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Posted by おてもやん at
八重の17歳年上の兄・・">この人無しでは八重の生涯、同志社大学の存在、維新後の京都府政の活性化、新政府の西郷隆盛は語れないと言われています。それほどまでにこの人の生き方や考え方が多くの人達に影響を与えました。会津藩砲術師範の子として生まれ、藩校日新館で学び文武兵学を青年期に取得する、22歳で江戸に出て勝海舟らと佐久間象山に学ぶ。京都守護職に就任した藩主・松平容保に従い禁門の変に於いて勲功を挙げ公用人に任ぜられるそれにより幕府や諸藩の名士との交わりが広がりその後の活躍に繋がる。その後鳥羽・伏見の戦いに敗れ薩摩藩邸に捕らわれの身となる。この頃、目がほとんど見えない(白内障)身でありながら獄中で起草した「管見」・・中身は政治・経済・教育・衣食住・貿易など22項目に及ぶ建白書を上程、これを読んだ西郷隆盛達は敬服しました。明治政府の文明政策の草案に寄与します。その後岩倉具視の訪問により釈放されます。明治3年(覚馬42歳)京都府顧問として府政を指導する、京都府の洋式工業を中心とする勧業は覚馬が立案した計画を植村正直(後の知事)が実行、近代化の道を歩みました。天皇が居なくなり荒んだ京都が徐々に活気づいていきます。明治4年に母と八重を京都に呼びます。新島襄との関わりはこれからです。まさに失明武士が近代京都の生みの親となって行きます。人の繋がりが歴史を作るんですねにっこり  


Posted by マー君 at 13:20Comments(0)歴史
八重の桜は新島八重のお話です八重の事はNHKのドラマの中で1年かけて詳しく解ってくると思います。こんな言い方は良くないかも知れませんが女ながらに本当に凄い人です。この人の周りはびっくりするような凄い人ばかりです。兄貴も凄いし2番目の旦那も凄い・・・新島襄・・・幕末の頃密航して渡米その頃の名は七五三太(しめた)外人には呼びにくい名であったのでジョーと呼ばれていた。(帰国して名を襄と改名)ハーディー夫妻と言う非常に面倒見のいい夫婦に出合い彼らの資金援助を受けてアメリカの大学(アマースト大学)を卒業、日本人初の「理学士」学士取得をなしこの大学の時の縁で札幌農学校のクラーク博士が来日する事に成ります。初めは密入国者であったが初代駐米大使の森有礼により正式な留学生として認可を受ける。1872年アメリカ訪問中の岩倉使節団と会い木戸孝允(桂小五郎)が通訳として使節団に加えるその後ヨーロッパに渡り各国歴訪、国の教育制度の仕事に携わりますその後今の同志社大学を設立、この頃に山本覚馬や八重の出会い有ります。そのほか大隈重信、井上馨、岩崎弥之助、渋沢栄一、土倉庄三郎、板垣退助、勝海舟などの著名人との幅広い交友が有ります。  


Posted by マー君 at 12:20Comments(0)歴史
毎日次がら次へと色々な出来事が起こります。アルジェリアの人質事件は天然ガス関連施設で働く日本人を含め色々な国の人達がこの事件の犠牲者に成っています。また事件が起きて武装勢力を鎮圧するまでに、日本、アメリカ、イギリスなどの人質関係国から人質の安全確保を優先に解決をと言う願いもむなしく、大勢の犠牲者(安否不明)が出ています。本当に痛ましい事です。ただ考えなければならない事は日本から何千キロも離れた所で働いておられる方達のお蔭で私達の毎日の生活が保たれていると言う事。何もない日本を豊かにしてくれているのは、色んな人特に海外に出て頑張っている人の貢献度が非常に高いと思われます。戦争や紛争などの争い事が無い世の中に何故成らないのでしょうか?私達が平穏に生きると言う事の難しさ・・・真剣に考え無ければなりません。みんなが笑顔で暮らせる世の中にしたいものです。  


Posted by マー君 at 13:56Comments(0)出来事

2013年01月16日

彦一を世に出した作家

1935年小山勝清[球磨郡相良村出身・・旧球磨郡四浦村春山]が雑誌「少年倶楽部」に「彦一とんち話」の連載を開始する。この人は「それからの武蔵」の著書で知られています。鹿本高校[旧鹿本中学]卒業後、労働運動、農民運動を経て柳田国男(民俗学の第一人者)に師事し民俗学に関心を持ち、児童文学の創作「彦一とんち話」でデビュー。彦一を活字として世に出したのは小山勝清が初めてです。それまで彦一の話は八代地方の民話として語り継がれて来ました。民俗学との関連性はこの語り継ぐという行為、ここに小山勝清は民話の再生に取り組む事に成ったと思われます。
1946年には木下順二(東京生まれ、小学4年~旧五高まで熊本)劇作家が「彦市(ひこいち)ばなし」を加筆せずに発表しました。代表作に「夕鶴」があります。
現在地元(八代)の吉住酸素工業株式会社さんが「とんち彦一ばなし」50話をネットのページに遺して戴いています。にっこり
1月9日・・・市立図書館講座…講師前山光則氏参考  


