
「暑気いたりつまりたるゆえんなればなり」 暦便覧
7月23日 の大暑(大暑から次の節気の立秋前日まで)とは、二十四節気の一。太陽の黄経が120度に達した時をいい、暑さが最も厳しくなるという意味です。21日、22日にかけて東北、北陸地方を除いて全地区梅雨明けをしています。厳しい暑さにより、夏の到来を強く感じます。
「大暑の候」「猛暑の候」「厳暑の候」「酷暑の候」などこの頃の時候の挨拶に使います。
前後の節気は小暑 → 大暑 → 立秋
夏の土用が大暑の数日前から始まり、大暑の間じゅう続く。小暑と大暑の一か月間が暑中で、暑中見舞いはこの期間内に送る。
土用は各季節にあります。陰陽五行説で、春・夏・秋・冬をそれぞれ木・火・金・水とし、(余った?)土を各季節の終わりの18日間に当てはめたことから、立春、立夏、立秋、立冬の前の18日間を土用といいます。
2014年は
冬土用:1月17日~2月3日 (太陽黄径297度)
春土用:4月17日~5月4日 (太陽黄径27度)
夏土用:7月20日~8月6日 (太陽黄径117度)
秋土用:10月20日~11月6日 (太陽黄径207度)
※ 最初の日を「土用入り」最後の日を「土用明け」といいますが一般的には「土用」と言えば、立秋前の18日間の夏土用をさします。また、この期間を暑中と呼び、暑中見舞いを出す時期でもあります。

土用は雑節の一つであり雑節(ざっせつ)とは、二十四節気・五節句などの暦日のほかに、季節の移り変りをより適確に掴むために設けられた、特別な暦日のことである。
一般に雑節と呼ばれるのは、次の9つである。
節分
彼岸
社日
八十八夜
入梅
半夏生
土用
二百十日
二百二十日
これに、初午・三元(上元・中元・下元)、盂蘭盆、大祓を加える場合もある。
2014年は
冬土用:1月17日~2月3日 (太陽黄径297度)
春土用:4月17日~5月4日 (太陽黄径27度)
夏土用:7月20日~8月6日 (太陽黄径117度)
秋土用:10月20日~11月6日 (太陽黄径207度)
※ 最初の日を「土用入り」最後の日を「土用明け」といいますが一般的には「土用」と言えば、立秋前の18日間の夏土用をさします。また、この期間を暑中と呼び、暑中見舞いを出す時期でもあります。

土用は雑節の一つであり雑節(ざっせつ)とは、二十四節気・五節句などの暦日のほかに、季節の移り変りをより適確に掴むために設けられた、特別な暦日のことである。
一般に雑節と呼ばれるのは、次の9つである。
節分
彼岸
社日
八十八夜
入梅
半夏生
土用
二百十日
二百二十日
これに、初午・三元(上元・中元・下元)、盂蘭盆、大祓を加える場合もある。

人々は一体何を学んできたのかな・・短いコラムですが面白い記事なので書き写しました。
「ミツバチの衆議一決」なる言葉を、九州大でも教えた動物行動学者、桑原万寿太郎さんの随筆で知った。民主主義は人間の専売特許にあらず。ミツバチの社会にも議決があるそうだ▸巣別れの時期。後継者を育てた女王バチは数万の働きバチの半数を率いて巣を飛び出す。群れはいったん近くにとどまり、偵察バチが八方に飛んで新しい巣の候補地を探す▶戻った偵察バチはそれぞれの成果をダンスで報告。ハチたちはこれと思える場所を見に行き、納得すればそのダンスに加勢する。こうして10以上の候補地は2,3に絞られ、最後は衆議一決。移動が始まる▶こちらは衆議一決せぬままの見切り発車に。九電川内原発が原子力規制委の新規制基準に「合格」した。地元同意を得て、秋以降に再稼働の見通しという▶本当に大丈夫か。地震と火山と台風の国の民は心配になる。「規制委が基準適合と認めれば再稼働」と政府。規制委は「安全だとは申し上げない」(田中俊一委員長)。誰が安全を保障し、誰が再稼働の決断に責任を持つのか。フクシマの教訓はもう忘れたか▶ミツバチに多数決の知恵はない。だから「生き残る可能性」を唯一の基準に衆議を尽くす。判断を誤れば全滅。全責任は女王が負う。自然の掟は明快だ。責任を押し付け合う人間も、もっと簡単に考えればよい。判断の基準はただ一つ。大多数の国民が納得できる「安全」である。
2014・7・18 西日本新聞 春秋
今日は八代図書館に於いて歴史講座がありました。「八代城の変遷」と言う話を八代市文化まちづくり課の山内淳司さんがお話になりました。城郭の変遷と言うとらえ方から日本のお城の変遷が八代でほぼ全様を伺う事が出来る非常に恵まれた環境にあるので史跡を大切に保存していきましょう。その様な話でした。近くにある物の大切さ誰しもがあまり気づかないものです。
①中世八代城(古麓城跡)
②織豊期八代城(麦島城跡)
③近世八代城(八代城跡)
※八代城の変遷は、八代の政治・社会構造の移り変わり・・・
上記の3城と麦島城の瓦を製造していた平山瓦窯跡(八代市平山新町)が平成26年3月18日に国の指定史跡に認定されました。
今日は雲は少しありますが快晴です。 八代地方梅雨明けか?

