第2次安倍内閣が発足した。危機突破内閣と意味づけた。当面は経済再生を優先に復興、危機管理の3つに全力で取り組むとの事。前政権とは考え方が違うので政策が変わって行くのは、当然あるべき事しかし原発の問題は以前政府機関の調査では国民の4割以上の人が原発0、徐々に無くすを含めると8割位の人が無くすと答えていたように思います。安倍さんはゼロと言うより維持に近い発言をされています。今 活断層問題で毎日テレビや新聞で問題になっている青森県の東通原発、原子力規制委員会は活断層が有る、東北電力側はそうでないと、もめていますが、福島の事故の様なことが起きれば、電力会社は責任を取りきれるのでしょうか?今福島の原発事故で仮設住宅で暮らしたり、他府県に避難している人々の数は20万人以上と言われています。原子力発電そのものが燃料処理の問題を取ってみても未解決問題が多すぎます。自民党[過去]は安全神話の隠れみので原子力発電を推進してきましたが、これからもまた民意を無視してまっしぐらに突き進んで行くのでしょうか?政策の転換は国の形や私たちの生活が変わって行くと言う事です。私は別に自民党や安倍さんが嫌いな訳では有りませんが、この問題今後日本がどうなって行くのか心配です。
・・・恐竜絶滅の理由 巨大隕石衝突説・・1980年 ルイス・アルバレス・父・[物理学者]とウォルター・アルバレス・息子・[地質学者]がK-T境界層「白亜紀、恐竜が生息した最後の時代の地層と第三世紀、恐竜が滅亡した後の最初の時代の地層」に地表では非常に少ない金属である、隕石には比較的多く含まれるイリジウム[私達もこの金属は知っています、万年筆の先緒に使われていました]がこの地層「K-T境界層」に大量に含まれている事から巨大隕石衝突説の仮説を発表、1991年 メキシコのユカタン半島沖に6500万年前に形成された巨大クレーターが発見された事から恐竜絶滅は巨大隕石衝突説が有力になりました。この親子の学説はダゥインの進化論に並ぶほどの説だそうです。

阿蘇が大きな噴火[30万年前~9万年前]を繰りかえしたそれよりずっとずっと?~*~?ずっと前、非常に暖かかった頃「と言われている」熊本の御船に体長10メートルもの恐竜がいたんですね。御船には幾つもの地層がむき出しになっている場所が有り御船層群という地層が白亜紀の頃のものだそうです。恐竜は白亜紀の終わり頃[6550万年前頃]絶滅したと言われています。恐竜が絶滅した理由は私達の頃には火山の噴火説が有力だったのですが、今は巨大隕石の衝突説が有力だそうです。隕石の衝突によって地球の周りは粉塵で覆われ、太陽の光もさえぎられて地表の温度は急激に下がり、この急激な温度差により生物の生態系も急激に変化しました。この時に恐竜は絶滅したと考えられています。・・・・半世紀以上たつと世の中どんどん変わって頭の中まで入れ替えないと世の中の流れについて行けません。

阿蘇は30万年前・15万年前・9万年前に非常に大きな噴火を繰り返してほぼ現在の形に成ったと言われています。〇万年、〇〇万年なんてどんな時代?・・・・昭和54年その頃まだ小学生だった早田 展生さんが御船町上梅木と言う所で全長10センチ位の歯の化石を見つけます。これが日本で初めて発見された肉食恐竜の化石です。・・・ミフネリュウ・・・と名付けられましたがメガロサウルス科?に属する肉食恐竜です。白亜紀後期[1億4550万年~6550万年前]のものらしいです。
1619年麦島城が地震で崩壊した後、加藤忠広[清正の子]は幕府の許可を受け城代加藤正方に球磨川の北岸[松江]に八代城[1622年完成]を築かせる。1632年(寛永9年)加藤氏改易によって細川忠利が熊本城に入り肥後を預かる。八代城は忠利の父忠興[三斉]が城主として入ります。忠興死後[1645年]忠利は筆頭家老かつ将軍直臣の松井興長を八代城主とします。以後明治まで松井氏が居城とします。1672年(寛文12年)落雷により天守・櫓・長塀を消失 1797年(寛政9年)落雷により本丸大書院・三階櫓等消失・・大書院は再建されたが、天守・櫓は再建されなかった。1870年[明治3年]に廃城となる。
③八代城 1622~1870 加藤氏・細川氏・松井氏の流れで八代が統治され1645年以降は細川家の家老とはいえ将軍家直臣の松井家が統治したのは日本広しと言えども珍しい事です。「松井家は徳川・細川の両方から禄を貰います」薩摩が南にいたからです。
③八代城 1622~1870 加藤氏・細川氏・松井氏の流れで八代が統治され1645年以降は細川家の家老とはいえ将軍家直臣の松井家が統治したのは日本広しと言えども珍しい事です。「松井家は徳川・細川の両方から禄を貰います」薩摩が南にいたからです。

