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Posted by おてもやん at
この日は風邪と飛脚の話、今年はインフルエンザが大流行出来る事なら風邪の感染だけは避けたいものです。NHKの大河ドラマは来年の東京オリンピックに先駆けてオリンピックに初参加した男”金栗四三(かなくり しそう)とオリンピックを呼んだ男”田畑政治(たばた まさじ)の2人を描く「いだてん」、漢字は「韋駄天」と書くそうです。大河ドラマの話はさておいて先日の春秋からの知識になりますが、「十七屋」の意味や細菌とウイルスの区別など、いつも受け流しのように聞いている言葉の意味を簡単に説明していただき、いい勉強になっています。
●韋駄天 いだてん
古代インドの神。シバ神の子。バラモン教の神であったが,仏教に導入され,仏法や伽藍(がらん)の守護神とされる。甲冑(かっちゅう)をつけ,宝剣をささげもつ。釈迦が死んだとき仏舎利をぬすんだ魔を追跡してとりかえしたことから,足のはやい神とされる。私建陀(しけんだ),塞建陀(そけんだ)などともいう。

●田畑政治 たばた-まさじ
1898-1984 大正-昭和時代の新聞記者,水泳界の指導者。
明治31年12月1日生まれ。大正13年東京朝日新聞社にはいり,政治経済部長などをへて昭和24年常務。この間,昭和7年のロス五輪をはじめおおくの大会の水泳総監督や選手団団長をつとめる。21年日本水泳連盟会長,34年東京五輪組織委員会事務総長,48年JOC委員長。昭和59年8月25日死去。85歳。静岡県出身。東京帝大卒。





「はやり風十七屋からひきはじめ」という古い川柳がある。十七屋とは江戸の飛脚業者のこと。諸国を往来する中で真っ先に風邪を運んでくると揶揄(やゆ)したものだ
▼空を越え海を渡り、誰もが容易に国境を行き来する現代。どこから風邪のもとが入り込むのか分かったものではない。ちなみに自ら分裂して増えるものが細菌、自己増殖できず別の細胞に寄生して活動するのがウイルスと区別される
▼南極などの極寒の地ではさしものウイルスも生存できないらしい。それでも日本からの物資が届くと、越冬隊の間に風邪が広まったこともあったそうだ。その生命力は恐ろしくたくましい
▼今季もインフルエンザの流行が拡大している。紙面でも集団感染や学級、学校閉鎖のニュースが連日続く。先日は東京の地下鉄で、感染して体調不良だったとみられる女性が線路に転落。電車にはねられて亡くなる痛ましい事故もあった
▼手洗いやマスク着用による予防。症状が出たら外出せず、自宅でしっかり休養と栄養。敵は1万分の1ミリほどの極小サイズなれど、しばらくは最大限の警戒態勢を敷いて危険なシーズンを乗り切りたい
▼清水次郎長親分は自宅にナポレオンやワシントンの肖像画を飾っていた。頭痛や発熱の時は「おれの敵だ」と思ってウーンとにらみつける。「そのうち汗が出てきて風邪が治るんだ」と言ったそうだ。無論、効能不明。お勧めはできません。
=2019/01/28付 西日本新聞朝刊=


  


Posted by マー君 at 09:02Comments(0)記事季節

2019年01月30日

あびき

NHKの気象番組を見ていたら「あびき」という言葉が出てきました。
あまり聞き慣れない言葉なので以前調べたことがあるのは頭の中に残っています。
でもあやふやな記憶なので調べてみることにしました。
あびきとは・・・
あびきとは長崎湾で発生する副振動のことをいい、30~40分周期で海面が上下振動します。過去には大きなあびきで係留していた船舶の流失や低地での浸水被害が発生しています。 あびきの語源は早い流れのため魚網が流される「網引き」に由来すると言われています。現在は長崎に限らず、九州西方で発生する同様な現象に対して広く用いられるようになっています。
副振動とは数十分周期の港湾の振動で、長方形の容器に水を入れ、一方の端を持ち上げて少し傾けてから元に戻すとしばらく水全体が左右に振動するのと同じ現象です。

あびきの発生原因




あびきは東シナ海大陸棚上で発生した気象現象の擾乱(じょうらん)による気圧の急変が原因とされています。これによって発生した海洋長波が海底地形などの影響を受けて増幅していきます。湾内に入った海洋長波は共鳴現象などの影響を受けてさらに増幅し、湾奥では数メートルの上下振動になることがあります。
Hibiya and Kajiura (1982)による数値シミュレーションから、1979年(昭和54年)3月31日に発生した過去最大のあびきは、東シナ海をほぼ東向きに約110km/hで進行した振幅約3hPaの気圧波によっておこされたことがわかっています。

●擾乱
地球の大気圏では自転などの影響で常に対流が起こっている。その中でも、普通の動きとは違い、時間とともに刻々と変化する比較的小さな乱れが常に発生している。このように大気が乱れる現象を気象学では擾乱(じょうらん、disturbance)と呼んでいる。気象学における擾乱であることを明確にするため、気象擾乱と呼ぶこともある。
●ヘクトパスカル(hPa)とは気圧の単位。むかし日本では「ミリバール(mbar)」といっていたのだけれど、1992年から国際標準に合わせてヘクトパスカルを使うようになった。
気圧とは大気の圧力で、気圧の変化は天気に影響する。
よく台風のニュースで、中心気圧は900ヘクトパスカルなどと言っていますがこれは台風の中心付近の気圧を表していて、この数字が低いほど台風の勢いが強くなります。
1ヘクトパスカルは100パスカル。
ヘクトは100倍という意味で、パスカルというのは圧力の単位。圧力の法則を考えだしたフランスの科学者・パスカルからとったものだ。


「あびき(100cm以上)」が発生した時の天気概況は、九州の南海上を低気圧が通過した場合が最も多く、
次に九州の南海上に前線が停滞していた場合となっています。




  


Posted by マー君 at 09:33Comments(0)気象
九州国立博物館で2/24まで「特集展示 玉 古代を彩る至宝」という面白い企画展をしています。
私もこの記事を見て知ったのですがヒスイを代表とする勾玉や碧玉製の管玉など、日本各地の有力者の古墳などから出土するばかりでなく当時国内だけでなく大陸との交易にも使われていた大変貴重な交易品の一つであったとの内容を知りました。
見出しは「玉が映す 古代の美と社会」、「国際交易 対価にヒスイ」勉強のため記事をブログに残すことにしました。


古代に装飾具として重宝された勾玉や管玉(くだたま)。その玉飾りの変遷や精神性をたどる企画展が、九州国立博物館(福岡県太宰府市)で開かれている。全国から集められた玉類は、古代人の美意識とともに当時の権力構造や国際交流の状況も今に伝える。

奈良、島根、福岡、佐賀、宮崎などの古代の歴史文化に関りが深い14県が連携する。「古代歴史文化協議会」の共同研究を基に、生産技術や交易といった視点別に構成、展示している。
魂も霊も「たま」として読むように、古代の人々は玉の美の中に神秘性や精神性を見いだしていた。代表格の勾玉は、動物の牙から作った装飾品がルーツと考えられており、縄文時代には生産され、交易で国内各地にもたらされていた。
類似する玉は世界各地でみられるが、日本の独自性は、石から勾玉を作る初期段階からヒスイ(翡翠)という貴石を採用した点にある。産地は当初、新潟県・糸魚川周辺に限られており、緑色を尊んだ縄文人にとって至高の石だった。硬度が高く加工が困難にもかかわらず、ヒスイを選んだ点に美意識やこだわりがにじむ。
その後、北陸や山陰などで広く採れる碧玉(へきぎょく)・緑色凝灰岩も素材に用いられ、玉類の中心になっていった。
佐賀県唐津市の宇木汲田(うきくんでん)遺跡から出土した弥生時代のヒスイ製勾玉や関連品(紀元前2世紀~紀元前1世紀)は、形状の変遷が一目で分かり、時代の結節点の様相を呈している。濃緑で凸凹のある形状(獣型)には縄文時代の意匠が残り、半透明の良質の石材を使った逸品は、後の古墳時代に継承される規格化された形が、弥生時代の段階で成立していたことを示す。

