上2枚の写真は22日に益城町に地層剝ぎ取りに行った時、メンバーの方から木山変成岩です、こちらはaso1ですと2番目の産総研が剥ぎ取り調査を行った場所で見つけて貰ったものです。木山変成岩は益城町津森金山川流域の地質概説に「この地域の基盤をなしている岩体は,木山変成岩及び蛇紋岩。木山変成岩は蛇紋岩のメランジュの中にブロックとして取り込まれ,地下深所から持ち上げられてきたと考えられている。
層状含銅硫化鉄鉱床は木山変成岩の緑色片岩体中にできている。」と説明があります。
緑色及び黒色片岩はいずれも堆積岩が低レベルな変成作用を受けた岩石です。青色片岩は青色片岩の青色の鉱物が低温ながら高圧の条件がないとできないもので、緑色や黒色片岩のように変成帯の縁辺部の低温・低圧で出来るものとは違うものです。
木山変成岩の名前の出どころはわかりませんでした。
aso1については岩石では調べようがなく、火砕流堆積物で調べると株式会社情報開発研究所のDORONE MOVIE 「岡城~竹田の阿蘇火砕流堆積物」中に阿蘇火砕流の項目で・・阿蘇山周辺地帯の地質調査により約30万年前ごろから4回の大規模な火砕流が派生し、それを古い順にaso-1、aso-2、aso-3、aso-4と呼びます。この動画の中の岡城址周辺は8万7千年前のaso-4火砕流によって堆積した地層の上にあり、長年の自然による変化のなかでも、現在もその痕跡をつぶさに見ることが出来ます。
【特設】 阿蘇火砕流堆積物が作った城下町竹田では地球科学的な価値を持つ遺産として「阿蘇ジオパーク」や「おおいた豊後大野ジオパーク」が保全管理する、地域自然遺産の間に位置する竹田市は「aso-1火砕流」から「aso-4火砕流」すべての痕跡や地形、地層を見ることが出来ます。その特徴的な街並みと地形を説明を踏まえて紹介させていただきます。
ドローン空撮で普段見れない場所まで断層などがきれいな形で撮影してありますのでaso-1~aso4までの堆積物の特徴が良く見て取れます。
この情報開発研究所の動画はわかり易いのでぜひ見てください。
※メランジュ (Mélange) とは、地質図に表せる程の広がりを持つ地質体であり、泥岩などの基質中に、数センチメートルから数キロメートルに達する様々な大きさ・種類の異地性・準原地性の岩塊が含まれているもの。岩塊は堆積岩起源のもの、変成岩起源のもの、火成岩起源のものなどさまざま。

みんなで勉強!
10時より代陽公民館で熊本日日新聞社の鹿本成人氏の「日奈久断層のこれから」という講演があり聞きに行ってきました。昨年の熊本地震の話がほとんどでした。話の中で興味を引いたことがあります。熊本地震が起きたことに付いて、「専門家は知っていた」、「マスコミも報道していた」
という話です。実際に熊本日日新聞の記事として2013年3月、4月に残っているそうです。
そして
●地震が起きそうな場所はだいたい分かる。
●起きる地震の規模も分かる。
●ただし「いつか」はわからない。
●しかしいつかは「必ず」起きる。
現在地震についてこの4つの事がわかっている事だと締め括られました。
新聞に目を通してからの話なので内容はよく理解できました。

朝刊の第1面の記事です。
30年以内に震度6以上 熊本市危険性横ばい 7.6%地震後も下がらず 「今後も備えを」
政府の地震調査委員会は27日、今後30年間に震度6以上の揺れに見舞われる確率を示す「全国地震動予測地図」の2017年版(1月1日時点)を公表した。熊本地震のあった熊本市は7.6%で、地震発生前の16年版から横ばい。全国では、1年経過した間に南海トラフ地震を起こすプレートのひずみが蓄積し、東海から九州東部にかけてわずか確率が上昇した。・・・
今後30年以内に震度6弱以上の揺れに見舞われる確率(%)
福岡市 8.2(0.1)
佐賀市 8.2(0.0)
長崎市 2.6(0.0)
熊本市 7.6(0.0)
大分市 56(1.0)
宮崎市 44(1.0)
鹿児島市 18(0.0)
※2017年版、かっこ内は16年版からの増減(ポイント)市役所のある地域の数値
調査委は、熊本市の確立に変化がなかった事について、熊本地震を起こした断層帯の一部で危険性が低下したものの、周辺になお強い揺れを起こす恐れのある活断層がある為としている。
熊本地震のように活断層のずれで起きる内陸地震の発生間隔は数千年から数万年単位とされ、30年間の予測では数値は大きく変わらない傾向があり、調査委は「大きな地震があった後だからといって油断することなく、地震に備えてほしい」としている。
県庁所在地で確率が最も高かったのは千葉市の85%。水戸、横浜両市も81%と高く、いずれも首都直下地震や相模湾から房総半島沖に延びる相模トラフでの地震が想定されている。南海トラフ沿いでは高知市(74%)、静岡市(69%)、名古屋市(46%)、大分市、宮崎市などで1ポイント上昇した。昨年夏に活断層の評価を見直した中国地方では最大約3ポイント上がった。
調査委は確率について、3%以上を「高い」、0.1~3%未満を「やや高い」と区分しており、「数%だと一見低く見えるが、日本には強い地震に見舞われない場所はないと知ってほしい」としている。
全国地震動予測地図は05年度に初めて公表。ほぼ毎年改定している。震度6弱では、耐震化されていない建物が倒壊する恐れがある。評価は防災科学技術研究所のホームページ「地震ハザードステーション」で後日公開、住所から確率を検索できる。
西日本新聞 2017・04・28

「今後も備えを」
という話です。実際に熊本日日新聞の記事として2013年3月、4月に残っているそうです。
そして
●地震が起きそうな場所はだいたい分かる。
●起きる地震の規模も分かる。
●ただし「いつか」はわからない。
●しかしいつかは「必ず」起きる。
現在地震についてこの4つの事がわかっている事だと締め括られました。
新聞に目を通してからの話なので内容はよく理解できました。

朝刊の第1面の記事です。
30年以内に震度6以上 熊本市危険性横ばい 7.6%地震後も下がらず 「今後も備えを」
政府の地震調査委員会は27日、今後30年間に震度6以上の揺れに見舞われる確率を示す「全国地震動予測地図」の2017年版(1月1日時点)を公表した。熊本地震のあった熊本市は7.6%で、地震発生前の16年版から横ばい。全国では、1年経過した間に南海トラフ地震を起こすプレートのひずみが蓄積し、東海から九州東部にかけてわずか確率が上昇した。・・・
今後30年以内に震度6弱以上の揺れに見舞われる確率(%)
福岡市 8.2(0.1)
佐賀市 8.2(0.0)
長崎市 2.6(0.0)
熊本市 7.6(0.0)
大分市 56(1.0)
宮崎市 44(1.0)
鹿児島市 18(0.0)
※2017年版、かっこ内は16年版からの増減(ポイント)市役所のある地域の数値
調査委は、熊本市の確立に変化がなかった事について、熊本地震を起こした断層帯の一部で危険性が低下したものの、周辺になお強い揺れを起こす恐れのある活断層がある為としている。
熊本地震のように活断層のずれで起きる内陸地震の発生間隔は数千年から数万年単位とされ、30年間の予測では数値は大きく変わらない傾向があり、調査委は「大きな地震があった後だからといって油断することなく、地震に備えてほしい」としている。
県庁所在地で確率が最も高かったのは千葉市の85%。水戸、横浜両市も81%と高く、いずれも首都直下地震や相模湾から房総半島沖に延びる相模トラフでの地震が想定されている。南海トラフ沿いでは高知市(74%)、静岡市(69%)、名古屋市(46%)、大分市、宮崎市などで1ポイント上昇した。昨年夏に活断層の評価を見直した中国地方では最大約3ポイント上がった。
調査委は確率について、3%以上を「高い」、0.1~3%未満を「やや高い」と区分しており、「数%だと一見低く見えるが、日本には強い地震に見舞われない場所はないと知ってほしい」としている。
全国地震動予測地図は05年度に初めて公表。ほぼ毎年改定している。震度6弱では、耐震化されていない建物が倒壊する恐れがある。評価は防災科学技術研究所のホームページ「地震ハザードステーション」で後日公開、住所から確率を検索できる。
西日本新聞 2017・04・28

「今後も備えを」

今日の新聞第1面はつい先日、記者会見で東京電力福島第1原発事故に伴う自主避難者の帰還について「本人の責任」と発言して問題になった、今村雅弘復興相がまた二階派のパーティーでの講演中に大震災は「東北でよかった」との不適切発言でついに辞任に追い込まれたというニュースである。
普通に聞けば聞き流せることかも知れませんが、自分が復興相という立場にいることをまるで意識していない軽すぎる発言は責められても仕方ありません。福島以外で暮らしている人たちの意識のなかには〝自分の所でなくて良かった〟という意識は少なからず持っていると思います。
もしこの事故が首都圏などで起っていたら、死者の数や社会的損害は福島どころではありません。皆そう思っているのです。
でも決して口に出してはいけない事や、云うからには誰もが納得する様に丁寧に話さなければならない事なのです。
被災者と真面目に向き合い、寄り添える人が復興担当大臣としてのまずもっての資質ではないでしょうか。
この大臣も資質には欠けたかもしれませんが、任命した安倍首相も案外口だけの総理大臣かもしれません。
〝こだま〟という読者投稿欄に「確かに。」と頷ける投稿がありましたので紹介します。
国民願う方向 逆を行く政治
二之宮雅子=58
本紙3月の平野啓一郎さんの是論「『批判疲れ』と政治腐敗」を読み、深く共感しました。
国民主権のはずが、原発再稼働でも安全保障関連法にしても、国民の多数が願っている方向とは逆の決定が国会でなされています。もう、すっかり慣れてきましたって?
残業は繁忙期に100時間が上限になるという。信じられません。実働20日なら、毎日5時間の残業です。安倍首相や財界の皆さんは働く人をロボットか、使い捨てと勘違いしていませんか。
もっと命や人を大切にする社会であってほしい。道徳教育が一番、必要なのは誰でしょうか。
格差社会を肯定し、「米国第一」のためには沖縄に負担を強いる政治家、経済のためには原発再稼働が必要という財界の皆さんのように思えてなりません。
私たち国民はごまめの歯ぎしりと言われようが、小さなことでも考えて行動していきたいものです。
(福岡県水巻町・主婦)
西日本新聞 こだま 2017・4・26

●鱓の歯軋り、ごまめの歯ぎしり
実力のない者がいたずらに苛立ったり、悔しがることのたとえ
ごまめ(鱓)は片口鰯(かたくちいわし)の幼魚を干したもの。また、それを調理したもの。正月料理の田作り。
ごまめは小さくても尾頭付きの祝魚だが、高級魚でなく軽視されることが多いので、実力のない者のたとえとして使われ、「歯ぎしり」と結びついて憤慨する意になった。