7月16日八代高校正面入り口
①中世八代城(古麓城跡)
②織豊期八代城(麦島城跡)
③近世八代城(八代城跡)
※八代城の変遷は、八代の政治・社会構造の移り変わり・・・
上記の3城と麦島城の瓦を製造していた平山瓦窯跡(八代市平山新町)が平成26年3月18日に国の指定史跡に認定されました。
今日は雲は少しありますが快晴です。 八代地方梅雨明けか?
7月16日八代高校正面入り口
「藪入りや何にも言わず泣き笑い」・・ 三代目(先代)三遊亭金馬の噺「藪入り(やぶいり)」 落語にも出てきます
7月16日「薮入り」とありますがずいぶん久しい懐かしい言葉のように聞こえます現在では「里帰り」という言葉に変わっていると思います。その意味は、奉公人が正月と盆の16日に、主家から休暇をもらうこと。または、その日をいう。薮入りは古くから行われており、初めは正月だけでしたが、江戸中期からは、7月にも薮入りをさせるようになりました。正月の「薮入り」に対して、7月のものを「後の薮入り」といいます。この日は、もともとは先祖の霊を祀る日であり、そのための里帰りであって、奉公人だけでなく、嫁や婿(むこ)も里(実家)に帰りました。それが次第に慰労のための休暇となり、芝居見物をしたり、遊びに行くようにもなりました。現在の帰省ラッシュやUターンなどの言葉は「薮入り」の名残かも知れません。

『故郷の廃家』 唱歌/作詞:犬童球渓/作曲:ヘイス/明治40年(1907)発表 犬童球溪は九州山地の盆地、熊本県人吉市の生まれ。「球渓」は球磨川の渓谷に由来するペンネームです。

仏教ではこの日を「閻魔(えんま)の賽日(さいにち)」といい、地獄の釜の蓋(ふた)が開いて、亡者も責め苦を免れる日とされています。
「罪人を責めていた地獄の鬼さえもこの日は休むから、人間も仕事を休む」、あるいは「亡者の責め苦のような辛い仕事から解放させる」、
ということのようです。いずれにせよ、正月と盆は先祖の霊を祀る大切な行事があるので、里に帰して参加させるという考えから始まった風習であると思われます。
7月16日「薮入り」とありますがずいぶん久しい懐かしい言葉のように聞こえます現在では「里帰り」という言葉に変わっていると思います。その意味は、奉公人が正月と盆の16日に、主家から休暇をもらうこと。または、その日をいう。薮入りは古くから行われており、初めは正月だけでしたが、江戸中期からは、7月にも薮入りをさせるようになりました。正月の「薮入り」に対して、7月のものを「後の薮入り」といいます。この日は、もともとは先祖の霊を祀る日であり、そのための里帰りであって、奉公人だけでなく、嫁や婿(むこ)も里(実家)に帰りました。それが次第に慰労のための休暇となり、芝居見物をしたり、遊びに行くようにもなりました。現在の帰省ラッシュやUターンなどの言葉は「薮入り」の名残かも知れません。

『故郷の廃家』 唱歌/作詞:犬童球渓/作曲:ヘイス/明治40年(1907)発表 犬童球溪は九州山地の盆地、熊本県人吉市の生まれ。「球渓」は球磨川の渓谷に由来するペンネームです。

