2012年12月23日
八代のお城について「その3」
八代のお城は①古麓城→②麦島城→③八代城 と山の頂から平野の町の中へとただ場所が変わっただけではありません。1335年古麓城の築城から1870年(明治3年)の八代城の廃城まで500年以上にわたりお城が存続したのは何らかの理由が有る筈です。①名和氏・相良氏・島津氏の縄張り争い ②は小西氏・加藤氏が八代を統治した時代は、九州の中での地理的な特殊な理由つまり八代が海上交通と九州西街道の要所と成っていた。その為この地を統治する為の城が必要であった。秀吉配下の元、小西行長が造った麦島城は1600年関ヶ原の戦いで斬首となった行長の後加藤家が八代[麦島城]を統治していきます。1615年(元和元年)幕府による一国一城令が出されますが海上と九州南部の警備のため麦島城はそのまま存続が許されます。しかし1619年(元和5年)麦島城は地震の為、倒壊し廃城となります。

Posted by マー君 at 12:09│Comments(0)