Posted by マー君 at
15:40
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八代のお城は①古麓城→②麦島城→③八代城 と山の頂から平野の町の中へとただ場所が変わっただけではありません。1335年古麓城の築城から1870年(明治3年)の八代城の廃城まで500年以上にわたりお城が存続したのは何らかの理由が有る筈です。①名和氏・相良氏・島津氏の縄張り争い ②は小西氏・加藤氏が八代を統治した時代は、九州の中での地理的な特殊な理由つまり八代が海上交通と九州西街道の要所と成っていた。その為この地を統治する為の城が必要であった。秀吉配下の元、小西行長が造った麦島城は1600年関ヶ原の戦いで斬首となった行長の後加藤家が八代[麦島城]を統治していきます。1615年(元和元年)幕府による一国一城令が出されますが海上と九州南部の警備のため麦島城はそのまま存続が許されます。しかし1619年(元和5年)麦島城は地震の為、倒壊し廃城となります。

Posted by マー君 at
12:09
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1340年代~1587年の古麓城は名和氏が築城し相良氏が増改築した複数の城郭群があるお城一時期は島津の城でもありました。この時期のお城は合戦目的にほとんどのお城が造られていましたので山の上の砦と言う形で遺跡は残っています。豊臣秀吉が九州攻めの際、入城・滞在しました。小西氏の時代に廃城となります。この時期においてはキリスト教宣教師の支配下で展開されていた外国貿易に関与する為、また地理的な問題として島津に睨みを利かすと言う事もあって港[徳淵の津 国際貿易港として発展]や水運の管理をするために麦島城[1588年]を造りました。
八代市立博物館 学芸員 鳥津 亮二氏 資料参考
八代城の変遷は 文化まちづくり課 山内 淳司氏
八代市立博物館 学芸員 鳥津 亮二氏 資料参考
八代城の変遷は 文化まちづくり課 山内 淳司氏
Posted by マー君 at
20:35
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12月19日八代の図書館講座で 八代城の変遷という講座が有りました。講師の方の都合で午前の予定が午後になって、このお話は聞けなかったのですが八代にお城が3つ[建物は無く跡だけですが]もある事は不思議に思っていました。1つ目は新幹線が鹿児島の方に向けて入っていくトンネル付近にあった古麓城、2つ目は古城町にあった麦島城、3つ目が市役所そば松江城町の八代城 では何故この八代にお城が3つも有るのか?こんな疑問に答えてくれた講座だったのでしょう。聞けなくて残念