Posted by マー君 at 12:35Comments(0)講座
うるうる今日[1/8]の読売新聞の「顔」と言うコラムに野上友一さん(54歳)の記事が載っています。ラクビーの全国高校大会で優勝した[常翔学園の指導者歴30年]さんです。常翔学園って余り聞かないと思ったら昔は大工大付属高校と言っていました。新聞に載っている先生は良く太ってにこやかな顔で笑っておられます。でも昔はそうでも無かったようです、選手が指示どおりのプレーをしなければ厳しく叱っていたそうです。ニュージーランドへ遠征した時にラクビーを楽しんで自由なプレーをする現地の子供たちを見て、教え子たちが萎縮しているのに気づき指導の仕方をガラッと変えたそうです。そして今年の全国大会の優勝です。監督としては1995年に1度優勝を経験しているそうですが、指導者としての変わり様がいい結果をもたらせたいい例じゃないかと思います。
大阪の体罰が原因で生徒が自殺した事件がニュースになっていますが、厳しく指導する事だけが指導者ではありません。常に顧みる気持ちを持つ事が大切では無いでしょうか?  


Posted by マー君 at 14:21Comments(0)出来事
びっくり再稼働容認 首長54% 「条件付き」大勢・・・原発30キロ圏・・・認めず18%・・・地域経済や雇用考慮
原発事故対策の重要区域に含まれる135市町村の首長さんの考えだそうです。のど元過ぎれば暑さ忘れる・・・1年、2年と過ぎて行けば目先の事しか考えなくなるんでしょうか?
東京電力福島第一原発周辺では手抜き除染の問題で昨年の夏以来苦情が殺到していたそうです。苦情を受けていた役所は場当たり的な対応を重ねるだけで、環境省も対応はなおざりのまま・・・いったい私たちの国はどうなって行くんでしょうね????????????人の痛みがわかる・・・被害にあった人達は今もなお大勢の人々が苦しんでおられるのに。
自分達より先の世代の人達が「生まれてきて良かった」・・・そう思える様な世の中に成って欲しいものです。  


Posted by マー君 at 14:57Comments(0)つぶやき
NHKの大河ドラマ「八重の桜」がそろそろ始まります。八重役を演ずる綾瀬はるかさんは頻繁に新聞やテレビに出てきます。今回のドラマは2年前に東北で震災事故が起きたので東北の皆さんを元気付ける意味合いもあり、東北の会津若松を中心とした時代劇を取り上げたようです。会津若松は白虎隊で有名なのですが、今回はほぼ同時期の砲術指南の家に生まれた女子のお話になったようです。でもこの方を調べていると本当に驚かされる事が一杯・・・でも素晴らしい日本女性です。八重さんの話はこれくらいにして、ドラマの中で良く使われる言葉・・・「ならぬことはならぬものです」・・[什の掟]は江戸時代、会津の武士の子供の心構えです。それも6歳~9歳までの日新館へ入学する前の子供の心得なんです。日新館は藩校で人材育成の為に作られた学校で1000人以上の子供[10歳以上]が通っていました。
①年長者の言う事に背いてはなりませぬ
②年長者には御辞儀をしなければなりませぬ
③虚言をいふ事はなりませぬ
④卑怯な振舞をしてはなりませぬ
⑤弱い者をいじめてはなりませぬ
⑥戸外で物を食べてはなりませぬ
⑦戸外で婦人と言葉を交えてはなりませぬ
ならぬことはならぬものです
什の掟の内容です、掟を破ったら子供達で作った罰が有りました。①無念②シッペイ③絶交など・・けっこうその内容は掟を破るものには厳しい制裁でした。時には親、兄等が謝罪に廻ることも有ったようです。町内を細かく分けて什というお互い目が届く程度の数人のグループを作ったとの事、・・・・・
今このような教えが続いていれば学校でのいぢめの問題なんて子供同士できちんと解決しているのにと思います。
昔の方が優れていたと思う事は歴史を調べるとよくありますにっこり  


Posted by マー君 at 16:21Comments(0)歴史