このこだま、跳ね返ってくるよう応援します
4月21日(金)~6月4日(日) 八代市立博物館で「丸山応挙」作品の展示会が行われています。実はこの展覧会は、昨年も同じ企画で同じ時期に開催予定だったのですが、開催を次の日に迎えた14日の夜、熊本地震が起きてやむなくこの企画は昨年は中止せざるを得ない結果となりました。作品を無傷で相国寺に返さなくてはの想い一筋に、当館学芸員総出で展示物はすべてその日のうちに倉庫に納めたそうです。博物館にはほかの展示物もあり片づけは大変だったそうです。23日(日)に博物館学芸員の鳥津亮二氏の「丸山応挙」~展覧会鑑賞のツボという題名で展覧会講座が2時からありました。話は昨年の地震の話から始まり今回再び「丸山応挙」展覧会を開けるようになった経緯から始まりました。その大きな要因の一つは、あの地震にも関わらず作品に傷一つ付けずに貸主の相国寺に戻した事です。相国寺もあの八代ならという思いで昨年と同様1点も違わず、26点の作品を貸して呉れたそうです。お互いの想いが通じ合って信頼感が生まれた結果です。
八代市は熊本地震復興祈念として昨年同様の「丸山応挙」展を春季特別博覧会に選びました。
円山応挙(1733~1795)は江戸時代中期(18世紀)に京都で活躍した絵師です。
自然や事物の美しさをありのまま描く「写生」を追及し、従来の日本の絵画観に画期的な変革をもたらした近世絵画の巨匠です。
相国寺とは・・相国寺(しょうこくじ)は、日本の禅寺。京都市上京区にある臨済宗相国寺派大本山の寺である。
本尊は釈迦如来、開基(創立者)は足利義満、開山(初代住職)は夢窓疎石である。
京都の観光名所として著名な鹿苑寺(金閣寺)、慈照寺(銀閣寺)は、相国寺の山外塔頭(さんがいたっちゅう)である。
スライドを使って応挙の絵について説明する鳥津亮二氏
円山応挙 略年表
●1733 享保18 1歳 丹波国桑田郡穴太村(京都府亀岡市)で、農業を営む丸山藤左衛門の次男として生まれる。
11,12歳の頃に京都に出たという説あり。
●1747 延享4 15歳 この頃、京都四条新町東入の岩城という呉服屋に奉公したという。
のち、四条富小路西入町の玩具商・尾張屋勘兵衛の世話になるという。
●1748 寛延元 16歳 この頃、尾張屋勘兵衛の店にて眼鏡絵を描くという。
●1749 寛延2 17歳 この頃、狩野派の画家・石田幽汀の門に入り、本格的に絵の勉強を始める(15歳説もあり)。
●1755 宝暦5 23歳 この頃、「氐」「一嘯」の書名を用いる。
●1759 宝暦9 27歳 この頃、「夏雲」「主水」の書名を用いる。
●1765 明和2 33歳 この頃から「仙嶺」の書名を用いる。
この年、円満院(滋賀県)祐常門主の『萬誌』に「丸山左源太」の名がみえる。
祐常門主との関係がはじまり、このころ「七難七福図巻」作成を依頼されたか。
●1766 明和3 34歳 この年に応挙と改め、以降「應擧之印」「仲選」の白文方印を生涯使用する。長男応瑞が生まれる。
●1768 明和5 36歳 3月、『平安人物志』画家の部の2人目に掲載、「四条麴屋町西入町」に住む。「七難七福図巻」完成する。
●1769 明和6 37歳 円満院雪之間の襖絵(千葉市美術館所蔵)や「雪中山水図屏風」を描く。
●1771 明和8 39歳 「牡丹孔雀図」を描く。
●1772 安永元 40歳 この頃から豪商三井家との関係が始まるか。「大瀑布図」を描く
●1781 天明元 49歳 光格天皇の即位大礼のために「牡丹孔雀図屏風」を描く。この頃から、源姓を名乗るか。
●1782 天明2 50歳 7月、『平安人物志』画家の部の筆頭に掲載される。「四条堺町東入町」に住む。
●1784 天明4 52歳 閏正月、愛知明眼院(現東京国立博物館)に「老松図壁貼付」などを描く。
「薔薇文鳥図」、「朝顔図」、「山水図扇面」を描く。
●1785 天明5 53歳 3月、紀州草堂寺(和歌山県)に「雪梅図襖」などを描く。
●1786 天明6 54歳 10月、紀州無量寺(和歌山県)に「山水図壁貼付」などを描く。「釈迦十六善神像」を描く。
●1787 天明7 55歳 夏、金刀比羅宮(香川県)に「遊鶴図襖」などを描く。12月、大乗寺(兵庫県)に「山水図襖」などを描く。 ●1788 天明8 56歳 正月、天明の大火にあい、五条鴨川東の喜雲院に呉春と同居する。6月、郷里亀岡の金剛寺に「群仙図襖」「山水図襖」「波濤図襖」などを描く。
●1790 寛政2 58歳 この年、御所造営が行われ、応挙は一門を率いて障壁画制作に力を注ぐ。恭礼門院御殿(現相国寺開山堂)に「雪中山水図」を描き、この応瑞は杉戸絵を描く。
●1791 寛政3 59歳 2月、東本願寺岐阜別院(現東本願寺桜下亭)に襖絵を描く。
●1795 寛政7 63歳 7月17日没す。四条大宮西入悟真寺(現在太秦に移転)に葬られる。
※太字は今回展示作品

益城町堂園で、益城町、東北大、広島大、東洋大、熊大が協力して今回(昨年4月)の地震の横ずれ断層をトレンチしました。熊本市立博物館がはぎ取り標本を作製することになったので、はぎ取り標本作製に協力できる人は集まって下さいとの内容で「くまもとの大地の成り立ち」および「阿蘇火山調査会」会員に川路先生から20日に連絡が入り、22日の朝に熊本のグランメッセに集合しました。
家にじっとしているよりは少しでも何かの役に立てればと勉強がてら出席しました。現地には益城町の係りの方や、熊本市立博物館の担当者の方がすでに来ておられて、今回のトレンチによる調査の報告を簡単にしていただきました。
以前松橋収蔵庫で剥ぎ取り標本は見たことはありますが、現地で実際に標本作成の手伝いや作成現場を見るのは初めてです。
地層剥ぎ取りの方法は、露頭に直接接着剤を噴きつ け、ガラス繊維や布などで裏打ちをして固化後に露頭 表面を薄く剥離させることによって地層資料を採取す る手法(接状剥離法)のことです。今回は裏打ち材としては寒冷紗を使い接着剤はトマックNS-10というウレタン合成樹脂剤材を使いました。裏打ち材も接着剤も他に種類はいろいろあるそうです。
製作された標本は 実際とは鏡反転し、左右や凹凸が逆になるものの、地 層の連続的な層位関係をそのまま実物で採取すること ができる。また構成粒子の多くを切断することなく採 取できるため、鎌などで削り出された露頭面と比べて、 粒径や粒子の配列などの特徴をより明瞭に再現ができます。
地層は、地球科学を研究する上で欠かせない非常に 重要な対象であるが、化石や岩石、鉱物などとは異な り、標本として単純に収集・保存することが容易では ない。しかし「地層剥ぎ取り」という技法を用いると、 地層の表面をそのまま剥がし取って、露頭の原状のま ま実物標本化することができる。 地層剥ぎ取り技法(接状剥離法)とは、露頭に接着 剤を直接噴きつけてガラス繊維や布などで裏打ちを し、固化後に露頭表面を薄く剥離させることによって 地層資料を採取する手法のことです。
民家のすぐ左に用水路がありますが1年前の地震でずれ動いたままで残っています。
用水路の右のコンクリートで造った壁が1回転して左側の壁に倒れこんでいます。
ずれ動いた断層もそのまま残っています。
断層に沿って細い道路を挟んですぐ傍に今回のトレンチ場所があります(益城町堂園)。
トレンチした場所にも今回の断層がきれいに出ています。


今回のトレンチ観測で分かったことを説明される広島大学名誉教授と熊本市立博物館の学芸員の方。

剥ぎ取る為の下処理として剥ぎ取り箇所に霧吹きで水を噴霧します。(接着剤が水と反応して固まる為)


水を噴霧した場所に寒冷紗を貼り付けます。


寒冷紗が地面にぴったりくっつくように細かくピン止めを行います。



寒冷紗が部分的に浮かないようにゴム手袋をはめた手で地面をたたいて寒冷紗と壁を一体化します。

刷毛で丁寧に接着剤を寒冷紗に塗り付けて行きます。接着剤は色々あるそうですが今回はトマックNS-10(三恒商事株式 会社)というウレタン合成樹脂剤を使いました。接着剤が乾くのに天候にもよりますが2~3時間かかるそうです。



時間待ちが終わりいよいよ剥ぎ取りの工程です。寒冷紗の両サイドをヘラで深く溝を作って接着剤を塗られた壁を剝がし易いようにします。
大事な工程なので川路先生と市立博物館の学芸員の方が行い、剥ぎ取りは上の方から丁寧に剥がしとりました。



接着剤が乾くまでの時間帯を利用して産総研が掘った益城町寺迫第一トレンチの見学と昼食をとることにしました。


寺迫トレンチに立ててある説明板を利用して布田川断層について説明される川路先生。






寺迫の布田川断層では黒い地層と白い地層が縞模様のようにトレンチの中で見ることができます。現地におられた学芸員の方から2000年前に大きな地震が起りずれた層から弥生時代の土器の破片が見つかったそうです。ここではその外4000年前そして6500年前にも同規模の地震が起った痕跡が見つかったそうです。他のトレンチ箇所からも同様の層が見つかり、この地域の布田川断層では約2000年ごとに大きな地震が起きている事がわかったそうです。
※地層剥ぎ取りの部分は石浜佐栄子(神奈川県立生命の星・地球博物館)さんの論文を参考に書かせて頂きました。
みんなで頑張ろう。お互いに注意!
家にじっとしているよりは少しでも何かの役に立てればと勉強がてら出席しました。現地には益城町の係りの方や、熊本市立博物館の担当者の方がすでに来ておられて、今回のトレンチによる調査の報告を簡単にしていただきました。
以前松橋収蔵庫で剥ぎ取り標本は見たことはありますが、現地で実際に標本作成の手伝いや作成現場を見るのは初めてです。
地層剥ぎ取りの方法は、露頭に直接接着剤を噴きつ け、ガラス繊維や布などで裏打ちをして固化後に露頭 表面を薄く剥離させることによって地層資料を採取す る手法(接状剥離法)のことです。今回は裏打ち材としては寒冷紗を使い接着剤はトマックNS-10というウレタン合成樹脂剤材を使いました。裏打ち材も接着剤も他に種類はいろいろあるそうです。
製作された標本は 実際とは鏡反転し、左右や凹凸が逆になるものの、地 層の連続的な層位関係をそのまま実物で採取すること ができる。また構成粒子の多くを切断することなく採 取できるため、鎌などで削り出された露頭面と比べて、 粒径や粒子の配列などの特徴をより明瞭に再現ができます。
地層は、地球科学を研究する上で欠かせない非常に 重要な対象であるが、化石や岩石、鉱物などとは異な り、標本として単純に収集・保存することが容易では ない。しかし「地層剥ぎ取り」という技法を用いると、 地層の表面をそのまま剥がし取って、露頭の原状のま ま実物標本化することができる。 地層剥ぎ取り技法(接状剥離法)とは、露頭に接着 剤を直接噴きつけてガラス繊維や布などで裏打ちを し、固化後に露頭表面を薄く剥離させることによって 地層資料を採取する手法のことです。
今回のトレンチ観測で分かったことを説明される広島大学名誉教授と熊本市立博物館の学芸員の方。
剥ぎ取る為の下処理として剥ぎ取り箇所に霧吹きで水を噴霧します。(接着剤が水と反応して固まる為)
水を噴霧した場所に寒冷紗を貼り付けます。
寒冷紗が地面にぴったりくっつくように細かくピン止めを行います。
寒冷紗が部分的に浮かないようにゴム手袋をはめた手で地面をたたいて寒冷紗と壁を一体化します。
刷毛で丁寧に接着剤を寒冷紗に塗り付けて行きます。接着剤は色々あるそうですが今回はトマックNS-10(三恒商事株式 会社)というウレタン合成樹脂剤を使いました。接着剤が乾くのに天候にもよりますが2~3時間かかるそうです。
時間待ちが終わりいよいよ剥ぎ取りの工程です。寒冷紗の両サイドをヘラで深く溝を作って接着剤を塗られた壁を剝がし易いようにします。
大事な工程なので川路先生と市立博物館の学芸員の方が行い、剥ぎ取りは上の方から丁寧に剥がしとりました。
接着剤が乾くまでの時間帯を利用して産総研が掘った益城町寺迫第一トレンチの見学と昼食をとることにしました。
寺迫トレンチに立ててある説明板を利用して布田川断層について説明される川路先生。
寺迫の布田川断層では黒い地層と白い地層が縞模様のようにトレンチの中で見ることができます。現地におられた学芸員の方から2000年前に大きな地震が起りずれた層から弥生時代の土器の破片が見つかったそうです。ここではその外4000年前そして6500年前にも同規模の地震が起った痕跡が見つかったそうです。他のトレンチ箇所からも同様の層が見つかり、この地域の布田川断層では約2000年ごとに大きな地震が起きている事がわかったそうです。
※地層剥ぎ取りの部分は石浜佐栄子(神奈川県立生命の星・地球博物館)さんの論文を参考に書かせて頂きました。

