
目が覚めてテレビをつけると、NHKのニュースで「千葉時代」 国際学会に申請への話がありました。
自分のブログにも2016年03月06日千葉期・千葉時代・チバニアンのタイトルで1年以上前に扱っていました。
その後いろいろな調査を経て今日のニュースになったと思われますが、地元千葉のNHKでは次のように報道しています。
→ およそ77万年前に地球の磁場が逆転したときの痕跡を残している千葉県市原市の地層について茨城大学などのグループは、地球の歴史の一時代を代表する「国際標準地」としての登録を目指し、来月、国際学会に申請することになりました。
申請どおりに認められれば、この地層が示す時代に「千葉時代」を意味する「チバニアン」と名付けられる可能性があり、審査の行方が注目されます。
地球の歴史の一時代を代表する「国際標準地」としての登録を目指すのは、千葉県市原市の養老川沿いにあるおよそ77万年前の地層です。
茨城大学や国立極地研究所などでつくる研究グループによりますと、この地層に含まれている鉱物や火山灰などを調べた結果、およそ77万年前に、地球の磁場、つまり「N極」と「S極」が逆転して今の状態になったことを示す痕跡がはっきりと確認されたということです。
このため、研究グループは、この地層について、78万年から12万年前にかけての地球の一時代の特徴を最もよくあらわす「国際標準地」としての登録を目指し、来月上旬にも、世界の地質学者でつくる「国際地質科学連合」に申請することになりました。
同じ時期の特徴が読み取れる地層として、イタリアも2か所を申請する見込みで、「国際地質科学連合」は今後、市原市を含む3か所の中から1か所を選ぶことになる見通しです。
市原市の地層が選ばれた場合、この地層が示す時代に「千葉時代」を意味する「チバニアン」と名付けられる可能性があり、国際学会による審査の行方が注目されます。←


地球46億年の歴史に「千葉時代」が刻まれるかも--。
茨城大などの研究チームは6月7日、千葉県市原市田淵にある地層を77万年前~12万6000年前の地質時代を代表する地層と認定するよう国際地質科学連合に申請する。
認められれば国内の地層では初めてで、この時代は「チバニアン」(ラテン語で千葉時代)と命名される予定。
ただ、対抗馬のイタリアも有力で、勝負の行方は来年初めには決着する見通しだ。
☆地球の歴史に「千葉期」?…国際標準地に命名か
千葉県市原市の養老川沿いで確認された約77万年前の地層が、地球の歴史を区分する「地質年代」の境界として、
国際標準地になる可能性が出ている。

来年の国際会議で選定されれば、258万年前から現在までの「第四紀」の中に、「千葉期(チバシアン)」と呼ばれる時代ができる。
【地質年代】
・カンブリア紀(Cambrian)
地質学発祥の地,イギリスの古い地名に由来します。
ウェールズの北部はかつて「Cumbria」と呼ばれていました。
・オルドビス紀(Ordovician)
こちらもイギリスの古い部族名が元です。
ケルト人部族「Ordovices」から。
・シルル紀(Silurian)
こちらもイギリスから。
ウェールズに住んでいた部族「Silures」が元になっています。
・デボン紀(Devonian)
こちらもイギリスです。
上の三つの地質時代のように,古い地名や部族ではなく,そのまま現代名を使っています。
イングランド南西部,コーンウォール半島に「デボン(Devon)」という名の州があります。
・石炭紀(Carboniferous)
これは漢字の意味のママです。「石炭を産出する地層ができた時代」という意味です。
産業革命がおきたとき,地質学はそのエネルギー源である石炭の調査に必要なものでした。その石炭探査を進めながら,地質時代が決まっていきます。
この「石炭紀」は,数ある地質時代の中で,最も先に設定されました。
ちょっとコアな方々への余談として書いておくと,「石炭紀」の設定は,かの『地質学原理』に8年先行します。
・ペルム紀(Permian)
こちらは,ロシアの地名から。
ウラル山脈の西側にペルム(あるいはペルミ:Perm)という地名があります。
この時代,かつては日本では「二畳紀」とよばれていたこともありました。それは,ヨーロッパでこの時代の地層が大きく二つにわけられることに由来しています。
近年では,「二畳紀」を使わずに,「ペルム紀」とする例が多いようです。
・三畳紀(Triassic)
南ドイツの特徴的な地層が,その名の由来です。
この時代の地層が,大きく三つに区分されます。
・ジュラ紀(Jurassic)
フランスとスイスの国境となっている「ジュラ山脈」に由来します。
・白亜紀(Cretaceous)
これはフランスの「白亜の地層」に由来します。
ドーバー海峡をみると真っ白な綺麗な崖がつづいています。
この白亜(creta)の壁をつくる地層にちなんでいます。
・古第三紀(Paleogene)と新第三紀(Neogene)
かつて,地質時代は今日よりももっとシンプルだと考えられていました。
その名残が,この時代名です。「第三紀」とは,「3番目の時代」の意。
地質時代が合計四つに区分されるとみなされていたときのものです。
現在では,単に第三紀とするのではなく,古第三紀,新第三紀と二分割して表記することが主流となっています。
・第四紀(Quaternary)
こちらも,かつての名残。もっとシンプルだと考えられていたときの「4番目の時代」という意味です。

何故そうなるのか分からないけど地球の磁場は今までに何回もひっくり返っているのですね。
不思議と不可思議は同じ意味? 仏教用語?
不可思議という言葉は大きな数を数える単位につかわれていました。初めて知りました、それって本当。
数の単位は 一 十 百 千 万 億 兆 京 垓 (秭) 穣 溝 澗 正 載 極 恒河沙 阿僧祇 那由他 不可思議 無量大数 (計21単位)で数えますが私たちが普通知っているのは京まで。
後は見たこともないし読み方もわかりません。
使用する人たちはどんなことに使用されるのか私たちにはわからない世界です。
①不可思議の意味は常識では考えられないこと。考え及ばないこと。異様なこと。また、そのさま。
②人間の認識・理解の限界を超えていること。また、そのさま。仏の智慧・神通力などの形容に用いる。不思議。
③ 数の単位。10の64乗。一説に10の80乗。
不思議の語源由来を調べてみると
不思議は仏教用語「不可思議・ふかしぎ=思議すべからず」の略である「不可思議」は、仏や菩薩の神通力や行為のように、言葉に表すことも思いはかる事も出来ない境地を意味する。転じて人間の判断力では及ばないことを意味する様になり、さらに転じて、常識では理解できない事を表すようになった。数の「不可思議」も常識では理解できないことから来ているらしい。

日本語って難しい。「不」はしない、でない、いいえを意味する言葉 「可」はそれで良いとすること
何故不思議と不可思議が同じ意味なんだろう・・それにしても分からないことが多すぎる。
今日の新聞一面に「山の深層崩壊 九州厳戒」 高い発生頻度 熊本地震で緩みも との記事が目につきました。九州各地は今は日照り続きで、毎日の暑さに悲鳴を上げていますが、5月もあと2~3日6月ともなれば必ず梅雨がやって来ます。昨年の熊本地震で地盤が緩んでいる事も有り梅雨期の斜面崩壊に注意せよとの警告記事のようにも思う。また大分県では豊後大野市朝地町綿田地区で多数の地割れが発生し地滑りの危険性もあるという問題が起きていますが梅雨に入ると色々と心配の種は多くなります。

深層崩壊発生頻度 宮崎県「特に高い」地域が38%(全国2位) 熊本県19%(全国9位) 大分県2% 福岡県、佐賀県、長崎県、鹿児島県は「該当なし」
深層崩壊とは山の斜面が深さ0.5~2mほど崩れる「表層崩壊」に対し、土壌の下の岩板まで一緒に崩れる現象。降雨や地震などが原因で、総降雨量が400ミリを超すと危険性が増すとされる。崩れた土砂が川をせき止め、決壊して大規模な土石流を起こす事も有る。国交省によると、2001~10年の発生は31件。鹿児島県出水市で1997年、21人が亡くなった土砂災害も深層崩壊とされる。

表土層が崩れる表層崩壊に対し深層崩壊は岩板ごと崩れ落ちる
●対策‥危険性が高い地域を土砂災害警戒区域に指定し周知する(熊本県)