◇北陸など石材の産地が中心だった玉作は、ヤマト王権の勢力拡大に伴い、古墳時代中期には畿内と出雲に生産が集約され、後期にはほぼ出雲だけとなる。専業地だった蘇我遺跡(奈良県)からは膨大な量の関連遺物が出土しており、技術者集団と素材を管理した王権の強大さが分かる。
ヤマト王権は同時期、朝鮮半島から伝わった先端技術を用いた須恵器についても生産の規格化を図っており、ハイテク技術を掌握する姿勢が見て取れる。
玉飾りは時代を経て素材の種類が増え、多種多彩になっていく。古墳時代中期の福岡市。老司古墳の玉飾りはヒスイと碧玉のシンプルな組み合わせだが、後期の佐賀県鳥栖市の都谷遺跡の玉類は、ヒスイの勾玉に水晶の切子玉、渡来系の赤メノウ丸玉、方形ガラス玉が連なり、ファッショナブルに進化している。色とりどりの玉を取り寄せ、個性や好みで組み合わせを楽しんだのだろう。
 
◇今回の共同研究で注目されるのは、玉類を介した国際交流の考証だ。弥生時代のガラスは海外からの搬入品で、国内で二次加工が行われた。北部九州の支石墓には朝鮮半島産とみられる玉類が副葬されている。
一方、半島の新羅の王陵から出土した金冠には、ヒスイの勾玉が数多く用いられている。共同研究では日本のヒスイが交易品として海を割った可能性を指摘。ヤマト王権が重視した鉄素材などの対価として利用されたとみる。
九博の小嶋篤研究員は、「ヤマト王権が玉の生産を掌握した時期に国内からヒスイの玉が激減する一方で、新羅周辺で出土が増える状況や、半島でヒスイの生産地が見つかっていないことからも、日本から勾玉が渡った説は有力だ」と話す。
権威の象徴でもあった玉は、律令制度の始まりとともに衰退していく。中国の制度や文化が導入され、衣服や冠が変わっていく中でそぐわなくなり、装身具としての役目を終えたのだろう。玉の変遷は、各時代の美意識のあり方を示すとともに、社会情勢の変化をも物語っている。
九博企画展、2月24日まで。
読売新聞 文化 2019・1・26  


Posted by マー君 at 10:11Comments(0)歴史記事

2019年01月28日

立春寒波って


このところ毎日寒い日が続きます。
何日か前にテレビの天気予報で「立春寒波」という言葉を耳にしました。
1月に「立春寒波」?
立春は今年は2月4日。
テレビがあった日は確か23日か24日頃で立春には10日以上前になります。
「立春」を調べてみますと、立春とは季節の変わり目で節切りを指す言葉で、暦上での行事です。
その文字のとおり「春の始まった第1日目」のことを言います。
また節分の翌日から「雨水」までの期間を指すとあります。
ということは「立春寒波」は2月になって使われる言葉だと思うのですが「立春寒波」の関連記事をしらべてみますと2018年02月03日tennki.jpには・・4日(日)は二十四節気の「立春」ですが、西から強烈な寒波襲来。唱歌「早春賦」の歌詞のように、春とは名ばかりの厳しい寒さとなりそう。「立春寒波」今季最強クラスも・・の記事がありました。
たまたま今年、立春前に大きな寒波を迎えたので「立春寒波」という言葉が使われたのでしょうか、それとも期間として使ってもいい期間になっていたのでしょうか?
色々調べてみるのですがこの言葉の期間的なものがありません。
「日々是好日」のブログでは次のように使われています。
下線を引いた部分が2つありますが立春を挟んだ前後あたりに使われるようですね。
今年は早く使われたと解釈すべきでしょうか。

春という文字があると暖かくなってきているというイメージがありますよね。
でもそれは3月頃から少しずつ暖かくなってくるのであって、暦の上で春の始まりを告げる立春が訪れる2月はまだまだ寒いのです。
むしろ立春が訪れる時期が1年で1番寒いともいえそうです。
この時期は、例年大陸にはまだシベリア寒気団が強い勢力を保っており、そこから気圧の配置によって日本列島に向かって寒波がやってきます。
そして、ちょうどこの立春の時期にその年最大級の寒波が来ることがよくありました。
そのため、この2月前半の時期の寒波を立春寒波と呼んだりするのです。
立春寒波のときは非常に気温が下がり、雪が降る地域も多くなります。
寒さ対策にはぜひ気を付けてくださいね。
春はもうそこまで来ているのです。


  


Posted by マー君 at 10:15Comments(0)季節気象

1/26の出来事
大坂なおみ・全豪V・世界ランキング1位・・素晴らしい試合を見せてくれました。
「金峰山の地質」のまとめがやっと終わりました。


平行に連なる丘陵は金峰山のカルデラ?

これは1/20「金峰山の地質」の学習の時に頂いた資料です。
図の(a)~(ⅾ)は
(a)=プレー型火砕流 
(b=メラピ型火砕流[雲仙普賢岳] 
(c)=スフリエール型火砕流 
(d)=大規模な軽石・火山灰流[阿蘇1~4]

※火砕流の色々
プレー型火砕流(a)は、成長中の溶岩ドームが爆発を起こして発生したと考えられている。 
それに対してメラピ型火砕流(b)は成長中の溶岩ドームの一部が重力的に不安定になり、崩れるときに破砕して発生する火砕流である。
スフリエール型火砕流(c)は、火砕物をいったん上空に噴き上げてから崩落したり、火口から火砕流が直接噴きこぼれるようにして発生する。これら小規模な火砕流は熱雲とよばれることもある。
大規模な軽石流や火山灰流(d)は一般にカルデラを伴う。

※火砕流堆積物の特徴を示した断面スケッチ
火砕流でのガスの上昇速度が遅いタイプ1ではほとんど分級作用が起らない。ガスの上昇速度が速くなると分級作用が起り、軽石は上部に、岩片は下部に移動する(タイプ2)。そして、さらにガスの上昇速度が速くなると分級作用の進行とともに、多数のガス抜けパイプなどの偏折構造が発達する(タイプ3)。図中の黒い部分は岩片を示し、白抜き部は軽石を示す。




「金峰山の地質」で配られた資料は火砕流について現代地球科学入門シリーズ7「火山学」共立出版P142~と安山岩の溶岩流については新版地学教育講座②地震と火山東海大学出版会からのものです。
まだまだ地学には疎い自分ですので、その中の説明文の中でもう少し詳しく理解するために調べてみたものがあります。
 
●イグニンブライト【ignimbrite】

溶結固化した火砕流堆積物。大規模な火砕流が堆積して、高温と自重のため溶結したもの。 → 溶結凝灰岩

●ようけつぎょうかいがん【溶結凝灰岩】

高温の火山灰が大量に厚く積もり、その内部で再融・圧密されて生じた岩石。爆発的な火山活動に伴って発生した大規模な火砕流の堆積物中にみられる。しばしば粗い柱状節理を呈し、大雪山ふもとの層雲峡、十和田の奥入瀬おいらせ、阿蘇の高千穂峡などが有名。

●ねつうん【熱雲 glowing cloud】

火山噴出物の噴出様式の一つで小型の火砕流を指す。1902年,西インド諸島マルティニク島のプレー火山の噴火のとき発生し,2万8000人の死者を出した小型火砕流が,火砕流という現象が火山学的に広く認められるようになった最初の例である。この噴火を研究したフランスの火山学者ラクロアFrançois Antoine Alfred Lacroix(1863‐1948)により,熱雲nuée ardenteという語が初めて提唱されたが(1904),その後異なったタイプの火砕流が多数発見されたため,熱雲という語はプレー型の小規模火砕流に限られるようになった。

