毎年楽しみにしている人が沢山居られます。さぞお疲れになったとは思いますが、今回は92歳のご高齢のご婦人も参加されていました。



  


Posted by マー君 at 09:52Comments(0)講座熊本

2016年12月10日

 文学散歩阿蘇 漱石

八代図書館の文学散歩の旅が昨日ありました。
熊本時代の夏目漱石が一高に転任する山川信次郎の送別を兼ねて阿蘇に旅行をしました、その時に養神亭(現在の熊本阿蘇内牧温泉の山王閣)に泊まっています。そして阿蘇神社を参拝して、山頂に向かったが嵐で道に迷いました。この体験をもとにして、後に『二百十日』を書きます。
小説『二百十日』の(恵比寿ビール)のヒトコマ・・・
「何でもいいから、玉子を持って御出。それから、おい、ちょっと待った。----君ビールを飲むか」
「飲んでもいい」と圭さんは泰然たる返事をした。
「飲んでもいいか、それじゃ飲まなくってもいいんだ。----よすかね」
「よさなくっても好い。ともかく少し飲もう」
「ともかくか、ハハハハ。君程、ともかくもの好きな男はないね。それで、あしたになると、ともかくも饂飩(うどん)を食おうと云うんだろう。----姉さん、ビールを序でに持ってくるんだ。玉子とビールだ。分かったろうね」
「ビールは御座りまっせん」
「ビールがない?-----君ビールはないとさ。なんだか日本の領地でない様な気がする。情けない所だ」
「なければ、飲まなくっても、いいさ」と圭さんは又泰然たる挨拶をする。
「ビールは御座りませんばってん、恵比寿なら御座ります」
「ハハハハ、愈々(いよいよ)妙になって来た。おい君ビールでない恵比寿があるって云うんだが、その恵比寿でも飲んでみるかね」
「うん、飲んでもいい。----その恵比寿はやっぱり壜に這入っているんだろうね、姉さん」と圭さんはこの時漸(ようや)く下女に話しかけた。
「ねぇ」と下女は肥後訛りの返事をする
「じゃ、ともかくもその栓を抜いてね。壜ごと、ここへ持って御出」
「ねぇ」
下女は心得貌(こころえがお)に起(た)っていく。


ホテル山王閣の玄関

漱石たちが泊まって恵比寿ビールを飲んだ部屋が現在山王閣の中庭に移築されて残っています。『二百十日』の恵比寿ビールや山王閣について説明される前山光則先生


山王閣の中庭、漱石の銅像と漱石が泊まった部屋を別棟に移築して残してあります

内牧にある明行寺、小説『二百十日』の冒頭にも出てきます

門前には二百十日文学碑と句碑があります
『白萩の露をこぼすや温泉の流(ゆのながれ)』

この後阿蘇神社に参拝しました



右から2番目に写っているご婦人は今回参加者で最高齢の92歳・・お元気です

阿蘇神社は四月の熊本地震で国の重要文化財であった見事な楼門や拝殿が崩れて悲惨な状況になっています
聞くところによると、壊れた個所を写真のクレーンで持ち上げて修復するのではなく、部品を全部バラバラにして組み直すそうです。
今回の文学散歩阿蘇の旅の行き先は●的石御茶屋跡 ●宋不旱歌碑 ●山王閣 ●阿蘇神社 ●道の駅阿蘇の順で廻りました。

  


Posted by マー君 at 11:57Comments(0)講座熊本

2016年12月06日

或る写真家の心




麦島勝さんが撮られた写真について、答えのようなものが今日の朝日新聞のコラム【折々のことば】にありました。
写真を撮るということは・・・・〝あなたのことが知りたい〟と、心の扉を叩くことなんです  渋谷敦志

東北の震災の後、報道写真家の安田菜津紀は、撮っていいのか撮らないといけないのか、答えが出ぬまま被災地に立つ。が、希望の徽(しるし)になればと撮ったあの奇跡の一本松の写真は、土地の人には波のすさまじさを思い出させる脅威の像でしかなかった。何も見ていなかったと打ちのめされる中で先輩の言葉を噛みしめた。安田・渋谷・佐藤慧(けい)の「ファインダー越しの3・11」から

写真を撮ることは写真を見る人の心まで読み取らないと、なかなかシャッターは押せないということ。麦島勝さんはそこまで考えてシャッターを押していたのだと思います。
【麦島勝氏プロフィール】
麦島勝氏は、昭和2年(1927)八代市生まれ。熊本県立熊本工業学校機械科を卒業後、八幡製鉄所に入社。昭和20年(1945)復員後は興国人絹で設計係として活躍するかたわら、プライベートでは趣味の写真撮影に明け暮れました。現在は、全日本写真連盟熊本県本部副委員長、熊日フォトサークル運営委員、フォトざぼん会長をつとめ、地域を代表する写真家として活躍中です。現在89歳。

  


