今日は暦の中の日本行事に「大はらい」とあります。
「大はらい」はおおはらい【大祓】⇒ おおはらえ(大祓)
大辞林 第三版の解説
人々の罪やけがれを祓い清める神事。中古以降、6月と12月の晦日みそかを恒例とし、臨時に大嘗祭の前後、疫病・災害などの際にも行なった。現在でも宮中や神社の年中行事の一つとなっている。
くらしの歳時記には
6月30日は「夏越の祓(なごしのはらえ)」が行われます。「夏越の祓」は大晦日に行われる「年越の祓」とともに「大祓」のひとつ。この2つは対になる行事で、心身を清めて今年後半や新しい年を迎えるためのもの。大晦日の年越し行事のような派手さはありませんが、「夏越の祓」も大切な節目の行事とされています。
全国の神社では、「茅の輪くぐり」用の大きな茅の輪を設置して「夏越の祓」を行います。チガヤで編んだ大きな茅の輪を「水無月の夏越の祓する人は、千歳(ちとせ)の命延(の)ぶというなり」と唱えながら左・右・左回りで3回くぐり、無病息災を祈願します。「茅の輪を腰につけると疫病を逃れる」という言い伝えにちなみ、大きな茅の輪を全身でくぐるようになったそうです。この他にも、「形代(かたしろ)」という紙製の人形(ひとがた)に穢れを移して神社に納め、お祓いをする習わしがあります。
タイトルにあるこの歌は拾遺和歌集に「題しらず」「よみ人知らず」として遺されているそうです。
以前この「茅の輪くぐり」を行っている神社を八代で行っているところを調べたことがあります。
塩屋八幡宮が行っていましたのでその時の写真を紹介します。
多分今年も同じ時間に行事は行われると思います。








拾遺和歌集・しゅういわかしゅう
平安時代中期の第3勅撰和歌集。 20巻。約 1300首。書名は『古今集』や『後撰集』で選び残された歌を拾う集の意。撰者や成立の事情は明確でない。退位後の花山法皇の発意により,藤原公任 (きんとう) の私撰集『拾遺抄』を基にして,側近の歌人とともに増補を重ねて完成したものらしい。成立は寛弘3 (1006) 年前後か。平安時代には『拾遺抄』のほうがむしろ勅撰集として考えられていた形跡がある。伝本は流布本系のほかに複雑な成立事情を反映した異本系統のものがいくつかある。春,夏,秋,冬,賀,別,物名,雑 (上下) ,神楽歌,恋 (一~五) ,雑春,雑秋,雑賀,雑恋,哀傷と類別され,四季,賀,恋の分化など『拾遺抄』の影響が大きい。『古今集』『後撰集』時代の歌人を重視する一方で『万葉集』の歌にも関心を寄せ,紀貫之の歌とともに柿本人麻呂の作と称する歌を数多くとっている点に特色がある。歌風は古今調を完成させた優美で平淡な傾向を示している。
「大はらい」はおおはらい【大祓】⇒ おおはらえ(大祓)
大辞林 第三版の解説
人々の罪やけがれを祓い清める神事。中古以降、6月と12月の晦日みそかを恒例とし、臨時に大嘗祭の前後、疫病・災害などの際にも行なった。現在でも宮中や神社の年中行事の一つとなっている。
くらしの歳時記には
6月30日は「夏越の祓(なごしのはらえ)」が行われます。「夏越の祓」は大晦日に行われる「年越の祓」とともに「大祓」のひとつ。この2つは対になる行事で、心身を清めて今年後半や新しい年を迎えるためのもの。大晦日の年越し行事のような派手さはありませんが、「夏越の祓」も大切な節目の行事とされています。
全国の神社では、「茅の輪くぐり」用の大きな茅の輪を設置して「夏越の祓」を行います。チガヤで編んだ大きな茅の輪を「水無月の夏越の祓する人は、千歳(ちとせ)の命延(の)ぶというなり」と唱えながら左・右・左回りで3回くぐり、無病息災を祈願します。「茅の輪を腰につけると疫病を逃れる」という言い伝えにちなみ、大きな茅の輪を全身でくぐるようになったそうです。この他にも、「形代(かたしろ)」という紙製の人形(ひとがた)に穢れを移して神社に納め、お祓いをする習わしがあります。
タイトルにあるこの歌は拾遺和歌集に「題しらず」「よみ人知らず」として遺されているそうです。
以前この「茅の輪くぐり」を行っている神社を八代で行っているところを調べたことがあります。
塩屋八幡宮が行っていましたのでその時の写真を紹介します。
多分今年も同じ時間に行事は行われると思います。
拾遺和歌集・しゅういわかしゅう
平安時代中期の第3勅撰和歌集。 20巻。約 1300首。書名は『古今集』や『後撰集』で選び残された歌を拾う集の意。撰者や成立の事情は明確でない。退位後の花山法皇の発意により,藤原公任 (きんとう) の私撰集『拾遺抄』を基にして,側近の歌人とともに増補を重ねて完成したものらしい。成立は寛弘3 (1006) 年前後か。平安時代には『拾遺抄』のほうがむしろ勅撰集として考えられていた形跡がある。伝本は流布本系のほかに複雑な成立事情を反映した異本系統のものがいくつかある。春,夏,秋,冬,賀,別,物名,雑 (上下) ,神楽歌,恋 (一~五) ,雑春,雑秋,雑賀,雑恋,哀傷と類別され,四季,賀,恋の分化など『拾遺抄』の影響が大きい。『古今集』『後撰集』時代の歌人を重視する一方で『万葉集』の歌にも関心を寄せ,紀貫之の歌とともに柿本人麻呂の作と称する歌を数多くとっている点に特色がある。歌風は古今調を完成させた優美で平淡な傾向を示している。
去年、青森県青森市大字三内字丸山にある、縄文時代前期中頃から中期末葉の大規模集落跡「三内丸山遺跡」の見学に行きましたがその史跡や周辺から出土した土偶を見て、縄文人は何のためにこの様な人形を作り続けたのだろうと土偶に興味を抱きました。
ちょうどその疑問に答えるような本が見つかりましたので紹介します。
「土偶界へようこそ」 縄文の美の宇宙 譽田亜紀子・著 山川出版社から出ている子供にも大人にも読める土偶という大昔の人形を写真付きで70点ばかりを紹介している本です。
縄文時代は今からおよそ一万五千年前に始まり、一万年以上続いたとされています。縄文時代の生活の中から日本各地から出土されている「土偶」というものが何のために作られどのように使われてきたものか。
気が遠くなるようなご先祖様達が残してきた遺物ですがその中には国宝にもなっているものが5点もあります。
土偶は縄文時代に土で焼かれた人形の焼物です。
その土地の粘土で焼かれた土偶の多くは、地域の特徴を身体にまとっています。
粘土がどこで採集されたかによって、焼き上がりの色や風合いが大きく変わり、この事情は現代の焼物にも当てはまります。
その多くが乳房を持ち、体の中央には妊娠した女性に見られる正中線が作られています。
中には膨らんだお腹や女性器も表現されているものもあることから、土偶は妊娠した女性を表しているとされています。
作られた目的はいまだ明確になっていませんが、分からないながらも、研究が続けられた結果、「漁撈、採集、狩猟のどの食糧確保の成功」、「病気治癒」、「安産、命の再生」を祈願する道具だったのではないかと考えられるようになってきました。
現在、沖縄を除く地域で見つかっている約二万点の土偶は、脚、腕、胴体、頭といったパーツだけのものが大半を占めています。
完全な形の土偶は珍しい。
その理由としては、堆積した土の重みで壊れたという説や、病気治癒の祈りをささげる際の道具として使用した時に、あえて壊されたのだとする説など様々あります。
土偶は人間をイメージして作られており特に女性を連想させるフォルムとなっています。
土偶が作られた意義や目的は現代考えられているのは子孫繁栄、宗教的象徴、精霊崇拝、五穀豊穣などですが縄文時代という時代背景を考えれば子孫繁栄というものが重要視される事柄ではないかと考えられています。
この時代の環境というものは辺りは獰猛な獣たちから襲われる心配を持ち、明日食べていけるかどうかも分からない極限状態が連続しているそんな環境では労働力としても、また自分がいつ死んでもその跡目を継げるような存在を残すために子孫を作るという、動物的本能を優先的に行っていた時代でした。
現代人のような文明的な生活からは程遠いものですが、子孫を残すという意味では古代人として見ればそれは至極当然の生き方といえるものだったと考えられます。
土偶と埴輪のちがいは土偶は縄文時代に、埴輪は古墳時代に作られました。
用途も違うと考えられています。
土偶は祈りのためのものであり、埴輪は古墳に埋葬された被葬者(支配階層)のための副葬品であると言われます。
土偶も墓から見つかることがありますが、ほとんどは生活に不要となったものが廃棄された「捨て場」や、住居跡、貝塚などから発見されています。・・・
本の中から少し紹介います。