Posted by マー君 at
15:06
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12月17日 くまもと県民カレッジにて 熊本学園大学教授 境 章氏の講座が有りました。内容はWTOも認めた球磨焼酎の魅力と言うものでしたが、食文化が全く違う世界に向けて球磨焼酎[米焼酎]をどうアピールし受け入れてもらうのか、焼酎業界の歴史や現況をまじえてのお話でした。そして焼酎産業が直面する問題点を①ブームは再来するか ②業界再編の動きは ③甲乙混和酒との競合 ④輸出拡大への困難 ⑤主原料をめぐる新たな対応・・・こんな問題点が出てきました。
お酒の仲間に 醸造酒・・日本酒・ビール・ワイン 蒸留酒・・焼酎・ウイスキー・ブランデー・ウオッカ・ジン・ライム 混成酒・・リキュール・甘味果実酒・合成清酒・ などが有りますが球磨地方という特殊な場所で生まれほとんどが小さな酒蔵の行く末は非常に厳しいものが有ります。室町時代16世紀後半球磨や薩摩で焼酎造りが始まる1559年相良氏勢力下の大口の郡山八幡神社に最古の「焼酎」の文字が神社の補修工事の際発見されました。内容は非常に面白いもので・・「施主がケチで、工事の間一度も焼酎を飲ませてくれなかった。なんとも迷惑である。」この様な落書きだったそうです。安土・桃山時代に相良氏が朝鮮から焼酎の技術者を捕虜として連れ帰った史実が有ります。1657年江戸時代に成って人吉城下で酒造株制度[焼酎醸造販売]が始まる。ちなみに鹿児島での芋焼酎は1782年から・・・焼酎販売が本格的に開始されたのは[1902明治35年]頃から原料が玄米に変わって白米が使われだしたのは大正時代[1913大正2年]頃から、昭和になって麹菌も白麹菌にかわりつい最近[1972昭和47年]減圧蒸留器の導入により飲みやすい米焼酎が出来上がりました。今のところ世界に向けての酒文化を2番手で打って出る施作が見つかっていません「1番手は日本酒」日本酒は日本料理と一緒に世界に出て行きました。球磨焼酎業界どんな秘策を出すのか?
熊本県人として球磨焼酎を応援しましょう・・行政も頑張って・・くまもんも頑張って!
お酒の仲間に 醸造酒・・日本酒・ビール・ワイン 蒸留酒・・焼酎・ウイスキー・ブランデー・ウオッカ・ジン・ライム 混成酒・・リキュール・甘味果実酒・合成清酒・ などが有りますが球磨地方という特殊な場所で生まれほとんどが小さな酒蔵の行く末は非常に厳しいものが有ります。室町時代16世紀後半球磨や薩摩で焼酎造りが始まる1559年相良氏勢力下の大口の郡山八幡神社に最古の「焼酎」の文字が神社の補修工事の際発見されました。内容は非常に面白いもので・・「施主がケチで、工事の間一度も焼酎を飲ませてくれなかった。なんとも迷惑である。」この様な落書きだったそうです。安土・桃山時代に相良氏が朝鮮から焼酎の技術者を捕虜として連れ帰った史実が有ります。1657年江戸時代に成って人吉城下で酒造株制度[焼酎醸造販売]が始まる。ちなみに鹿児島での芋焼酎は1782年から・・・焼酎販売が本格的に開始されたのは[1902明治35年]頃から原料が玄米に変わって白米が使われだしたのは大正時代[1913大正2年]頃から、昭和になって麹菌も白麹菌にかわりつい最近[1972昭和47年]減圧蒸留器の導入により飲みやすい米焼酎が出来上がりました。今のところ世界に向けての酒文化を2番手で打って出る施作が見つかっていません「1番手は日本酒」日本酒は日本料理と一緒に世界に出て行きました。球磨焼酎業界どんな秘策を出すのか?