このお話は広津崇亮助教(九大)のチームが嗅覚に優れた線虫ががんを見分けることについてネイチャーに論文を発表したことから、2年前からマスコミに取り上げられ、学内でベンチャー企業も立ち上げ日立製作所との共同研究により検査工程の自動化にもほぼめどが立ちかけた状態の誇らしい話を〝春秋〟が話の切り口としてうまく使いました。

体長1ミリほどの小さな生き物にがんを発見させる仕組みを九州大研究チームと企業が開発した。嗅覚に優れた線虫が、がん患者の尿に集まる性質を利用したそうだ
►がんを見分ける確率は93・8%というから驚く。線虫の動きを観察し、がんの疑いの有無を自動で判定する装置を試作した。実用化すれば数千円程度で検査できるという
►線虫は非常に種類が多く、地中に潜んで作物に被害を与える種類は農家の大敵。松を枯らすものは「松くい虫」と呼ばれる。人に寄生して病気を引き起こす蟯(ぎょう)虫や回虫も線虫の仲間だ
►政権に潜む病根を嗅ぎ分ける「線虫」がほしい、と安倍晋三首相は思うかもしれない。閣僚らの失言、失態に歯止めがかからないからだ。「共謀罪」法案は国会提出後に議論すべきだ、との文書を記者に配った法相。被災地視察で長靴を持たず職員に背負われたことを巡り、「長靴業界はもうかったんじゃないか」と言った内閣府政務官
►まだ続く。森友学園が起こした訴訟で「(弁護士として)裁判を行ったこともない」と国会答弁し、翌日に「記憶違い」と謝罪した防衛相。原発事故の自主避難者を「本人の責任」と突き放した復興相。「学芸員はがんだ」と批判した地方創生担当相。女性問題で辞任した経済産業政務官
►任命した首相の「嗅覚」に問題があるのか。1強政権のおごりが内閣をむしばんでいるのか。国民が判定しなければ。
=2017/04/21付 西日本新聞朝刊=

体長1ミリほどの小さな生き物にがんを発見させる仕組みを九州大研究チームと企業が開発した。嗅覚に優れた線虫が、がん患者の尿に集まる性質を利用したそうだ
►がんを見分ける確率は93・8%というから驚く。線虫の動きを観察し、がんの疑いの有無を自動で判定する装置を試作した。実用化すれば数千円程度で検査できるという
►線虫は非常に種類が多く、地中に潜んで作物に被害を与える種類は農家の大敵。松を枯らすものは「松くい虫」と呼ばれる。人に寄生して病気を引き起こす蟯(ぎょう)虫や回虫も線虫の仲間だ
►政権に潜む病根を嗅ぎ分ける「線虫」がほしい、と安倍晋三首相は思うかもしれない。閣僚らの失言、失態に歯止めがかからないからだ。「共謀罪」法案は国会提出後に議論すべきだ、との文書を記者に配った法相。被災地視察で長靴を持たず職員に背負われたことを巡り、「長靴業界はもうかったんじゃないか」と言った内閣府政務官
►まだ続く。森友学園が起こした訴訟で「(弁護士として)裁判を行ったこともない」と国会答弁し、翌日に「記憶違い」と謝罪した防衛相。原発事故の自主避難者を「本人の責任」と突き放した復興相。「学芸員はがんだ」と批判した地方創生担当相。女性問題で辞任した経済産業政務官
►任命した首相の「嗅覚」に問題があるのか。1強政権のおごりが内閣をむしばんでいるのか。国民が判定しなければ。
=2017/04/21付 西日本新聞朝刊=
いつもこの記事を書く人はどこからネタを仕入れるのだろう。決められた文字数で誰にでもわかる事件やニュースをうまく繋ぎ合わせて、そして核心に触れていく、今日は何の日?〝メキシコ湾の原油流出事故〝これはウィキペディアの年表の中にこの事故の記事があります。7年前の今日の事故です。私たちは時間とともに大きな事故や事件のことをあまり振り返らない生活を送っているようです。それどころか次から次えと目まぐるしいほどに問題が起っています。でも少し立ち止まって時間に流されるだけではなく、真剣に考える事を忘れてはいけません。今日はこの記事を読んでそんなことを思いました。


油まみれになった「黒いペリカン」の写真を思い出す。2010年のきょう、米南部ルイジアナ州沖のメキシコ湾で起きた世界最大級の原油流出事故だ
►海上の石油掘削施設で、海底油田から漏れ出した天然ガスが爆発、大火災が起き、作業員11人が死亡した。それから約3カ月にわたり78万キロリットルの原油が海に流出したとされる。環境にも深刻な影響が。多くの野鳥の死骸が見つかり、周辺海域は長期間禁漁になった
►この実話に基づいた米映画「バーニング・オーシャン」があす公開される。映画は、掘削作業が計画より大幅に遅れていた点に着目。会社側が強引に作業を急がせ、必要なテストや手順を省いたことが事故につながったとの立場から描いている
►印象に残るシーンがある。事故の直前に着任した主任技師がなぜ必要なテストを行っていないのかと問うた。作業員らは「マネー、マネー、マネー」と歌う。会社側の責任者が経費を削るため、テストは不要と指示したからだ
►大きな事故が起きるたびに、手間や費用を惜しまなければ、悲劇は防げていたのでは、という後悔が付きまとう。例えば、東日本大震災による福島原発の事故。津波の可能性は予見されており、配電設備を高台に移しておけば事故は防げた、との司法判断も示された
►のど元過ぎれば何とやら。経済性を錦の御旗に原発回帰が進む。どこからか「マネー」の歌が聞こえてくる。

=2017/04/20付 西日本新聞朝刊=



油まみれになった「黒いペリカン」の写真を思い出す。2010年のきょう、米南部ルイジアナ州沖のメキシコ湾で起きた世界最大級の原油流出事故だ
►海上の石油掘削施設で、海底油田から漏れ出した天然ガスが爆発、大火災が起き、作業員11人が死亡した。それから約3カ月にわたり78万キロリットルの原油が海に流出したとされる。環境にも深刻な影響が。多くの野鳥の死骸が見つかり、周辺海域は長期間禁漁になった
►この実話に基づいた米映画「バーニング・オーシャン」があす公開される。映画は、掘削作業が計画より大幅に遅れていた点に着目。会社側が強引に作業を急がせ、必要なテストや手順を省いたことが事故につながったとの立場から描いている
►印象に残るシーンがある。事故の直前に着任した主任技師がなぜ必要なテストを行っていないのかと問うた。作業員らは「マネー、マネー、マネー」と歌う。会社側の責任者が経費を削るため、テストは不要と指示したからだ
►大きな事故が起きるたびに、手間や費用を惜しまなければ、悲劇は防げていたのでは、という後悔が付きまとう。例えば、東日本大震災による福島原発の事故。津波の可能性は予見されており、配電設備を高台に移しておけば事故は防げた、との司法判断も示された
►のど元過ぎれば何とやら。経済性を錦の御旗に原発回帰が進む。どこからか「マネー」の歌が聞こえてくる。

=2017/04/20付 西日本新聞朝刊=

何日か前の西日本新聞ジュニアこだまに、10歳の子供が熊本地震で傷つきながらもかろうじてそびえている熊本城の姿を見て、その姿が熊本県に勇気を与えていると作文を書いています。
数十この石で城をささえる
佐藤 真夕(まゆ)=10
私は新かんせんで家族と熊本へ行きました。
目的は熊本城を見ることです。
車でお城に向かっている時、ブルーシートのかかった家や、全てくずれて空き家になった家などがありました。
熊本城に着くと、真っ白な美しい城というイメージとは、かけはなれていました。
石がきはくずれ落ち、城のうしろはぐちゃぐちゃでした。
お城のおくに行くと、周りにあった木は根が見えて、たおれていました。
そんな中、見たらすごく元気の出るやぐらがありました。
石がきの中心はくずれ落ち、はしにあった数十この石だけで大きなやぐらをささえている姿は熊本県に勇気をあたえているかのようでした。
はやく熊本城を直して、真っ白で美しいお城が熊本県の人々に笑顔をくれる、大切なエネルギーになるといいと思います。
(福岡県古賀市・小学生)
子供の優しい気持ちが文章から伝わります。熊本県民の1人として『ありがとう』。

みんなで頑張ろう!
数十この石で城をささえる
佐藤 真夕(まゆ)=10
私は新かんせんで家族と熊本へ行きました。
目的は熊本城を見ることです。
車でお城に向かっている時、ブルーシートのかかった家や、全てくずれて空き家になった家などがありました。
熊本城に着くと、真っ白な美しい城というイメージとは、かけはなれていました。
石がきはくずれ落ち、城のうしろはぐちゃぐちゃでした。
お城のおくに行くと、周りにあった木は根が見えて、たおれていました。
そんな中、見たらすごく元気の出るやぐらがありました。
石がきの中心はくずれ落ち、はしにあった数十この石だけで大きなやぐらをささえている姿は熊本県に勇気をあたえているかのようでした。
はやく熊本城を直して、真っ白で美しいお城が熊本県の人々に笑顔をくれる、大切なエネルギーになるといいと思います。
(福岡県古賀市・小学生)
子供の優しい気持ちが文章から伝わります。熊本県民の1人として『ありがとう』。


国土交通省の国土地理院が地震についてまとめた資料があります。この資料から地震がどのようにして起こっているのか、そのメカニズムについて割とわかり易く説明されています。この次、地震はいつ起こるのか?どこで起きるのか?・・そのような問題には答えにはなりませんが、自分たちが住んでいる場所が地質学的にどういう場所なのかを知っておくことは防災上非常に大切な事だと思います。
活断層とは何か?
●地震国日本と活断層
日本及びその周辺では、世界で起こっている地震の約1/10にあたる数の地震が発生しており、観測体制が整った明治以降でも多くの人的・物的被害をもたらす地震が発生しています。なぜ、このようなことが起きるのでしょうか?
地球の表面は、「プレート」と呼ばれる板のような岩の層で覆われていますが、日本は海のプレートである太平洋プレート、フィリピン海プレートや陸のプレートである北米プレート、ユーラシアプレートなどの複数のプレートが接する境界に位置しています。海のプレートは、陸のプレートの下に1年間に数cmから10cm程度のゆっくりとした速度で沈み込んでいきますが、引きずりこまれた陸のプレートの先端部にひずみがたまり、100年~200年ぐらい経つとこのひずみの蓄積に限界がきて壊れてずれ動き、陸のプレートの先端部が跳ね返ります。このときの衝撃で起きるのが「海溝型地震」で、2011年東北地方太平洋沖地震のような巨大地震につながるケースがあります。また、沈み込む海のプレート内部で発生するのが「プレート内地震」です。日本列島は、プレートの移動により圧縮され、その押し合う力によって日本列島をのせている陸のプレート内の岩の層が壊れてずれることにより「内陸型地震」が発生します(図-1)。この地震は、地下約5~20㎞ぐらいの浅い所で起きるため、私たちの生活に大きな被害をもたらします。ここでは、この「内陸型地震」を起こす原因である「活断層」について説明します。

●断層と活断層の区別
私たちが住んでいる街の地面を掘り下げていくと最後は固い岩の層にぶつかりますが、この岩の中にはたくさんの割れ目があります。通常、この割れ目はお互いしっかりかみ合っていますが、ここに「大きな力」が加えられると、割れ目が再び壊れてずれます。この壊れてずれる現象を「断層」活動といい、そのずれた衝撃が震動として地面に伝わったものが地震です。また地下深部で地震を発生させた断層を「震源断層」、地震時に断層のずれが地表まで到達して地表にずれが生じたものを「地表地震断層」と呼んでいます(図-2)。そして「断層」のうち、特に数十万年前以降に繰り返し活動し、将来も活動すると考えられる断層のことを「活断層」と呼んでいます(第四紀(260万年前以後)中に活動した証拠のある断層すべてを「活断層」と呼ぶこともあります)。
現在、日本では2千以上もの「活断層」が見つかっていますが、地下に隠れていて地表に現れていない「活断層」もたくさんあります。国の研究機関や大学では、この「活断層」に関する各種調査を行っていますが、国土地理院では「地表における活断層の位置と形状」を詳細に調査して、「都市圏活断層図」として公開してきました。