対策は警戒区域を教えるので近ずくな・・○○危うきに近ずくな?
このあたりが危ないですよくらいで、はっきり分からないのです。
北朝鮮のミサイルがいつ飛んでくるかのレベルかな。
もう少ししっかりしたものを頼みます。

深層崩壊発生頻度 宮崎県「特に高い」地域が38%(全国2位) 熊本県19%(全国9位) 大分県2% 福岡県、佐賀県、長崎県、鹿児島県は「該当なし」
深層崩壊とは山の斜面が深さ0.5~2mほど崩れる「表層崩壊」に対し、土壌の下の岩板まで一緒に崩れる現象。降雨や地震などが原因で、総降雨量が400ミリを超すと危険性が増すとされる。崩れた土砂が川をせき止め、決壊して大規模な土石流を起こす事も有る。国交省によると、2001~10年の発生は31件。鹿児島県出水市で1997年、21人が亡くなった土砂災害も深層崩壊とされる。

表土層が崩れる表層崩壊に対し深層崩壊は岩板ごと崩れ落ちる
●対策‥危険性が高い地域を土砂災害警戒区域に指定し周知する(熊本県)

対策は警戒区域を教えるので近ずくな・・○○危うきに近ずくな?
このあたりが危ないですよくらいで、はっきり分からないのです。
北朝鮮のミサイルがいつ飛んでくるかのレベルかな。
もう少ししっかりしたものを頼みます。
加計学園の問題は前事務次官の発言で問題は大きく動こうとしています。
官邸は問題をこれ以上大きくしたくないのでもみ消し工作に躍起の様子が私たちの目にも明らかです。
現在は昔と違ってニュースは新聞、ラジオ、テレビの他インターネットを利用したツイッターやフェイスブックなどのSNSで新しいニュースが入る時代になっています。
今回取り上げたこのコラムは世の中の最先端でうごめいている問題と人々の反応をうまく捉えて記事にしたものです。
新聞社の記者の人達の情報源ってそこら中に目を光らさなければならないのは大変です。
それが仕事と言われればそうかも知れませんが、官邸の人達もそこら中に目を光らせていないとこの問題、いつかは自分たちの命取りになるかも。
いいね!
安倍晋三首相の友人が理事長を務める学校法人加計(かけ)学園の獣医学部新設を巡る朝日新聞の報道を「言論テロ」などと批判したフェイスブック(FB)の投稿に、首相のFBのページから「いいね!」ボタンが押され、評価したことが話題になっている。
報道は、獣医学部の新設について「総理の意向だ」などと内閣府から伝えられたとする文書を文部科学省が残していたとの内容で、前事務次官の前川喜平氏が「(文書は)本物」と証言した。政府の疑義を指摘することを「テロ」と断じるならば、言論の自由はなくなる。それに首相が賛同したとすれば驚きだ。
今村雅弘復興相(当時)が記者会見で、東京電力福島第1原発事故に伴う自主避難者を巡り、国の責任をただした記者に「出て行きなさい」「うるさい」と激高した場面は記憶に新しい。権力側が、批判や異論を攻撃的に排除しようとする姿が目立つことに危うさを覚える。 (山口卓)
2017・5.27 西日本新聞 デスク日記(山口卓)

揺れはまだ続きそう・・官邸
官邸は問題をこれ以上大きくしたくないのでもみ消し工作に躍起の様子が私たちの目にも明らかです。
現在は昔と違ってニュースは新聞、ラジオ、テレビの他インターネットを利用したツイッターやフェイスブックなどのSNSで新しいニュースが入る時代になっています。
今回取り上げたこのコラムは世の中の最先端でうごめいている問題と人々の反応をうまく捉えて記事にしたものです。
新聞社の記者の人達の情報源ってそこら中に目を光らさなければならないのは大変です。
それが仕事と言われればそうかも知れませんが、官邸の人達もそこら中に目を光らせていないとこの問題、いつかは自分たちの命取りになるかも。

安倍晋三首相の友人が理事長を務める学校法人加計(かけ)学園の獣医学部新設を巡る朝日新聞の報道を「言論テロ」などと批判したフェイスブック(FB)の投稿に、首相のFBのページから「いいね!」ボタンが押され、評価したことが話題になっている。
報道は、獣医学部の新設について「総理の意向だ」などと内閣府から伝えられたとする文書を文部科学省が残していたとの内容で、前事務次官の前川喜平氏が「(文書は)本物」と証言した。政府の疑義を指摘することを「テロ」と断じるならば、言論の自由はなくなる。それに首相が賛同したとすれば驚きだ。
今村雅弘復興相(当時)が記者会見で、東京電力福島第1原発事故に伴う自主避難者を巡り、国の責任をただした記者に「出て行きなさい」「うるさい」と激高した場面は記憶に新しい。権力側が、批判や異論を攻撃的に排除しようとする姿が目立つことに危うさを覚える。 (山口卓)
2017・5.27 西日本新聞 デスク日記(山口卓)

揺れはまだ続きそう・・官邸
Posted by マー君 at
15:25
│Comments(0)

今騒がれている加計学園認可の問題、25日午後前川喜平前文科省事務次官が記者会見で加計学園を巡る記録文書について「なかったことにできない」との話をしました。政府側は文書はなかったと繰り返すが、森友学園の問題にしろこの加計学園の問題にしても、官邸の動きに何かうさんくささを感じます。だって加計学園の理事長の加計孝太郎氏と安倍総理は30年来の友人というではありませんか。
話をまとめてみると
●加計学園を巡る記録文書
岡山市の学校法人「加計学園」が政府の国家戦略特区を活用し、愛媛県今治市に岡山理科大獣医学部を開設する計画に関し、文部科学省が、特区担当の内閣府とのやりとりを記録したとされる複数の文書。早期の開学に関し「官邸の最高レベルが言っている」「総理のご意向だと聞いている」などと記載。文科省は調査で文書の存在は確認できなかったとしている。一連の文書には、日本獣医師会顧問の北村直人元衆院議員が文科省の職員と連絡を取ったとして実名で登場。北村氏は「内容はほぼ事実」と証言した。
●国家戦略特区」とは、第二次安倍政権が進める新しい経済特別区域構想のことで、地域を限定した大胆な規制緩和や税制面の優遇で民間投資を引き出し、“世界で一番ビジネスがしやすい環境”を創出するのが狙いです。2013年6月に特区創設が閣議決定され、12月に成立した国家戦略特別区域法では医療や雇用、農業など計六分野で規制の特例が認められました。いわゆるアベノミクスの“第三の矢”と呼ばれる成長戦略の中核として期待されていますが、一方で、焦点の一つである雇用や働き方に関する規制緩和については批判や抵抗が根強く、具体的な施策づくりに向けた議論の行方はいまだ不透明な情勢です。(人事労務用語辞典)

今度の揺れは大きいな・・・官邸
Posted by マー君 at
11:58
│Comments(0)