この話は昭和28年~30年にかけて熊本市で起きた、ハンセン病の親を持つ児童に対する小学校通学拒否事件ですu>。当時はハンセン病[らい病]は伝染病であると認識されていたようです。昭和28年に「らい予防法」が改正され・・・何人も、患者または患者と親族関係にある者に対して、それゆえをもって不当な差別的取り扱いをしてはならない・・・と規定されました。恵楓園にいた子供達は昭和17年に回春病院跡地に龍田寮が出来て小学生児童はそこから地元の小学校に登校、しかし地元の反対[自分たちの子に病気が移る]で登校が出来ませんでした。恵楓園長の宮崎松記が幾度となく龍田寮の児童の登校受入れの陳情を行うが、PTAの強い反対運動が起き、通学受け入れ反対派と賛成派に分かれ長い間紛争が続きました。龍田寮児童全員が県内外の養護施設や家庭に分散して引き取られる事に成り、その後龍田寮も昭和32年に廃止に成りました。この事件は一部の権力者が巻き起こした熊本の恥ずかしい事件です。ハンセン病の正しい認識を持っていさえすれば、龍田寮の児童に対する偏見から起きた差別的虐待は無かったと思われます。過去の歴史に対する正しい認識を踏まえて差別や虐待の無い世の中にしていきたいものです。 12月18日くまもと県民カレッジの講座
講師・・リデル・ライト両女史記念館・館長 緒方 晶子氏
講師・・リデル・ライト両女史記念館・館長 緒方 晶子氏
熊本を応援しますこの話もパレアでの講演の1つなのですが熊本をこよなく愛したと思われる小説家で外国人ですが後に帰化して小泉八雲の名で日本人として日本で亡くなりました。田部隆二が富山高等学校[現富山大学]にハーンの蔵書を寄贈「ヘルン文庫」を作ったのでハーンとはあまり関係のない富山にハーンの資料が行ったために熊本でのハーンの影が薄れています。熊本県ももっと宣伝をすれば良いのにと思います。ハーンはギリシャで生まれたイギリス人[父がアイルランド人、母がギリシャ人]日本に来る前はアメリカでジャーナリストとして活躍します。40歳の時アメリカの出版社の通信員として来日、来日後契約を破棄して日本で英語の教師として強靭をふるい、翌年結婚・・松江・熊本・神戸・東京と日本の英語教育の最先端で尽力しそのかたわら欧米に日本文化を紹介する著書を数多く遺しました。1890年に来日、松江中学、五校、東京帝国大学などで西洋文学を講じるかたわら妻節子から妖怪談を聞きKWAIDANとして「耳なし芳一」「のっぺらぼう」などを広く世界に紹介しました。彼の文学は昔からの物語や伝説、民話などを主として子供向きに解りやすく書き直す再話文学に属します。熊本の風土や五校の学生に親近感を持ったハーンは「極東の将来」という講演をしました聞いた学生や職員たちは非常に感銘を受けたとの事[記念碑が熊大構内に残っています]ハーンが熊本に赴任後。最初に住んだ家は八雲記念館として熊本市安政町[鶴屋デパートの裏]に当時の面影そのままで保存されています。
近年では来日以前にいたフランス領西インド諸島[マルティーク]のクレオールの民俗を探った経歴が注目されています。
熊本ゆかりの文豪、皆で応援しましょう。
近年では来日以前にいたフランス領西インド諸島[マルティーク]のクレオールの民俗を探った経歴が注目されています。
熊本ゆかりの文豪、皆で応援しましょう。

まち歩きの紹介とジパング倶楽部の紹介です。12月号、本の中に特集として「新島八重が暮らした京都」という記事があります。平成25年NHK大河ドラマの主人公新島八重が人生の2/3を過ごした京都での色々なお話をまとめてあります。「じつは八重と言う人物は、今日の茶道のあり方を決定づけた1人なのですよ」と言う書き出しから八重が追及した最後の夢・・・裏千家茶道のお話もあります。西洋の習慣と日本の茶道の侘びの世界、意外な取り合わせですが彼女の生き方を通して頷けるものは十分あるように思います。