●活断層の特徴
活断層には以下の特徴があります。
(1)一定の時間をおいて、繰り返して活動する
活断層は普段はじっとしています(断層面が固着している)が、断層面を挟む両側の岩盤には常に大きな力(ひずみ)がかかっています。そしてこのひずみが限界に来た時に岩盤が破壊され、断層に沿って両側が互いに反対方向にずれ動きます。この動きで地震が発生し、ひずみは解消されます。その後、活断層は長く動きを止め、次にひずみの限界が来るまでじっとしています。
(2)いつも同じ向きにずれる
活断層にかかる力のもとはプレート運動で、その運動の向きや速さは長期的には変化しないので、活断層にかかる力も長期的には変わりません。このため、活断層の活動は基本的には同じ動きが繰り返されます。活断層周辺の地形は、このように繰り返された動きの累積により形成されたもので、地形を見ることで活断層の動きの特徴を把握することができます。
(3)ずれの速さは断層ごとに大きく異なる
活断層が1回動いて生じるずれが数mであっても、それが繰り返されると、ずれの量は累積して次第に増加します。この増加していく速さ(平均変位速度)は断層ごとに大きな差があります。「平均変位速度」は、長期的に見た場合の活断層の平均的なずれ量を速度で示したもので、通常は1000年あたりのずれの量で表します。これによりその活断層の活動度が分かります。
(4)活動間隔は極めて長い
私たちが住んでいる日本は、しばしば直下型の大地震に見舞われるため、活断層が頻繁に動く印象を与えていますが、これは日本に活断層の数が多いためで、実は1つの活断層による大地震発生間隔は1000年から数万年と非常に長いのが特徴です。一方、海溝型地震の発生間隔はこれよりずっと短く、例えば南海トラフを震源とする地震の発生間隔は100年程度で、歴史時代に巨大地震(南海地震、東南海地震)を何回も発生させてきています。
(5)長い断層ほど大地震を起こす
断層の長さが長いものほど、大きな地震を起こす可能性があります。これまでの日本の内陸直下地震の例では、M7級の地震では長さ20㎞程度、M8級の地震では長さ80㎞程度の範囲にわたって地表のずれ(地表地震断層)が現れている例があります。
●活断層の種類
活断層は、断層運動の変位様式によって下の4つの基本タイプに整理できます(図-3)。

また、地表近くの地層が軟らかい場合などでは、活断層のずれが地表まで到達せず、断層運動による変位が軟らかい地層内で拡散する場合があります。この場合には、ある程度の幅をもった撓み(たわみ)として現われます。これを活撓曲(かつとうきょく)と呼んでいます。活撓曲は地下に断層面が伏在していますので、通常の活断層と同様に地震による被害を発生させると考えられています。また、地層が波状に変形することを褶曲(しゅうきょく)といい、特に、活断層と同様に現在も変形を続けている波状地形を活褶曲(かつしゅうきょく)と呼び、背斜(はいしゃ)と向斜(こうしゃ)があります(図-4)。

●断層活動により形成された地形(断層変位地形)
活断層が動くと地表に食い違い(変位)が生じることがありますが、断層運動の繰り返しで形成された地形を断層変位地形といいます。断層変位地形は、断層の活動度、変位様式などによってさまざまな地形が認められます。日本はその気候の特徴から浸食・堆積作用を受けやすいため、断層の活動度が低い場合には変位地形が不明瞭となったり、痕跡がなくなったりすることがあります。
図-5は、水平方向のずれの大きな横ずれ断層運動によって形成される地形の模式例を示したものです。空中写真判読による活断層調査は、2枚の空中写真を実体視しながら地形を細かく観察し、例えば下流の方が上流より高くなっている河川地形や、水の流れに直交する崖など、その形成過程が通常の浸食や堆積の作用では説明できない地形を探し、それが図-3、4で図示している断層変位地形として説明できるかどうかを判定します。さらに、その変位が数10万年前以降で現在まで累積されているか、今後も活動を繰り返す可能性があるかなどを検討して活断層であるかどうかを判定します。

毎日注意!
活断層とは何か?
●地震国日本と活断層
日本及びその周辺では、世界で起こっている地震の約1/10にあたる数の地震が発生しており、観測体制が整った明治以降でも多くの人的・物的被害をもたらす地震が発生しています。なぜ、このようなことが起きるのでしょうか?
地球の表面は、「プレート」と呼ばれる板のような岩の層で覆われていますが、日本は海のプレートである太平洋プレート、フィリピン海プレートや陸のプレートである北米プレート、ユーラシアプレートなどの複数のプレートが接する境界に位置しています。海のプレートは、陸のプレートの下に1年間に数cmから10cm程度のゆっくりとした速度で沈み込んでいきますが、引きずりこまれた陸のプレートの先端部にひずみがたまり、100年~200年ぐらい経つとこのひずみの蓄積に限界がきて壊れてずれ動き、陸のプレートの先端部が跳ね返ります。このときの衝撃で起きるのが「海溝型地震」で、2011年東北地方太平洋沖地震のような巨大地震につながるケースがあります。また、沈み込む海のプレート内部で発生するのが「プレート内地震」です。日本列島は、プレートの移動により圧縮され、その押し合う力によって日本列島をのせている陸のプレート内の岩の層が壊れてずれることにより「内陸型地震」が発生します(図-1)。この地震は、地下約5~20㎞ぐらいの浅い所で起きるため、私たちの生活に大きな被害をもたらします。ここでは、この「内陸型地震」を起こす原因である「活断層」について説明します。

●断層と活断層の区別
私たちが住んでいる街の地面を掘り下げていくと最後は固い岩の層にぶつかりますが、この岩の中にはたくさんの割れ目があります。通常、この割れ目はお互いしっかりかみ合っていますが、ここに「大きな力」が加えられると、割れ目が再び壊れてずれます。この壊れてずれる現象を「断層」活動といい、そのずれた衝撃が震動として地面に伝わったものが地震です。また地下深部で地震を発生させた断層を「震源断層」、地震時に断層のずれが地表まで到達して地表にずれが生じたものを「地表地震断層」と呼んでいます(図-2)。そして「断層」のうち、特に数十万年前以降に繰り返し活動し、将来も活動すると考えられる断層のことを「活断層」と呼んでいます(第四紀(260万年前以後)中に活動した証拠のある断層すべてを「活断層」と呼ぶこともあります)。
現在、日本では2千以上もの「活断層」が見つかっていますが、地下に隠れていて地表に現れていない「活断層」もたくさんあります。国の研究機関や大学では、この「活断層」に関する各種調査を行っていますが、国土地理院では「地表における活断層の位置と形状」を詳細に調査して、「都市圏活断層図」として公開してきました。

●活断層の特徴
活断層には以下の特徴があります。
(1)一定の時間をおいて、繰り返して活動する
活断層は普段はじっとしています(断層面が固着している)が、断層面を挟む両側の岩盤には常に大きな力(ひずみ)がかかっています。そしてこのひずみが限界に来た時に岩盤が破壊され、断層に沿って両側が互いに反対方向にずれ動きます。この動きで地震が発生し、ひずみは解消されます。その後、活断層は長く動きを止め、次にひずみの限界が来るまでじっとしています。
(2)いつも同じ向きにずれる
活断層にかかる力のもとはプレート運動で、その運動の向きや速さは長期的には変化しないので、活断層にかかる力も長期的には変わりません。このため、活断層の活動は基本的には同じ動きが繰り返されます。活断層周辺の地形は、このように繰り返された動きの累積により形成されたもので、地形を見ることで活断層の動きの特徴を把握することができます。
(3)ずれの速さは断層ごとに大きく異なる
活断層が1回動いて生じるずれが数mであっても、それが繰り返されると、ずれの量は累積して次第に増加します。この増加していく速さ(平均変位速度)は断層ごとに大きな差があります。「平均変位速度」は、長期的に見た場合の活断層の平均的なずれ量を速度で示したもので、通常は1000年あたりのずれの量で表します。これによりその活断層の活動度が分かります。
(4)活動間隔は極めて長い
私たちが住んでいる日本は、しばしば直下型の大地震に見舞われるため、活断層が頻繁に動く印象を与えていますが、これは日本に活断層の数が多いためで、実は1つの活断層による大地震発生間隔は1000年から数万年と非常に長いのが特徴です。一方、海溝型地震の発生間隔はこれよりずっと短く、例えば南海トラフを震源とする地震の発生間隔は100年程度で、歴史時代に巨大地震(南海地震、東南海地震)を何回も発生させてきています。
(5)長い断層ほど大地震を起こす
断層の長さが長いものほど、大きな地震を起こす可能性があります。これまでの日本の内陸直下地震の例では、M7級の地震では長さ20㎞程度、M8級の地震では長さ80㎞程度の範囲にわたって地表のずれ(地表地震断層)が現れている例があります。
●活断層の種類
活断層は、断層運動の変位様式によって下の4つの基本タイプに整理できます(図-3)。

また、地表近くの地層が軟らかい場合などでは、活断層のずれが地表まで到達せず、断層運動による変位が軟らかい地層内で拡散する場合があります。この場合には、ある程度の幅をもった撓み(たわみ)として現われます。これを活撓曲(かつとうきょく)と呼んでいます。活撓曲は地下に断層面が伏在していますので、通常の活断層と同様に地震による被害を発生させると考えられています。また、地層が波状に変形することを褶曲(しゅうきょく)といい、特に、活断層と同様に現在も変形を続けている波状地形を活褶曲(かつしゅうきょく)と呼び、背斜(はいしゃ)と向斜(こうしゃ)があります(図-4)。

●断層活動により形成された地形(断層変位地形)
活断層が動くと地表に食い違い(変位)が生じることがありますが、断層運動の繰り返しで形成された地形を断層変位地形といいます。断層変位地形は、断層の活動度、変位様式などによってさまざまな地形が認められます。日本はその気候の特徴から浸食・堆積作用を受けやすいため、断層の活動度が低い場合には変位地形が不明瞭となったり、痕跡がなくなったりすることがあります。
図-5は、水平方向のずれの大きな横ずれ断層運動によって形成される地形の模式例を示したものです。空中写真判読による活断層調査は、2枚の空中写真を実体視しながら地形を細かく観察し、例えば下流の方が上流より高くなっている河川地形や、水の流れに直交する崖など、その形成過程が通常の浸食や堆積の作用では説明できない地形を探し、それが図-3、4で図示している断層変位地形として説明できるかどうかを判定します。さらに、その変位が数10万年前以降で現在まで累積されているか、今後も活動を繰り返す可能性があるかなどを検討して活断層であるかどうかを判定します。