トカトントンとは太宰治の晩年の短編小説の題名です。
先日、図書館講座で地元の作家前山光則先生が「戦後の文学を読む」と題して3回連続で話をされる第1回目に取り上げた作品です。
作品は手紙の相談者が何かをしようとすれば「トカトントン」という音が聞こえて来て、その後何もしたくないような倦怠感に陥ってしまう、この自分の悩みを某作家に相談し返事を貰うといった筋書きに成っています。
作品だけを読めばノイローゼの青年が医者でもない物書きにお門違いの悩み事を相談している話のように思えます。
彼の作品は学生の頃からあまり読んだことが無かったので私も初めはこの程度の理解しかできません。
でも太宰治という人がどういう人であるのかを予備知識として知っているのと知らないのではこの短編小説の味わい方がごろっと変わるのです。
前山先生もそのあたりはわきまえて居られて本題に入られる前に太宰治の略年譜に基づいて人間太宰治の話を詳しく説明されました。
太宰は中学生の時から文芸に興味を持ち級友らの同人誌に作品を発表している。またこの頃芥川龍之介に憧れを持っていましたが太宰が高校生の時に芥川の自殺に大きな衝撃を受けました。20歳の時弟の死や思想的な悩みからカルモチン自殺を図るが未遂。21歳の時東京帝国大学仏文科に入学、井伏鱒二に会い以後師事、銀座のカフェーの女性と江ノ島で投身し女性は死亡、自殺幇助罪に問われるが起訴猶予になる。26歳の時都新聞社の入社試験を受けるが不採用。鎌倉の山中で縊死(いし)を図るが失敗。その後盲腸炎から腹膜炎を併発して鎮痛剤として用いたパピナールのため中毒症に苦しむ。第1回芥川賞候補となるが次席にとどまる。27歳の時パピナール中毒症で入院。28歳の時小山初代と水上温泉に行きカルモチン自殺を企てるが未遂。帰京後、20歳から同棲していた初代と離別。29歳、昭和13年井伏の紹介で石原美和子と見合いをし、婚約、昭和14年に結婚。33歳の時母たね死去。35歳、昭和19年長男誕生(のちに肺炎により15歳で死去)、小山初代が青島で死去。
36歳、昭和20年の時終戦。昭和22年太田静子を訪ねる。次女里子誕生。山崎富栄と知り合う。太田静子に娘治子誕生。昭和23年3月39歳の時山崎富栄とともに玉川上水に入水自殺。自殺未遂や薬物中毒を繰り返し乱れた私生活の中、戦前から戦後にかけて多くの作品を残しました。代表作は『富嶽百景』(1939年)『走れメロス』(1940年)『津軽』(1944年)『お伽草紙』(1945年)『ヴィヨンの妻』(1947年)『斜陽』(1947年)『人間失格』(1948年)などがあります。
「トカトントン」に出てくる主人公の青年は水戸市に住む保知勇二郎という実在の人です。手紙も太宰治に出しています。しかしこの事を太宰はフィクション化して作品にしました。作品のほとんどが手紙の内容になりますが何かをしようとしたり、考えたりする度に幻聴とも思える「トカトントン」が聞こえて来て脱力感に悩まされ、自分ではどうしようもないほど思い悩んでいるというのです。太宰に幻聴があったかなかったかは分かりませんが、彼の生きざまを見ればそれなりに思い悩むことは人知れずあったに違いありません。太宰の自殺の原因は自身の身体の不調に加え一人息子がダウン症で知能に障害があったことを苦にしていた事などが原因ではないかと思われています。太宰が心酔していた芥川龍之介の自殺の原因は義兄が放火と保険金詐欺の嫌疑をかけられ鉄道自殺したことで、借金や残された家族の面倒を見なければならなくなった為将来に対する不安が原因と言われています。私見ではありますが、人は大なり小なり悩み事がありその悩みに打ち勝てない自分を見いだします。「トカトントン」の最終場面は作家の返事になります。真の思想は、叡智よりも勇気を必要とするものですと聖書のマタイ十章、二八を返します。太宰自身も言葉では分かってはいるのだが解決しようとしてもしきれない自分の状況をこの作品で表したのだと思います。
やがて太宰は悩みを背負ったまま山崎富栄とともに玉川上水で心中します。
平成10年、50回忌を目前にした日に遺族が太宰の遺書を公開しましたが「小説を書くのがいやに成ったので死ぬ」と自殺の動機が明らかになりました。

誰の耳にも「トカトントン」


近所の歯科医で少し時間待ちの間に新聞に目を通した。
森友学園や加計学園の問題で国会で耳にたこが出来るほど聞き慣れた「忖度」の話でした。
去年まではほんの一部の人しか知らなかった「忖度」という言葉。
今や、今年の流行語大賞にもなりそうな言葉です。
今は小池知事までが「自民党都連の政治は忖度政治」と自民批判に使っています。
しかしこの記事では「忖度」の言葉の使われ方が違うのではないかと意見を述べています。
そもそも「忖度」の意味は「他人の心をおしはかる」という意味で推量の域を脱しない言葉です。
それにも関わらず、「他人の心をおしはかった上で何かをする」という意味に変わっているというのです。
この様に使われる言葉は別に「斟酌・しんしゃく」という言葉があるそうです。
言葉も長年使われると例え間違った意味で使われていようがその使い方が正しい言葉になると言う様な記事でしたが。
それならば元々の正しい言葉はどうなってしまうのでしょうか・・余計な心配かも知れませんね。

この問題どこで違ったのかな?使い方の間違い?聞き取り方の間違い?
2万7千年前(旧石器時代)の人達が亡くなった人たちのために風葬というやり方で遺体を弔っていたことが沖縄の白保竿根田原(しらほさおねたばる)洞窟遺跡で見つかったという話です。
生活する場所と死者を葬る場所を区別していたただそれだけのことですが2万7千年前の人類が死者を葬るすべをわきまえていた事は大変な事だと思います。
言ってみればそれだけの文化らしきものを持っていたという事ですから・・。
2万7千年経った今、私たちはどう変わったのでしょうか。

白保竿根田原洞穴遺跡で見つかった約2万7000年前のものとみられる人骨=沖縄県立埋蔵文化財センター提供

石垣で国内最古の全身人骨 日本の歴史また1ページ
沖縄県・石垣島(石垣市)の「白保竿根田原(しらほさおねたばる)洞穴遺跡」で2016年までの調査で見つかった旧石器時代の人骨が、全身骨格がほぼ残った人骨としては国内最古の約2万7000年前のものとみられることが分かった。同県立埋蔵文化財センター(西原町)が19日発表した。人為的に安置されていたとして「旧石器時代の埋葬と墓域を国内で初めて確認した」と説明している。
これまで最古とされていたのは、沖縄本島南部で発見された「港川人(みなとがわじん)」の約2万2000年前。同センターの金城亀信所長は19日の記者会見で「日本の人類史に新たな一ページを刻むことができる重要な発見だ」とした。
少なくとも19体分以上の骨があることも分かり、旧石器時代の人骨発掘としては「世界最大級」(同センター)という。
同センターは、地中に埋葬せずに風化させる「風葬」が行われていた可能性に言及。生活の痕跡は見られず「死者を葬る場所と生活の場所が分かれていた」と指摘する。
全身人骨が地上の狭い岩の間に、あおむけの姿勢で、膝を胸の前に、肘は両手が顔の近くになるように折り曲げられていたことを明らかにし、ほかの遺骨も同様に葬られていた可能性があるとしている。
全身人骨は高齢の成人男性とされ推定身長約165センチで「港川人」より10センチ程度高かったといい、虫歯のような痕もあった。
10年から本格的に始まった調査は16年に終了し、1000点以上の人骨片が発掘された。全身人骨は、放射性炭素年代測定値を実年代に合うよう補正し、約2万7000年前と推定した。
全身人骨などは20~28日、同センターで一般公開される。(共同)
<白保竿根田原(しらほさおねたばる)洞穴遺跡> 沖縄県石垣市(石垣島)にある遺跡。海岸から約800メートルで、標高30~40メートルに位置している。新石垣空港の建設に伴う調査で見つかり、これまで1000点以上の人骨片が出土している。19体分以上あるとみられ、旧石器時代の遺跡としては世界でも最大級という。人骨の他には、動物の牙で作ったアクセサリーとみられる約4000年前の骨製品などが出土。遺跡の中心部は空港内に残されている

進化しているの?
生活する場所と死者を葬る場所を区別していたただそれだけのことですが2万7千年前の人類が死者を葬るすべをわきまえていた事は大変な事だと思います。
言ってみればそれだけの文化らしきものを持っていたという事ですから・・。
2万7千年経った今、私たちはどう変わったのでしょうか。