ちょうどその疑問に答えるような本が見つかりましたので紹介します。
「土偶界へようこそ」 縄文の美の宇宙 譽田亜紀子・著 山川出版社から出ている子供にも大人にも読める土偶という大昔の人形を写真付きで70点ばかりを紹介している本です。
縄文時代は今からおよそ一万五千年前に始まり、一万年以上続いたとされています。縄文時代の生活の中から日本各地から出土されている「土偶」というものが何のために作られどのように使われてきたものか。
気が遠くなるようなご先祖様達が残してきた遺物ですがその中には国宝にもなっているものが5点もあります。
土偶は縄文時代に土で焼かれた人形の焼物です。
その土地の粘土で焼かれた土偶の多くは、地域の特徴を身体にまとっています。
粘土がどこで採集されたかによって、焼き上がりの色や風合いが大きく変わり、この事情は現代の焼物にも当てはまります。
その多くが乳房を持ち、体の中央には妊娠した女性に見られる正中線が作られています。
中には膨らんだお腹や女性器も表現されているものもあることから、土偶は妊娠した女性を表しているとされています。
作られた目的はいまだ明確になっていませんが、分からないながらも、研究が続けられた結果、「漁撈、採集、狩猟のどの食糧確保の成功」、「病気治癒」、「安産、命の再生」を祈願する道具だったのではないかと考えられるようになってきました。
現在、沖縄を除く地域で見つかっている約二万点の土偶は、脚、腕、胴体、頭といったパーツだけのものが大半を占めています。
完全な形の土偶は珍しい。
その理由としては、堆積した土の重みで壊れたという説や、病気治癒の祈りをささげる際の道具として使用した時に、あえて壊されたのだとする説など様々あります。
土偶は人間をイメージして作られており特に女性を連想させるフォルムとなっています。
土偶が作られた意義や目的は現代考えられているのは子孫繁栄、宗教的象徴、精霊崇拝、五穀豊穣などですが縄文時代という時代背景を考えれば子孫繁栄というものが重要視される事柄ではないかと考えられています。
この時代の環境というものは辺りは獰猛な獣たちから襲われる心配を持ち、明日食べていけるかどうかも分からない極限状態が連続しているそんな環境では労働力としても、また自分がいつ死んでもその跡目を継げるような存在を残すために子孫を作るという、動物的本能を優先的に行っていた時代でした。
現代人のような文明的な生活からは程遠いものですが、子孫を残すという意味では古代人として見ればそれは至極当然の生き方といえるものだったと考えられます。
土偶と埴輪のちがいは土偶は縄文時代に、埴輪は古墳時代に作られました。
用途も違うと考えられています。
土偶は祈りのためのものであり、埴輪は古墳に埋葬された被葬者(支配階層)のための副葬品であると言われます。
土偶も墓から見つかることがありますが、ほとんどは生活に不要となったものが廃棄された「捨て場」や、住居跡、貝塚などから発見されています。・・・
本の中から少し紹介います。
以前に何度か記事を書いたことがありますが熊本には「さわやか大学」という仕事をリタイヤした人の為に週に1度色々な分野で活躍をしている先生を迎えて座学を主体に1年間勉強をする教室があります。
さわやか大学は何年も前に卒業し卒業生ごとのその後の活動として今日はヤマハ熊本プロダクツ株式会社(八代)へ工場見学に行ってきました。
今迄の工場見学ではどこに行ってもオートメーション化されて広い工場に働いている方の姿はまばらに見る程度でしたがこのヤマハは他と違ってたくさんの人がラインごとに働いている姿があります。従業員は男女を会わせて500名ほど働いているそうです。船外機といわれるモーターを生産し、国内向けは2%、98%は国外に輸出しているとの説明がありました。
ヤマハはもとはピアノを扱う楽器部門とボートなどを扱う部門がありましたが同じグループではありますが今は別々の会社として分社化されているようです。
物作りについて人が沢山いることで、感心したり安心したりするのはちょっと時代遅れかも知れませんが、工場に人がいっぱいいるのには何かホッとするような安堵感を覚えました。
日本の物つくりまだまだ大丈夫。
ヤマハ応援します。

