1935年に小山勝清[球磨郡相良村出身・・旧球磨郡四浦村春山]が雑誌「少年倶楽部」に「彦一とんち話」の連載を開始する。この人は「それからの武蔵」の著書で知られています。鹿本高校[旧鹿本中学]卒業後、労働運動、農民運動を経て柳田国男(民俗学の第一人者)に師事し民俗学に関心を持ち、児童文学の創作「彦一とんち話」でデビュー。彦一を活字として世に出したのは小山勝清が初めてです。それまで彦一の話は八代地方の民話として語り継がれて来ました。民俗学との関連性はこの語り継ぐという行為、ここに小山勝清は民話の再生に取り組む事に成ったと思われます。
1946年には木下順二(東京生まれ、小学4年~旧五高まで熊本)劇作家が「彦市(ひこいち)ばなし」を加筆せずに発表しました。代表作に「夕鶴」があります。
現在地元(八代)の吉住酸素工業株式会社さんが「とんち彦一ばなし」50話をネットのページに遺して戴いています。
1月9日・・・市立図書館講座…講師前山光則氏参考
1946年には木下順二(東京生まれ、小学4年~旧五高まで熊本)劇作家が「彦市(ひこいち)ばなし」を加筆せずに発表しました。代表作に「夕鶴」があります。
現在地元(八代)の吉住酸素工業株式会社さんが「とんち彦一ばなし」50話をネットのページに遺して戴いています。

1月9日・・・市立図書館講座…講師前山光則氏参考