白保竿根田原洞穴遺跡で見つかった約2万7000年前のものとみられる人骨=沖縄県立埋蔵文化財センター提供

石垣で国内最古の全身人骨 日本の歴史また1ページ
沖縄県・石垣島(石垣市)の「白保竿根田原(しらほさおねたばる)洞穴遺跡」で2016年までの調査で見つかった旧石器時代の人骨が、全身骨格がほぼ残った人骨としては国内最古の約2万7000年前のものとみられることが分かった。同県立埋蔵文化財センター(西原町)が19日発表した。人為的に安置されていたとして「旧石器時代の埋葬と墓域を国内で初めて確認した」と説明している。
これまで最古とされていたのは、沖縄本島南部で発見された「港川人(みなとがわじん)」の約2万2000年前。同センターの金城亀信所長は19日の記者会見で「日本の人類史に新たな一ページを刻むことができる重要な発見だ」とした。
少なくとも19体分以上の骨があることも分かり、旧石器時代の人骨発掘としては「世界最大級」(同センター)という。
同センターは、地中に埋葬せずに風化させる「風葬」が行われていた可能性に言及。生活の痕跡は見られず「死者を葬る場所と生活の場所が分かれていた」と指摘する。
全身人骨が地上の狭い岩の間に、あおむけの姿勢で、膝を胸の前に、肘は両手が顔の近くになるように折り曲げられていたことを明らかにし、ほかの遺骨も同様に葬られていた可能性があるとしている。
全身人骨は高齢の成人男性とされ推定身長約165センチで「港川人」より10センチ程度高かったといい、虫歯のような痕もあった。
10年から本格的に始まった調査は16年に終了し、1000点以上の人骨片が発掘された。全身人骨は、放射性炭素年代測定値を実年代に合うよう補正し、約2万7000年前と推定した。
全身人骨などは20~28日、同センターで一般公開される。(共同)
<白保竿根田原(しらほさおねたばる)洞穴遺跡> 沖縄県石垣市(石垣島)にある遺跡。海岸から約800メートルで、標高30~40メートルに位置している。新石垣空港の建設に伴う調査で見つかり、これまで1000点以上の人骨片が出土している。19体分以上あるとみられ、旧石器時代の遺跡としては世界でも最大級という。人骨の他には、動物の牙で作ったアクセサリーとみられる約4000年前の骨製品などが出土。遺跡の中心部は空港内に残されている

進化しているの?
この半年の間に世の中というか世界が何か変な方向に進んでいるような気がしてなりません。
中国はしたたかにアジア地域の覇権を狙い、ロシアもヨーロッパや中東地域で独自の動きをしています。
北朝鮮は言うに及ばずアメリカも政治的な動きとしては今は読めません。
日本も右に習えと言わんばかりの自民一強の状態で、首相自ら国会無視のやりたい放題。
強いリーダーも善し悪し。
「共謀罪」も今日の動きから考えるとこの国会で決まりそう。
国家権力だけが無闇にどんどん強くなる本当にこれでいいのか。

こうならないでほしい。
23人の人格を持つ男に監禁された3人の女子高校生は無事逃れられるか-。公開中の米映画「スプリット」。9歳の少年から上品な女性まで、主演男優の演じ分けが見ものだ
►この人も人格を使い分けているかのよう。ビデオメッセージで、憲法9条に自衛隊の存在を明記し、2020年に施行したいと語った安倍晋三首相だ
►改憲は国の根幹に関わる重大事。首相が考えを唐突に表明し、時期まで示したからには、国会で論議されるのが当然だ。だが、首相は「自民党総裁としての発言」「この場には首相として立っている」とまともに答えなかった
►詳しくは「(インタビューが掲載された)読売新聞を熟読してほしい」とも。これほど国会と、国会議員を選んだ国民をばかにした話もない。都合良く「首相」「総裁」と使い分ける姿は、窮地に陥ると別の人格が現れる映画の主人公を思い出す
►森友学園問題では妻昭恵さんも。教育方針に賛同して名誉校長になったのは「私人」、夫人として首相を支えるときは「公人」なのだとか
►今度は「友人」の顔が。「腹心の友」の獣医学部新設を巡り、内閣府が文部科学省に「総理のご意向」と言ったとする文書が出てきた。あれこれ顔を使い分けようと、周囲は首相の意向と受け取り、忖度(そんたく)が生じる。国政の最高責任者という「主人格」からは逃れられないのだから、詭弁(きべん)を弄(ろう)せず疑惑に正面から答えるべきだ。
=2017/05/19付 西日本新聞朝刊【春秋】=

国会は議論をする場所、新聞を読めこれはない。
質問をした議員は国民が選んだ人
国民を馬鹿にするな!
みんな怒っています。
中国はしたたかにアジア地域の覇権を狙い、ロシアもヨーロッパや中東地域で独自の動きをしています。
北朝鮮は言うに及ばずアメリカも政治的な動きとしては今は読めません。
日本も右に習えと言わんばかりの自民一強の状態で、首相自ら国会無視のやりたい放題。
強いリーダーも善し悪し。
「共謀罪」も今日の動きから考えるとこの国会で決まりそう。
国家権力だけが無闇にどんどん強くなる本当にこれでいいのか。

こうならないでほしい。
23人の人格を持つ男に監禁された3人の女子高校生は無事逃れられるか-。公開中の米映画「スプリット」。9歳の少年から上品な女性まで、主演男優の演じ分けが見ものだ
►この人も人格を使い分けているかのよう。ビデオメッセージで、憲法9条に自衛隊の存在を明記し、2020年に施行したいと語った安倍晋三首相だ
►改憲は国の根幹に関わる重大事。首相が考えを唐突に表明し、時期まで示したからには、国会で論議されるのが当然だ。だが、首相は「自民党総裁としての発言」「この場には首相として立っている」とまともに答えなかった
►詳しくは「(インタビューが掲載された)読売新聞を熟読してほしい」とも。これほど国会と、国会議員を選んだ国民をばかにした話もない。都合良く「首相」「総裁」と使い分ける姿は、窮地に陥ると別の人格が現れる映画の主人公を思い出す
►森友学園問題では妻昭恵さんも。教育方針に賛同して名誉校長になったのは「私人」、夫人として首相を支えるときは「公人」なのだとか
►今度は「友人」の顔が。「腹心の友」の獣医学部新設を巡り、内閣府が文部科学省に「総理のご意向」と言ったとする文書が出てきた。あれこれ顔を使い分けようと、周囲は首相の意向と受け取り、忖度(そんたく)が生じる。国政の最高責任者という「主人格」からは逃れられないのだから、詭弁(きべん)を弄(ろう)せず疑惑に正面から答えるべきだ。
=2017/05/19付 西日本新聞朝刊【春秋】=

国会は議論をする場所、新聞を読めこれはない。
質問をした議員は国民が選んだ人
国民を馬鹿にするな!
みんな怒っています。

今日は何の日?
名前は聞いた事はあるとは思いますが、どちらかと言えば日本より外国の方で有名な人かもしれません。
この方の研究された数多くの文献の中にはいまだ手付かずのものもあるそうです。

南方 熊楠 (みなかた くまぐす)
1867年4月15日(旧暦)~1941年12月29日
南方熊楠は、和歌山県が生んだ博物学の巨星。東京大学予備門中退後、19歳から約14年間、アメリカ、イギリスなどへ海外遊学。さまざまな言語の文献を使いこなし、国内外で多くの論文を発表した。研究の対象は、粘菌をはじめとした生物学のほか人文科学等多方面にわたり、民俗学の分野では柳田国男と並ぶ重要な役割を果たした。生涯、在野の学者に徹し、地域の自然保護にも力を注いだエコロジストの先駆けとしても注目されている。
「知の巨人」「博物学の巨星」と呼ばれる学者南方熊楠(みなかたくまぐす)。きょうは生誕150年に当たる。どんな人物か。故郷・和歌山県のホームページには、18カ国の言語を操り、14年間にわたって海外を放浪。博物学や民俗学、植物学では近代日本の先駆的存在…
►栴檀(せんだん)は双葉より芳し。幼いころから書物に没頭し、7歳で当時の国語辞典「節用集」などを書き写した。旧制中学時代には当時の百科事典「和漢三才図会(ずえ)」105冊の抄写を完成させた
►19歳で渡米。各地で植物を採集して回り、英国では大英博物館所蔵の書物を読みあさった。その博学ぶりから同館の正規職員に誘われたが、自由を求めて断ったという
►帰国後も多くの論文を発表。中でも粘菌の研究は国際的に高い評価を受け、粘菌に関心があった昭和天皇の和歌山訪問の際に進講した。何の肩書もない私人が天皇に講義するのは極めて異例。熊楠の名声は高まったが、生涯、在野の研究者を貫いた
▼一方、裸で野山を駆け回るなど奇行でも知られ、学校の成績も芳しくなかった。大学予備門(現東京大学)に入学したが、試験に落第して中退。その才は当時の教育の器には収まらなかったか
►文部科学省が大学入試の新しい共通テストの原案を公表した。知識偏重を改めるというが、現行のセンター試験との違いがはっきりしない。共通テストからこぼれる熊楠のような異才を育てる大学もあってほしい。
=2017/05/18付 西日本新聞朝刊=