熊本地震のことは毎日新聞が他紙と比べると数多く取り扱っているので記事を参考に所どころ抜粋し勉強させてもらいました。細かく見てみるとやっぱり安心できない事がわかります。受け入れる事は受け入れてよく理解したうえで地震と向き合うことがたいせつです。
熊本地震が起きて1年、今月10日、気象庁が熊本地震についての見解を述べています。
熊本地震「引き続き活発」=大きな地震に注意-気象庁
最大震度7の地震が2回相次いだ熊本地震から1年がたつのを前に、気象庁の尾崎友亮地震情報企画官は10日の月例記者会見で、「熊本県の熊本、阿蘇地方の地震活動は全体として減衰しているが、引き続き活発だ」と述べた。「過去には大きい地震が数年後に発生したことがあり、注意が必要」という。
昨年4月14日に最初の最大震度7の地震が起きてから、熊本・大分両県では体に感じる震度1以上の地震が今月9日までに4291回発生。最大震度5弱の地震は熊本地方で昨年8月末、震度4の地震は今年1月11日に起きたのが最後だが、震度3の地震は今月9日にも起きた。
気象庁によると、揺れを感じない小さな地震も含めると、九州全体で1年間に13万回も発生。大部分が熊本地震の余震だと指摘。M3.5以上に限っても339回も起きた。最大震度7を記録した他の内陸型地震の発生後1年間を見ると、2004年の新潟県中越地震(M6.8)は200回台半ば、1995年の阪神大震災(M7.3)は100回を少し上回る程度で、熊本地震での多さが際立、小規模なものも含めて地震回数が多かったことも特徴のひとつとされる。
東北大の遠田晋次教授(地震地質学)は「九州には、分かっている活断層のほか、隠れた小さな断層もたくさんあると考えられる。それが地震の多さにつながっているのではないか。活断層の末端はほうきの穂先のように細かく広がっているという考え方があるが、まさにそんな形で震源が分布している場所もある」と述べられています。
日奈久断層帯は現在3つの区間から構成されていると考えられています。また布田川断層帯についても断層は3つに分けられています。
1、日奈久断層帯高野−白旗(しらはた)区間 - 益城町木山付近から宇城市豊野町山崎(とよのまちやまさき)付近まで、長さ約16km
2、日奈久断層帯日奈久区間 - 宇城市豊野町山崎から芦北町の御立岬(おたちみさき)付近まで、長さ約40km
3、日奈久断層帯八代海区間 - 御立岬付近から八代海南部まで、長さ約30km
布田川断層帯
1、布田川区間 阿蘇村から木山付近に位置する長さ約19km
2、宇土区間 木山付近から宇土市中心部に位置する長さ約20km
3、宇土半島北岸区間 宇土市住吉町(すみよしまち)から宇土半島北岸に沿って宇土半島先端に至る長さ約27km以上
前震は日奈久断層帯の最も北にある高野-白旗区間で起り、 本震はその北側にある布田川断層帯のうち、主に北東端の布田川区間が活動し、前震で動いた高野-白旗区間も動いた連動型地震と考えられる。地震でできた土地の亀裂など「地表地震断層」の調査結果などから分かった。さらに詳しく分析すると、高野-白旗区間で前震を起こした場所は断層が東に傾いているのに対し、本震の場所は西に傾いていることが分かってきた。 この関係から注目されるのが、前震発生から約2時間半後に起きたM6.4の余震(最大震度6強)だ。前震と本震が起きた2区間の断層の接点付近が震源になった。遠田教授は「これは前震の余震だが、断層は西に傾いていて、本震が起きた断層の形状に近い。前震に刺激されて動いた断層が、本震の断層が動く素地を作った可能性がある」と推測する。
2度も震度7を記録した熊本地震は前震と本震それぞれを起こした2本の断層帯が地下で交わるうえ、軟弱な地盤だったことが影響したとみられています。
熊本地震から今年3月末までの約1年間に、同地震の活動域を中心に九州で、揺れを感じないものも含めた地震が約13万回発生していたことが、気象庁気象研究所(茨城県つくば市)の調べで分かった。大部分は熊本地震の余震と考えられています。熊本地震発生前の1年間と比べるとおよそ22倍に上ります。

熊本地震「引き続き活発」=大きな地震に注意-気象庁
熊本地震が起きて1年、今月10日、気象庁が熊本地震についての見解を述べています。
熊本地震「引き続き活発」=大きな地震に注意-気象庁
最大震度7の地震が2回相次いだ熊本地震から1年がたつのを前に、気象庁の尾崎友亮地震情報企画官は10日の月例記者会見で、「熊本県の熊本、阿蘇地方の地震活動は全体として減衰しているが、引き続き活発だ」と述べた。「過去には大きい地震が数年後に発生したことがあり、注意が必要」という。
昨年4月14日に最初の最大震度7の地震が起きてから、熊本・大分両県では体に感じる震度1以上の地震が今月9日までに4291回発生。最大震度5弱の地震は熊本地方で昨年8月末、震度4の地震は今年1月11日に起きたのが最後だが、震度3の地震は今月9日にも起きた。
気象庁によると、揺れを感じない小さな地震も含めると、九州全体で1年間に13万回も発生。大部分が熊本地震の余震だと指摘。M3.5以上に限っても339回も起きた。最大震度7を記録した他の内陸型地震の発生後1年間を見ると、2004年の新潟県中越地震(M6.8)は200回台半ば、1995年の阪神大震災(M7.3)は100回を少し上回る程度で、熊本地震での多さが際立、小規模なものも含めて地震回数が多かったことも特徴のひとつとされる。
東北大の遠田晋次教授(地震地質学)は「九州には、分かっている活断層のほか、隠れた小さな断層もたくさんあると考えられる。それが地震の多さにつながっているのではないか。活断層の末端はほうきの穂先のように細かく広がっているという考え方があるが、まさにそんな形で震源が分布している場所もある」と述べられています。
日奈久断層帯は現在3つの区間から構成されていると考えられています。また布田川断層帯についても断層は3つに分けられています。
1、日奈久断層帯高野−白旗(しらはた)区間 - 益城町木山付近から宇城市豊野町山崎(とよのまちやまさき)付近まで、長さ約16km
2、日奈久断層帯日奈久区間 - 宇城市豊野町山崎から芦北町の御立岬(おたちみさき)付近まで、長さ約40km
3、日奈久断層帯八代海区間 - 御立岬付近から八代海南部まで、長さ約30km
布田川断層帯
1、布田川区間 阿蘇村から木山付近に位置する長さ約19km
2、宇土区間 木山付近から宇土市中心部に位置する長さ約20km
3、宇土半島北岸区間 宇土市住吉町(すみよしまち)から宇土半島北岸に沿って宇土半島先端に至る長さ約27km以上
前震は日奈久断層帯の最も北にある高野-白旗区間で起り、 本震はその北側にある布田川断層帯のうち、主に北東端の布田川区間が活動し、前震で動いた高野-白旗区間も動いた連動型地震と考えられる。地震でできた土地の亀裂など「地表地震断層」の調査結果などから分かった。さらに詳しく分析すると、高野-白旗区間で前震を起こした場所は断層が東に傾いているのに対し、本震の場所は西に傾いていることが分かってきた。 この関係から注目されるのが、前震発生から約2時間半後に起きたM6.4の余震(最大震度6強)だ。前震と本震が起きた2区間の断層の接点付近が震源になった。遠田教授は「これは前震の余震だが、断層は西に傾いていて、本震が起きた断層の形状に近い。前震に刺激されて動いた断層が、本震の断層が動く素地を作った可能性がある」と推測する。
2度も震度7を記録した熊本地震は前震と本震それぞれを起こした2本の断層帯が地下で交わるうえ、軟弱な地盤だったことが影響したとみられています。
熊本地震から今年3月末までの約1年間に、同地震の活動域を中心に九州で、揺れを感じないものも含めた地震が約13万回発生していたことが、気象庁気象研究所(茨城県つくば市)の調べで分かった。大部分は熊本地震の余震と考えられています。熊本地震発生前の1年間と比べるとおよそ22倍に上ります。


Posted by マー君 at
12:43
│Comments(0)
明日で熊本地震は丁度1年になります。地震の動きが徐々に低下するにつれて、ほぼ治まったかのように思ってしまう愚かさはなかなか改善されるものではありません。それが故にテレビや新聞などで注意喚起されることには大いに目や耳を傾け、認識を新たにすることは大事な事だと思います。

熊本〜大分 地震活動依然「活発」
気象庁は10日、昨年4月14日の熊本地震発生から今月9日の間に、熊本県から大分県中部を震源とする震度1以上の地震が4291回あったと明らかにした。「この地域では過去、大きな地震から数年以内に同程度の地震が再び起きた例もあり、引き続き警戒してほしい」と呼び掛けている。気象庁によると、熊本県の地震活動は徐々に減衰しているものの、活発な状態が続いている。3月は震度1以上の地震が25回あった。3月6日と4月9日には最大震度3を記録している。大分県中部の地震活動はほぼ収まったとみられる。また、国土地理院によると、南阿蘇村にある電子基準点「長陽」で、昨年4月17日から今月1日までに5・1センチの隆起と南西方向に5・2センチのずれを観測するなど、熊本地震の影響による地殻変動が続いている。同院は「動きは緩やかになっているが、地震前の状態に戻ったとは言えない」としている。
熊本日日新聞 04月11日
今日は何の日?カレンダーを覗いてみると
●(1293年)鎌倉で大地震。建長寺など焼失、死者2万3000人
こんな記事がありました。いわゆる鎌倉大地震です。
正応6年4月12日(1293年5月19日)、関東地方で地震が発生。建長寺を代表として多数の神社仏閣が倒壊し、多数の死者が発生した。『鎌倉大日記』では、翌日にも余震と思われる地震の記述が残されており、建造物の倒壊のほか多数の土砂災害などが発生、23,024人もの死者が発生したとされている(『武家年代記裏書』)。
鎌倉建長寺は倒壊後に炎上、由比ヶ浜の鳥居付近では140人もの死体が転がり、幾千もの死者が出たと『親玄僧正日記』に記される。
『武家年代記裏書』には大慈寺が倒壊したことが記される。
※マグニチュードは7.1と推定される。
熊本八代地域で4月のこの頃を書きぬいてみますと
●1828年(文政11)4月13日、八代地方地震5回。『年表稿』
夜4ツ時(22時)頃大地震。夜中度々揺れ、14日朝まで余震あり。高潮満ち各所浸水。4月20日、21日、24日に余震。『災異誌』
●1933年(昭和8)2月8日阿蘇で震度5。3月25日、大津で震度4。4月8日、御船で震度4。4月13日阿蘇で震度4。5月5日、阿蘇で震度4。8月16日、御船で震度5。11月10日、御船で震度4。11月20日、大津で震度5。(災害履歴DV)
昭和になって詳しく調査されるようになると、記録も細かくされるようになりひつこく場所を変えながら地震が続いている様子がわかります。
九州地震活動期 しばらくは警戒止むなし

熊本〜大分 地震活動依然「活発」
気象庁は10日、昨年4月14日の熊本地震発生から今月9日の間に、熊本県から大分県中部を震源とする震度1以上の地震が4291回あったと明らかにした。「この地域では過去、大きな地震から数年以内に同程度の地震が再び起きた例もあり、引き続き警戒してほしい」と呼び掛けている。気象庁によると、熊本県の地震活動は徐々に減衰しているものの、活発な状態が続いている。3月は震度1以上の地震が25回あった。3月6日と4月9日には最大震度3を記録している。大分県中部の地震活動はほぼ収まったとみられる。また、国土地理院によると、南阿蘇村にある電子基準点「長陽」で、昨年4月17日から今月1日までに5・1センチの隆起と南西方向に5・2センチのずれを観測するなど、熊本地震の影響による地殻変動が続いている。同院は「動きは緩やかになっているが、地震前の状態に戻ったとは言えない」としている。
熊本日日新聞 04月11日
今日は何の日?カレンダーを覗いてみると
●(1293年)鎌倉で大地震。建長寺など焼失、死者2万3000人
こんな記事がありました。いわゆる鎌倉大地震です。
正応6年4月12日(1293年5月19日)、関東地方で地震が発生。建長寺を代表として多数の神社仏閣が倒壊し、多数の死者が発生した。『鎌倉大日記』では、翌日にも余震と思われる地震の記述が残されており、建造物の倒壊のほか多数の土砂災害などが発生、23,024人もの死者が発生したとされている(『武家年代記裏書』)。
鎌倉建長寺は倒壊後に炎上、由比ヶ浜の鳥居付近では140人もの死体が転がり、幾千もの死者が出たと『親玄僧正日記』に記される。
『武家年代記裏書』には大慈寺が倒壊したことが記される。
※マグニチュードは7.1と推定される。
熊本八代地域で4月のこの頃を書きぬいてみますと
●1828年(文政11)4月13日、八代地方地震5回。『年表稿』
夜4ツ時(22時)頃大地震。夜中度々揺れ、14日朝まで余震あり。高潮満ち各所浸水。4月20日、21日、24日に余震。『災異誌』
●1933年(昭和8)2月8日阿蘇で震度5。3月25日、大津で震度4。4月8日、御船で震度4。4月13日阿蘇で震度4。5月5日、阿蘇で震度4。8月16日、御船で震度5。11月10日、御船で震度4。11月20日、大津で震度5。(災害履歴DV)
昭和になって詳しく調査されるようになると、記録も細かくされるようになりひつこく場所を変えながら地震が続いている様子がわかります。