●溶岩ドームの崩壊 (ムラピ式火砕流)
マグマの粘性が高く、かつガスが効率的に抜けると、爆発的な噴火を起こさずにマグマがゆっくりと押し出されて溶岩ドームを形成するが、ガスは完全に抜けきったわけではなく溶岩の中に気泡として残っているので、ドームの一部が押し出されるなどして崩壊すると爆発的に解放されたガスとそれによって形成された破片が混合して小規模(一般に0.01km3以下)な火砕流となる。流下方向は地形などの影響で限られることが多い。このタイプの火砕流は、その堆積物の特徴からブロック・アンド・アッシュ・フロー(英: block and ash flow)と呼ばれる。ムラピ山の噴火が代表的[7]で、雲仙岳1990年-1995年の噴火で多く発生したのもこのタイプ。ただし、溶岩ドームが火山ガスの圧力で爆発的に崩壊した時には、やや規模の大きい火砕流と火砕サージが発生することがある。

●かさい‐サージ〔クワサイ‐〕【火砕サージ】

火山噴火の際に起こる現象の一。火砕流本体より希薄で高速な流れ。火山ガスと火山灰からなる。水平方向に広がり、斜面を這(は)い上がることもある。サージ。

●プレー式噴火【プレーしきふんか】

火山の噴火形式の一つ。熱雲噴火型。西インド諸島のマルティニク島にあるプレー火山の1902年の噴火のとき初めてこの型が発見された。きわめて粘性に富んだ溶岩が溶岩尖塔(せんとう)などの形で押し出され,爆発と同時に熱雲が山腹を流下する。最も危険の多い型。

●メラピ型
ムラピ山(インドネシア語: Gunung Merapi・・メラピともいう)は、インドネシアジャワ島中央部の火山である。インドネシアでも最も活動的な火山で、ほぼ1年中噴煙を上げ、1548年以来68回噴火をしている。名称は「火の山」の意味。メラピ山とも書かれる。スマトラ島中部にも同名の火山がある。
地質学的調査から、爆発は40万年前から始まり、1万年前から活発になったとされる。
安山岩質の溶岩ドームが崩落する際に火砕流を起こすことで知られ、メラピ型火砕流と呼ばれる。同様の例としては、雲仙岳(1991年6月3日に大規模な火砕流を起こした)がある。

●軽石流 (浮石流・ふせきりゅう)
pumice flow

軽石 (浮石) が火山性のガスと混合し,高温高速の熱雲となって火山の斜面を流れ下る現象。大規模な浮石流が火口からあふれ出すと,火山の中心が陥没してカルデラをつくる。阿蘇山のカルデラや十和田湖はその例。

●火砕流 (Wikipediaより)
解説
多くの場合、マグマ由来の本質物を含む数百度以上の高温のものを指す[2]。ただし水蒸気爆発で発生するような本質物を含まない火災を誘発するほど高温でない密度流も火砕流と呼ばれることがある[3]。最近では、温度や本質物の有無を定義から取り払い、火砕流と火砕サージなどを重力流の一種とみなして、火砕物密度流(pyroclastic density current) とすることも多い[4][5]。
マグマ噴火に伴う火砕流は、高温の火山ガスと混合一体化しているため地面との摩擦が少なく、流れ下るスピードは100km/時を超えることもあり、一気に遠くまで流れ下る。またガス成分が多い場合は比重が小さいため海面上を滑走することもある。温度も1000度近いものもあり(タバコの火や火葬の温度がおよそ800度)、この場合、建物や自動車の中であっても安全とは言えない。
火砕流という用語の歴史
現在火砕流堆積物とされている堆積物は、古くは泥流や溶岩流の一種と考えられていた。たとえば阿蘇山周辺の火砕流堆積物溶結部は「泥溶岩」などと呼ばれた。
1902年のプレー火山の噴火を調査したフランスの火山学者・アルフレッド・ラクロワ (Alfred Lacroix)により "Nuée ardente"(ニュエ・アルダント―燃える雲=熱雲)と名づけられたのが、科学的に取り上げられた最初である。「熱雲」は英語では「Glowing cloud」。また、北海道駒ヶ岳(1929年)で発生した軽石が斜面をなだれ下る類似現象は、「軽石流」と呼ばれた。ムラピ山での、流動性に乏しい分厚い溶岩の先端が崩落する現象は「岩屑なだれ(rock avalanche)」と呼ばれた。現在では岩屑なだれ(debris avalanche)は、火砕流とは別の流動現象を指す用語として使われているので、注意が必要である。
火砕流の発生機構
火砕流の実体は、火山砕屑物と噴出物の火山ガスや水蒸気が混合して流動化したもの。ガスは、マグマに含まれていた火山ガスと、火山噴出物中および流走中に取り込んだ空気からなる[6]。温度は、マグマに近い高温のものから100℃程度まで幅がある。水蒸気噴火とマグマ噴火では水蒸気噴火の方が発生頻度が高い[3]。
火砕流とは流動現象に対する名称であるため、噴火様式と1対1に対応するものではないが、火砕流が発生するような噴火には以下のものがある。
流紋岩 - デイサイト質マグマの大規模な噴火
流紋岩 - デイサイト質マグマは粘性が高いため、ガスが抜けにくく、マグマが地表近くまで上昇し減圧した時点で爆発的に発泡しやすい。このとき液体 - 固体は粉砕されてガスと混合し、マグマの量が多ければ大量の火砕流となって火口から高速で流れ出す。この場合は火口から全方向に流下することが多い。大~中規模(10km3以上 - 1km3 - 0.01km3)の火砕流の殆どはこのタイプである。地下のマグマだまりから大量のマグマが噴出するため、マグマだまり跡の空洞が陥没してカルデラを形成することも多い。このとき、火砕流は最大で約100kmも流れる事がある。このような大規模な火砕流が堆積すると、カルデラ周辺に谷地形を埋めて平坦な台地地形(火砕流台地)を形成する。日本における代表的な例は九州南部に分布するシラス台地が該当する。火砕流堆積物が高温のまま厚く堆積すると自身の熱で変形して溶結することがあり、そのようなものは溶結凝灰岩と呼ばれる。
プリニー式噴火の噴煙柱崩落 (スフリエール式火砕流)
プリニー式噴火では、固体破片とガスの混合物からなる大規模な噴煙柱が形成されるが、その混合物の密度が空気よりも大きくなると、噴出物が上昇し続けられなくなり、噴煙柱は重力崩落し流走する。この場合は火口から多方向に広がり流下することが多く、谷間を移動し遠距離に到達することもある。ヴェスヴィオ火山の噴火(79年)およびスフリエール山の噴火(1902年)が代表的。カルデラを形成する大噴火の中で、プリニー式の噴煙柱ができる場合もあると考えられている。
溶岩ドームの崩壊 (ムラピ式火砕流)
マグマの粘性が高く、かつガスが効率的に抜けると、爆発的な噴火を起こさずにマグマがゆっくりと押し出されて溶岩ドームを形成するが、ガスは完全に抜けきったわけではなく溶岩の中に気泡として残っているので、ドームの一部が押し出されるなどして崩壊すると爆発的に解放されたガスとそれによって形成された破片が混合して小規模(一般に0.01km3以下)な火砕流となる。流下方向は地形などの影響で限られることが多い。このタイプの火砕流は、その堆積物の特徴からブロック・アンド・アッシュ・フロー(英: block and ash flow)と呼ばれる。ムラピ山の噴火が代表的[7]で、雲仙岳1990年-1995年の噴火で多く発生したのもこのタイプ。ただし、溶岩ドームが火山ガスの圧力で爆発的に崩壊した時には、やや規模の大きい火砕流と火砕サージが発生することがある。
水蒸気噴火
マグマの噴出を伴わない比較的小規模でかつ溶岩ドームを形成しない水蒸気噴火でも噴出物に水蒸気を多く含むため、小規模な比較的温度の低い火砕流を起こすことがある[3]。
火砕流の流動機構
火砕流流動様式は、1960年代は乱流と考えられていた[8]が、1980年代には流動化実験等の結果から、層流と考えられるようになった。しかし、1990年代から乱流であるとする説が一時主流となり、現在では乱流説と層流説の議論が続いている。流走時には乱流を主体とし、堆積時には基底部に高密度な粒子流を形成し堆積するというモデルもある。