Posted by マー君 at 12:44Comments(0)八代記事

2016年12月05日

文学散歩

         図書館横の松濱軒
         赤く紅葉したものが少し見えます
         駐車場から見た図書館


今年は夏場から年末にかけて異常気象という事で、冬の風景もいつもとは違うようだ。八代の図書館のまわりもイチョウなどの黄色に黄葉する木は、もう既に落葉してしまって葉は残っていません。赤く紅葉するもみじが少し場所によって残っているようです。
12月は今年最後の月とあって、参加活動も特別に多く日にちがダブって、参加できない活動が出るので残念な気持ちになります。12月9日も文学講座の旅行と地域で参加をしているゴルフのコンペが重なり、この日は図書館主催の文学散歩に参加することにしました。この文学散歩は八代在住の文学者前山光則さんが八代市立図書館が企画する文学散歩という日帰り旅行の引率役を務める毎年恒例のバスツアーです。行く先は文学作品に出てきた熊本県内の場所を巡りながら作品を味わうという企画になっています。本年度の文学散歩は「大阿蘇と文学」のテーマで、「故郷の山」・・・蔵原伸二郎、「艸千里浜・くさせんりはま」・・・三好達治、「二百十日」・・・夏目漱石、「忘れえぬ人々」・・・国木田独歩、「幻化」・・・梅崎春生、などの作品が阿蘇に関するものであり、其の外に宋不旱(そう・ふかん)の句碑についても見学しようという事になっています。毎回旅行前に予備知識としての講座があります。今回も12月2日(金)に図書館講座がありました。

※以前こ麦島勝さんの写真の件でこの方の写真には地震や台風などの自然災害の場面がないことに「何故なんだろう」と疑問を持っていましたが、麦島さんと非常に懇意にされている前山光則さんに尋ねてみますと自分が見せて貰った中にも苦しみをテーマにしたものはほとんどないという事でした。麦島さんの写真には被写体のどこかに必ず人物が写っています。麦島さんがとられる何気ない生活の写真のなかに苦しみという表情は自分の信念として写さなかったのかもしれません。

【前山光則】
1947年、熊本県人吉市生まれ。1972年、法政大学第二文学部日本文学科卒。元高校教師。作品『山頭火を読む』『球磨川物語』『淵上毛錢詩集』『若山牧水への旅《ふるさとの鐘 》』『昭和の貌 《「あの頃」を撮る》』『生きた、臥た、書いた《淵上毛錢の詩と生涯》』『山里の酒―九州蔵元紀行』など。


昨年度の天草への文学散歩で参加者に話される前山光則先生  


Posted by マー君 at 11:18Comments(0)熊本日記

2016年12月02日

うつくしいひと 

朝日新聞社の招待で11/30(水)山鹿の八千代座に行ってきました。くまもと映画『うつくしいひと』の観賞と現在、熊本県立劇場の館長兼理事長をされている熊本市出身で政治学者、東大名誉教授でもある姜尚中(かんさんじゅん)さんの講演があるという事で参加しました。姜尚中さんと言えば色々なメディアにも出ておられて、どんな話をされるのか楽しみです。八千代座でのスケジュールは映画鑑賞があり次に姜尚中さんの講演という案内がありました。くまもと映画『うつくしいひと』は、熊本県出身の映画監督 行定 勲さんや熊本にゆかりのある俳優、著名人が地方創生の一環として、熊本の地域資源を活かし、熊本での生活などの素晴らしさを実感できる映画を製作することを目的に製作されたという説明がありました。最近、映画を鑑賞することがないので俳優さんの紹介などがあってもほとんど知らない方です。帰ってから調べてみますと橋本愛、高良健吾、米村亮太郎、石田えりさんなどが出演され、「謎の男」として姜尚中さんもこの映画に出演されていました。
映画の内容は、高校時代の母と死んだ父そして友人の思い出話が題材になった娘と両親の友人の出会いを物語にしたものです。上映時間も40分ほどの短いもので、ノスタルジーを感じさせられる内容になっています。映画の後の姜尚中さんの講演の内容も、映画に出演された時の話から、監督さんや俳優さんの話、そしてこの映画の観賞の仕方、熊本が熊本地震を経て復興時期にあり、それ故に、映画が作られた時期とこの映画の持つ様々な意義を説明されて、熊本の人々が自分たちの失われたものをもう一度取り返したいという願いがこの映画のストーリーとあい重なる部分があると話され、震災前の記録としても映像は非常に貴重なものだと話されました.。

八千代座


講演が終わって大阪・東京からの招待客を見送る姜尚中さん


  


Posted by マー君 at 09:42Comments(0)熊本

2016年12月01日

おめでとう・・妙見祭




新聞ではまだ報道はありませんが、テレビではいち早く日本が無形文化遺産に提案していた「山・鉾・屋台行事」の登録が国連教育科学文化機関(ユネスコ)で決定したニュースがありました。八代市の妙見祭神幸行事も33件の祭りの中に入っていますので、地元の関係者の方々の歓声の声もニュースの中にありました。・・・おめでとう


「平成28年熊本地震」震度1以上の地震回数
4/14ー4/30 (回数)3024 (累計)3024
5/1 -5/31      529      3553
6/1 -6/30      217      3770
7/1 -7/31      113      3880
8/1 -8/31      111      3994
9/1 -9/31       74      4068
10/1-10/31      55      4123
11/1            5      4128
11/2            0      4128
11/3            0      4128
11/4            1      4129
11/5            0      4129
11/6            1      4130
11/7            1      4131
11/8            1      4132
11/9            2      4134
11/10           1      4135
11/11           1      4136 (震度4)
11/12           1      4137
11/13           3      4140
11/14           1      4141
11/15           4      4145
11/16           0      4145
11/17           3      4148
11/18           1      4149
11/19           0      4149
11/20           0      4149
11/21           0      4149 
11/22           3      4152
11/23           3      4155 (震度3) 
11/24           1      4156
11/25           3      4159
11/26           1      4160
11/27           1      4161
11/28           0      4161
11/29           2      4163
11/30           2      4165
11/1-1130      42      4165  時系列でみると地震の回数は月毎に減っています。

  


Posted by マー君 at 13:39Comments(0)熊本八代