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Posted by おてもやん at

2013年02月28日

仏画へのいざない②

同名の講座が2/26に八代図書館でもありました。市内のお寺から集められた色んな仏画についての説明が主な内容です。仏画は信仰の対象として、また仏や宗派の教えを広く正しく伝えるために制作されています。仏教が庶民にまで広く信仰された時代には仏画は視覚に訴えて仏の教えを説く役割を果たしています。お釈迦様の命日(2月15日)は宗派を超えて多くの寺院で涅槃図を掲げて追悼行事「涅槃会」が行われます。鎌倉新仏教の寺院では宗派毎に宗祖の命日に祖師絵伝(宗祖の生涯を絵画にまとめたもの)を掛けて僧侶が信徒にその徳をたたえました。浄土宗・法然 浄土真宗・親鸞 臨済宗・栄西 曹洞宗・道元 日蓮宗・日蓮などの祖師絵伝があります。仏画の特徴はどの仏画も非常に緻密に描かれていますし物語的な描かれ方をしたものも少なくはありません。信仰の対象にされたものですので、それなりに貴重な物であり歴史ある物が多いように思います。時間が有ればぜひ八代博物館に足を運んで見てください。にっこり  


Posted by マー君 at 10:20Comments(0)講座
八重の兄、山本覚馬には2人の奥さんが居られました。1人目は宇良(うら)この人との間にはと言う娘が生まれます、横井小楠の長男、横井時雄(後の同志社総長)と結婚 逸子・平馬 2人の子供をもうけますが平馬を生んだ後すぐに亡くなります。覚馬の2人目の奥さん時栄は覚馬が京都で知り合った若い世話人「愛人」でした。覚馬の妹八重よりも随分年下の女性です。時栄この人との間には久栄が生まれます。八重の姪っ子になります。山本久栄16歳の時に3つ年上の徳富蘆花(小説家・・ 横井小楠門下の俊英であった父徳富一敬の次男として肥後国(熊本県水俣)に生まれる。熊本バンドの1人として同志社英学校に学びキリスト教の影響を受けトルストイに傾倒する。「兄は徳富蘇峰・・ 日本で初めてのジャーナリスト」)に見初められ婚約までしますが、新島襄・八重夫婦の反対も有り最後は分かれてしまいます。蘆花の初恋の相手でした。後に蘆花の告白小説「黒い眼と茶色の眼」大正6年(1917)著の中で色の眼の彼女として久栄は描かれます。NHK「八重の桜」の主人公新島八重にまつわるお話は、いろいろな歴史を残しています。NHKのドラマの中には蘆花と久栄の恋物語は出てこないかも知れませんが、時栄や久栄はいずれでてきます。にっこり  


Posted by マー君 at 09:38Comments(0)歴史

2013年02月25日

仏画へのいざない

八代市立博物館未来の森ミュージアムで、2月15日~3月24日まで「仏画へのいざない」と題して八代市のお寺や博物館が所蔵する仏画35点が、展示されています。この展示に際して昨日2月24日博物館で、崇城大学の中西 真美子教授の「仏画に描かれたお釈迦様と阿弥陀様」と言う講演がありました。欧米諸国ではキリスト教やイスラム教などの宗教画は広く知られていますが仏画に関しては頭の中には有るもののどうも今の我々には関心が浅かったように思います。日本の絵は江戸時代に浮世絵をはじめ風景画などがキリスト教の宣教師などによって相当多くの品々が持ち出されましたが、宗教画の持ち出しは宗教上の理由で少なかったようです。そうした理由により各地のお寺には色々な仏画が残っています。仏画を代表するものとして「釈迦涅槃図」「当麻曼荼羅図」があります。「仏画」は絵画で表現された仏の姿を描いたものです。当麻曼荼羅図ではお釈迦様を中心に極楽浄土を描いたものですが絵の上下左右に幾つかのますに左下から時計回りで説明図が施されています。当時の人達が曼荼羅図を見て理解できるように工夫されたものらしいです。勉強になりました。にっこり  