脚注
^ 安藤重幸:恵山火山の地質と岩石 岩石鉱物鉱床学会誌 Vol.69 (1974) No.8 P302-312
^ 荒牧重雄・小野晃司(1996) 火砕流 新版地学事典 地団研編、平凡社
^ a b c 山元孝広:御嶽火山2014 年9 月27 日噴火で発生した火砕流 産業技術総合研究所 地質調査研究報告 Vol.65 No.9/10 (2014) (PDF)
^ 山元孝広 (2006) 伊豆大島火山、カルデラ形成期の火砕物密度流堆積物:差木地層S2部層の層序・岩相・年代の再検討 日本火山学会 火山, 51, no.4, 257-271
^ "pyro-"はギリシア語由来の接頭辞で"火"を表し、"clastic"は破壊されたもので、火山噴火で生成された砕屑物を意味する。そのため海外においては「火山噴火」との関連性が重視されるが、日本語の「火山砕屑物」だとpyroclasticと一旦定置したpyroclasticや溶岩が侵食などで破砕・移動したvolcaniclasticの区別がつきにくく、火山噴火のニュアンスが薄れているため、より広く定義される場合がある。
^ a b 防災科学技術研究所 防災基礎講座 13.火砕流・火山泥流・山体崩壊
^ 花岡正明:火の山”メラピ火山で火砕流災害発生 (速報) 砂防学会誌 Vol.47 (1994-1995) No.6 P57-58
^ 荒牧重雄、浅間火山 1973 年 2~3 月の噴火の際に発生した小型火砕流 火山.第2集 1973年 18巻 2号 p.79-94, doi:10.18940/kazanc.18.2_79
^ 荒牧重雄:火砕流とその災害 地学雑誌 Vol.95 (1986-1987) No.7 P489-495
  


Posted by マー君 at 08:51Comments(0)地学

2019年01月26日

終末時計


地球滅亡「あと2分」

テレビでは何日か前から報道されているニュースだが新聞(我が家のもの)はやっと記事になった。
「終末時計」の話である。
ニュースは関心度によって取り上げ方に大きな差があります。
関心度だけでの問題ではなく、みんなが知っておかなければならない事柄については、分かりやすく記事にする報道の使命感は忘れないでほしいものです。
「終末時計」とは核戦争や気候変動による地球滅亡の危機がいかに差し迫っているかを示す時計のこと。
記事によると残り時間は昨年と同様の2分という。
時計の針が戻らない理由として、昨年10月にトランプ米大統領が米露間の中距離核戦力(INF)全廃条約の破棄を表明したことや、北朝鮮の核の脅威が依然として解決されていないことを挙げ、「世界は新たな異常事態にあり、不安定でとても危険だ」と米科学誌「プレティン・オブ・ジ・アトミック・サイエンティスツ」(原子力科学者会報)が表明。
その上で、米露が軍縮協議に取り組むことなどを求め、「各国のリーダーたちが変化を求めれば、状況は改善できる」と訴えています。
「終末時計」の話は1947年から毎年公表されています。


以下、Wikipediaより

終末時計の推移

日本への原子爆弾投下から2年後、冷戦時代初期の1947年にアメリカの科学誌『原子力科学者会報』(Bulletin of the Atomic Scientists) の表紙絵として誕生した。
以後、同誌は定期的に委員会を設けてその「時刻」の修正を行っている。すなわち、人類滅亡の危険性が高まれば分針は進められ、逆に危険性が下がれば分針が戻されることもある。1989年10月号からは、核兵器からの脅威のみならず、気候変動による環境破壊や生命科学の負の側面による脅威なども考慮して、針の動きが決定されている。
これまでもっとも分針が進んだのは、米ソが相次いで水爆実験に成功した1953年と北朝鮮の核開発による脅威が高まった2018年1月の2分前、もっとも戻ったのはソ連崩壊により冷戦が終結した1991年の17分前である。
終末時計はいわば仮想的なものであり、『原子力科学者会報』の新年号の表紙などに絵として掲載されているが、シカゴ大学には「オブジェ」が存在する。
2010年には、未来の世代のために「時計の針を戻そう(turn back the clock)」、世界をより安全なものにしようという市民活動のサイト TurnBackTheClock.org が設けられた。   


Posted by マー君 at 10:50Comments(0)つぶやき
1月20日にあった「金峰山の地質」の野外学習では金峰山の地形を説明するのに必要な地学用語の説明書を頂きました。
火砕流と安山岩の溶岩流です。金峰山の地形を理解するためには欠かせない用語です。
戴いたものは少し難しく書いてありましたので百科事典から解りやすいものを選んでみました。
●火砕流〝火山砕屑(さいせつ)物流〟
かさいりゅう
pyroclastic flow

噴火によって火口から噴出した高温の火山噴出物が,高速で火山体斜面を流下する現象。規模や状況によって,熱雲,軽石流(浮石流),スコリア流,火山灰流などとも呼ばれる。100~700℃に達した高温の岩石の破片が火山ガス,水蒸気,空気と混合する際に内部上昇流が発生するため粘性は低下し,重力の作用によって,ゆるやかな斜面でも時速数十~200kmで流れる。数百km以上の範囲に広がる場合もある。火山災害のなかでも最も大きな被害を出す要因の一つであり,1902年に西インド諸島マルティニーク島のプレー山で発生した火砕流では約 3万人が犠牲になった。日本でも 天明3(1783)年の天明浅間山噴火では火砕流により約 1200人が,1991年6月の普賢岳(→雲仙岳)の噴火による火砕流では 43人が死亡した。大規模な火砕流は,火砕流堆積物が数十mの厚さとなる火砕流台地と呼ばれる地形(→火山地形)を形成することがある。また火口周辺が陥没し,カルデラを形成する。

●溶岩流
ようがんりゅう
lava flow

液体のまま流出したマグマ(溶岩)。火山噴出物のうち本質物質の代表的なもの。玄武岩質マグマの場合,粘性が低いため川のように流れることが多いが,安山岩質マグマやデイサイト(石英安山岩)質マグマの場合,通常の液体のふるまいとはかなり異なり,溶岩流の先端が崩れ落ちつつ,ゆっくりと流動する。多くの場合,先端の進行速度は時速 10km以下である。しかし 1977年にコンゴ民主共和国のビルンガ山脈のニイラゴンゴ山で発生した溶岩湖の崩壊のように,一度に大量の溶岩が流れ出すと時速 30kmをこえ,犠牲者が出ることもある。流下距離は数km以内の場合が多いが,60kmに達した例もある。

携帯で撮った写真が出来上がりましたので紹介します。
見学は立福寺町の太郎迫神社の金峰山湧水群の1つ(Aso-4の下から湧出)や降下火山灰層を見学し





南部さんから火砕流の話や安山岩の溶岩流の話がありました。

熊本市北区貢町に遺る同じ金峰山湧水群の一つ瑞巌寺跡を見学、






フードパルに戻り昼食を終えてフードパル熊本の駐車場から金峰山の外輪山と思われる平行に走る丘陵部が見られるとの事で皆で陸橋から見学しました



熊本市西区花園の天福寺近くに行きました。
ここでは鉄平石が見学できます。金峰山古期噴出物の溶岩が板状節理によって出来たものです。
その他にも風化凝灰角礫岩の露頭も見学できました。


次に岩の中から水の流れる音がすると伝えられる「鳴岩」の湧水(Aso-4の亀裂から湧水)、


最後に同じAso-4の下から湧水しているお手水の湧水を見学しました。



  


Posted by マー君 at 08:41Comments(0)地学

2019年01月24日

骨貯金ってご存知?