さわやか大学は何年も前に卒業し卒業生ごとのその後の活動として今日はヤマハ熊本プロダクツ株式会社(八代)へ工場見学に行ってきました。
今迄の工場見学ではどこに行ってもオートメーション化されて広い工場に働いている方の姿はまばらに見る程度でしたがこのヤマハは他と違ってたくさんの人がラインごとに働いている姿があります。従業員は男女を会わせて500名ほど働いているそうです。船外機といわれるモーターを生産し、国内向けは2%、98%は国外に輸出しているとの説明がありました。
ヤマハはもとはピアノを扱う楽器部門とボートなどを扱う部門がありましたが同じグループではありますが今は別々の会社として分社化されているようです。
物作りについて人が沢山いることで、感心したり安心したりするのはちょっと時代遅れかも知れませんが、工場に人がいっぱいいるのには何かホッとするような安堵感を覚えました。
日本の物つくりまだまだ大丈夫。
ヤマハ応援します。
カラスの鳴き声やカラスの姿を1日中見たり聞かなかったりしない日はありません。特にごみの収集日は朝早くからカラスの鳴き声がしてゴミ出しをカラスにせかされるような思いがします。でもこの梅雨時期は少し様子が違っています。カラスも雨は嫌いなのか雨が降る日はカラスもあまり騒ぎません。
2日前の新聞にカラスのことが載っていました。
新聞の子供欄にもの知り子供タイムズというページがあり、象形文字についてことばっておもしろいというコラムに「鳥」と「烏」・・・消えた横線という見出しで綴られています。
「鳥」という漢字は知っていますよね。では、この「鳥」とそっくりな 漢字があるのを知っていますか?
学校では習いませんが「烏」という字です。どこがちがうか、わかりますか?よく見てください。横の線が一本少ないのです。
この「烏」という漢字は、カアカアとなくカラスのことです。なぜ、「鳥」の字から線を一本取るとカラスになるのでしょう?
「鳥」という漢字は、鳥の形をもとにして作られた漢字です。このように、形や見た目をもとに作られた漢字を「象形文字」と言います。「日」「月」「馬」なども象形文字です。
そして、「烏」もおなじように象形文字なのです。実は「鳥」よりも横線が一本少ない部分は、カラスの目のあたりだと言われています。
つまり、鳥は目の部分がはっきり見えますが、カラスは体が真っ黒で、目も体も区別ができないから、目を表す横線がない、というわけです。なんだか、遊びながら漢字を作っていたみたいですね。(辞書編集者・神永暁(さとる)) 6/25 西日本新聞 こども
子どもがよく理解できるように学校で授業を受けるような説明になっています。
年寄りにもよく分かります。
そこで、文字の種類には象形文字の他にどのような文字があるのかご存知ですか?
象形文字 以外に指事文字 、会意文字 、形声文字 と言う様な文字があるみたいです。
これらの文字についてはまたの機会に勉強したいと思います。
宿題とします。

毎日読む新聞をどのように読むかは人それぞれまちまちです。
最初の1面から順番に読んでいく人。
最後から読む人。
決まった頁から読む人。
パラパラと頁をめくりながら気に入った活字を捜してそこから読む人。
新聞には大きなニュースや出来事を「きょうの紙面」というような1面のどこかに○○面、○○面と見出しを作って紹介するコーナーを設けている新聞もあります。
少しでも読者が読みやすいように工夫がされています。
新聞社によって呼び名など多少の違いはありますが新聞には総合、国際、経済、オピニオン、商況、くらし、文化、こども、スポーツ、地域、社会などの○○面があります。
そして面の中には色々なコーナーがあります。
今日はそのコーナーの一つですが毎日あるものではなく毎月最終火曜日にしか掲載されないものがありましたので紹介したいと思います。
鈴木春信の浮世絵を題材にして「笠」と「傘」の違いを説明しています。
「くらし歳時描く絵学」【傘】(デザイン部・大串誠壽)
「雪の湯帰り」
「いばらき屋店先」
「傘」手で持つタイプ。笠と区別のため差し傘とも呼んだ。元禄年間(1688~1704年)に細身の傘が作られた。大阪などで生産されて江戸へ運ばれたが、正徳年間(1711~1716年)には江戸でも作られるようになった。
「秋の風」
「笠」頭にかぶるタイプは「笠」と呼ぶ。菅(すげ)で作ったものが菅笠。雨具や旅装として用いられた。
カサは6世紀ごろ百済から伝わり、葬儀用の蓋(がい、きぬがさ)として用いられました。また日傘や雨具としての和傘は江戸期に町民に普及しました。当時人気を博した鈴木春信の浮世絵には粋な立ち姿の男女に差し傘が印象的に扱われています。
西日本新聞 2018・6・26
鈴木 春信(すずき はるのぶ、享保10年〈1725年〉 ?- 明和7年6月15日〈1770年7月7日〉)とは、江戸時代中期の浮世絵師。細身で可憐、繊細な表情の美人画で人気を博し、今日浮世絵というとまず思い浮かべる木版多色摺りの錦絵誕生に決定的な役割を果たし、後の浮世絵の発展に多大な影響を及ぼした。
最初の1面から順番に読んでいく人。
最後から読む人。
決まった頁から読む人。
パラパラと頁をめくりながら気に入った活字を捜してそこから読む人。
新聞には大きなニュースや出来事を「きょうの紙面」というような1面のどこかに○○面、○○面と見出しを作って紹介するコーナーを設けている新聞もあります。
少しでも読者が読みやすいように工夫がされています。
新聞社によって呼び名など多少の違いはありますが新聞には総合、国際、経済、オピニオン、商況、くらし、文化、こども、スポーツ、地域、社会などの○○面があります。
そして面の中には色々なコーナーがあります。
今日はそのコーナーの一つですが毎日あるものではなく毎月最終火曜日にしか掲載されないものがありましたので紹介したいと思います。
鈴木春信の浮世絵を題材にして「笠」と「傘」の違いを説明しています。
「くらし歳時描く絵学」【傘】(デザイン部・大串誠壽)


「傘」手で持つタイプ。笠と区別のため差し傘とも呼んだ。元禄年間(1688~1704年)に細身の傘が作られた。大阪などで生産されて江戸へ運ばれたが、正徳年間(1711~1716年)には江戸でも作られるようになった。

