江戸後期の国学者、歌人 (1792~1864) 熊本藩士で御番方、御小姓などに勤め、若くして隠居し同じ熊本の国学者長瀬真幸(まさき)の指導の元、本居宣長系統の国学を修める。長崎で国学者育成に尽力し、晩年は大阪にも進出し西日本各地の国学者、歌人と交際、文久1年(1861)には藩校「時習館」の国学師範となる。
熊本にはいろいろ立派な偉い人がいますね!
くまもと県民カレッジ 熊本文学コース
熊本にはいろいろ立派な偉い人がいますね!

くまもと県民カレッジ 熊本文学コース
人吉出身の日本近代歯科医学のパイオニアで苦学をして天皇家の侍医を明治・大正・昭和3代に渡ってつとめた歴史上の人物です。 (1862~1929)文久2年~昭和4年
幼い時に父母を亡くし人並み外れた苦労の末、渡米し歯科医に成りますが、そのかげには、江島後藤太、美山貫一などの協力者がいます。
偉人と言われる方は、その後の学者などによりその人の人物像はいろいろと解明されますが、偉人を支えた協力者たちは深く研究される事は余り有りません。
一井正典が上京する際、渡米するとき、フィラデルフィアデンタルカレッジへの入学から卒業まで資金援助を続けた江島五藤太という人物はどんな人であったのか?非常に興味が湧きました。
くまもと県民カレッジ「歴史、文化、自然」再発見講座
幼い時に父母を亡くし人並み外れた苦労の末、渡米し歯科医に成りますが、そのかげには、江島後藤太、美山貫一などの協力者がいます。
偉人と言われる方は、その後の学者などによりその人の人物像はいろいろと解明されますが、偉人を支えた協力者たちは深く研究される事は余り有りません。
一井正典が上京する際、渡米するとき、フィラデルフィアデンタルカレッジへの入学から卒業まで資金援助を続けた江島五藤太という人物はどんな人であったのか?非常に興味が湧きました。

くまもと県民カレッジ「歴史、文化、自然」再発見講座
京都大学の山中伸弥教授がips細胞を作製してノーベル医学生理学賞に輝きました。人類史に刻まれる快挙だと思います。近い将来ips細胞で難病から救われる人々がいっぱい出る世の中になればいいなと期待します。

Posted by マー君 at
13:16
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昨日(10月6日)・・・松橋収蔵庫での講座・・・・肥後孝子傳・・・・・・高森町安藤家資料
江戸時代中期以降に忠孝を重んずる儒学の思想が各地に広まりました。各藩で忠孝傳が編纂され「肥後忠孝傳」もそのひとつです。幕府は寛政の改革の一環として、寛政元年(1789)から善行者の調査を実施し、寛政12年(1800)に「孝義録」を刊行しています。熊本では宝暦の改革(1751~1763・・・藩政改革)の頃に孝子表彰が始まっており幕府や他藩の先駆けとなています。
江戸時代中期以降に忠孝を重んずる儒学の思想が各地に広まりました。各藩で忠孝傳が編纂され「肥後忠孝傳」もそのひとつです。幕府は寛政の改革の一環として、寛政元年(1789)から善行者の調査を実施し、寛政12年(1800)に「孝義録」を刊行しています。熊本では宝暦の改革(1751~1763・・・藩政改革)の頃に孝子表彰が始まっており幕府や他藩の先駆けとなています。