11月26日パレアくまもと県民カレッジでの講座・・・理工系のお話は専門ではないのでどちらかと言えば苦手です。この時のお話はkumadaiマグネシウム合金を造られた熊本大学教授の河村能人氏の講義でした。熊本大学は歴史は古く加納治五郎や漱石、小泉八雲、近年では佐藤栄作などの関係者を拝し九州では九大の次に有名な大学でもあります。大学の知名度はどれだけ優秀な学生を世界中から集めきるかによって決まります。日本では東大が1番です。優秀な学生を集めるためには優秀な教授がどれくらいその大学に居るかによって決まってきます。私学以外の大学の運営は国からの補助とそれぞれの教授が研究する課題に企業や団体が研究に投資する資金の額や数によって生徒が学ぶ学科の質も変わってきます。レベルの高い授業を行えばそれなりに学生の質も高い人達が集まるということです。kumadaiマグネシウム合金の研究は産業の基盤としての材量の研究であり世界で最も機械的性質が優れ、世界一の強度を持ち1100度Cでも燃えない不燃性マグネシウム合金は航空機に使用されているジュラルミンより軽く強度は1、4倍ほどあり従来にない優れた強度と耐熱性を持つ革新的な合金です2003年に研究発表され業界の関心を引き付けました。私たちの熊本にも素晴らしい研究者がいます講義を聞いて誇らしく思いました。

12月4日パレアにてのくまもと県民カレッジでの講座・・・・・まづは小学生コースでカルデラってな~に?火山が創った大きな穴・・・それでは小さな穴は?・・・火口
阿蘇火山博物館学芸員の玉置久弥さんの講座の始まりです。頭の中では理解出来ていても突然言われてみるとなかなか上手く説明が出来ない事はよくあります。他府県からの観光客に阿蘇山ってどれですか・・・こんな質問も年齢を問わず多くあるそうです。阿蘇山っていう山はありません。こう答えるとキョトンとする方がいるそうです。熊本に住む我々は阿蘇五岳を中心とした外輪山一帯の地域を阿蘇と呼んでいますが他府県の方から見れば阿蘇は富士山と同じようなもので阿蘇山と言う山が実在すると思われている方が多いようです。実際現実にも阿蘇山と呼ぶ場合もありそれは中央火山丘群の根子岳・高岳・中岳・烏帽子岳・杵島岳の5つの山の総称を指します阿蘇は世界でも有数の大型カルデラであり現在も火山活動を続けています、カルデラの北を阿蘇谷[阿蘇市]南を南郷谷[阿蘇郡高森町]にわかれ阿蘇には約4万5千人の方が住んでおられます。阿蘇の歴史は非常に古く火山活動は30万年~9万年前までに大きなカルデラ噴火を4回おこし現在の形になったと言われています。9万年前の巨大カルデラ噴火では噴火物は600K㎥[富士山の山体全部の大きさ]以上に達し火砕流は九州の半分を覆ったと言われています日本で1番大きなカルデラは北海道の屈斜路カルデラ2番目が阿蘇で3番目は鹿児島県の桜島の北にある姶良カルデラです。現在日本で生きていると思われる火山は110ほどありそのうち気象庁が噴火の危険性を予測する火山が19個有り九州はその内の5つも有して居るとの事で我々が住む地域は火山の噴火と言う事では要注意。
阿蘇火山博物館学芸員の玉置久弥さんの講座の始まりです。頭の中では理解出来ていても突然言われてみるとなかなか上手く説明が出来ない事はよくあります。他府県からの観光客に阿蘇山ってどれですか・・・こんな質問も年齢を問わず多くあるそうです。阿蘇山っていう山はありません。こう答えるとキョトンとする方がいるそうです。熊本に住む我々は阿蘇五岳を中心とした外輪山一帯の地域を阿蘇と呼んでいますが他府県の方から見れば阿蘇は富士山と同じようなもので阿蘇山と言う山が実在すると思われている方が多いようです。実際現実にも阿蘇山と呼ぶ場合もありそれは中央火山丘群の根子岳・高岳・中岳・烏帽子岳・杵島岳の5つの山の総称を指します阿蘇は世界でも有数の大型カルデラであり現在も火山活動を続けています、カルデラの北を阿蘇谷[阿蘇市]南を南郷谷[阿蘇郡高森町]にわかれ阿蘇には約4万5千人の方が住んでおられます。阿蘇の歴史は非常に古く火山活動は30万年~9万年前までに大きなカルデラ噴火を4回おこし現在の形になったと言われています。9万年前の巨大カルデラ噴火では噴火物は600K㎥[富士山の山体全部の大きさ]以上に達し火砕流は九州の半分を覆ったと言われています日本で1番大きなカルデラは北海道の屈斜路カルデラ2番目が阿蘇で3番目は鹿児島県の桜島の北にある姶良カルデラです。現在日本で生きていると思われる火山は110ほどありそのうち気象庁が噴火の危険性を予測する火山が19個有り九州はその内の5つも有して居るとの事で我々が住む地域は火山の噴火と言う事では要注意。