Posted by マー君 at 09:17Comments(0)講座
19歳少年 懲役5~8年 無免許で軽乗用車を運転しかも30時間以上眠っていない状態で集団登校中の児童等の列に時速50キロ以上で突っ込み3人死亡、7人に重軽傷を負わせた亀岡の暴走事件の判決です。地裁の判決では「結果重大だが反省」遺族は求刑より軽い判決「納得できない」と言っています。危険運転致死傷罪の適用もない、交通事故とは言え再三の無免許運転しかも30時間も寝ずに運転、こんな人が5~8年刑務所に入って果たしてまともに更生が出来るのか、法律は誰のためにあるのか 被害者の為? 加害者の為?・・考えさせられます。世の中おかしな方向に向いてはいませんか?びっくり  


Posted by マー君 at 12:05Comments(0)世の中
各地でお雛祭りが開催される時期に成りました。親から子へ、子から孫へ受け継がれる歴史です。地元八代のお雛祭りも、もう11回目になります。八代コース 日奈久コースのスタンプラリーも同時開催されています。松浜軒では八代には語り継ぎたい雛が有る~日本一幸せな夫婦の物語~松井家に伝えられる雛人形の中でとくに、夫婦愛を伝える雛として松井家10代章之(てるゆき)(1813~1887)の夫人(琴姫)や娘(加屋姫)孫娘(こう姫)のものが残っています。天保10年3月(1839)に購入された雛は前年に嫁いできた琴姫の雛で、同じものが5組残っているそうです。琴姫は松井家の主君であり、熊本藩主である細川家の遠い親戚にあたる茂木細川家(下野国谷田部藩主)の姫様藩主がすすめた縁談でした。見ず知らずの土地にやってきて、江戸育ちの姫様はどんなに心細かったことでしょう。そんな新妻の為に夫の章之公が5組もの雛をわざわざ京都麩屋町の人形専門店から取り寄せたものです。章之のやさしい人柄が偲ばれます。お二人の夫婦仲は良かったようで、6人のお子様をもうけられました。
松浜軒には、ほかに琴姫の長女加屋姫の雛(天保11年・1840年製)、孫娘こう姫の雛(元治2年・1865年製)など細々したかわいらしい雛道具がかざられています。
今日2/19八代市図書館に於いて「松浜軒のお雛様」と題して八代市文化まちづくり課の山崎 摂さんの講義がありました市役所職員の方ですが松井家の古文書をひもといてみんなに解りやすく八代(松浜軒)の雛人形の講演をされました。にっこり  


Posted by マー君 at 19:37Comments(0)
教育ルネサンス[愛国心」についての読者の反響国家の意味や領土の重要性について現場で教えられていない現状を憂うとともに、教師の領土や国家に対する意識の低さが問題、これらの問題について国や行政の取り組みが学校現場に伝わっていない現状が浮き彫りに成りました。領土問題では、「もう、他国にあげちゃえば、いいのに」と簡単に答える子が多いーと言う。今の日本人の多くは「自由はただではない」と言う事を学ばずに育ってきた。「私たちは、先人が命を懸けた時代の上に生きている」ある教師の決意として[自分ももっと深く勉強して真の国際人を育てたい」という意見も有りました。戦後における公共心の希薄化やモラルの荒廃が愛国教育の欠如を「戦後民主主義教育の一側面」によってもたらされた。2002年 新学習指導要領がはじまり(国を愛する心情の育成)を唱えていますが、2009年10月2日のエコノミスト誌にこの誌の調査結果で世界33か国中、自国に対する誇りが最も低い国は日本であると発表しています。何か考えさせられませんか?「ドナルド・キーンさんの指摘に留飲が下がった」 「裕福な人ほど思いやりがない気がしてさびしい」などの声が多数寄せられたそうです。  