昭和天皇に講義をされた人なんてあまり居ないと思いますが・・。
1.
遠く聞ゆるは、八代海の潮音か
心の耳澄ませば強く生きん
一途の道 歩けと囁くがごとし
我が学びの友よ
あこがれと高き望み
胸に抱き永遠に 永遠に進まん
美しきふるさとの 我が学び舎よ
2.
球磨の流れ速く 古城の壕深く沈み
睡蓮の花清らかに 年古し梅は
学び舎の近くにありてかぐわし
我が学びの友よ
あこがれと高き望み
胸に抱き永遠に 永遠に進まん
美しきふるさとの 我が学び舎よ
3.
若きいのちよ 沃野ふく風汝に伝う
世の荒波狂ふとも 真理はくもらじ
常に育て鍛えてぞ 辛苦を超ゆる
我が学びの友よ
あこがれと高き望み
胸に抱き永遠に 永遠に進まん
美しきふるさとの 我が学び舎よ
以上は熊本県立八代高等学校の校歌です。
今日八代図書館で久しぶりに文学講座があり、地元の作家 前山光則先生の話の中に耕治人という八代生まれの詩人・小説家の話があり、その方が八代高校の校歌を作詞したという話がありました。
この話は今日の前山先生の話の前段として話されたものです。
地元に居て25年以上前に息子がその高校を卒業したにもかかわらず全く知らない話なので自分ながらに驚き反省させられました。
あの時代は皆がそうであったと思いますが、息子の学校の事も何一つ知らなかった親父としては父親失格で申し訳ない気持ちです。
この校歌は全国でも珍しいほど校歌らしくない校歌だそうです。
八代高校の校歌について・・
校歌は、普通、何々校歌、としか名前はつかないものですが、八代高校の校歌には題がついています。
「道」という題にはどういう思いがこめられているので しょうか。
一番に「一途の道を歩け」とあるように八高生に高い目標を持ち、勉学に励み、努力せよ、と言っているようです。そして目標を達成するためには 様々な辛苦があるかもしれないけれども、迷わず、自分を鍛えて、育て乗り越えよ、と校歌は教えています。
この校歌を歌うことで、先輩から後輩へその精神は 受け継がれ、ひとすじの道となるのです。
と説明されています。
作詞者
耕 治人(こう はると)
詩人・小説家。明治39年八代生まれ。
旧制八代中学(現八代高校)にて学ぶ。
「一条の光」「耕治人全詩集」で読売文学賞や芸術選奨文部大臣賞を受賞。
作曲者
林 光(はやし ひかる)
作曲家。専門はクラシック。
劇音楽や映画音楽も手がけている現代日本を代表する作曲家の一人。
NHK大河ドラマのテーマ音楽なども制作。

機会があればこの校歌聞いてみよう。
北朝鮮がまたもや新型ミサイルを14日に打ち上げ成功したと報じている。
大型の核弾頭を装着できる新型中長距離弾道ミサイルで、高度が大気圏を超える2111.5㎞に達し約30分で787㎞飛行したとのこと。
隣国のすべてが核やミサイルの開発を反対する中、世界からの制裁も何吹く風と勝手気ままにやりたい放題の金正恩政権。
気に入らない者は血を分けた兄弟まで殺す独裁者。
国民は飢えに貧窮しているにもかかわらず核とミサイルの開発に多大な金をつぎ込んでいる。
一体この人は何を考えているのだろう。
この男の考え一つで世界が変わるかもしれません・・・。
「今日は何の日?」を覗いてみると松尾芭蕉の旅立ちの日(旧暦では3月27日)(1689)があります。
西日本新聞【春秋】は1689年の今日を出発点に未来にタイムスリップして最近の出来事に驚き憂いています。
芭蕉が生きていればこんな句を読むのでしょうか?

きょうは「旅の日」。今の暦なら1689年5月16日、松尾芭蕉が「奥の細道」に旅立った日にちなむ。「日本旅のペンクラブ」が1988年に提唱して生まれた
►東北を旅し、数多くの秀句を残した芭蕉に敬意を表して〈日本海ミサイル飛び込む水の音〉。北朝鮮がまた弾道ミサイルを発射した。今度は高度2千キロに達したとみられる。地球の大気圏を突き抜け、宇宙空間を旅して日本海に落ちた
►米国の軍事的圧力に反発し、中国の説得にも耳を貸さずに挑発行為を繰り返す北朝鮮。国際社会の非難も、国連安全保障理事会の制裁強化も、どこ吹く風で〈両の手に核とミサイル独裁者〉である
►日本では、今にもミサイルが飛んで来るかのごとく脅威が声高に語られる。いたずらに危機をあおってはなるまいが、〈謎深し隣は何をする人ぞ〉と警戒はしっかりしておく必要はあろう
►人権や国民生活よりも軍事が優先の独裁国家。邪魔者は身内でも容赦しない冷酷さ。経済制裁で国民は窮乏を強いられているとも。〈閑(しず)かさや闇に消えゆく反対派〉〈無残やな甲(かぶと)の下の細る民〉か
►核兵器や米国本土まで届くミサイル技術を誇示し、手を出せば核の反撃を受けると米国に思い知らせて「金王朝」の安泰を図ることが、北朝鮮の最終的な目標だろう。だが、その「核の細道」は極めて危険な旅路である。軍事衝突の行く末は〈夏草や兵(つわもの)どもが夢の跡〉なのだから。
=2017/05/16付 西日本新聞朝刊=

※きょうは「旅の日」の文章中にある芭蕉の句はこんな句だったのでは・・
●古池や蛙飛びこむ水の音
●両の手に桃と桜や草の餅
●秋深き隣は何をする人ぞ
●閑さや岩にしみ入る蝉の声
●むざんやな甲の下のきりぎりす
〇夏草や 兵どもが 夢の跡 (もとのまま)
大型の核弾頭を装着できる新型中長距離弾道ミサイルで、高度が大気圏を超える2111.5㎞に達し約30分で787㎞飛行したとのこと。
隣国のすべてが核やミサイルの開発を反対する中、世界からの制裁も何吹く風と勝手気ままにやりたい放題の金正恩政権。
気に入らない者は血を分けた兄弟まで殺す独裁者。
国民は飢えに貧窮しているにもかかわらず核とミサイルの開発に多大な金をつぎ込んでいる。
一体この人は何を考えているのだろう。
この男の考え一つで世界が変わるかもしれません・・・。
「今日は何の日?」を覗いてみると松尾芭蕉の旅立ちの日(旧暦では3月27日)(1689)があります。
西日本新聞【春秋】は1689年の今日を出発点に未来にタイムスリップして最近の出来事に驚き憂いています。
芭蕉が生きていればこんな句を読むのでしょうか?

きょうは「旅の日」。今の暦なら1689年5月16日、松尾芭蕉が「奥の細道」に旅立った日にちなむ。「日本旅のペンクラブ」が1988年に提唱して生まれた
►東北を旅し、数多くの秀句を残した芭蕉に敬意を表して〈日本海ミサイル飛び込む水の音〉。北朝鮮がまた弾道ミサイルを発射した。今度は高度2千キロに達したとみられる。地球の大気圏を突き抜け、宇宙空間を旅して日本海に落ちた
►米国の軍事的圧力に反発し、中国の説得にも耳を貸さずに挑発行為を繰り返す北朝鮮。国際社会の非難も、国連安全保障理事会の制裁強化も、どこ吹く風で〈両の手に核とミサイル独裁者〉である
►日本では、今にもミサイルが飛んで来るかのごとく脅威が声高に語られる。いたずらに危機をあおってはなるまいが、〈謎深し隣は何をする人ぞ〉と警戒はしっかりしておく必要はあろう
►人権や国民生活よりも軍事が優先の独裁国家。邪魔者は身内でも容赦しない冷酷さ。経済制裁で国民は窮乏を強いられているとも。〈閑(しず)かさや闇に消えゆく反対派〉〈無残やな甲(かぶと)の下の細る民〉か
►核兵器や米国本土まで届くミサイル技術を誇示し、手を出せば核の反撃を受けると米国に思い知らせて「金王朝」の安泰を図ることが、北朝鮮の最終的な目標だろう。だが、その「核の細道」は極めて危険な旅路である。軍事衝突の行く末は〈夏草や兵(つわもの)どもが夢の跡〉なのだから。
=2017/05/16付 西日本新聞朝刊=