12月3日パレアにおいてくまもと県民カレッジくまもと文学コースで絵本に関するお話が有りました。戦後間もなく生まれた私達の年代では絵本と言えば、大人が子供に対して読み聞かせる桃太郎や浦島太郎、かぐや姫などの児童を対象にした絵本、海外の作品でもシンデレラ姫やイソップ物語などどちらかといえば子供向けの物がまづ頭に浮かびます。でも今は絵本の読者は幅広く誰にでも親しめる読み易い書籍になっているとの話です。この時の講師の方は絵本作家の池上久美子という方で熊本で絵本教室を開き創作絵本の活動をされています。生徒の方は20~80代と幅広いそうです。絵本の題材としては絵も文章も全てオリジナルそれはもう色々あるそうですが、「自分」や「家族」など身近なものが一番多いとのことです。講義の中で紹介された絵本は、山が読んでいるわたしの木、コンタと星じいちゃんの天文台、おねえちゃんになったよ、おかあさんは学校で、トゲトゲさなぎ、15歳になったあなたにおばあちゃんより、にのりくんとゆかいななかま、ミイとマイケル、ありがとうわすれないよ、鬼八伝説と言うものでしたが造られた方の想いが絵や文章から非常に良く伝わり素晴らしい作品が多かったと思います。又物語を読み聞かされてもなんの違和感も感じずに受け入れができるので、こう言う世界があるんだなと感心をしました。その後創作絵本の事を少し調べてみました。
佐野洋子と言う作家が書いた作品で[100万回生きたねこ]と言う作品が1977年に出版されベストセラーに成ったそうです。何年かしてミュージカルとしても取り上げられたそうです。
佐野洋子と言う作家が書いた作品で[100万回生きたねこ]と言う作品が1977年に出版されベストセラーに成ったそうです。何年かしてミュージカルとしても取り上げられたそうです。

12月5日八代市図書館の講座です。杉山幹郎という以前学校教育の関係で熊本県で教員をされていた方が本日の講師を務められました。講座の題名からしてなんじゃこれは?国語教室なんで挨拶の仕方でも教えてくれるのかなと思いながら図書館に行ってみました。
内容は素晴らしいものでした。[挨拶]を色々な切り口で考えその本質を追及すると言ったもので、挨拶の定義や挨拶の由来、挨拶の種類、挨拶の効用、語源・由来、そして挨拶と礼儀まで話を広げ待遇表現[その場の人間関係や場面などについて色々な気配りをして選ぶ言葉遣い]という内面的な人間の思考までつきとめるお話でした。
いつも何でもない様な気持ちで受け答えしている「おはようございます」や「こんばは」の挨拶・・・こんなに人間の生活にとって大切なものであるのかを改めて教えて頂きました。
生涯現役毎日勉強・・・・・つくづく教わることの有難さを感じずにはおれません。・・・有難うございました。
内容は素晴らしいものでした。[挨拶]を色々な切り口で考えその本質を追及すると言ったもので、挨拶の定義や挨拶の由来、挨拶の種類、挨拶の効用、語源・由来、そして挨拶と礼儀まで話を広げ待遇表現[その場の人間関係や場面などについて色々な気配りをして選ぶ言葉遣い]という内面的な人間の思考までつきとめるお話でした。
いつも何でもない様な気持ちで受け答えしている「おはようございます」や「こんばは」の挨拶・・・こんなに人間の生活にとって大切なものであるのかを改めて教えて頂きました。
生涯現役毎日勉強・・・・・つくづく教わることの有難さを感じずにはおれません。・・・有難うございました。