昨日までの雨で満開の桜も幾分か散りましたがまだ何とか美しい状態を保っています。
去年は熊本地震でこの桜並木も何本か倒れました。
この市内中心部を回廊する道造りは平成6年度から始まり平成19年度に完成しました。
それから10年になりますが通勤や通学に朝晩利用されるかたわら市民の憩いの場としてウオーキングや散歩に年齢の隔たりなく利用されています。
今週末まで天気が良ければ花見を楽しむ方も増えるだろうと思われます。
=八代市緑の回廊=
昨年の4月14日は熊本地震の前震があった日である。そして本震が4月16日に起こり初めて震度7が2回観測されました。3日後の4月19日にも大きな地震があり熊本地震の地震回数は震度1以上の身体に感じる地震が7月31日までの観測において1941回を数えました。その後も回数こそ少なくなりましたがいまだに忘れた頃に地震が続いている状態です。この熊本という地域は過去から地震についての記録も残っており、細川忠利公が熊本に来られる数年前の1625年(寛永2)熊本大地震が起きています。熊本天守付近の石壁・石垣・城内屋敷が被災し煙硝蔵が爆発。死者50余名。「加藤忠広公伝記資料」※推定M5.0~6.0(推進本部HP)、その後に地震の記録として手元の資料に出てくるのは『年表稿』1642年(寛永19)、1643年(寛永20)になり忠利公が亡くなってからの資料となるので、今回古文書からの資料はその間の資料として貴重なものだと思います。
細川忠利が家臣に送った手紙の写し。石垣や建物の倒壊に対する恐怖を書いている=熊本県立美術館提供
熊本城天守閣の入り口付近で崩壊した石垣=昨年9月、熊本市撮影
熊本藩主、地震恐れ転居 江戸初期の手紙「揺れる本丸にいられず」
細川家初代熊本藩主の細川忠利(1586~1641)が1633(寛永10)年ごろに起きた大きな地震と余震を恐れ、熊本城(熊本市中央区)の本丸から、城の南側の邸宅「花畑屋敷」に生活や公務の拠点を移していたことが、熊本大の調査で分かった。
昨年4月の熊本地震後、細川藩の文献を研究している文学部付属永青文庫研究センターが江戸時代の文献などを調査して判明した。稲葉継陽センター長は「熊本地震の被災者と同じように、忠利もたび重なる余震によほど恐怖を覚えたのだろう」とみている。
同センターが江戸初期の資料約1万点を読み込むと、忠利の手紙に地震に関する記述が多いことが分かった。1633年5月、忠利が江戸にいる家臣に宛てた手紙に「本丸は逃げ場となる庭もなく、高い石垣や櫓(やぐら)、天守閣に囲まれて危なくていられない」という趣旨の記述を確認。他藩の大名に「たびたび地震で揺れるので本丸にはいられず、城下の広い花畑屋敷に住んでいる」と書き送っていたことも分かった。細川家の関係古文書によると、1633年3月~5月にたびたび地震が発生したとされる。稲葉センター長は「忠利が地震を強く警戒していることがうかがえる」と指摘する。江戸初期は災害が多く、被害を受けた熊本城の修復に追われていた記録もあった。
同センターは熊本県立美術館(熊本市中央区)と共催で、熊本地震の前震1年を迎える14日から展覧会を同美術館で開き、忠利が地震を恐れて書いた手紙などを初公開する。
=2017/04/11付 西日本新聞朝刊=
●細川忠利(1586~1641)
寛永9年(1632年)、肥後熊本藩の加藤忠広が改易されたため、その跡を受けて小倉から熊本54万石に加増移封された。忠利は熊本藩の初代藩主となり、父・忠興は隠居所として八代城に住んだ。寛永14年(1637年)の島原の乱にも参陣し、武功を挙げている。
●花畑屋敷
「御花畠」屋敷は、熊本城下の坪井川左岸に加藤清正によって遊興を楽しむための庭園付きの屋敷として慶長15年(1610年)7月頃には作事(建築工事)が行われているので同年中くらいには完成していた。寛永9年(1632年)、肥後の国守として細川氏が入国したが、熊本城本丸の御殿が不便という理由で寛永13年(1636年)6月には花畑屋敷を常の御殿として取立て、以後、庭園や建家の改修や増築を繰り返しながら幕末まで藩主の屋敷として使用した。屋敷の周囲は絵図に「五百一間六尺一寸」(約1,000m)とあり、敷地面積が約5町(約5ha)の広大な屋敷だった。西側に正門があり、北側の坪井川筋に面して舟着場があった。
明治2年(1869年)に新しく屋敷が建てられたが、翌年には城内の藩庁が花畑屋敷に移転し、明治4年(1871年)の廃藩置県で鎮西鎮台の本営に提供され、明治10年(1877年)の西南戦争では全焼した。
●永青文庫(えいせいぶんこ)は、東京都文京区目白台にある、日本・東洋の古美術を中心とした美術館である。旧熊本藩主細川家伝来の美術品、歴史資料や、16代当主細川護立の蒐集品などを収蔵し、展示、研究を行っている。運営主体は公益財団法人永青文庫。理事長は18代当主の細川護煕(元内閣総理大臣)。


熊本藩主、地震恐れ転居 江戸初期の手紙「揺れる本丸にいられず」
細川家初代熊本藩主の細川忠利(1586~1641)が1633(寛永10)年ごろに起きた大きな地震と余震を恐れ、熊本城(熊本市中央区)の本丸から、城の南側の邸宅「花畑屋敷」に生活や公務の拠点を移していたことが、熊本大の調査で分かった。
昨年4月の熊本地震後、細川藩の文献を研究している文学部付属永青文庫研究センターが江戸時代の文献などを調査して判明した。稲葉継陽センター長は「熊本地震の被災者と同じように、忠利もたび重なる余震によほど恐怖を覚えたのだろう」とみている。
同センターが江戸初期の資料約1万点を読み込むと、忠利の手紙に地震に関する記述が多いことが分かった。1633年5月、忠利が江戸にいる家臣に宛てた手紙に「本丸は逃げ場となる庭もなく、高い石垣や櫓(やぐら)、天守閣に囲まれて危なくていられない」という趣旨の記述を確認。他藩の大名に「たびたび地震で揺れるので本丸にはいられず、城下の広い花畑屋敷に住んでいる」と書き送っていたことも分かった。細川家の関係古文書によると、1633年3月~5月にたびたび地震が発生したとされる。稲葉センター長は「忠利が地震を強く警戒していることがうかがえる」と指摘する。江戸初期は災害が多く、被害を受けた熊本城の修復に追われていた記録もあった。
同センターは熊本県立美術館(熊本市中央区)と共催で、熊本地震の前震1年を迎える14日から展覧会を同美術館で開き、忠利が地震を恐れて書いた手紙などを初公開する。
=2017/04/11付 西日本新聞朝刊=
●細川忠利(1586~1641)
寛永9年(1632年)、肥後熊本藩の加藤忠広が改易されたため、その跡を受けて小倉から熊本54万石に加増移封された。忠利は熊本藩の初代藩主となり、父・忠興は隠居所として八代城に住んだ。寛永14年(1637年)の島原の乱にも参陣し、武功を挙げている。
●花畑屋敷
「御花畠」屋敷は、熊本城下の坪井川左岸に加藤清正によって遊興を楽しむための庭園付きの屋敷として慶長15年(1610年)7月頃には作事(建築工事)が行われているので同年中くらいには完成していた。寛永9年(1632年)、肥後の国守として細川氏が入国したが、熊本城本丸の御殿が不便という理由で寛永13年(1636年)6月には花畑屋敷を常の御殿として取立て、以後、庭園や建家の改修や増築を繰り返しながら幕末まで藩主の屋敷として使用した。屋敷の周囲は絵図に「五百一間六尺一寸」(約1,000m)とあり、敷地面積が約5町(約5ha)の広大な屋敷だった。西側に正門があり、北側の坪井川筋に面して舟着場があった。
明治2年(1869年)に新しく屋敷が建てられたが、翌年には城内の藩庁が花畑屋敷に移転し、明治4年(1871年)の廃藩置県で鎮西鎮台の本営に提供され、明治10年(1877年)の西南戦争では全焼した。
●永青文庫(えいせいぶんこ)は、東京都文京区目白台にある、日本・東洋の古美術を中心とした美術館である。旧熊本藩主細川家伝来の美術品、歴史資料や、16代当主細川護立の蒐集品などを収蔵し、展示、研究を行っている。運営主体は公益財団法人永青文庫。理事長は18代当主の細川護煕(元内閣総理大臣)。

妻は私人、ご本人は公人と思っていらしゃる変な夫婦の話、安倍首相と妻の昭恵夫人のことである。デイリー新潮が今日出した「傾国のファーストレディ」人生の傾き具合(2)という記事を読むとまんざら嘘偽りの内容でもない様に思えます。出しゃばり好きな夫人がどこかしこと顔を出しすぎたことをスクープ的に記事にしたものです。
真偽のほどはわかりませんのでそのことを取り上げるつもりはありません。ただこの奥様の問題で国が傾きそうな題名には共感します。
今日の本題は「上梓」、「義捐金」という文字のこと。どちらも上記のデイリー新潮の記事にあったものです。
日常使っている言葉の中に気を付けて抜き出してみると読みや意味について案外解っている様で解っていないものがあります。文中から推測してこうだろうと思って解釈しがちな事はありませんか。日本語として正確に理解していますか。「上梓」という漢字は読めなかったけれど意味は大まかにつかめました。でも言葉の語源など知る余地もありません。「義捐金」は「捐」が誤字だと思いました。意味は「義援金」と解釈しました。
辞書などを参考に調べて初めて正確な読みや正確な意味が理解できます。何々だろうで読み過ごすことでその場は通じても、得てしてそのことで間違った意味で記憶してしまうことが多いように思われます。難読語や常用漢字にない文字がでてきた場合は調べてみると目からウロコがおちることが多い様です。
「義援金」は当て字なんて本当?
「上梓」、「義捐金」、デイリー新潮の記事を紹介します。
①〝2015年11月に上梓した著書『「私」を生きる』(海竜社)〟
②〝「“元ヤクザでも今は立派な活動をしてるんだから”と支援し続け、飲み会でも矢野に“刺青見せて!”とはしゃいでいる。一方、矢野は“安倍昭恵はうちの名誉顧問や”と言って義捐金を募り、そのお金で贅沢な暮らしをしているのです」〟
①の「上梓」は「じょうし」とよみ意味は[名](スル)《梓 (あずさ) (キササゲ)の木を版木に用いたところから》
1 文字などを版木に刻むこと。
2 書物を出版すること。「論文をまとめて―する」
難読語の一つ
〔梓(あずさ)を版木に用いたことから〕
文字を版木に刻むこと。また,書物を出版すること。 「処女作を-する」
②義捐金は義援金(ともに読みはぎえんきん)
《「義援金」は当て字》
1 義捐のために寄付する金銭。
2 災害などの被害を受けた人の生活を支えるために、日本赤十字社や中央共同募金会などの団体に寄せられる寄付金。被災地の自治体に送られ、義捐金配分委員会によって被災者に公平・平等に配分される。→支援金
「寄付金」と「寄附金」、「義援金」と「義捐金」の漢字表記の違いは、下記の通りである。
「寄付金」と「寄附金」の意味に違いはなく、一般には「寄付金」が多く使われ、法令や公用文では「寄附金」が使われる。
「義援金」は、本来「義捐金」と書くが、「捐」の字が常用漢字ではないため、新聞などでは「支援」の意味から代用して「義援金」と表記される。
「捐」には「捨てる」の意味があるため、「義捐金」よりも「義援金」の方が好ましいとも言われるが、「義捐金」でいう「捨てる」は、「私財を出して(捨てて)人を助ける」という意味である。
一番上の孫が今年大学に入学しました。その報告に福岡から家族で帰ってきました。ちょうど弟夫婦も孫を連れてやって来ましたのでみんなで近くの公園に花見を楽しみました。みんなありがとう。のどかでおだやかなひとときが過ごせました。