「笠」頭にかぶるタイプは「笠」と呼ぶ。菅(すげ)で作ったものが菅笠。雨具や旅装として用いられた。
カサは6世紀ごろ百済から伝わり、葬儀用の蓋(がい、きぬがさ)として用いられました。また日傘や雨具としての和傘は江戸期に町民に普及しました。当時人気を博した鈴木春信の浮世絵には粋な立ち姿の男女に差し傘が印象的に扱われています。
西日本新聞 2018・6・26
鈴木 春信(すずき はるのぶ、享保10年〈1725年〉 ?- 明和7年6月15日〈1770年7月7日〉)とは、江戸時代中期の浮世絵師。細身で可憐、繊細な表情の美人画で人気を博し、今日浮世絵というとまず思い浮かべる木版多色摺りの錦絵誕生に決定的な役割を果たし、後の浮世絵の発展に多大な影響を及ぼした。
9月の自民党総裁選、派閥に属さない国会議員73人の内約4割に当たる31人が安倍晋三首相を支持する意向と共同通信社の調査が発表。
国民が指示する問題と国会議員の判断では多分大きな隔たりがあるのだろう。
新聞の最終面に「デスク日記」という短いコラムがあります。
今日はこんな事が書かれています。
国会議事堂は連日、小中学生たちの見学でにぎわっている。歴史ある建物の雰囲気を肌で感じ、暮らしに直結する政治の仕組みを学ぼうということだろう。きちんと整列し、はつらつと歩く児童・生徒たちの姿を目にすると、なんだか頼もしくなる。
ところが、その国権の最高機関で繰り広げられている光景はどうか。いまだに政府側から納得がいく説明がない学校法人森友学園、加計学園の問題、国政を預かる政権が、よもや歴史の捏造と言える公文書改ざんを働こうとは思いもしなかった。うそ、ごまかし、すり替えー。見せつけられるのは、政権維持にきゅうきゅうとする姿ばかりだ。安倍晋三首相は道徳教育に力を入れる。「政治は最高の道徳」とはもはや、だれしも思ってもいないだろうが、官僚の尻尾切りばかりで一向に責任を取ろうとしない政治家たち。日本の将来を担う小中学生たちに、合わせる顔があるのだろうか。「デスク日記」 (山口英宏)
世間はこんな目で政治を見ているのですが国会議事堂の中はそうでもないようです。


国民が指示する問題と国会議員の判断では多分大きな隔たりがあるのだろう。
新聞の最終面に「デスク日記」という短いコラムがあります。
今日はこんな事が書かれています。
国会議事堂は連日、小中学生たちの見学でにぎわっている。歴史ある建物の雰囲気を肌で感じ、暮らしに直結する政治の仕組みを学ぼうということだろう。きちんと整列し、はつらつと歩く児童・生徒たちの姿を目にすると、なんだか頼もしくなる。
ところが、その国権の最高機関で繰り広げられている光景はどうか。いまだに政府側から納得がいく説明がない学校法人森友学園、加計学園の問題、国政を預かる政権が、よもや歴史の捏造と言える公文書改ざんを働こうとは思いもしなかった。うそ、ごまかし、すり替えー。見せつけられるのは、政権維持にきゅうきゅうとする姿ばかりだ。安倍晋三首相は道徳教育に力を入れる。「政治は最高の道徳」とはもはや、だれしも思ってもいないだろうが、官僚の尻尾切りばかりで一向に責任を取ろうとしない政治家たち。日本の将来を担う小中学生たちに、合わせる顔があるのだろうか。「デスク日記」 (山口英宏)
世間はこんな目で政治を見ているのですが国会議事堂の中はそうでもないようです。



今日は西日本新聞のこどもタイムズからこんな記事を見つけました。
見出し・・14世紀半ば最古級の日本地図発見・・見つかった最古級の日本地図「日本扶桑国之図」=守屋寿コレクション・広島県立歴史博物館提供
日本のほぼ全域が残っているものとしては最古級の地図が見つかったと広島県立歴史博物館(福山市)が15日、発表しました。14世紀半ばの室町時代に描かれたとみられ、北海道を除く全ての地域が載っています。
見つかったのは「日本扶桑国之図」という縦約120㌢、横約60㌢の地図です。九州川を上に、東北川を下にして、京都を中心に68の国が団子のような丸みを帯びた形で描かれています。一方で沖縄は、鎌倉時代の表記の特徴とされる「龍及国」と書かれていました。
福山市出身の収集家が手に入れてこの博物館に預け、博物館が紙質なども調べて、描かれた年代を特定しました。これより古い14世紀初めの日本地図が2点ありますが、いずれも一部が欠けていました。発見された地図は、7月から開く博物館の企画展で公開予定です。
●ふそう【扶桑】・・大辞林 第三版の解説
① 昔、中国で、東方の海中にあるという神木。日の昇る所という。また、その木のある地。扶木。
② 日本の異名。扶桑国。 「松島は-第一の好風にして/奥の細道」
③ 太陽。 「全く-の光なし/中右記」
6月15日の朝日新聞デジタルにはもう少し詳しく地図の記録にについても書かれていましたので紹介します。
現存する最古の日本地図は京都・仁和寺(にんなじ)所蔵の「日本図」(1305年)とされるが、西日本が欠けており、全体が残った地図では最古級。
国内で初めて地図がつくられた記録が残るのは飛鳥時代で「日本書紀」には、大化改新で中央集権国家づくりを目指した孝徳(こうとく)天皇が646年、新たな土地制度を始めるため地方の国々の境界を図などで提出するように命じたと記されています。「続日本紀(しょくにほんぎ)」にも、738年に諸国の地図を集めたとの記述があります。
だが、現存しないため、詳細は不明。
今回の「日本扶桑国之図」には、奈良時代に諸国を巡って社会事業に尽力し、大仏造営に協力した僧行基(ぎょうき)(668~749)の名・・が記され、行基が原型をつくったとの伝承が残る「行基図」の一種とされる。最古の地図とされる仁和寺と称名寺(しょうみょうじ)(横浜市)所蔵の地図も「行基図」と言われています。

行基図(『拾芥抄』写本。明暦2年(1656年)村上勘兵衛刊行。2枚の画像を合成)
左上に「大日本国図は行基菩薩の図する所也」より始まる説明が記されている。
●ぎょうきず【行基図】・・世界大百科事典 第2版の解説
江戸時代初期以前に日本で作られた日本全図のうち,五畿七道の諸国を平滑な曲線で囲み,山城(京都)を起点とする諸国への経路を記入した簡略な図の総称。行基型(または行基式)日本図ともいう。名称のおこりはこの種の図に奈良時代の高僧行基の作である旨の記載があることによる。とはいえ,大和(奈良)を起点とした経路を記入する図は現存しておらず,行基の作というのは後世の付会(ふかい)であろう。 最古の年紀のある行基図は,京都の賀茂御祖(みおや)神社(下鴨神社)に伝わっていたという805年(延暦24)改定の《輿地図(よちず)》(江戸時代の模写)で,行基図の特徴は十分に備えているが,行基の名は記載されていない。
見出し・・14世紀半ば最古級の日本地図発見・・見つかった最古級の日本地図「日本扶桑国之図」=守屋寿コレクション・広島県立歴史博物館提供
日本のほぼ全域が残っているものとしては最古級の地図が見つかったと広島県立歴史博物館(福山市)が15日、発表しました。14世紀半ばの室町時代に描かれたとみられ、北海道を除く全ての地域が載っています。
見つかったのは「日本扶桑国之図」という縦約120㌢、横約60㌢の地図です。九州川を上に、東北川を下にして、京都を中心に68の国が団子のような丸みを帯びた形で描かれています。一方で沖縄は、鎌倉時代の表記の特徴とされる「龍及国」と書かれていました。
福山市出身の収集家が手に入れてこの博物館に預け、博物館が紙質なども調べて、描かれた年代を特定しました。これより古い14世紀初めの日本地図が2点ありますが、いずれも一部が欠けていました。発見された地図は、7月から開く博物館の企画展で公開予定です。
●ふそう【扶桑】・・大辞林 第三版の解説
① 昔、中国で、東方の海中にあるという神木。日の昇る所という。また、その木のある地。扶木。
② 日本の異名。扶桑国。 「松島は-第一の好風にして/奥の細道」
③ 太陽。 「全く-の光なし/中右記」
6月15日の朝日新聞デジタルにはもう少し詳しく地図の記録にについても書かれていましたので紹介します。
現存する最古の日本地図は京都・仁和寺(にんなじ)所蔵の「日本図」(1305年)とされるが、西日本が欠けており、全体が残った地図では最古級。
国内で初めて地図がつくられた記録が残るのは飛鳥時代で「日本書紀」には、大化改新で中央集権国家づくりを目指した孝徳(こうとく)天皇が646年、新たな土地制度を始めるため地方の国々の境界を図などで提出するように命じたと記されています。「続日本紀(しょくにほんぎ)」にも、738年に諸国の地図を集めたとの記述があります。
だが、現存しないため、詳細は不明。
今回の「日本扶桑国之図」には、奈良時代に諸国を巡って社会事業に尽力し、大仏造営に協力した僧行基(ぎょうき)(668~749)の名・・が記され、行基が原型をつくったとの伝承が残る「行基図」の一種とされる。最古の地図とされる仁和寺と称名寺(しょうみょうじ)(横浜市)所蔵の地図も「行基図」と言われています。