なかなか上手な例えである。最近「骨貯金」という言葉をちょくちょく耳にする。本紙の連載「スポーツの力」のきのうの回にもあった◆ふだんから骨量や骨密度を高めておく努力のことだが、ただカルシウムをたっぷり摂取すればよいというものではないらしい。骨は運動で負荷がかかることを合図に日々再生のスイッチを入れ、丈夫に生まれ変わるそうである。つまり、運動をしないと貯金は貯まらない◆記事が指摘するのは成長途上の子供たちの運動不足だった。「跳び箱に手をついただけで・・・」。教育現場から骨折が増えたとの声が上がるという◆運動をする子としない子が二極化し、しないこの場合、大人になって骨粗しょう症などのリスクが高まるとされる。外で遊ぶだけでも再生のスイッチは入るのに、ゲームに熱中して家にこもってばかり----そんなことでも将来の健康が大きく左右されるのだという◆心配な親御さんは少なくないにちがいない。骨貯金や病気の話は多少難しくとも、子供たち自身に体を動かさないことの怖さを理解させることが大切だろう。そのための骨なら、いくら折ってもよい。
読売新聞 「編集手帳」 2019 1 24

この記事から年末に脚立から落ちて入院を余儀なくされて苦しんでいる仲間のことや2歳でアンパンマン動画に夢中になっているかわいい孫のことなどが頭に浮かびます。
でも寒さのせいもあって運動量がグーンと減っている自分自身のことも大いに気になります。
骨貯金のこと、もう少し詳しく知りたいと思い調べてみますと「NHK生活情報ブログ」にこんな情報がありました。

骨の中のカルシウムなどの量は年齢とともに変化します。20歳ごろがすでにピークで、あとは減っていき、じょじょに骨が弱くなっていきます。その対策が「骨貯金」です。骨によい食事と運動でピーク時の骨の量(=ピークボーンマス)を増やし、その後も量が減らないように努める「骨の貯金」が骨折を防ぐというのです。骨貯金に最も適した時期は子どもの頃、特に成長期だといいます。「一番良いのは成長期。成長期に骨が増えていくときに 骨に良いことをするともっと骨が増えるんです」。



「子どものときから年をとるまでずっと生涯、骨の貯金は大事です」。毎日の生活の中で、運動や食事をする際、ちょっと気をつけることで取り入れられる「骨貯金」。長生きするだけでなく、骨折やその後の寝たきりを防ぎ、いつまでも自分の足で歩き、健康に長生きするために皆さんもきょうから「骨貯金」を始めてみませんか?     


Posted by マー君 at 10:46Comments(0)記事

2019年01月23日

金峰山の地質(1/20)

先日の日曜日(1/20)に熊本県ネットワークセンターの活動の一つで「金峰山の地質」のグループの集まりがありました。
今回は20人ほどの集まりで朝10時から3時まで「金峰山湧水群」や「金峰山古期噴出物」などをフードパル熊本を出発地にして見学を行いました。
いつも地学の説明をしてくださる川路先生はインフルエンザで来れなくて今回は南部さんと廣田さんが廻った各箇所の説明をされました。
見学は立福寺町の太郎迫神社の金峰山湧水群の1つ(Aso-4の下から湧出)や降下火山灰層を見学し熊本市北区貢町に遺る同じ金峰山湧水群の一つ瑞巌寺跡を見学、フードパルに戻り昼食を終えて熊本市西区花園の天福寺近くに行きました。
ここでは鉄平石が見学できます。金峰山古期噴出物の溶岩が板状節理によって出来たものです。
その他にも風化凝灰角礫岩の露頭も見学できました。
次に岩の中から水の流れる音がすると伝えられる「鳴岩」の湧水(Aso-4の亀裂から湧水)、最後に同じAso-4の下から湧水している
お手水の湧水を見学しました。

右の地質図の説明
黄色・・阿蘇-4火砕流堆積物--後期更新世(第四紀)
柿色・・金峰火山新期噴出物(角閃石安山岩)--中期更新世(第四紀)
水色・・芳野層--中期更新世(第四紀)
桃色・・金峰火山中期噴出物(輝石安山岩溶岩・火砕流、一部角閃石安山岩)--前期更新世(第四紀)
薄茶色・・金峰火山北麓岩屑堆積物(火砕岩、土石流堆積物など)--前期更新世(第四紀)
赤色・・金峰火山古期噴出物(輝石安山岩溶岩・火砕岩、一部角閃石安山岩)--前期更新世(第四紀)
※だいよん‐き【第四紀】
地質時代の区分の一。新生代の最後の時代で、約170万年前から現在まで。更新世と完新世とに区分される。氷河時代にあたり、人類が発展し、現在の地形が形成された。

右・・太郎迫神社近くの露頭で見つけたAso-4火砕流の軽石 左・・天福寺近辺露頭から採取した鉄平石

私にとっては今回はこの地質図の勉強が主なものになりました。
携帯で撮った写真が取り出せないので今回の見学地については携帯からの取出した後にまた記事にしたいと思います。
以前、金峰山の地質について解説したものがありましたので再度紹介します。



●地形の説明
白地・・完新統(完新世に形成された堆積岩や火成岩、沖積統)
ピンクに✓・・阿蘇火砕流
ブルーに横線・・芳野層(湖成層)
赤に●・・一の岳火山岩
白に✓・・二ノ岳火山岩類
茶色・・三ノ岳火山岩類
白に●・・石神山火山岩類
黄に✓・・古金峰火山岩類
肌色に⋄・・松尾火山岩類
黒線・・断層

熊本博物館の学芸員がまとめた金峰山の地質についての説明文
熊本の自然と歴史
金峰山の自然(地質編)  
金峰山やその一帯の山々は熊本市の西側に位置するため、西山地域 とも呼ばれています。ご存知の方も多いと思いますが、この地域の山々 は火山活動によってできた“火山”です。これらは一度の噴火によって できあがったのではなく、過去100万年以上かけて徐々に形作られた 火山で、カルデラや溶岩ドームなど火山に特有の地形が見られます。そ のような地形や火山活動の時期をもとに、西山地域の山は大きく3つ の地域に分けられます。いくつもの山々が並ぶカルデラの外輪山地域、 その北側にそびえる二ノ岳(熊野岳)と三ノ岳、そしてそれらの中央に 位置し、いわゆる“金峰山”として有名な一ノ岳です(写真1)。  まず今からおよそ140万年から90万年前、一番古い時期の火山活動が ありました。その頃にできた古い山体が河内山、小萩山、花岡山、独鈷山 など現在の一ノ岳を取り囲んでいる外輪山の山々で、離れたところでは 立田山もその一部です。これらの山々はもともと火山の集まった複合火 山だったと考えられていて、山の中央部が北西側に崩れ落ちることでア ルファベットのU字型の外輪山を持つカルデラ地形ができあがりまし た。  この古い時代の火山活動から数十万年たった後、年代で言うとおよ そ56万年前~50万年前に再び火山活動が活発になり、外輪山の縁の 崩れていたあたりが噴火して、現在の二ノ岳と三ノ岳が誕生しました。
さらにU字型に開いていた部分が塞がれたため、カルデラ内に雨水が 溜まり、西山地域にカルデラ湖が出現しました。現在一ノ岳から見て 北側に位置する芳野地区にはこの湖の底に溜まった泥の地層が残さ れていて、その中からは木の葉や昆虫の化石が見つかります(写真2)。 川などの流れの速い環境に比べて湖の底では穏やかに堆積が進むの で木の葉や昆虫のような壊れやすい生物の化石も残りやすいのです。  この湖は後の火山活動で消滅してしまいますが、さらに長い月日が流 れたおよそ20万年前~15万年前にこの地域で知られている最後の火 山噴火が起こります。この噴火で噴出した溶岩はデイサイトという粘り 気の強い溶岩で、ちょうどカルデラの中央のあたりにこんもりとした溶 岩ドームを作りました。この時の溶岩ドームが現在の一ノ岳です“。一ノ 岳”という名前から金峰山周辺の山の中で一番最初にできたように思わ れがちですが、実は一番最後に形成された山だったのです。  このように金峰山はわたしたち人間の感覚からすると非常に長い期 間、何度も繰り返した火山活動によって形作られました。さらにその後 も河川や風雨による浸食や断層活動、阿蘇の大火砕流噴火による埋没 などを経て、現在の姿となったのです。いつも変わらずそこにあるよう に見える山々も、実は長い年月の中で常に姿を変え続けているのです。