※きょうは「旅の日」の文章中にある芭蕉の句はこんな句だったのでは・・
●古池や蛙飛びこむ水の音
●両の手に桃と桜や草の餅
●秋深き隣は何をする人ぞ
●閑さや岩にしみ入る蝉の声
●むざんやな甲の下のきりぎりす
〇夏草や 兵どもが 夢の跡 (もとのまま)
この社説を読んで私は100%賛成する訳にはいかない。
基地負担を「本土並み」にするとはどういうことなのか。
社説は基地の集中割合を捉えて問題を提起し政府批判に向けておられるが、基地が無くなれば沖縄の人達は本当に満足されるのでしょうか。
沖縄に基地がある為にこれまで幾度となく事故や事件が起きました。
治安面の悪さを考えると沖縄の人達の意見に口をはさむ余地はありません。
沖縄の人達の不満は基地の問題がすべてでしょうか。
私はそうじゃないと思います。
経済面での立ち遅れによる貧困率の高さのように思います。
日本全体もそうだが格差が大きすぎる。
子供の貧困率の高さは日本一です。
沖縄は基地を含めて社会環境を県も国も考え直す必要があると思います。

生活保護費以下で暮らす子育て世帯が14%で20年で2・5倍。10%以上の都道府県が39。沖縄37・5% 2016・03・06ツイートまとめ
「本土並み」の約束どこへ
沖縄復帰45年
戦後、米軍統治が続いていた沖縄の施政権が日本に変換されたのは1975年5月15日だ。沖縄はきょう、本土復帰45年となる。復帰を進めた佐藤栄作政権が掲げた方針が、沖縄の「核抜き、本土並み」だった。「本土並み」は日米安全保障条約を沖縄にも適用するという意味だったが、同時に「本土と同じように扱う」という沖縄の住民への約束でもあった。その約束は守られているのか。今「本土並み」の水準からもっとも程遠いのは、沖縄に課せられた米軍基地の過重負担であろう。沖縄県に存在する米軍専用施設の総面積は今なお、1万8609㌶に及ぶ。国土面積で約0.6%の沖縄に、全国の米軍専用施設の70.6%が集中している。
沖縄県の資料によれば、本土に復帰した72年、沖縄への集中の割合は58.7%だった。その後本土では米軍基地の整理・縮小が進んだが、沖縄の基地は温存された。その結果、米軍基地の「集中度」は復帰後、むしろっ上昇したのだ。にもかかわらず、政府は米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設を強行しようとしている。「県内移設では負担軽減にはならない」という沖縄の反対を無視し、4月には護岸工事に着手した。地元紙の琉球新報は4月下旬、復帰45年にちなんだ県民意識調査を実施した。復帰して「本当によかった」「良かった」の肯定的回答は計75.5%だった。一見すると高い満足度だが、10年前の調査の肯定的評価82.3%、5年前の調査の80.0%に比べ、じりじりと低下しているのが気になる。評価が下がったのは、復帰の喜びを覚えている世代が減ったためとみられる。だがそれだけではあるまい。基地建設を強行す政府への反発、沖縄の苦しみに無関心な本土住民への不信---こうした思いが、復帰そのものへの懐疑を広げているとすれば、やるせない。全ての県民が「復帰して良かった」と言える沖縄にするために、政府は沖縄の声に耳を傾け、真剣に基地負担を「本土並み」にする努力を重ねるべきである。
西日本新聞 2017年5月15日 社説

沖縄・・応援します
基地負担を「本土並み」にするとはどういうことなのか。
社説は基地の集中割合を捉えて問題を提起し政府批判に向けておられるが、基地が無くなれば沖縄の人達は本当に満足されるのでしょうか。
沖縄に基地がある為にこれまで幾度となく事故や事件が起きました。
治安面の悪さを考えると沖縄の人達の意見に口をはさむ余地はありません。
沖縄の人達の不満は基地の問題がすべてでしょうか。
私はそうじゃないと思います。
経済面での立ち遅れによる貧困率の高さのように思います。
日本全体もそうだが格差が大きすぎる。
子供の貧困率の高さは日本一です。
沖縄は基地を含めて社会環境を県も国も考え直す必要があると思います。

生活保護費以下で暮らす子育て世帯が14%で20年で2・5倍。10%以上の都道府県が39。沖縄37・5% 2016・03・06ツイートまとめ
「本土並み」の約束どこへ
沖縄復帰45年
戦後、米軍統治が続いていた沖縄の施政権が日本に変換されたのは1975年5月15日だ。沖縄はきょう、本土復帰45年となる。復帰を進めた佐藤栄作政権が掲げた方針が、沖縄の「核抜き、本土並み」だった。「本土並み」は日米安全保障条約を沖縄にも適用するという意味だったが、同時に「本土と同じように扱う」という沖縄の住民への約束でもあった。その約束は守られているのか。今「本土並み」の水準からもっとも程遠いのは、沖縄に課せられた米軍基地の過重負担であろう。沖縄県に存在する米軍専用施設の総面積は今なお、1万8609㌶に及ぶ。国土面積で約0.6%の沖縄に、全国の米軍専用施設の70.6%が集中している。
沖縄県の資料によれば、本土に復帰した72年、沖縄への集中の割合は58.7%だった。その後本土では米軍基地の整理・縮小が進んだが、沖縄の基地は温存された。その結果、米軍基地の「集中度」は復帰後、むしろっ上昇したのだ。にもかかわらず、政府は米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設を強行しようとしている。「県内移設では負担軽減にはならない」という沖縄の反対を無視し、4月には護岸工事に着手した。地元紙の琉球新報は4月下旬、復帰45年にちなんだ県民意識調査を実施した。復帰して「本当によかった」「良かった」の肯定的回答は計75.5%だった。一見すると高い満足度だが、10年前の調査の肯定的評価82.3%、5年前の調査の80.0%に比べ、じりじりと低下しているのが気になる。評価が下がったのは、復帰の喜びを覚えている世代が減ったためとみられる。だがそれだけではあるまい。基地建設を強行す政府への反発、沖縄の苦しみに無関心な本土住民への不信---こうした思いが、復帰そのものへの懐疑を広げているとすれば、やるせない。全ての県民が「復帰して良かった」と言える沖縄にするために、政府は沖縄の声に耳を傾け、真剣に基地負担を「本土並み」にする努力を重ねるべきである。
西日本新聞 2017年5月15日 社説

沖縄・・応援します
5月に入って天候が数日間の周期で暑く成ったり急に冷えたりするので年寄りや乳児には体調を維持するのに大変である。
着るものも折角しまった物をまたとり出したり、体調管理が思うようにいかない時期である。
八代では毎年この時期に八代亜紀さんが来られて市民によるスリーデーマーチというウオーキングの催しがあります。
またハーモニーホールでは12日~15日まで八代亜紀さんの絵画展があります。
天候もやっと持ち直したようですので朝から展示会に行ってきました。
会場は多くの人達で賑あっていました。


八代亜紀の作品の裏側は小1~高3までの子供たちの作品展になっています。

日曜日なので客層はまちまち。
作品は緻密な描写が実に素晴らしい、天は二物を与えずと言うがそれは嘘。



着るものも折角しまった物をまたとり出したり、体調管理が思うようにいかない時期である。
八代では毎年この時期に八代亜紀さんが来られて市民によるスリーデーマーチというウオーキングの催しがあります。
またハーモニーホールでは12日~15日まで八代亜紀さんの絵画展があります。
天候もやっと持ち直したようですので朝から展示会に行ってきました。
会場は多くの人達で賑あっていました。
日曜日なので客層はまちまち。