Posted by マー君 at 15:14Comments(0)記事

2013年02月09日

ドナルド・キーン

教育ルネサンス「愛国心」と言う2/9の読売新聞の記事に70年以上日本を研究されて日本文学や日本文化を欧米に紹介し数多くの業績を残しておられるアメリカ合衆国出身で昨年日本国籍を取得したドナルド・キーン(90歳)さんが日本人の「愛国心」についてこの様に綴っておられます。日本人は「愛国心」を持っているが行動に欠けている。
東日本大震災で東北はあれだけの被害を受けた。工場がつぶれて働く場がなくなり、自殺者まで出ているのに、今では募金活動も少なくなった。お金がない訳ではありません。年末年始の海外渡航者の数を見てください。私は、日本国籍を取るまで、日本の事を悪く言ったことは一度もない。しかし、今では日本人としての責任が有るので言わせていただきます。
愛国心はあっても、助け合いの形になっていない。・・・・・・・・・・苦しい時こそ助け合える。そこまでできる愛国心が必要です。昔の日本人にはそういうところがありました。・・・・・云々。
70年以上日本を見てこられた方なので核心をついた意見と思います。トップが「互助」を示せと言われています。
13日に反響が掲載されます。
太平洋戦争終戦直前、年老いて病気の為、国のお役に立てない吾身を悲しみ自殺した犬童球溪(熊本県人吉出身の明治生まれの文化人)・・・
何か考えさせられます。うるうる  


Posted by マー君 at 16:26Comments(0)世の中
「我が死なば焼きて砕きて粉にして 御国の畑のこやしともせよ」
「わが墓は萩に包めよ鳴く虫の 妙なる声に安らく眠らん」
犬童球溪の辞世二首です。
1943年10月(65歳)病苦と闘いながら「日本の非常時(戦争)に何もお役にたてなくて申し訳ない。いきているかいがない」と周囲に語り同様の遺書を残して自ら命を絶ちます。
犬童球溪ならではの愛国心の表れと思います。壮絶な人生です。
「球溪」は故郷球磨川の渓流から取ったペンネームです。故郷の自然を愛し、家族を愛し、生涯に360余編の作詞作曲を手掛けました、犬童球溪の生家は今も人吉市内の閑静な住宅街の一角に残っています。
  


Posted by マー君 at 16:14Comments(0)講座
少し遅れて行ったのですが昨日(2/6)、八代市立図書館で文学講座が有りました。教室に入ると何か懐かしい昔を想い出させるようなメロディーの歌声が耳に飛び込んできました。---♪♪更け行く秋の夜 旅の空の わびしき思いに ひとりなやむ・・・
小さな頃に学校で習い誰もが口ずさんできた「旅愁」です。この曲はもともとアメリカのオードウェイの「dreaming of home and mother]と言う曲に犬童球溪(いんどうきゅうけい)が直訳ではなく作詞したものです。この詩の生まれた背景には球溪の非常に悲しむべき人生での体験が有ります.球溪は明治12年熊本県人吉市の農家の次男として生まれます本名 信蔵と言います。明治38年東京音楽学校[現 東京芸術大学]を苦学して卒業後、音楽の教師として兵庫県の柏原中学校(現 高校)に赴任します。その頃は男子校で日露戦争で、荒れる生徒の心を和らげるための授業が、生徒の度重なる妨害の為授業にならず、ついには病気に成ってしまい赴任したその年の12月に辞職をします。
その後、新潟高等女学校(現 新潟中央高校)に転任。「旅愁」は教師として初めて赴任した柏原中学校での苦悩に明け暮れた思いが新潟時代の球溪に作らせた詞であると言われています。いま「いじめ」の問題が色々と取沙汰されていますが、昔も今も変わらないところが有るようです。これは先生が生徒をとは逆になっていますが「いじめ」は「いじめ」です。でも球溪は苦悩の中から素晴らしい名曲を遺してくれました。「旅愁」は球溪27歳の時の作品です。同じ年に「故郷の廃家」・・・♪♪幾年ふるさと 来てみれば 咲く花鳴く鳥 そよぐ風 ・・・・・も作詞しています。流石、熊本県人ひょえー
講座の講師は前山 光則氏でした。  


Posted by マー君 at 13:13Comments(0)講座