今週の日曜日に地学の集まりがあって、その活動から学んだことをまとめるのに4日ほどかかった。まとめたものすべてを理解したわけではないが自分なりに少しは納得できるものになった。
今日の【春秋】・・・やはり出たか。と思わせる日本の大臣の失態の話である。これまでに稲田朋美防衛大臣の「戦闘」にまつわる国会での答弁に始まり、金田勝年法相の「テロ等準備罪」法案におけるあいまいな答弁、そして今回の今村雅弘復興相の発言だ。大臣の素質というものもあるかもしれませんが、この人たちのだらしない発言によって国会がまともに機能していない状態だ。折角大臣になったのだからご自分の職務に関する質問には死にもの狂いで勉強し、答える言動については後で謝ったり修正をするような会見は続けて欲しくない。国民に常に見られていることを頭に入れてまともな答弁をしてほしいものです。
今村雅弘復興相
金田勝年法相
稲田朋美防衛大臣
豊臣秀吉が軽輩のころ、主君織田信長の草履を懐で温めたのは有名な話。気難し屋の信長も感心し、出世のきっかけになった
►城主となった秀吉は鷹(たか)狩りの途中に立ち寄った寺で茶を所望した。応対した少年は最初に飲みやすいぬるめの茶、次にやや熱い茶、最後は熱い茶を出した。秀吉は少年の気配りを見込んで家臣にした。後の石田三成だ►相手の気持ちを推し量り意向に沿うように行動することが、日本の社会では昔から高く評価されてきた。人間関係の潤滑油で「おもてなし」の心にも通じよう。森友学園問題で頻出する言葉を使えば「忖度(そんたく)」。権力者の意向を推し量って官僚が動いたかどうかが焦点となっている►一方、このケースにこそ忖度は必要だった。今村雅弘復興相の発言である。福島原発事故に伴い自主避難した人たちについて「本人の責任」「本人の判断」と述べた。「裁判をすればいい」とも。事故の責任は国や東京電力にあるのに、被災者の自己責任とは。避難指示区域以外から逃げ出した人は見捨てる、ということか►自主避難者の多くは、国の放射線量基準に不安を感じ、苦渋の決断をしたはず。「好きで古里を離れているわけではない」と怒りの声が上がるのも当然だ
►今村氏は陳謝したが、つらい境遇の人に冷たい草履を履かせ、煮え湯を飲ませたようなものだ。被災者の思いを忖度できないなら、復興を担う資格はあるまい。
西日本新聞 【春秋】 2017・4・7
今日の【春秋】・・・やはり出たか。と思わせる日本の大臣の失態の話である。これまでに稲田朋美防衛大臣の「戦闘」にまつわる国会での答弁に始まり、金田勝年法相の「テロ等準備罪」法案におけるあいまいな答弁、そして今回の今村雅弘復興相の発言だ。大臣の素質というものもあるかもしれませんが、この人たちのだらしない発言によって国会がまともに機能していない状態だ。折角大臣になったのだからご自分の職務に関する質問には死にもの狂いで勉強し、答える言動については後で謝ったり修正をするような会見は続けて欲しくない。国民に常に見られていることを頭に入れてまともな答弁をしてほしいものです。



豊臣秀吉が軽輩のころ、主君織田信長の草履を懐で温めたのは有名な話。気難し屋の信長も感心し、出世のきっかけになった
►城主となった秀吉は鷹(たか)狩りの途中に立ち寄った寺で茶を所望した。応対した少年は最初に飲みやすいぬるめの茶、次にやや熱い茶、最後は熱い茶を出した。秀吉は少年の気配りを見込んで家臣にした。後の石田三成だ►相手の気持ちを推し量り意向に沿うように行動することが、日本の社会では昔から高く評価されてきた。人間関係の潤滑油で「おもてなし」の心にも通じよう。森友学園問題で頻出する言葉を使えば「忖度(そんたく)」。権力者の意向を推し量って官僚が動いたかどうかが焦点となっている►一方、このケースにこそ忖度は必要だった。今村雅弘復興相の発言である。福島原発事故に伴い自主避難した人たちについて「本人の責任」「本人の判断」と述べた。「裁判をすればいい」とも。事故の責任は国や東京電力にあるのに、被災者の自己責任とは。避難指示区域以外から逃げ出した人は見捨てる、ということか►自主避難者の多くは、国の放射線量基準に不安を感じ、苦渋の決断をしたはず。「好きで古里を離れているわけではない」と怒りの声が上がるのも当然だ
►今村氏は陳謝したが、つらい境遇の人に冷たい草履を履かせ、煮え湯を飲ませたようなものだ。被災者の思いを忖度できないなら、復興を担う資格はあるまい。
西日本新聞 【春秋】 2017・4・7
4月の「くまもとの大地の成り立ち」の活動は人吉の四万十帯の付加体及び加久藤火砕流の見学です。この会は偶数月の第一日曜日に熊本県の地質や岩石などを現地学習するサークルです。地学については全くの素人なので案内された場所で話を聞いて、帰ってから解らなかったところをおさらいする様にしています。今回の問題点はまず四万十帯の付加体と加久藤火砕流・・正直言って意味が解らないのです。今回はレシピもない。現場を見て話を聞けば少しはわかるだろうと思っていたのは大間違い。仲間の人達から出てくる単語も分からないものが多いので困惑の状態。以前は座学があったので少しは助かっていたのですが昨年の地震で教室が使えなくなってそれ以後現地学習だけになって知識がおぼつかない状態です。今回の活動を知識不足の点を補いながらまとめてみました。レシピがないのは本当に困る。見学した場所すら分からないのだから。写真は結構撮りましたが正確な場所はわかりません。今回は先生方の転勤など組織上の問題があり充分な体制でなかった事に問題がありました。スタッフが揃えばわかり易くなると思います。見学の途中坂道を登り切れなくて何度も立ち止まり、若い方に見守って頂いた事もあり、申し訳ない半面感謝、感謝の一日でした。歳には勝てない。頭も悪いが体も悪い。次は頑張ろう。
人吉市上田代町の段塔バス停から入った場所?














駅の柱の土台部は玄武岩が使われている



鹿目の滝は九州自然歩道・人吉桃源コースの起点となっている。滝は柱状節理から流れ落ち、そこからは人吉盆地が、湖であったことが読みとれるという。
鹿目滝(平滝)平滝は高さ30mである。約180万年に流れた鹿目川安山岩の溶岩にかかっている。








鹿目滝(雄滝)は高さ36mで、日本の滝100選に選ばれている。柱状節理が見事である。 約180万年前に流れた鹿目川安山岩の溶岩にかかっている。 鹿目滝の左下には人吉層との接触部を見ることができる。

鹿目の滝 (カナメノタキ)
今回採集した四万十帯のチャートほか
●付加体(ふかたい、英: accretionary prismまたはaccretionary wedge)とは、海洋プレートが海溝で大陸プレートの下に沈み込む際に、海洋プレートの上の堆積物がはぎ取られ、陸側に付加したもの。現在のところ「日本列島の多くの部分はこの付加体からなる」という見方がされている。
●チャート(英: chert)は、堆積岩の一種。主成分は二酸化ケイ素(SiO2、石英)で、この成分を持つ放散虫・海綿動物などの動物の殻や骨片(微化石)が海底に堆積してできた岩石(無生物起源のものがあるという説もある)。断面をルーペで見ると放散虫の殻が点状に見えるものもある。非常に硬い岩石で、層状をなすことが多い。
チャートには赤色、緑色、淡緑灰色、淡青灰色、灰色、黒色など様々な色のものがある。暖色系のものは、酸化鉄鉱物に起因し、暗色系のものは硫化鉄や炭素化合物に起因する。緑色のものは、緑色の粘土鉱物を含むためである。これらは、堆積した環境によって変わると考えられている。
チャート同士を火打石のように打つと小さな火花を生じる。
●鹿目の滝 場所:人吉市鹿目町

日本三急流の球磨川の支流、鹿目川の上流にある。雄滝、雌滝、平滝の3つがある。「日本の滝100選」の一つ。雄滝は高さ36mで、崖下には人吉盆地がかつて湖であったことを物語る湖底相(人吉層)が露出している。滝の上方から滝つぼを見ることもでき、ちょっとしたスリルを味わえるのも魅力。雌滝は高さ30m、急崖を滑るように落下している。平滝は雄滝の上流に位置し、薄い石が何枚も重なり合って形成された岩の表面を、水が岩を覆いながら流れる、緩やかな美しい流れの滝。落差は10m。滝の周辺は真夏でも肌寒く、夏場は避暑スポットとして賑わい、8月には地元住民らによる「鹿目の滝まつり」が行われる。
●節理
主に火成岩に見られる現象で,露頭に見られる 規則性のある割れ目をいいます。
火成岩に節理ができるのは,熱いマグマが約700~1000℃で固まって岩石になり,その後,常温に冷える過程で体積がわずかに収縮するためです(節理の 方向はその冷却面に直交する方向になりやすい)。岩体に発達した規則性のある割れ目のうち、両側にずれの 見られないものを節理という。マグマ等が冷却固結する際や地殻変動の際に生じる。 なお、 割れ目の両側にずれが見られる場合は断層になる。
節理には主に柱状節理・板状節理・方状節理があります。柱状節理・板状節理は火山岩,方状節理は深成岩である花こう岩によく見られます。
●柱状節理
柱状節理は火山岩の露頭にしばしば見られる柱状の割れ目の節理
●四万十帯
日本の地体構造区分上、西南日本外帯および関東山地における区分名の一つ。関東山地から、赤石山脈、紀伊半島、四国、九州、沖縄まで、15キロメートルから100キロメートルの幅で、延長1500キロメートルにわたって帯状に分布する。「四万十」は高知県の四万十川に由来する。
四万十帯には,白亜紀から第三紀の中新世前期にわたる時代の厚い海成層である四万十累層群が分布しており,これは強く変形・変位して顕著な帯状構造を示す。
構造は主として砂岩、泥岩、チャート、玄武岩、斑れい岩などが複雑に重なり合った地層からなり、各所に海底地すべりの痕跡を残す地層や変成作用を受けた地層が挟み込まれている。北側には秩父帯または三宝山層群(三宝山帯)が隣接し仏像構造線によって区切られているが、南側の境界は明瞭ではない。大きく四万十層群北帯と四万十層群南帯に分類される。
中生代白亜紀から新生代古第三紀にかけて形成された典型的な付加体である。海洋地殻とその上に堆積した砂や泥が海溝に沈み込む際に衝上断層によって多数の地塊に分割され、傾斜しながら地上に押し上げられて地表に露出した。このため個々の地塊の中では北部ほど新しい地層であるが、全体としては南部ほど新しい地層となっている。



地質年代表
●人吉盆地の地質
約200万年前から南九州が反時計回りに回転し九州の西側を分裂させる地殻変動が始まり、入り江あるいは低地が形成された。続いて肥薩火山群の活動によってこの低地地形の西側が塞がれ「古人吉湖」と呼ばれる湖となった。この湖は約100万年前までに消失し、その跡に残されたのが人吉盆地である。鬼界カルデラから阿多カルデラ、姶良カルデラを経て加久藤カルデラに続く火山性地溝帯の延長線上に位置するが、人吉盆地を起源とする火山活動の痕跡は確認されていない。盆地外を起源とする阿蘇火砕流、加久藤火砕流、入戸火砕流などの堆積物が地層として残されている。
人吉盆地(ひとよしぼんち)は、熊本県南部において東西約30キロメートル、南北約15キロメートルの範囲に広がる盆地である。
盆地は、地層や岩石の軟らかい所が侵食されて周囲より低くなった「侵食盆地」と、地球のプレート活動に伴う地殻変動の力を受けて沈降した「構造盆地」の二つに分類することができ、人吉盆地は「構造盆地」に属します。
球磨盆地地図【熊本県教育情報システム】の資料より

火砕流堆積物の見える崖 場所:球磨郡 錦町 山下
ここは50mほどの崖で、九州のカルデラの噴出物の順序が確認できるめったにない場所である。
入戸火砕流
(約2.2万年前)
阿蘇-4火砕流
(約8万年前)
阿多火砕流
(約11万年前)
加久藤火砕流
(約30万年前)
日本列島の地質と構造【地質調査総合センター】の資料より
現在、日本列島で見られる岩石を調べた結果、日本は継続して大陸と海洋の境界付近に位置していたことがわかっています。そして、今日までの長い時代にわたって海洋プレートの沈み込みをうけてきました。
海洋プレートは海洋地殻とその下のマントルの一部からなります。海洋地殻は、海嶺で噴出した玄武岩溶岩の上に、深海堆積物や海山を載せています。これらの一部は海洋プレートが沈み込むときに、海溝にたまった土砂とともに大陸側に押しつけられ、はぎ取られてしまいます。これを付加作用といい、はぎ取られた地質体を 付加体 といいます。付加体のうち、海洋プレートの沈み込みにともなって地下深くもぐり込んだ部分は高い圧力を受け、変成岩となります。また、海洋プレートの沈み込みはマグマを発生させ、火山活動及び深成岩の貫入を伴います。