仏教ではこの日を「閻魔(えんま)の賽日(さいにち)」といい、地獄の釜の蓋(ふた)が開いて、亡者も責め苦を免れる日とされています。
「罪人を責めていた地獄の鬼さえもこの日は休むから、人間も仕事を休む」、あるいは「亡者の責め苦のような辛い仕事から解放させる」、
ということのようです。いずれにせよ、正月と盆は先祖の霊を祀る大切な行事があるので、里に帰して参加させるという考えから始まった風習であると思われます。
「お盆」は、亡くなった人の霊を迎えて供養する仏教の夏の行事です。「盂蘭盆うらぼん」という言葉の略で、「盂蘭盆うらぼん」は、梵語(サンスクリット語)を音訳したものとされているようです。 「お盆」は、中国の7月15日の「中元」の風習が日本に伝わり、結びついたともされています。
お盆とは祖先の霊を祀る(まつる)ために7月15日頃に行われる行事です。お盆は仏教行事のひとつと位 置付けられていますが、仏教の盂蘭盆(うらぼん)・盂蘭盆会(うらぼんえ)の行事に、祖先の霊を祀る(まつる)信仰が次第に混ざっていったものという考え方もあるようです。
現代では、一般的に「お盆とは、年に一度祖先の霊が私たちのもとに帰ってくる期間」とされ、13日には迎え火を焚いて祖先が迷わず当家に来られるようにしてお迎えし、戻ってきた祖先の霊の供養をします。やがてお盆の期間が過ぎると16日には送り火を焚いてお送りします。この風習がお盆の風習として定着しています。「お盆」は、元々旧暦の7月15日を中心に行われた行事ですが、現在では、新暦の7月15日をはさんだ7月13日から16日に、もしくは、「月遅れ」といって、8月15日をはさんだ8月13日から16日にかけて行われることが多いようです。
東京など関東では7月に行われるようですが、現在ではほぼ全国的に月遅れの8月に行われることが多くなっています。
年によっては、新暦の8月15日が旧暦の7月15日と重なることもあります。
13日・・盆の入り・お盆の入り・盆入り・迎え盆 16日・・盆の明け・盆明け・送り盆

幕末期のお盆、『日本の礼儀と習慣のスケッチ』より、1867年出版 ウィキペディア参照
お盆とは祖先の霊を祀る(まつる)ために7月15日頃に行われる行事です。お盆は仏教行事のひとつと位 置付けられていますが、仏教の盂蘭盆(うらぼん)・盂蘭盆会(うらぼんえ)の行事に、祖先の霊を祀る(まつる)信仰が次第に混ざっていったものという考え方もあるようです。
現代では、一般的に「お盆とは、年に一度祖先の霊が私たちのもとに帰ってくる期間」とされ、13日には迎え火を焚いて祖先が迷わず当家に来られるようにしてお迎えし、戻ってきた祖先の霊の供養をします。やがてお盆の期間が過ぎると16日には送り火を焚いてお送りします。この風習がお盆の風習として定着しています。「お盆」は、元々旧暦の7月15日を中心に行われた行事ですが、現在では、新暦の7月15日をはさんだ7月13日から16日に、もしくは、「月遅れ」といって、8月15日をはさんだ8月13日から16日にかけて行われることが多いようです。
東京など関東では7月に行われるようですが、現在ではほぼ全国的に月遅れの8月に行われることが多くなっています。
年によっては、新暦の8月15日が旧暦の7月15日と重なることもあります。
13日・・盆の入り・お盆の入り・盆入り・迎え盆 16日・・盆の明け・盆明け・送り盆