東に阿蘇山を,西に金峰山(665m)を望む熊本市。
 阿蘇山から噴出した4回の火砕流堆積物は,西方の熊本市にまで広く堆積しており,西に緩やかに傾く大津・菊陽・高遊原台地を形成している。阿蘇火砕流堆積物による台地はさらに西へ延びていたが,北は菊池川により南は坪井川・井芹川、白川により侵食されて現在のような地形になった。
 金峰山は金峰山を始めとして,二ノ岳(685m)・三ノ岳(684m)に代表される新旧の火山が入り混ざっており,さらに湖の堆積物まで分布している。

 熊本市西部 金峰山を中心とする地史 

 金峰山地域の最初のできごと
 1)金峰山南部に分布する松尾火山岩類・古金峰火山岩類の噴出
 2)角閃石安山岩の溶岩からなる石神山(112万±20万年前)の形成に始まり,三淵山,荒尾山と続く石神山火山岩類(高井,1984)の形成。
( 採石場の火砕流堆積物 )
( 霊巌洞 の凝灰角礫岩 )( 肥後耶馬溪 )( 鼓ヶ滝の輝石安山岩 )
( 石神山の鱗硅石 )
 山体中央部が北西に向かって山体崩壊し、その後,三ノ岳・二ノ岳の順に火山活動が起こり、結果的にカルデラ地形が形成されたと考えらえている。
 このカルデラ内に湖ができ、この湖に周囲の土砂が流れ込んでできたのが芳野層である。芳野層は,泥岩を主として一部砂質の層もあり,産出する植物化石のなかには,藍鉄鉱で置換されたものがあり,地層から取り出したときにはその名のとおり美しい青色をしていますが,しばらくすると空気中の酸素と反応して褐色に変わってしまう。
( 芳野層 )( 藍鉄鉱 )
 芳野層の上には河内川の堆積物と思われる砂礫層がところによって乗っています。
( 芳野層の上に乗るレキ層 )
 以上の活動の後に,角閃石安山岩の溶岩からなる金峰山(15万±5万年前)の形成となるわけで,金峰山は複式火山ということになります。この金峰山溶岩は火口から流出したものではなく,固まりかけた状態で貫入して地表にその姿を表したので山体はドーム状となっており火口はありません。
( 金峰山の形 遠望 菊南温泉から )
 最後に,Aso-4火砕流(9万年前)が噴出して上記の地層をおおって堆積しました。
( 磨砂 )
( 花園の崖 )( 菱形神社の洞窟 )( 井芹川の河床 )
一方,外輪山の南東周辺には,立田山・花岡山・万日山・独鈷山などの小さな山があります。これらはいずれもかつては外輪山の裾野を形成していたものですが,その後の断層運動(立田山断層)によって切り離されたものです。このことは,両者の岩質が同じである点や地形断面などからも推定することができます。
( 立田山断層 )


  


Posted by マー君 at 08:55Comments(0)講座熊本
自分達が生きてきた昭和から平成の時代を振り返ると確かに物質的には豊かになりました。
しかしその反面、国の借金はどんどん増え続け、その借金は後の世代へたらいまわしの状態になっています。
豊かさの陰には子や孫へのつけ回しの借金が大きくかぶさってしまいました。
毎年、毎年増え続ける「国の借金」の残高が2016年9月末で1062兆5745億円、国民1人あたり837万円となっているそうです。
この数字は3年前の数字でその後も増え続けているし人口も減少しているので国民1人当たりの借金額もどんどん増え続けています。
時代を築いてきた人たちの責任です。
こんなはずじゃなかった・・・こんなつもりじゃなかった。

守るべきものは誰か?
視点を変えて考えさせられる現代の問題点がここにもあります。



年の始めにこんな作文を読んだ。〈日本は今、世界一の経済大国です。でも、何か、貧しくさびしいです。心が…。大切な、お金では買えないものを忘れていないでしょうか〉
▼少年は問い掛け、決意を記す。〈その忘れ物は夢です。その大事な忘れ物を届けるために、ぼくはマンガやアニメの仕事をしようと思います〉
▼「経済大国」とある通り、作文が書かれたのは平成の初期。筆者の児玉有平君は13歳の中学1年生だった。26年前のきょう、体育館のマットの中で頭を逆さにして窒息死しているのが見つかった。「山形マット死事件」である。7人の中学生が監禁致死などの容疑で逮捕・補導された
▼7人は自白後、否認に転じ、少年審判は迷走する。遺族は真相解明のため民事訴訟を起こし、12年後に全員の責任を認める判決が確定した
▼冒頭の作文は父昭平さんの著書「被害者の人権」(小学館文庫)から引いた。被害者遺族に審判の傍聴すら許さない当時の少年法の矛盾を強く訴えている
▼日本が戦争をしなかった平和な時代として終わりそうな平成だが、学校現場でのいじめや10代の凶悪犯罪はやまなかった。山形の事件後、神戸連続児童殺傷や西鉄バスジャックが発生。少年法は厳罰化の一途をたどる。その是非とは別に、有平君のように「夢」を抱く子どもの命と尊厳が守られる社会をつくらないといけない。次の時代を前にしての教訓である。
=2019/01/13付 西日本新聞朝刊=  


Posted by マー君 at 10:47Comments(0)つぶやき

2019年01月21日

三隣亡

暦を見ると時々、「三りんぼう」というものが出てきます。
三りんぼうは三隣亡(さんりんぼう)と書かれる場合もあります。
この「三りんぼう」、良くない日くらいの知識はあっても何が良くないのか詳しく知っておられる方は少ないと思います。
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説にはつぎのように解説しています。

暦の上での忌み〈穢(けがれ)を避け身を慎むこと〉の日の一つ。この日に建築すれば火難を受け,隣3軒を滅ぼすとされて忌まれる。1,4,7,10月は亥 (い) の日,2,5,8,11月は寅 (とら) の日,3,6,9,12月は午 (うま) の日がこれにあたる。また,この日には約束ごとをしないなどの地方もある。
1,4,7,10月・・亥 (い) の日
2,5,8,11月・・寅 (とら) の日
3,6,9,12月・・午 (うま) の日

神仏ネットより引用  


Posted by マー君 at 19:24Comments(0)
暦便覧では大寒のことを「冷ゆることの至りて甚だしきときなれば也」と記しています。
きょうは大寒。
Wikipediaでは次のように説明しています。