このように、日本列島は海洋プレートの沈み込みによって成長してきた生い立ちを持っています。
そのため、以下のような地質の特徴を備えています。
1 過去から現在まで、幾つもの時代の付加体が集積し、その一部が再配置されたつくりになっています。
2 日本列島の基盤は一般に大陸側ほど古く、太平洋側ほど新しい構造となっています。
3 地質時代を通じてマグマ活動があり、さまざまな時代の火成岩が残されています。
また、特に堆積岩・変成岩では、ある程度まとまった時代に形成された岩石が帯状に連続して分布する特徴があります。それぞれの境界は断層で接することが多く、その一部は構造線と呼ばれています。これらを慣習的に「○○帯」及び「○○構造線」(ふつう○○は地名) と呼んでいます。ただし、その基準は必ずしも同一ではなく、また帯や構造線の定義・解釈が研究者によって異なる場合もあるため、注意が必要です。このような構造は、日本列島の形成過程に起こった構造運動、すなわち海洋プレートの沈み込み方向や角度の変化、火成作用の活発化、大陸プレートの分裂などを反映していると考えられ、解釈が試みられています。日本列島の成り立ちは完全には解明されておらず、まだ研究途上にあるといえるでしょう。
下の図は、これまでに提案されてきた日本列島の構造区分を総括したものです。主として大規模な断層、付加体の形成年代及び変成年代に基づいて、日本列島の基盤をなす岩石の違いを表しています。



実は、東北日本は新第三紀以降の火山岩や堆積岩に広く覆われているため、基盤岩類の詳しい分布と構造はよく分かりません。しかし、西南日本は北西から南東に向かって、新しい時代の地層が順に分布しているのが分かります。
東北日本が新第三紀以降の新しい地層に覆われているのは、日本海の形成と深く関係しています。日本海は新第三紀まで存在せず、日本は大陸と一続きだったのです。日本海の形成時期とその形成メカニズムはまだ仮説の段階ですが、多くの研究の成果から次第に明らかになりつつあります。
●付加体(ふかたい、英: accretionary prismまたはaccretionary wedge)とは、海洋プレートが海溝で大陸プレートの下に沈み込む際に、海洋プレートの上の堆積物がはぎ取られ、陸側に付加したもの。現在のところ「日本列島の多くの部分はこの付加体からなる」という見方がされている。
●チャート(英: chert)は、堆積岩の一種。主成分は二酸化ケイ素(SiO2、石英)で、この成分を持つ放散虫・海綿動物などの動物の殻や骨片(微化石)が海底に堆積してできた岩石(無生物起源のものがあるという説もある)。断面をルーペで見ると放散虫の殻が点状に見えるものもある。非常に硬い岩石で、層状をなすことが多い。
チャートには赤色、緑色、淡緑灰色、淡青灰色、灰色、黒色など様々な色のものがある。暖色系のものは、酸化鉄鉱物に起因し、暗色系のものは硫化鉄や炭素化合物に起因する。緑色のものは、緑色の粘土鉱物を含むためである。これらは、堆積した環境によって変わると考えられている。
チャート同士を火打石のように打つと小さな火花を生じる。
●鹿目の滝 場所:人吉市鹿目町

日本三急流の球磨川の支流、鹿目川の上流にある。雄滝、雌滝、平滝の3つがある。「日本の滝100選」の一つ。雄滝は高さ36mで、崖下には人吉盆地がかつて湖であったことを物語る湖底相(人吉層)が露出している。滝の上方から滝つぼを見ることもでき、ちょっとしたスリルを味わえるのも魅力。雌滝は高さ30m、急崖を滑るように落下している。平滝は雄滝の上流に位置し、薄い石が何枚も重なり合って形成された岩の表面を、水が岩を覆いながら流れる、緩やかな美しい流れの滝。落差は10m。滝の周辺は真夏でも肌寒く、夏場は避暑スポットとして賑わい、8月には地元住民らによる「鹿目の滝まつり」が行われる。
●節理
主に火成岩に見られる現象で,露頭に見られる 規則性のある割れ目をいいます。
火成岩に節理ができるのは,熱いマグマが約700~1000℃で固まって岩石になり,その後,常温に冷える過程で体積がわずかに収縮するためです(節理の 方向はその冷却面に直交する方向になりやすい)。岩体に発達した規則性のある割れ目のうち、両側にずれの 見られないものを節理という。マグマ等が冷却固結する際や地殻変動の際に生じる。 なお、 割れ目の両側にずれが見られる場合は断層になる。
節理には主に柱状節理・板状節理・方状節理があります。柱状節理・板状節理は火山岩,方状節理は深成岩である花こう岩によく見られます。
●柱状節理
柱状節理は火山岩の露頭にしばしば見られる柱状の割れ目の節理
●四万十帯
日本の地体構造区分上、西南日本外帯および関東山地における区分名の一つ。関東山地から、赤石山脈、紀伊半島、四国、九州、沖縄まで、15キロメートルから100キロメートルの幅で、延長1500キロメートルにわたって帯状に分布する。「四万十」は高知県の四万十川に由来する。
四万十帯には,白亜紀から第三紀の中新世前期にわたる時代の厚い海成層である四万十累層群が分布しており,これは強く変形・変位して顕著な帯状構造を示す。
構造は主として砂岩、泥岩、チャート、玄武岩、斑れい岩などが複雑に重なり合った地層からなり、各所に海底地すべりの痕跡を残す地層や変成作用を受けた地層が挟み込まれている。北側には秩父帯または三宝山層群(三宝山帯)が隣接し仏像構造線によって区切られているが、南側の境界は明瞭ではない。大きく四万十層群北帯と四万十層群南帯に分類される。
中生代白亜紀から新生代古第三紀にかけて形成された典型的な付加体である。海洋地殻とその上に堆積した砂や泥が海溝に沈み込む際に衝上断層によって多数の地塊に分割され、傾斜しながら地上に押し上げられて地表に露出した。このため個々の地塊の中では北部ほど新しい地層であるが、全体としては南部ほど新しい地層となっている。




●人吉盆地の地質
約200万年前から南九州が反時計回りに回転し九州の西側を分裂させる地殻変動が始まり、入り江あるいは低地が形成された。続いて肥薩火山群の活動によってこの低地地形の西側が塞がれ「古人吉湖」と呼ばれる湖となった。この湖は約100万年前までに消失し、その跡に残されたのが人吉盆地である。鬼界カルデラから阿多カルデラ、姶良カルデラを経て加久藤カルデラに続く火山性地溝帯の延長線上に位置するが、人吉盆地を起源とする火山活動の痕跡は確認されていない。盆地外を起源とする阿蘇火砕流、加久藤火砕流、入戸火砕流などの堆積物が地層として残されている。
人吉盆地(ひとよしぼんち)は、熊本県南部において東西約30キロメートル、南北約15キロメートルの範囲に広がる盆地である。
盆地は、地層や岩石の軟らかい所が侵食されて周囲より低くなった「侵食盆地」と、地球のプレート活動に伴う地殻変動の力を受けて沈降した「構造盆地」の二つに分類することができ、人吉盆地は「構造盆地」に属します。


火砕流堆積物の見える崖 場所:球磨郡 錦町 山下
ここは50mほどの崖で、九州のカルデラの噴出物の順序が確認できるめったにない場所である。
入戸火砕流
(約2.2万年前)
阿蘇-4火砕流
(約8万年前)
阿多火砕流
(約11万年前)
加久藤火砕流
(約30万年前)
日本列島の地質と構造【地質調査総合センター】の資料より
現在、日本列島で見られる岩石を調べた結果、日本は継続して大陸と海洋の境界付近に位置していたことがわかっています。そして、今日までの長い時代にわたって海洋プレートの沈み込みをうけてきました。
海洋プレートは海洋地殻とその下のマントルの一部からなります。海洋地殻は、海嶺で噴出した玄武岩溶岩の上に、深海堆積物や海山を載せています。これらの一部は海洋プレートが沈み込むときに、海溝にたまった土砂とともに大陸側に押しつけられ、はぎ取られてしまいます。これを付加作用といい、はぎ取られた地質体を 付加体 といいます。付加体のうち、海洋プレートの沈み込みにともなって地下深くもぐり込んだ部分は高い圧力を受け、変成岩となります。また、海洋プレートの沈み込みはマグマを発生させ、火山活動及び深成岩の貫入を伴います。

このように、日本列島は海洋プレートの沈み込みによって成長してきた生い立ちを持っています。
そのため、以下のような地質の特徴を備えています。
1 過去から現在まで、幾つもの時代の付加体が集積し、その一部が再配置されたつくりになっています。
2 日本列島の基盤は一般に大陸側ほど古く、太平洋側ほど新しい構造となっています。
3 地質時代を通じてマグマ活動があり、さまざまな時代の火成岩が残されています。
また、特に堆積岩・変成岩では、ある程度まとまった時代に形成された岩石が帯状に連続して分布する特徴があります。それぞれの境界は断層で接することが多く、その一部は構造線と呼ばれています。これらを慣習的に「○○帯」及び「○○構造線」(ふつう○○は地名) と呼んでいます。ただし、その基準は必ずしも同一ではなく、また帯や構造線の定義・解釈が研究者によって異なる場合もあるため、注意が必要です。このような構造は、日本列島の形成過程に起こった構造運動、すなわち海洋プレートの沈み込み方向や角度の変化、火成作用の活発化、大陸プレートの分裂などを反映していると考えられ、解釈が試みられています。日本列島の成り立ちは完全には解明されておらず、まだ研究途上にあるといえるでしょう。
下の図は、これまでに提案されてきた日本列島の構造区分を総括したものです。主として大規模な断層、付加体の形成年代及び変成年代に基づいて、日本列島の基盤をなす岩石の違いを表しています。



実は、東北日本は新第三紀以降の火山岩や堆積岩に広く覆われているため、基盤岩類の詳しい分布と構造はよく分かりません。しかし、西南日本は北西から南東に向かって、新しい時代の地層が順に分布しているのが分かります。
東北日本が新第三紀以降の新しい地層に覆われているのは、日本海の形成と深く関係しています。日本海は新第三紀まで存在せず、日本は大陸と一続きだったのです。日本海の形成時期とその形成メカニズムはまだ仮説の段階ですが、多くの研究の成果から次第に明らかになりつつあります。



義務教育が始まって70年。義務教育も古希を越える年数になったんだなと自分の年齢とともに驚いてしまう。歳をとるという事はいい面もあり、わが身を思うともうこれ以上御免だと思う面もある。同じ時期に同じことを同じように学ぶシステムがどうなのか。少し疑問を抱く面もあるがどのような状況下にあろうが差別なく学べることは良かったと思う。勉強については少し苦い思いもあるが向上心がある子供たちには上を目指して学ばせる場は必要だと思う。教育の場に貧富の差があってはならない。
「パン屋さん」では駄目なのか。来年度から小学校の「教科」になる道徳の教科書。登場する店が「和菓子店」に変更された
►「わが国や郷土の文化に親しみ、愛着を持つという要素が足りない」と国の検定で指摘され、出版社が差し替えた。国や郷土を愛する気持ちは大切だけれど、「愛国心」が上からの押し付けになってはいないか►教育勅語を暗唱させる幼稚園に驚いた。その愛国教育を「素晴らしいと聞いている」と言う首相や「教育勅語の核の部分を取り戻すべきだ」と国会答弁する防衛相にもっと驚く。教育勅語は親孝行や友愛など大切な道義を説いている、と防衛相。詭弁(きべん)だ。勅語の「核」は、天皇や国家のために命をささげることが臣民の最高の徳目とした思想。これが軍国教育につながった►戦後、国会は基本的人権を損なうとして教育勅語の排除や無効を決議した。にもかかわらず、政権が復古調の「美しい日本」に傾斜すれば、道徳や歴史の教科書への“忖度(そんたく)”が心配になる►教育基本法、学校教育法が制定され、現在の小学校6年、中学校3年の「六三制」が始まって、きょうで70年。多大な犠牲の上に生まれた民主教育を後戻りさせてはならない►子どもたちが好きなあんパン、カレーパン、メロンパン…。どれも日本発祥とされる。元は舶来でも、知恵と工夫で新しい価値を生み出すのは日本人のおはこ。それも日本の文化であろう。
2017・04・01 【春秋】
●各国の義務教育年数(UNESCO)
13+ 年間・・・・濃いブルー
10–12 年間・・ブルー
7–9 年間・・・・淡い茶
0–6 年間・・・・茶