幕末期のお盆、『日本の礼儀と習慣のスケッチ』より、1867年出版 ウィキペディア参照

熊本県は台風の被害も少なくて良かったです。
国の文化審議会は10日、世界文化遺産特別委員会を開き、「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」(長崎市、熊本県天草市など6市2町)を2016年に登録を目指す国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界文化遺産候補として推薦することを決めた。・・7月11日 西日本新聞1面見出し
前回「三角西港」の明治日本の産業革命遺産『九州・山口の近代化産業遺産群』を2015年世界文化遺産の登録に向けての話を紹介しましたが、今回の、「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」には天草市の「崎津集落」が入っています。どちらの候補地も単独で世界遺産の候補としては無理があるようですが、群としての一候補と考えれば有力な文化遺産だと思われます。熊本県に住む一員としておおいに応援していきましょう。
宇城市教育委員会 世界遺産推進室のパンフレット
2014・7・9パレアで近代港湾都市「三角西港」世界遺産推薦決定という講座を宇城市教育委員会の松村浩一氏が話されました。話は日本の近代産業遺跡を群としてとらえ、明治20年に開港した三角西港が石炭を運ぶ事で僅か60年で日本の重工業化に寄与した明治期の港で石積み埠頭をはじめ当時の施設がほぼ原形のままで現存することなどを理由に世界文化遺産推薦が決定し来年にはユネスコにより世界文化遺産登録の審議があります。明治日本の産業革命遺産『九州・山口の近代化産業遺産群』を2015年世界文化遺産の登録に向けて福岡県・佐賀県・長崎県・熊本県・鹿児島県・山口県・岩手県・静岡県・北九州市・大牟田市・中間市・佐賀市・長崎市・荒尾市・鹿児島市・萩市・釜石市・伊豆の国市の県や市の行政や推進地域が手を合わせて世界文化遺産に向かって頑張っています。世界遺産は「文化遺産 779件」 「自然遺産 197件」 「複合遺産 31件」 に分類され現在世界で1007件がユネスコ(UNESCO)によって登録されています。
世界文化遺産として登録されるには、
① 資産が「顕著で普遍的な価値」があると認められること。
② 国内における万全の保護措置が図られている事。
③ 「世界遺産条約の履行のための作業指針(2005年)」の登録基準に適合することが条件となっている。
以下宇城市教育委員会 世界遺産推進室の「三角西港の世界遺産登録に向けた取り組み」 史料より抜粋
※資産の概要
(1)本遺跡群の資産の範囲
19世紀後半より20世紀初頭にかけて、日本国は半世紀で産業国家に変貌した。推薦資産は明治期の重工業(製鉄・鉄鋼・造船・石炭産業)における急速な産業化の道程を時間軸に沿って証言する産業遺産群(現役産業施設を含む)により構成されている。推薦資産を構成する資産は九州・山口地域を中心に、全国8県11市に立地し、地理的に分散をしているが、群として資産全体で世界遺産価値を有し。一つの範囲を構成している。(シリアルノミネーションとして登録を目指す)・・複数の資産を、同じ歴史ー文化郡のまとまりとして関連づけ、全体で顕著な普遍的価値を有するものとして、世界遺産に推薦すること
(2)重工業(製鉄・鉄鋼・造船・石炭産業)は、日本経済の屋台骨を支える基幹産業である。
幕末から明治後期にかけて、日本は工業立国の経済的基盤を築き、奇跡とも呼ばれる急速な産業化を果たした。20世紀初頭には、非西欧地域において、他に先駆け、最初の産業国家として国家の質を変革した。アメリカ軍東インド艦隊の江戸湾来航以来、徳川幕府が開国の方針に改めた後、僅か半世紀で、重工業の急速な産業化を進め、国家の質を変革し、産業国家の礎を築いたことは、技術、産業、社会経済に関わる世界の歴史的発展段階において、きわめて、歴史的価値、技術的価値、文化的価値の高い特筆すべき類稀な事象である。
明治日本の産業革命遺産 ・・世界遺産に登録されたらいいな。
最近このイチジクの木もあまり見かけなくなりました