行基図(『拾芥抄』写本。明暦2年(1656年)村上勘兵衛刊行。2枚の画像を合成)
左上に「大日本国図は行基菩薩の図する所也」より始まる説明が記されている。
●ぎょうきず【行基図】・・世界大百科事典 第2版の解説
江戸時代初期以前に日本で作られた日本全図のうち,五畿七道の諸国を平滑な曲線で囲み,山城(京都)を起点とする諸国への経路を記入した簡略な図の総称。行基型(または行基式)日本図ともいう。名称のおこりはこの種の図に奈良時代の高僧行基の作である旨の記載があることによる。とはいえ,大和(奈良)を起点とした経路を記入する図は現存しておらず,行基の作というのは後世の付会(ふかい)であろう。 最古の年紀のある行基図は,京都の賀茂御祖(みおや)神社(下鴨神社)に伝わっていたという805年(延暦24)改定の《輿地図(よちず)》(江戸時代の模写)で,行基図の特徴は十分に備えているが,行基の名は記載されていない。

ブロック塀の倒壊で高槻市の小学4年の女児が犠牲になりました。
この事故を受けて全国の学校が緊急点検に乗り出し建築基準法の要件を満たさない恐れがある塀が次々と明らかになっているそうです。
過去の地震の教訓は全く生かされていないことが分かりました。
ブロック塀の危険性がクローズアップされたのは1978年の宮城県沖地震の時、ブロック塀などの下敷きになって18人が犠牲になりました。
40年間ほとんど処置も施されないまま今日に至っています。
2年前に起きた熊本地震でもブロック塀の倒壊により29歳の男性が亡くなっています。
今回高槻市の問題は3年前に専門家が危険と学校側に指摘し市教委職員が点検を行なっています。
そして点検では安全だと判断をしています。
しかしこの職員は建築士などの資格がない無資格の職員だったそうです。
子供の命を預かる市教育委員会の無責任極まりない体質に激しい憤りを感じずにはおられません。
[教育委員会制度の仕組み]
○
教育委員会は、地域の学校教育、社会教育、文化、スポーツ等に関する事務を担当する機関として、全ての都道府県及び市町村等に設置。
○
首長から独立した行政委員会としての位置付け。
○
教育委員会は、教育行政における重要事項や基本方針を決定し、それに基づいて教育長が具体の事務を執行。
○
月1~2回の定例会のほか、臨時会や非公式の協議会を開催。
○
教育長及び教育委員は、地方公共団体の長が議会の同意を得て任命。任期は教育長は3年、教育委員は4年で、再任可。
※建物の維持管理はどこがするのかな?
この記事を目にする前にうら覚えながらつい最近太宰治についてテレビを見た覚えがあります。
半分以上寝ながら見ていたので中身はほとんど覚えていません。
新聞を調べてみますと6月19日午後10時からNHK・Eテレの知恵泉という番組で「本日桜桃忌太宰治のしたたか人生悩みを力に変える知恵走れメロス驚きの裏話文豪対決!」という太宰治を取り上げてのものであったようです。
若い時から太宰治という作家はあまり好きではなくてそれでも作品からは読んでいると引き込まれそうになるほどの魅力を感じるので去年この方の生家を訪ねて青森まで行きました。
青森に行って感じたことは太宰の生き方が生い立ちや育ちに影響されてのものであることが分かりました。
太宰の親が金貸しをしていて生活は何の不自由のないものでしたが近所の小作人の生活との格差が彼にとっては許せないものであった様です。
自分の中でなかなか理解しきれない太宰という作家、今日は【春秋】から少し学びました。
うっとうしい梅雨時に、さわやかな味わいがうれしいサクランボ。日本に入ってきたのは明治の初め。北海道で栽培が始まり東北などに広まったという
►サクランボは別名「桜桃」。忌日にこの名が付いた作家がいる。1948年、入水自殺した太宰治だ。遺体が見つかった6月19日が命日とされる。没後70年を迎えた今年の「桜桃忌」も多くのファンが太宰をしのんだ
►忌日の名付け親は太宰と同郷で親交の深かった直木賞作家の今官一(こんかんいち)。亡くなる直前に残した短編小説「桜桃」にちなんで命名したそうだ。桜桃が実る頃に逝った太宰にふさわしい
►小説は〈子供より親が大事、と思いたい〉で始まる。主人公は太宰自身を思わせる作家。妻は幼い3人の子供の世話に追われるが、作家は家事も育児もせず、仕事も行き詰まる。煩わしい現実から逃避した作家はなじみの女の酒場へ。そこで桜桃が出た
►〈家では子供にぜいたくなものを食べさせない。桜桃など見たこともないかもしれない。持って帰ったら喜ぶだろう〉。作家はそう思う。が、持ち帰りはしない。大皿に盛られた桜桃を〈極めてまずそうに食べては種を吐き〉を繰り返し、心の中で〈子供よりも親が大事〉とつぶやくのだ
►「父親失格」「人間失格」と憤慨するか、太宰の深い苦悩に心を動かされるか。読み手次第だが、さわやかな桜桃が食べたくなる“うっとうしい物語”なのは間違いない。
=2018/06/22付 西日本新聞朝刊=