大寒(だいかん)は、二十四節気の第24。十二月中(通常旧暦12月内)。
現在広まっている定気法では太陽黄経が300度のときで1月20日ごろ。暦ではそれが起こる日だが、天文学ではその瞬間とする。恒気法では冬至から1/12年(約30.44日)後で1月20日ごろである。
期間としての意味もあり、1月20日~2月3日まで、すなわちこの日から、次の節気の立春前日までである。
西洋占星術では、大寒を宝瓶宮(みずがめ座)の始まりとする。


●平気法(へいきほう)とは、二十四節気を配置する方法の一つである。節気間の時間が均等であることからこの名があり、恒気法(こうきほう)ともいう。黄道を24分割する定気法が空間分割法とも呼ばれることに対し、平気法は時間分割法とも呼ばれる。
冬至から翌年の冬至までの時間を24等分して導き出す。こうして導き出された約15日ごとの分点に節気と中気を交互に配した。そして、基点である冬至を11月に固定して各月には必ず中気が含まれることとし、中気を含まない月ができるとそれを閏月とした。
中国暦では清の時憲暦の直前まで、日本の暦では天保暦の直前まで、いずれも平気法が用いられた。隋の劉焯は平気法は実際の太陽の運行と合致せず非合理的として定気法を提唱したが、実施されることはなかった。
1太陽年(≒冬至〜翌冬至)という時間を平均するのが本来であり、定気法では発生する旧暦2033年問題は、平気法では起こらない。


●定気法(ていきほう)とは、二十四節気を配置する方法の一つである。
平気法のように1太陽年の時間を平均して節気を求めるのではなく、太陽の天球上の通り道である黄道と天の赤道の交点すなわち春分点を基点として24等分し、こうして導き出された15°ごとの黄経上の特定の度を太陽が通過する日に節気(正節)と中気を交互に配していく。このため空間分割法とも呼ぶ。現在、中気は黄経30°の倍数、正節はそれに15°足したものとされている。

●中気
二十四節気のうち、第二、第四、第六、……、第二四番目という各月の後半にくる節気。すなわち、大寒・雨水・春分・穀雨・小満・夏至・大暑・処暑・秋分・霜降・小雪・冬至の称。中ともいう。   


Posted by マー君 at 07:24Comments(0)

2019年01月19日

梅が咲きました。

どなたが書かれているのかわかりませんが、いつも思うのは記者の方の世の中を見る目や表現力の素晴らしさには感心させられます。
世間で起きていることに疎くなった世代の者には新聞やテレビからの情報が頼りです。
しかし、世の中で次から次へと起きている色々な事柄や事件はあまりにも数が多すぎて消化不良の状態で時が過ぎてしまいます。
よほどの関心事でない限り深く考える事もありません。
でも今日の「春秋」のように問題をつなぎ合わせて解説して貰えれば世の中の見方も少しは真剣に考えようという気持ちにもなります。

ありがとう。
お礼に花一輪。


 昨年の流行語大賞に選ばれてもおかしくなかった言葉がある。「働き方改革」。安倍晋三政権の目玉施策だ。評判は必ずしも芳しくない。実態は雇用主側が上に立つ「働かせ方改革」ではないか、と
▼長時間労働の是正に関心が集中し、企業では「ノー残業」などの大合唱。ところが仕事の内容や量などの見直しが伴わない。その結果、現場の負担感は増し、人件費の削減だけが進む-という図式だ
▼こちらの評判は地に落ちた。不利益を被った人は延べ2千万人。是正に要する経費は795億円。削減どころか、膨大な追加出費のために新年度予算案が組み直された。厚生労働省の「毎月勤労統計」不正問題だ
▼2007年、第1次安倍政権時に発覚した「消えた年金記録」問題が頭をよぎる。消えた記録は5千万件、処理に要した経費は4千億円。あの反省はどこに。今回の統計不正は年金問題の発覚前から続いていたという
▼「働き方改革」の本来の趣旨は正規、非正規の区別などにとらわれず「多様な働き方」が選択できる社会の実現。無論、主人公は「働く人」である
▼しかし、霞が関は例外にしなければなるまい。官僚ら公務員の雇用主は納税者たる国民である。その意に反した“多様な不正”は看過できぬ。生活者の痛み、血税の重みを知らしめるには、彼らの仕事の在り方を見直して監視を徹底するしかない。公務員の「働かせ方」の改革である。
=2019/01/19付 西日本新聞朝刊=

  


Posted by マー君 at 11:38Comments(0)記事

2019年01月18日

土用(雑節)

昨日、1月17日は「土用の入り」。
「土用」って冬にも有るんだ。
以前にも調べたことがあったのですがなかなか思い出せません。
「日本の行事・暦」で調べてみることにしました。


土旺用事(どおうようじ)の略。 
土用というと夏を思い浮かべる方も多いと思いますが、土用は各季節にあります。
陰陽五行説で、春・夏・秋・冬をそれぞれ木・火・金・水とし、(余った?)土を各季節の終わりの18日間に当てはめたことから、立春、立夏、立秋、立冬の前の18日間を土用といいます。
次の季節へ移る前の調整期間といったところでしょうか。
一般的には立秋前の18日間の夏土用をさします。この期間を暑中と呼び、暑中見舞いを出す時期でもあります。
また、夏土用に入って3日目が晴れれば豊作、雨が降れば凶作といわれています。この豊凶占いのことを「土用三郎(どようさぶろう)」といいます。
2019年は
冬土用:1月17日~2月3日 (太陽黄径297度)
春土用:4月17日~5月5日 (太陽黄径27度)
夏土用:7月20日~8月7日 (太陽黄径117度)
秋土用:10月21日~11月7日 (太陽黄径207度)

最初の日を「土用入り」最後の日を「土用明け」といいます。
※上記の太陽黄径は入りの日のものです。
※入りの日によって18日間でない場合もあります。約18日間と解釈してください。


雑節とは、二十四節気・五節句以外の季節の節目となる日のこと。
二十四節気を補う意味合いを持っていて、一年間の季節の移り変わりをより的確につかむことができます。
いずれも生活や農作業に照らし合わせてつくられていて、古くから日本人の生活の中に溶け込んでいました。年中行事、民俗行事となっているものも多くなじみ深いものです。
※雑節には下記以外にもありますが、当サイトでは国立天文台の「暦要項」に記載されてあるものを取り上げています。
1月 17日・冬土用(入り)
2月  3日・節分
3月 18日・彼岸(入り)
4月 17日・春土用(入り)
5月  2日・八十八夜
6月 11日・入梅 
7月  2日・半夏生 20日・夏土用(入り)
9月 1日・二百十日 20日・彼岸(入り)
10月 21日・秋土用(入り)


土用にしてはいけないこと
・土を犯してはいけない(土を掘り起こしてはいけない)。
土用の期間は、土を司る土公神(どくしん・どくじん)という神様が支配するといわれ、土を動かしてはいけないとされてきました。今でも、家などを建築する際、土を掘り起こしたりする基礎工事などは土用の期間をはずす方が多いようです。
土用は季節の変わり目ですから、農作業で体調を崩さないようにとの戒めもあると思われます。









  


Posted by マー君 at 11:09Comments(0)

2019年01月17日

稀勢の里の引退

稀勢の里が引退しました。
引退会見では「私の土俵人生、一片の悔いもありません。やり切った気持ち」と語ったそうです。
相撲は心・技・体とよく言われますが、稀勢の里が怪我をしてからのここ3場所を見る限り、どの相撲を見ても横綱が取る様な相撲ではありません。
相撲をなめているのか!そんな思いで取り組みを見つめていました。
横綱が取る相撲は例え怪我で心・技・体の体が崩れてもなんとか心と技でカバーしながら相撲を取るものです。
カバーしきれないなら心・技・体が整うまで身体を作ってから出場すべきなのです。
対戦で怪我をしたことで心も技も無茶苦茶になっているにもかかわらず相撲を取り続けることがその時点でもう既に横綱ではなくなっていたように思います。
横綱は強いから横綱で居れるのです。
場所をまたいで横綱が8連敗もするような相撲しか取れなかったのに「一片の悔いもない」の意味が私には理解できません。