熊本の災害史を古文書や絵画で振り返り、災害を意識して貰おうと熊本県立美術館が企画しました。
多くの人達が先人の声に耳を傾けることが今後の備えになるという思いが込められた展覧会のようです。
熊本県立美術館の企画展 ◇震災と復興のメモリー@熊本
今月21日までの開催。
【肥後国で起きた主な地震】
●天平16年(744年) 国史「続日本紀・しょくにほんぎ」 八代、天草、葦北で「雷雨地震」があった。「山崩二百八十余所、圧死人四十余人」文献上、肥後国で起きた最古の地震。
●貞観11年(869年) 国史「日本三代実録」 大地震
●元和5年(1619年) 地誌「肥後国志略」 大地震・麦島城崩壊 「城楼崩壊ス」
●寛永2年(1625年) 大地震・熊本城崩れる
●寛永10年(1633年) 熊本地震
熊本藩主細川忠利が江戸の家臣にあてた寛永10年5月11日付けの手紙「広い庭がない本丸には危なくていられない。地震屋がある庭を造る」
細川家初代熊本藩主の細川忠利(1586~1641)が1633(寛永10)年ごろに起きた大きな地震と余震を恐れ、熊本城(熊本市中央区)の本丸から、城の南側の邸宅「花畑屋敷」に生活や公務の拠点を移していたことが、熊本大の調査で分かった。
●寛政4年(1792年) 「島原大変肥後迷惑」 雲仙岳の噴火 崩れた眉山の土石があり焼け会になだれ込み、津波が起きて対岸の肥後を襲い、大勢が犠牲になった。小記録から、江戸幕府が細川家に復興資金3万両を貸与したことや、村人が年貢減免を嘆願した事がわかる。
●明治22年(1889年) 金峰山地震 熊本城の石垣崩落 寺の墓碑倒れる


細川忠利が家臣に送った手紙の写し。石垣や建物の倒壊に対する恐怖を書いている=熊本県立美術館提供

沖ノ島の世界遺産登録の事について最近2回ほど文章にしました。
なかなか自分が思っている事をうまく表現できなくて大いに反省させられました。
今日新聞に目をやると【春秋】にものの見事にスラリとまとめ上げられている記事を読んでさすが餅は餅屋、上手いものだと感心させられました。
紹介します。
「八百万の神」を外国人に説明するのは難しい。特にキリスト教やイスラム教など一神教の国の人には►森羅万象に神は宿る。平たく言えば、山にも、海にも、一木一草一石にも、神様はいる。古来、日本人が大切にしてきた、あらゆる自然の営みを敬い感謝する気持ちの表れであろう►そんな言葉を重ねても、なかなか理解してもらえない。「原始的な自然崇拝か」と納得されると、さらに釈然としない。►海の向こうから伝わる文化や宗教を寛容に受け入れ、自らの一部としてきた柔軟さは、八百万の神を尊んだ日本人の心性が根底にあるのかもしれない。初詣や合格祈願は神社へ、結婚式は教会で、最期は僧侶の導きで。どの場面も厳粛に臨んでいるのだが、外国人の目には奇妙に映ろう►「海の正倉院」と呼ばれる福岡県宗像市の沖ノ島が世界文化遺産登録の勧告を受けた。未来に残すべき人類の財産に値すると評価されたのは喜ばしい。だが勧告は沖ノ島と周辺岩礁のみに世界的な価値があるとした。信仰の対象である三女神は沖ノ島、大島、本土の三つの宮でそれぞれ祭られ、これらが一体となってこその文化遺産だと地元は訴えてきたのだが►簡単には理解してもらえないだろうが、古代遺跡としての価値だけでなく、日本人が守り伝えた精神風土の文化的な価値も認められるよう説明を尽くしたい。
2017・05・12 西日本新聞 【春秋】

宗像大社の女神と宮
田心姫神(沖津宮)
湍津姫神(中津宮)
市杵島姫神(辺津宮)

5月5日はこどもの日、5月14日は母の日です。
今日はこどもと母に関係する話をしてみたいと思います。
昨日5月10日は親が育てられない子供を預かる慈恵病院が運営する「こうのとりのゆりかご(赤ちゃんポスト)」が出来て丁度10年になります。
こうのとりのゆりかご(赤ちゃんポスト)は全国で唯一、親が育てられない子どもを匿名で受け入れる施設です。
ドイツの事例を参考に、熊本市の慈恵病院が2007年5月に開設しました。赤ちゃんが預けられるとブザーが鳴り、職員が駆けつけて保護する。
熊本市児童相談所(児相)や県警に連絡し、刑法(保護責任者遺棄罪)などの法令に触れないように情報を共有し、連携する。
児相は親が判明すれば、親の居住地の児相に子を移管する。
是非については色々ありますが、命を助けるという意味ではなくてはならない施設だと思います。
日本以外にもオーストリア、ベルギー、チェコ、ハンガリー、ドイツ、インド、イタリア、フィリピン、韓国、スイス、パキスタン、アメリカなどの国も同じようなシステムで赤ちゃんポストが設けられています。
日本の場合現状としては2007年以来子どもの権利条約や児童福祉法との関係など法的問題について国も手付かずのままといった状態です。熊本は日本赤十字病院設立の発祥の地です。
西南戦争(1877年・明治10年)の時、敵味方の区別なく救護を行う赤十字の精神を発現する博愛社を熊本洋学校の有志が政府に願い出た事が起因しています。
熊本には誇るべき病院の歴史があり、その歴史を引き継いで慈恵病院の「こうのとりのゆりかご」もいのちの大切さを重んじてつくられた施設だと思います。
熊本県熊本市の慈恵病院は2006年12月15日に「こうのとりのゆりかご」の設置申請を熊本市に提出。翌2007年4月5日に市はこの申請を許可し、5月1日に完成。5月10日正午から運用を開始した。同時に慈恵病院は予期せぬ妊娠や赤ちゃんの将来のことを電話やメールで相談する窓口「SOS赤ちゃんとお母さんの妊娠相談」の運用を開始した。

慈恵病院の活動をみんなで応援しましょう。

ムラサキヒトデは卵巣の部分を食べる。熊本地震前はこの時期、旬の珍味として地元で親しまれていた

今日の新聞に面白い記事がありましたので紹介します。
見出しは「地震の影響では」珍味ヒトデ激減 天敵ムラサキウニは大量発生 専門家「原因不明」
熊本県の八代海沿岸でムラサキヒトデが熊本地震後に激減し、地元の天草周辺で「地震の影響では」と話題になっている。早春から初夏にかけて、塩ゆでして食べる名物。専門家は「原因不明」とするが、東日本大震災の後にも東北で似た現象が起きたという。
ムラサキヒトデは八代海や有明海の内湾で取れ、薄紫色で白いとげに覆われている。地元でゴホンガゼと呼ばれ、大人の手のひらぐらいの大きさになると食べ頃。塩ゆでにして殻を割り、卵巣にある淡いオレンジ色の卵を食べる。味はウニやカニみそに似ている。
同県上天草市の天草四郎観光協会理事で旅館を営む段下繁文さん(68)によると、昨年4月の熊本地震前は、シーズン中、同市龍ケ岳町の海岸で1日50匹ほど取っていた。今季はほぼゼロ。漁船の底引き網にも掛からず「これほど取れないのは記憶にない」と言う。ムラサキヒトデが激減する一方で、天敵のムラサキウニが大量発生しているという。
天草一帯は本震で震度6弱を観測した。九州大天草臨海実験所(同県苓北町)の野島哲・元准教授は「地震との関連はデータがなく、激減の理由は分からない」と首をひねるが、東日本大震災以降、東北・三陸の沿岸でもヒトデが姿を消す代わりにウニが増える現象が確認されている。
「世界的にも珍しい」(野島さん)という天草伝統のヒトデの食文化。地元で愛される珍味は復活するか。
2017・05・10 西日本新聞
熊本での生活は40年程になります。
仕事の関係で天草には6年ほど暮らしました。
ウニは苓北地方によく食べに行きましたがヒトデを食べる文化があったとは初めて知りました。
熊本地震でムラサキヒトデが激減してムラサキウニが大量発生しているってことだけどウニがヒトデの天敵なんて聞いた事も有りませんが本当。
東日本大震災の時も東北で似た現象が起きたとの事ですので何らかの因果関係があるかも知れません。


沖ノ島上陸心得
沖ノ島は御神体島であり島全体宗像大社の所有地であります また国の史跡及び天然記念物にも指定されておりますので上陸者は左記の事項を厳守して下さい
記
一、遊山・魚釣り等を目的とする上陸は禁止します
一、上陸者は直ちに社務所に届け出ること
一、上陸者は古例により海水にて禊をし心身を清める事
一、御神水以外の一木一草たりとも持ち帰ることを禁止します
一、古くからの厳重な掟により婦女子の上陸を禁止します
一、その他神社職員の指示に従って下さい
宗像大社沖津宮社務所