●夏至・6月21日頃
「芒種」と「小暑」の中間にあたる。期間としての意味もあり、この日から、次の節気の「小暑」前日までである。
二十四節気のひとつで、「夏に至る」と書くように、この日を過ぎると本格的な夏の到来です。
『暦便覧』には「陽熱至極しまた、日の長きのいたりなるを以てなり」と記されている。
北半球では太陽が1年で最も高い位置にきて、昼間が一番長い日になります。冬至の日と比べると、北海道の根室で約6時間半、東京では約4時間40分も長くなります。
ただ、このころは梅雨の時期でもあるため、あまり日が長く感じられないこともあります。
この夏至の頃の気候や民俗について日本大百科全書(ニッポニカ)では詳しく説明があります。民俗の部分については日本の部分だけを抜き出してみました。
天草や玉名そして八代など馴染みの地域ですが知らないことが沢山あるのに気付きました。
熊本県各地の民俗のことが多く書かれています。
●気象
北海道を除く日本の本土は、夏至の前後およそ20日ずつが梅雨期間である。すなわち夏至以前の20日間は梅雨前期にあたり、ここでは雨量はさして多くないが、しとしと型の長雨が続く。夏至以後、7月中旬の梅雨明けまでは梅雨後期にあたり、集中豪雨型の大雨が断続する。前期と後期の中間のおよそ夏至のころは、梅雨は中休みをすることが多く、そのようなときには一時、真夏の晴天が現れるが、これが持続して空梅雨(洞梅雨)(からつゆ)となってしまうような年もみられる。このように夏至は、気象学的には日本の季節を特徴づける重要な雨期の中心になっているのである。[根本順吉]
●民俗
長野県北佐久地方、兵庫県但馬(たじま)地方、岡山県上房(じょうぼう)郡などでは夏至のことをチュウという。わが国では夏至の行事としては取り立てて記するものはないが、夏至より11日目にあたる半夏生(はんげしょう)または半夏(はんげ)という日は農作のうえでだいじな日とされている。田植はこの日までに終わらないと、「半夏半作」といって収穫が半減するという。大阪近郊では夏至から半夏までタコを食べる習慣がある。タコの足のように稲の根がよく地面に広がりつくようにと願うのだという。関東地方などでは新小麦で焼き餅(もち)をつくって神に供える。島根県や熊本県の各郡でも小麦の団子やまんじゅうをつくって神に供えている。熊本県阿蘇(あそ)地方には、「チュウはずらせ半夏は待つな」といって、田植は夏至よりすこしあとに、半夏を過ぎないようにとの言い習わしがある。半夏生の日には天から毒が降り、毒草が生えるなどといって、いろいろの禁忌がある。この日竹林に入ってはならぬという。タケの花の咲いているのを見ると死ぬという。また畑の野菜や果物をこの日食べると病気になるという。熊本県玉名地方ではこの日ウマにけっして青草を食べさせない。秋田県平鹿(ひらか)地方では半夏の日に草で目を突くと盲目になるといっている。変わった言い伝えでは、熊本県阿蘇地方では半夏の日に生梅を食べると頭がはげるといって忌み、同県八代(やつしろ)地方ではこの日朝寝をすると頭がはげるといって昔から早起きしたという。半夏生はまた生活上の一つのくぎりとなっていた。熊本県の天草(あまくさ)地方では半夏の日は水泳ぎを始める日で、その前には水に入らない。同県阿蘇地方ではダユルシといって八十八夜から半夏生までの間にウシの放牧を許されており、それ以後は家へ連れていかねばならない。香川県の西部地方では半夏生を上半期の決算期としている。[大藤時彦]


大阪は私にとっては青春の街。
今回の地震はどうして起きたんだろうか?
淡路島北部を震源地とした阪神淡路大震災とは随分離れた震源地のようにも思えるが気象庁の発表によれば「有馬-高槻断層帯」の断層帯が大きく関係したのではとの見解である。
小さい頃の思い出には地震の思い出はありません。
地震が起らなかったのかも知れません。
九州に来て熊本地震を経験し地震のことを勉強し断層帯のことも少しづつ理解できるようになりました。
今回の地震で感じたことはインフラの老朽化の問題です。
そして建築基準法違反によるブロック塀倒壊により幼い子供の命が奪われたこと。
教育委員会は違反問題の意識すらなかったようです。
インフラの老朽化についても復旧はずいぶん遅れています。
大変な事が起らない限り見直していかない事が大きな問題です。
大阪都心の周りには高層ビルが乱立していますが地震によるビルの損傷は無かったのでしょうか?
今朝のテレビで「長周期パルス」の話がありましたがビルの点検は迅速に対応していただきたいものです。
周期別地震動の種類・・・信号が脈打つことをパルス状という。また、雷の電磁パルスや直下型地震のような振幅もパルス状という。
●極短周期地震動
●短周期地震動
●稍(やや)短周期地震動
●稍(やや)長周期地震動
●長周期地震動
●超長周期地震動
ウエザーニュースより
大阪北部で震度6弱の地震、震源付近には多数の断層
この断層帯では、1596年に慶長伏見地震(M7.5)が発生しています。
18日(月)7時58分に大阪府北部で震度6弱を観測する地震が発生しました。
今回の震源付近には、多数の断層が存在しています。
今回の地震は、東西にのびる「有馬-高槻断層帯」、南北にのびる「上町断層帯」や「生駒断層帯」の境目付近で発生したとみられています。
そのため、これらの断層帯のいずれか、もしくは複数が影響した可能性が考えられる状況です。
気象庁の発表によると、今回の地震は上記の中の「有馬-高槻断層帯」の影響が、最も大きいとみられます。
この断層帯では、1596年に慶長伏見地震(M7.5)が発生しており、同じ断層帯での地震発生は約400年ぶりです。
6/19
【大阪北部地震】複雑な発生メカニズムで震源の活断層は特定できず(地震調査委員会)
昨日は大阪で震度6弱の大きな地震がありました。
大阪には兄妹や親戚友人が沢山いて心配が絶えません。
梅雨に入ったのは随分以前のことだが九州では今日から本格的な梅雨入りとの天気予報、少し時間をおいてまもなく大阪の方も本格的に梅雨入りする事でしょう。
二次災害が起きなければいいがと心配がつきません。