イチジクは漢字にすると無花果とかきます
「無花果」の字は、花を咲かせずに実をつけるように見えることに由来しています。花は実際には存在するのですが花が実の中に隠れて咲くという変わった咲き方をします。イチジクを割ると中に白っぽい、ピンクっぽいツブツブが無数にありますアレが花です。私たちは花が咲いている状態を食べています。 イチジクは、クワ科イチジク属の落葉高木でまた、その果実のことを言います。原産地はアラビア南部。不老長寿の果物とも言われます。イチジクの歴史は古く、旧約聖書の創世記「アダムとイブ」の物語にも登場します。
『さいるいう』となりましたか・・
小暑(しょうしょ)は、二十四節気の第11番目。定気法では太陽黄経が105度のときで7月7日ごろ、期間としてはこの日から、次の節気の大暑前日までを言います。季節としては梅雨明けが近付き、暑さが本格的になるころで小暑の終わりごろに夏の土用があります。7月7日といえば七夕です。織姫と彦星が年に1度の逢瀬をする日とされていますが、旧暦の七夕は1ヶ月ほど先で、新暦では梅雨明け前で天の川も霞みがちです。七夕に降る雨を「洒涙雨(さいるいう)」というのですが、織姫と彦星が逢瀬のあとで流す涙雨、あるいは逢瀬が叶わなかった哀しみの雨といわれており、七夕の雨の切なさが伝わってきます。ちなみに、新婚のふたりが天の川を隔てて離れ離れにされたのは、愛しさのあまりいつも一緒で仕事をしなくなったから。星空を眺めながら仕事や恋、これからのことを考えてみるのも、子どもの頃とは違う七夕の過ごし方と言えましょう。
今朝の雨は天の川が氾濫したのではと思えるほど雷を伴うすごい雨でした。地上での被害が心配です。・・織姫と彦星 七夕伝説の中ではいつまでも年を取りませんね・・そんな世界に生きてみたい。
小暑(しょうしょ)は、二十四節気の第11番目。定気法では太陽黄経が105度のときで7月7日ごろ、期間としてはこの日から、次の節気の大暑前日までを言います。季節としては梅雨明けが近付き、暑さが本格的になるころで小暑の終わりごろに夏の土用があります。7月7日といえば七夕です。織姫と彦星が年に1度の逢瀬をする日とされていますが、旧暦の七夕は1ヶ月ほど先で、新暦では梅雨明け前で天の川も霞みがちです。七夕に降る雨を「洒涙雨(さいるいう)」というのですが、織姫と彦星が逢瀬のあとで流す涙雨、あるいは逢瀬が叶わなかった哀しみの雨といわれており、七夕の雨の切なさが伝わってきます。ちなみに、新婚のふたりが天の川を隔てて離れ離れにされたのは、愛しさのあまりいつも一緒で仕事をしなくなったから。星空を眺めながら仕事や恋、これからのことを考えてみるのも、子どもの頃とは違う七夕の過ごし方と言えましょう。

今朝の雨は天の川が氾濫したのではと思えるほど雷を伴うすごい雨でした。地上での被害が心配です。・・織姫と彦星 七夕伝説の中ではいつまでも年を取りませんね・・そんな世界に生きてみたい。

七夕を明日にひかえて今日の朝はかすかな雨が降っています。昼からはもう少しきつくなるそうですが・・・
七月六日に降る雨を洗車雨と呼ぶそうです。七夕伝説において彦星が織姫に会う際に使用する、牽牛が牽く牛車を洗う水になぞらえているとされています。ちなみに、七月七日の七夕当日に降る雨は酒涙雨(催涙雨:さいるいう)と呼ぶそうです。
昔の人、雨にいろいろな名前を付けてロマンを感じますね。明日の夜は晴れが良いですね。

7月2日に八代市立図書館で杉山幹郎先生による文学講座がありました。この先生のお話は非常に面白くて人気が有ります今回は『飛び出せ国語教室』と言う題目で文章の書き方を話されました。話の中で八代市の熊本総合病院・島田信也院長の病院設立時の話の中に医学の神様の話が少しありましたので調べてみました。医学関係の方は多分ご存知の方が多いと思います。
アスクレーピオスは、ギリシア神話に登場する名医であり現在も医学の守護神として医学の象徴的存在となっている。アスクレーピオスはギリシャ神話に登場する悲劇の医者である。アスクレーピオスは蛇によって薬草の存在を知りました。アスクレーピオスは杖に蛇をまとわりつかせ、未開の地に放って人を噛ませ、その人間が口にした薬草で助かるか否かによりその効能を確かめたと言われています。生まれる前から母親を殺され、善行を行いながらも神罰を受け、現在でも彼ではなく、彼が持っていた杖の方が医学の象徴とされその杖はアスクレーピオスの杖と呼ばれています。