沖ノ島のユネスコ登録の問題に関係して今年の1/1~3/5迄九州国立博物館で特別展がありました。
九州は勿論日本国中の人達が関心を持ったと思われます。
今回のイコモス勧告の件は「神宿る」宗像・沖ノ島と関連遺産群の関連遺産群が外されたことが問題になっています。
登録推薦に当たって2つの意味を含めて登録申請をしました。
①4~9世紀の古代祭祀の資料が残る考古学的価値
②現代まで続く信仰の価値
イコモス勧告では②については福岡県宗像市及び福津市内にある宗像三女神を祀る宗像大社信仰、大宮司家宗像氏にまつわる史跡、文化財の総称、自然崇拝を元とする固有の信仰・祭祀が4世紀以来現代まで継承されている点などが全く評価されていない所に有ります。
欧米のメンバーには日本の信仰について理解が難しいのかもしれませんが、沖津宮、中津宮、辺津宮の3宮を合わせて宗像大社と呼ばれ信仰や歴史が引き継がれて来ました。
沖津宮のある沖ノ島も宗像大社が古代祭祀の役割を担い守り続けてきました。
宗像三女神や宗像信仰について改めて勉強します。

沖ノ島だけの世界遺産には反対。
●宗像三女神は、天照大御神(アマテラス)と須佐之男命(スサノオ)との誓約の場面で誕生した神々です。古事記では多紀理毘売命(タキリビメ)・田寸津比売命(タキツヒメ)・市寸島比売命(イチキシマヒメ)の三女神を指し、日本書紀では田心姫(タゴリヒメ)・湍津姫(タギツヒメ)・市杵嶋姫(イチキシマヒメ)の三女神を指します。
三女神は現在それぞれ、玄界灘に浮かぶ孤島・沖ノ島の沖津宮(おきつみや)、より海岸近くの大島にある中津宮(なかつみや)、海岸の田島にある辺津宮(へつみや)に鎮座しています。三宮を総称して宗像大社とよびます。
宗像三女神は、もともとは筑紫(つくし)の宗像氏を中心とした海人族(あまぞく)、玄界灘の航海民が崇拝した地方神です。朝鮮半島・中国などの大陸との交易・交流の増大などを背景として、宗像氏と大和朝廷との関係が親密になる中で、しだいにその信仰を拡大させていきます。その結果、記紀神話に組み入れられることになりました。
古事記と日本書紀の本文ではこの三女神は、天照大御神が須佐之男命の持つ十拳剣(とつかのつるぎ)を三段に折り、天の真名井(あめのまない)の水を振りそそいでから口に噛んで、吹き出したときの霧から化生(けしょう)します。
ちなみにこの行為は、須佐之男命に邪心があるか否かを証明する誓約の一環と考えられていますが、古事記では女神が生まれたことにより須佐之男命の潔白が証明されるのに対して、日本書紀では同じ理由で邪心ありとされています。記紀神話の世界観の違いが現れている箇所です。
●うけい(うけひ)は、古代日本で行われた占いである。宇気比、誓約、祈、誓などと書く。
ある事柄(例えば「スサノオに邪心があるかどうか」)について、『そうならばこうなる、そうでないならば、こうなる』とあらかじめ宣言を行い、そのどちらが起こるかによって、吉凶、正邪、成否などを判断する。
●日本書紀(にほんしょき)は、奈良時代に成立した日本の歴史書。日本に伝存する最古の正史で、六国史の第一にあたる。舎人親王らの撰で、養老4年(720年)に完成した。神代から持統天皇の時代までを扱う。漢文・編年体をとる。全30巻。系図1巻が付属したが失われた
●古事記(こじき、ふることふみ)は、日本最古の歴史書である。その序によれば、和銅5年(712年)に太安万侶が編纂し、元明天皇に献上された。
●天照大御神(アマテラス)は、伊勢神宮の内宮に祀られている神で、皇室(天皇家)の祖神・皇祖神(こうそしん)として崇められています。古事記では天照大御神、日本書紀では天照大神と表記されています。読みはどちらもアマテラスオオミカミです。
●須佐之男命(スサノオ)は悪逆非道な行いによって高天原を追放された後、勇猛な善神に変じて出雲国を治めた神です。素盞嗚尊、建速須佐之男命、神素盞嗚尊、須佐乃袁尊、神須佐能袁命、須佐能乎命牛頭天王、祇園様、天王様なども呼ばれます。
「『神宿る島』宗像沖ノ島と関連遺産群」(ユネスコへの推薦理由)
本資産は、「神宿る島」沖ノ島を崇拝する文化的伝統が、古代東アジアにおける活発な対 外交流が進んだ時期に発展し、海上の安全を願う生きた伝統と明白に関連し今日まで継承さ れてきたことを物語る稀有な物証である。 沖ノ島には4世紀から9世紀の間の古代祭祀の変遷を示す考古遺跡が、ほぼ手つかずの状 態で現代まで残されてきた。沖津宮、中津宮、辺津宮の古代祭祀遺跡を含むこれらの三つの 場は、宗像大社という信仰の場として現在まで続く。18世紀までに成立した沖津宮遙拝所 は、上記で述べたような沖ノ島を遥拝する信仰の場である。そして、その信仰を担い育んだ 宗像氏の存在を物語る資産が、新原・奴山古墳群である。
【構成資産】
宗像大社沖津宮(沖ノ島、小屋島、御門柱、天狗岩)、宗像大社沖津宮遙拝所、
宗像大社中津宮、宗像大社辺津宮(以上、福岡県宗像市)、新原・奴山古墳群(福岡県福津市)
【関係年表】
平成21年 暫定一覧表に記載
平成28年1月 ユネスコへの推薦書提出 にかかる閣議了解
同年同月 推薦書の提出
同年9月7日~11日 イコモス現地調査
平成29年5月 イコモス勧告
同年7月2日~12日 第41回世界遺産委員会

沖ノ島世界遺産の問題で地元や関係者ならびに文化庁が不満を述べています。
考古学的価値と信仰の価値を合わせて申請したつもりが、考古学的価値だけを取り上げられ宗像市にある宗像大社沖津宮以外の4資産の除外と遺産名を「『神宿る島』沖ノ島」に変更を勧告された事が理由です。
除外された構成資産は、大島(宗像市)にある沖津宮遥拝所と宗像大社中津宮►本土の宗像大社辺津宮(宗像市)►祭祀を担った地元豪族の墓とされる新原・奴山古墳群(福津市)
宗像市沖約60キロにある沖ノ島は島自体が信仰の対象で4~9世紀に航海の安全を祈る国家祭祀が営まれ、その変遷を示す遺跡が手付かずの状態で残っている。
約8万点の出土品はすべて国宝に指定され「海の正倉院」と呼ばれる。
登録推薦に当たって文化庁は4~9世紀の古代祭祀の資料が残る考古学的価値とともに、現代まで続く信仰の価値も強く打ち出していたとの事だが、その両面が認められないとなれば世界遺産に認定されてもあまり意味がないものに思えます。
勧告を覆す道は非常に険しい。
宗像3女神を引き裂く勧告なら辞退の選択肢もという記事が産経新聞から出ています。
沖ノ島だけが登録され、何千年も守り続けた信仰の体系に、ひびが入るようなことになれば、本末転倒だ。
あえて「辞退」という選択肢もある。・・と述べています。
日本独自の信仰についての文化を西洋の人達に理解しろと言ってもなかなか難しい面もあります。
沖ノ島は現在も女人禁制の場所で一般人の上陸も許可されていないし、島全体が天然記念物に指定されているので草木1本持ち出しも禁止の場所です。世界遺産に登録されても見学もできない場所です。
辞退して再度申請することが出来るのであればそうした方が良いと思います。
●イコモス【ICOMOS】
国際記念物遺跡会議。ユネスコの諮問・協力に携わる、文化財保存活動を推進する非政府団体。加盟各国に国内委員会がある。1965 年設立。本部はパリ。

本末転倒