6月は別名「みなづき」といい漢字になおせば「水の無い月・水無月」と書きます。
梅雨時期でもあり時には台風などもくるこの6月、何故、「水無月」というのでしょうか?
水無月(みなづき)は、旧暦の6月の別名です。
厳密には現在の暦と旧暦では時期がずれており、本来水無月は梅雨が明けたころを指すようです。
「水無月」の意味には諸説あって
●梅雨があけた時期だからという説
●田んぼに水を張る時期だからという説(水を張る月、「みずはりづき→みなづき」と変化した説)
◎無は連体助詞の「な」だという説
「水無月」の「無」に秘密があり。
その「無」の意味は、連体助詞といって、名詞と名詞をつなぐ助詞で「無」は、「の」という意味なんです。
「水無月」は、「水の月」という意味になります。
とにもかくにもこれ以上の被害が出ないように願っています。
大阪には兄妹や親戚友人が沢山いて心配が絶えません。
梅雨に入ったのは随分以前のことだが九州では今日から本格的な梅雨入りとの天気予報、少し時間をおいてまもなく大阪の方も本格的に梅雨入りする事でしょう。
二次災害が起きなければいいがと心配がつきません。
6月は別名「みなづき」といい漢字になおせば「水の無い月・水無月」と書きます。
梅雨時期でもあり時には台風などもくるこの6月、何故、「水無月」というのでしょうか?
水無月(みなづき)は、旧暦の6月の別名です。
厳密には現在の暦と旧暦では時期がずれており、本来水無月は梅雨が明けたころを指すようです。
「水無月」の意味には諸説あって
●梅雨があけた時期だからという説
●田んぼに水を張る時期だからという説(水を張る月、「みずはりづき→みなづき」と変化した説)
◎無は連体助詞の「な」だという説
「水無月」の「無」に秘密があり。
その「無」の意味は、連体助詞といって、名詞と名詞をつなぐ助詞で「無」は、「の」という意味なんです。
「水無月」は、「水の月」という意味になります。
とにもかくにもこれ以上の被害が出ないように願っています。
最近、千葉県の地震でスロースリップという単語が頻繁に使われ、南海地震につながる地震ではないかと心配していたら昨日は群馬県でまた今日の朝は大阪で大きな地震がありました。
地震については日本国中どこでもおこる自然災害ですが事前予知が不可能な自然現象だけに、これらの地域の方は今後も同じような地震が起る可能性が高いので特に気を付けていただきたい。
熊本地震を経験した私達だから言えることだと思います。
都会は人が多く家も込み入っています二次被害が広がらないように特に注意してほしいと思います。
スロースリップ
(Wikipediaより)
スロースリップ(英: slow slip)とは、地震学の用語で、普通の地震によるプレートのすべり(スリップ)よりもはるかに遅い速度で発生する滑り現象のことである。「スローイベント」「スロー地震」「ゆっくりすべり」「ゆっくり地震」などとも呼ばれるが、厳密には「スロースリップ」か「ゆっくりすべり」が最も的確に意味を表している。海溝などの沈み込み帯ではよく見られる現象。また、1つのプレートの中に存在する断層の面でも発生する。防災科学技術研究所により整備された高感度地震観測網の観測結果が当該事象発見のきっかけとなった。SSE(Slow Slip Event)と略される事もある。
「普通の地震よりもはるかに遅い速度」というのは、地震を起こす地殻変動の速度のことである。地震としては、地震動の継続時間が非常に長く、地震動の周期が比較的長め(約0.5秒 - 数十秒、低周波領域)であるという特徴を持つ。

海溝付近のプレート境界の断面図。いくつかのパターンを示した。 1.大陸プレート 2.付加体 3.海洋プレート 4.安定すべり域 5.固着域 6.遷移領域 スロースリップのほとんどは黄色で示した6.遷移領域で起こる。
地震については日本国中どこでもおこる自然災害ですが事前予知が不可能な自然現象だけに、これらの地域の方は今後も同じような地震が起る可能性が高いので特に気を付けていただきたい。
熊本地震を経験した私達だから言えることだと思います。
都会は人が多く家も込み入っています二次被害が広がらないように特に注意してほしいと思います。
スロースリップ
(Wikipediaより)
スロースリップ(英: slow slip)とは、地震学の用語で、普通の地震によるプレートのすべり(スリップ)よりもはるかに遅い速度で発生する滑り現象のことである。「スローイベント」「スロー地震」「ゆっくりすべり」「ゆっくり地震」などとも呼ばれるが、厳密には「スロースリップ」か「ゆっくりすべり」が最も的確に意味を表している。海溝などの沈み込み帯ではよく見られる現象。また、1つのプレートの中に存在する断層の面でも発生する。防災科学技術研究所により整備された高感度地震観測網の観測結果が当該事象発見のきっかけとなった。SSE(Slow Slip Event)と略される事もある。
「普通の地震よりもはるかに遅い速度」というのは、地震を起こす地殻変動の速度のことである。地震としては、地震動の継続時間が非常に長く、地震動の周期が比較的長め(約0.5秒 - 数十秒、低周波領域)であるという特徴を持つ。

海溝付近のプレート境界の断面図。いくつかのパターンを示した。 1.大陸プレート 2.付加体 3.海洋プレート 4.安定すべり域 5.固着域 6.遷移領域 スロースリップのほとんどは黄色で示した6.遷移領域で起こる。

戦後生まれの私たちには「父の日」というのは何故か「母の日」の付けたしのような印象があります。
でも自分の父親に「父の日」に家内と一緒に下着などをプレゼントした記憶はうっすらと覚えています。
何事も受け入れる日本の文化。
今はこの文化も日本でも一般的に定着したようです。
時代も変わりました。

6月第3日曜日・・父の日
1909年にアメリカ・ワシントン州スポケーンのソノラ・スマート・ドッド(Sonora Smart Dodd)が、男手1つで自分を育ててくれた父を讃えて、教会の牧師にお願いして父の誕生月である6月に礼拝をしてもらったことがきっかけと言われている。彼女が幼い頃南北戦争が勃発。父ウィリアムが召集され、彼女を含む子供6人は母親が育てることになるが、母親は過労が元でウィリアムの復員後まもなく亡くなった。以来男手1つで育てられたが、ウィリアムも子供達が皆成人した後、亡くなった。
最初の父の日の祝典は、その翌年の1910年6月19日にスポケーンで行われた。当時すでに母の日が始まっていたため、彼女は父の日もあるべきだと考え、「母の日のように父に感謝する日を」と牧師協会へ嘆願して始まった。
1916年、アメリカ合衆国第28代大統領ウッドロー・ウィルソンは、スポケーンを訪れて父の日の演説を行い、これにより父の日が認知されるようになる。
1966年、アメリカ合衆国第36代大統領リンドン・ジョンソンは、父の日を称賛する大統領告示を発し、6月の第3日曜日を父の日に定めた。1972年になり、アメリカでは正式に国の記念日に制定される。
母の日の花がカーネーションなのに対し、父の日の花はバラ。ソノラ・スマート・ドッドが、父の日に父親の墓前に白いバラを供えたからとされている。1910年の最初の祝典の際には、YMCAの青年が、父を讃えるために、父が健在の者は赤いバラ、亡くなった者は白いバラを身につけたと伝えられる
(Wikipediaより)
八代市教育委員会が熊本地震で崩れた八代城の石垣の修復が終わり市民向けの説明会を開きました。
説明会は今回で5回目となり石垣の修復については今回が最終回とのことです。
参加者の年齢も土曜日とあって、小学生や歴女も交じっていつもの高齢者ばかりのメンバーではなくて幅広い年齢層の人達でした。
50名近くのメンバーを引き連れて教育委員会の方が修復した北の丸廊下橋門跡の石垣を皮切りに八代城を一回り、石垣を中心に説明をされました。
自分が住んでいる町の歴史を知り、その土地に興味を持つことは非常に大切なことだと思います。
石垣修復については今回で終わりになりますが今日のような史跡巡りについてはこれからも続けていくとの事でまた機会があれば参加しようと思っています。
そして参加者の年齢がもっともっと若く成れば八代を愛する人たちが少しでも増えていくのにと考えても見ました。
嫁に頼まれて2歳になった双子をときどき預かります。
小さな赤ん坊の内はなんとか私たち二人で子守くらいは出来ますがだんだん大きくなってくると昼寝をさせるのも二人でひと騒動。
孫のお守は気持ち的には有難いことだが体力的にはそろそろついていけない年齢になっています。
だって二人の年齢は合わせると140歳以上。
自分達はこれ以上歳は取りたくないけれど双子の孫には早く歳をとって大きくなってほしい。