  


Posted by マー君 at 10:51Comments(0)つぶやき

2019年01月16日

梅原猛さん



今日の読売「編集手帳」、久しぶりに興味を引く記事に当たりました。
図書館ではよく見かける作家なのでいつかはこの人の書いたものを勉強してみようと思っていました。


縄文時代の土偶に似ているなあ。梅原猛さんは「太陽の塔」に思った。影響を受けたかどうか尋ねてみると、岡本太郎は言った。「そうだろう、梅原くん。縄文時代から僕をまねるやつがいたんだよ」◆梅原さんは岡本さんの無邪気さが大好きになった。持論を裏づける返答でもあった。〈子供らしさというのは、やはり想像するための大きな条件ですね〉。だから人間は〈赤ん坊になるために勉強するのですよ〉◆初代所長を務めた「国際日本文化研究センター」(京都)を退職後、すぐ隣の小学校で行った特別授業の記録から引いた◆児童が相手とはいえ、哲学を足場に大胆な発想で歴史や文化の通説に挑んだ人らしい語りだろう。法隆寺は聖徳太子の御霊を鎮めるために建てられたと論じる『隠された十字架』、柿本人麻呂は山陰沖の島で刑死したとの説を展開する『水底の歌』---これらの著述は文庫本でも読める。専門家から批判もされたが、「梅原日本学」の独創のとりこになった方は多かろう◆梅原さんが永眠した。93歳だった。いつも赤ん坊のように初々しい目で文明を見つめた稀代の哲学者が逝った。

古代史や文学、宗教などを横断し「梅原日本学」と呼ばれる独創的な分野を打ち立てた戦後日本を代表する哲学者で、文化勲章受章者の梅原猛(うめはら・たけし)さんが12日午後4時35分ごろ、肺炎のため京都市左京区の自宅で死去した。93歳。仙台市出身。
・・今迄ご苦労様。ありがとう。  


Posted by マー君 at 11:07Comments(0)つぶやきありがとう

2019年01月15日

小正月

1月15日。
元日を大正月というのに対して呼んだ名。 
松の内に忙しく働いた主婦をねぎらう意味で「女正月」とも呼ばれています。
関西では、小正月までを松の内とします。
年神様や先祖を迎える行事を行う大正月に対して、小正月は家庭的な行事を行う正月で、盆と同様に大切な節目でした。
大正月には門松を飾りますが、小正月には餅花(もちばな)をなどを飾ります。これは、豊作の予祝の大切の行事でした。そのため「花正月」ともいいます。
この日の朝には、鏡開きのお餅を入れた小豆粥をいただきます。
昔中国では、小豆粥を炊いて家族の健康を祈るならわしがあり、日本でも無病息災と五穀豊穣を願い粥をいただく風習が残っています。
また、この日はどんど焼きといって、神社で正月飾りや古いお札などを燃やします。
※秋田の「なまはげ」。大晦日の風物詩でもありますが、江戸時代までは小正月に行われていたそうです。


餅花(もちばな)
豊作を祈り、餅や団子を小さく丸めて柳などの木の枝につけたもの。元々は白と赤でしたが、次第にカラフルなものになりました。
養蚕が盛んな地方では繭玉とも呼ばれています。


日本の行事・暦より  


Posted by マー君 at 10:34Comments(0)行事

2019年01月14日

成人式



成人式に関することを頭に浮かぶままにこの2日間記事にしましたが、今日はその成人式の日です。
以前は同じ学年でも生まれた月によって成人式がその年であったり次の年であったりしましたが「ハッピーマンデー制度」により、同じ学年の人たち同士で成人式が行われるようになりました。
でも、1月15日を変える必要はなかったようにも思うんですが・・
そして、2022年に18歳を成人にする場合、成人式は学齢方式のまゝであれば17歳と18歳の子供達の成人式になるのでしょうか?

成人の日(1月第2月曜日 国民の祝日)
国民の祝日の一つ。1948年(昭和23年)に公布・施行された「祝日法」により制定。「おとなになったことを自覚し、みずから生き抜こうとする青年を祝い、励ます」ことを趣旨としている。
1999年(平成11年)までは1月15日であったが、「ハッピーマンデー制度」導入に伴い、2000年(平成12年)より1月の第2月曜日となった。つまり、その年の1月8日から14日までのうち月曜日に該当する日となる。
もともと「成人の日」を1月15日としたのは、この日が「小正月」であり、奈良時代以降の日本において成人を示すものとして行われる儀式「元服の儀」が小正月に行われていたことによるといわれている。
この日には、各市町村で新成人を招いて「成人式」が行われる。ただし、豪雪の影響や帰省しやすい時期などを考慮して大型連休中やお盆に行われる地方も多い。
本来、「成人の日」は、前年の「成人の日」の翌日からその年の「成人の日」までに誕生日を迎える人を祝う日だったが、「ハッピーマンデー制度」実施以降では、前年の4月2日からその年の4月1日に成人する人を式典参加の対象にする、いわゆる学齢方式が定着するようになっている。
「成人の日」の日付は以下の通り。
2016年1月11日(月)
2017年1月9日(月)
2018年1月8日(月)
2019年1月14日(月)
2020年1月13日(月)


雑学ネタ帳より  


Posted by マー君 at 11:39Comments(0)行事



孫たちが、1月生まれの私たちの誕生日祝いに連休を利用してやって来ました。
佐世保からわざわざご苦労様。
ありがとう。
この子達が成人になるまで何とか頑張ろうと思っています。  


Posted by マー君 at 09:57Comments(0)ありがとう
 少子高齢化が進む中で、あえて「子ども」を減らし「大人」を増やす-。いわば苦肉の策でもある。狙い通りにいくのか。そろそろ3年先のことが気になる
▼成人年齢を18歳に引き下げる改正民法(2022年4月1日施行)。18、19歳を成年に組み入れ、自分の意思で結婚、起業、諸契約などができるようにする。政府は「若年層の社会参画を促進し、新たな活力を生み出したい」という
▼ただし10代であっても、今度は自己責任の世界。その重圧も背負う。法知識や社会経験が乏しい“未熟な大人”は悪徳商法の標的になりかねない。社会参画といっても学歴偏重の世の中。受験競争は続くだろうし、ほかにも不安は多い
▼22年度は18~20歳が同時に成人式を迎える。形式や会場をどう見直すか。高校では受験指導と成人教育の両方を求められる。教師は大変だ。大学入試制度はころころと変わり21年には新テストも始まる
▼入試と成人式が重なれば親も頭が痛い。受験費用に加え晴れ着代などの工面を迫られる。今秋の消費税率引き上げで家計は苦しくなるのに…
▼成人の日(14日)が近い。今年の新成人は125万人。昨年よりやや増えたものの200万人超が続いた往時には程遠い。けれども若者に罪はない。彼らを自立に駆り立てる法改正だけで活力は生まれるのか、ほかにやるべき事はないのか。“今の大人たち”がさらに知恵を絞らねばなるまい。
=2019/01/12付 西日本新聞朝刊=

成人年齢を引き下げる話は18歳成人の話。
去年の3月頃、色々問題になりました。
大人と子供の人口比率を考えると大人を増やして子供を減らす政策には違いありません。
正確に言えば大人になる年齢が早くなることです。
子供は急に大人にはなりません。
社会はそれだけの準備や教育をしてきたのでしょうか。
政治家たちのご都合で変えようとしているのではないでしょうか。


  


Posted by マー君 at 14:38Comments(0)世の中記事