熊本総合病院のどこかにこの絵があるそうです。

七夕以外の夏の句は・・
たたかれて 昼の蚊(か)をはく 木魚(もくぎょ)かな・・夏目漱石
夏草や つわものどもが 夢の跡(あと)・・松尾芭蕉
五月雨を 集めてはやし 最上(もがみ)川
六月や 峰(みね)に雲置く 嵐山(あらしやま)
万緑の 中や吾子(あこ)の歯 生え初(そ)むる・・中村草田男 1901~1983 高浜虚子に入門。句集『長子』『火の鳥』『万緑』など。
富士ひとつ うずみ残して 若葉かな・・与謝蕪村 1716~1783 摂津国に生まれる。
ぼたん散って うち重なりぬ ニ三片(にさんぺん)
夕立や 草葉をつかむ むら雀(すずめ)
①目には青葉 山ほととぎす 初がつお・・山口素堂 1642 - 1716 江戸時代前期の俳人である。
②やれ打つな はえが手をする 足をする・・小林一茶 1763~1827 信濃国の農民の長男として生まれる。『おらが春』
七月の青嶺まぢかく溶鉱炉・・山口誓子 、1901 - 1994 京都府京都市出身の俳人 高浜虚子に師事 「新興俳句 運動」の指導者的な存在
夏の句を探してみると色々な句が有りますが、①の句は視覚・聴覚・味覚を兼ね揃えたすばらしい俳句です。また②はどうか助けてくださいと命乞いをする様がうかがえて面白い句ですね。7月を詠んだ句は七月と青嶺のわかり易く夏の季語が続く山口誓子の俳句も面白いとおもいます。
夏は案外思ったほどに長いものです。わずか十五文字の俳句の世界ですが、句の中から目に浮かぶもの、音が耳に聞こえてくるもの、においが感じられるもの、舌鼓するものなど、一つ一つの言葉がまるで魔術師が発している呪文のように思えます。
せせらぎに耳すますごと半夏生 中村禎子
半夏生は雑節(ざっせつの一つで半夏(烏柄杓 からすびしゃく ・サトイモ科の多年草)という薬草が生える頃 名前の由来は「半夏」の「生」える時期にあたることから半夏生と呼ばれるようになりました
雑節とは、二十四節気・五節句などの暦日のほかに、季節の移り変りをより適確に掴むために設けられた、特別な暦日のことである。
一般に雑節と呼ばれるのは、次の9つである。
節分
彼岸
社日
八十八夜
入梅
半夏生・・天球上の黄経100度の点を太陽が通過する日となっている。夏至の日から数えて11日目毎年7月2日頃にあたる
土用
二百十日
二百二十日
これに、初午((はつうま). 2月最初の午(うま)の日)・三元(上元・中元・下元)、盂蘭盆、大祓を加える場合もある。
半夏生は、
梅雨明け間近(地域によっては梅雨明けすぐ)の頃を示しています。 農業が中心だった頃の日本では農家にとって半夏生は大切な節目の日でした。
「チュウ(夏至)ははずせ、ハンゲ(半夏生)は待つな」ということわざや
「半夏半作」・・半夏以降の田植えは、はなはだしく収穫が減少する。という意味の言葉があり夏至の日以降、半夏生に入る前までに田植えを済ませて、半夏生の日以降は田植えをしないという習慣がありました。

半夏生は雑節(ざっせつの一つで半夏(烏柄杓 からすびしゃく ・サトイモ科の多年草)という薬草が生える頃 名前の由来は「半夏」の「生」える時期にあたることから半夏生と呼ばれるようになりました
雑節とは、二十四節気・五節句などの暦日のほかに、季節の移り変りをより適確に掴むために設けられた、特別な暦日のことである。
一般に雑節と呼ばれるのは、次の9つである。
節分
彼岸
社日
八十八夜
入梅
半夏生・・天球上の黄経100度の点を太陽が通過する日となっている。夏至の日から数えて11日目毎年7月2日頃にあたる
土用
二百十日
二百二十日
これに、初午((はつうま). 2月最初の午(うま)の日)・三元(上元・中元・下元)、盂蘭盆、大祓を加える場合もある。
半夏生は、
梅雨明け間近(地域によっては梅雨明けすぐ)の頃を示しています。 農業が中心だった頃の日本では農家にとって半夏生は大切な節目の日でした。
「チュウ(夏至)ははずせ、ハンゲ(半夏生)は待つな」ということわざや
「半夏半作」・・半夏以降の田植えは、はなはだしく収穫が減少する。という意味の言葉があり夏至の日以降、半夏生に入る前までに田植えを済ませて、半夏生の日以降は田植えをしないという習慣がありました。