6月14日はアメリカは星条旗制定記念日で祭日だという。
12日に行われた米朝首脳会談、その内容が少しづつ明らかになってきていますが米国の人たちの反応と評価はいかがなものであろうか?
アメリカの歴史は浅く、1777年のこの日、アメリカ合衆国議会が1776年の独立宣言時の13州を赤白のストライプで象徴した星条旗をアメリカ国旗と制定した。
アメリカが独立宣言を行った頃の旗にはイギリスの国旗が入っていた。しかし、独立戦争で戦った相手国の国旗が旗に入っていては国民の士気に影響するということで、ワシントンらがフィラデルフィアの旗作り職人ベッツィ・ロスに依頼し、星条旗を完成させた。
当初、国旗の星の数も独立宣言時の13州に因んで13個であったが、その後に州が増えるたびに変更され、ハワイが州に昇格した翌年の1960年から現在の50個の星のデザインとなった。また、1916年に第28代大統領ウッドロウ・ウィルソンがこの日を国民の祝日とした。

昨日の米朝首脳会談について新聞各紙の見方は様々。
今日の【春秋】には
「バナナ紙幣」。1942年、英領シンガポールを占領した日本軍が現地の通貨に替えて発行した軍票のことだ。バナナの図柄だったのでその名が付いた►敗戦で日本軍が撤退すると軍票は紙切れ同然に。ただで手に入るバナナの葉と重ね、「バナナ紙幣」と言えば価値のないものを指すようになったそうだ►日本占領時代には「昭南島」と呼ばれたシンガポールで、初の米朝首脳会談が行われた。両首脳は「朝鮮半島の完全非核化」を約束する共同声明に署名。朝鮮戦争の終結を見据えて米朝関係の改善にも意欲を示した►日韓併合から太平洋戦争、朝鮮戦争、南北分断・・・。歴史に翻弄された朝鮮半島にとって、今回の会談は新たな時代への転換点となるかもしれない。北朝鮮が融和姿勢に転じたことは、東アジアの平和と安定にとっても大きな意味がある►ただし、米国や日本が求める「完全かつ検証可能で不可逆的な非核化」にまでは踏み込めず、核放棄の具体的な手順や検証方法は示されなかった。北朝鮮は核を巡る約束を何度も反故してきた。トランプ米大統領は貿易や温暖化対策の国際協定から一方的に脱退するなど〝ちゃぶ台返し〟が得意技だ。両首脳の約束は本当に履行されるか、との不安は残る►今は非核化への扉が開いたにすぎない。困難な交渉はこれからだ。歴史的な合意を「バナナ紙幣」にせぬよう国際社会の強い後押しが欠かせない。
2018・6・13
と今回の会談を端的にとらえています。
非核化については何度も裏切りを繰り返してきた北朝鮮という国、かたや国際的な条約を破棄をしてまで自国の利益にこだわるトランプという大統領。
今回の会談は今のところ中身の濃いもののように思えないのは私だけでしょうか?

今日のニュースはこれにつきる。
詳しい話はまだ分からないけれども、少なくとも両国が決裂という場面はなかった。
核やミサイルの問題、明日になればもう少し詳しく内容が分かると思われる。
日本にとって大事な拉致問題についてどのように取り扱われたのかこれもまだ何もわかっていません。
他国頼りの日本外交悔しさだけが残るのでは。
暦には今日は入梅とあります。
現在、日本近辺には台風5号が北上中です。
この時期に台風が日本列島に接近することはほとんどなく、5~6年に一度くらいの周期でやってくるそうです。
陸上する気配は無いそうですが台風が連れてきた雨によって被害が出る事もあるので北上中の台風に近い地域については雨がひどくなるので十分注意をしてほしいとの気象予報がありました。
入梅(6月11日頃 雑節)
「入梅(にゅうばい)」は、梅雨入りの時期に設定された雑節(特別な暦日)である。現在広まっている定気法では太陽黄経が80度のときで6月11日頃。
暦の上での「梅雨入り」を意味する漢語表現である。対義語は「梅雨明け」を意味する「出梅(しゅつばい)」だが、日本ではほとんど使われていない。
梅の実が熟して黄色く色づく頃に、雨季に入ることから「入梅」。
梅雨に入る一つの目安とされるが、地域や年によってその時期は違うため、実際の梅雨入りとは日付が異なる。梅雨入りしてから約30日間が梅雨の期間となる。
農家にとって梅雨入りの時期を知ることは、田植えの日を決めるうえでも重要であった。
昔は、現在のように気象予報が発達していなかったため、江戸時代に目安として暦の上で「入梅」を設けたとされている。
今年の梅雨入りは・・
沖縄ー5月8日ごろ
奄美ー5月7日ごろ
九州南部ー5月26日ごろ
九州北部ー5月28日ごろ
四国ー5月28日ごろ
中国ー6月5日ごろ
近畿ー6月6日ごろ
東海ー6月6日ごろ
関東甲信ー6月6日ごろ
北陸ー6月10日ごろ
東北南部ー6月10日ごろ
東北北部ー?
雑節とは、五節句・二十四節気以外の、季節の移り変わりの目安となる日の総称です。農業に従事する人々は二十四節気(中国で作られた暦)では十分に季節の変化を読み取れないため、その補助をする為に考えられた日本独自の暦です。
節分(2月3日)
八十八夜〔はちじゅうはちや〕(5月1日頃)
入梅〔にゅうばい〕(6月11日頃)
半夏生〔はんげしょう〕(7月2日頃)
二百十日〔ひゃくにちとうか〕(9月1日頃)
土用(1月17日・4月17日・7月20日・10月20日頃)
彼岸〔ひがん〕(3月20日・9月23日頃)