2017年05月09日
宗像三女神

沖ノ島上陸心得
沖ノ島は御神体島であり島全体宗像大社の所有地であります また国の史跡及び天然記念物にも指定されておりますので上陸者は左記の事項を厳守して下さい
記
一、遊山・魚釣り等を目的とする上陸は禁止します
一、上陸者は直ちに社務所に届け出ること
一、上陸者は古例により海水にて禊をし心身を清める事
一、御神水以外の一木一草たりとも持ち帰ることを禁止します
一、古くからの厳重な掟により婦女子の上陸を禁止します
一、その他神社職員の指示に従って下さい
宗像大社沖津宮社務所

沖ノ島のユネスコ登録の問題に関係して今年の1/1~3/5迄九州国立博物館で特別展がありました。
九州は勿論日本国中の人達が関心を持ったと思われます。
今回のイコモス勧告の件は「神宿る」宗像・沖ノ島と関連遺産群の関連遺産群が外されたことが問題になっています。
登録推薦に当たって2つの意味を含めて登録申請をしました。
①4~9世紀の古代祭祀の資料が残る考古学的価値
②現代まで続く信仰の価値
イコモス勧告では②については福岡県宗像市及び福津市内にある宗像三女神を祀る宗像大社信仰、大宮司家宗像氏にまつわる史跡、文化財の総称、自然崇拝を元とする固有の信仰・祭祀が4世紀以来現代まで継承されている点などが全く評価されていない所に有ります。
欧米のメンバーには日本の信仰について理解が難しいのかもしれませんが、沖津宮、中津宮、辺津宮の3宮を合わせて宗像大社と呼ばれ信仰や歴史が引き継がれて来ました。
沖津宮のある沖ノ島も宗像大社が古代祭祀の役割を担い守り続けてきました。
宗像三女神や宗像信仰について改めて勉強します。

沖ノ島だけの世界遺産には反対。
●宗像三女神は、天照大御神(アマテラス)と須佐之男命(スサノオ)との誓約の場面で誕生した神々です。古事記では多紀理毘売命(タキリビメ)・田寸津比売命(タキツヒメ)・市寸島比売命(イチキシマヒメ)の三女神を指し、日本書紀では田心姫(タゴリヒメ)・湍津姫(タギツヒメ)・市杵嶋姫(イチキシマヒメ)の三女神を指します。
三女神は現在それぞれ、玄界灘に浮かぶ孤島・沖ノ島の沖津宮(おきつみや)、より海岸近くの大島にある中津宮(なかつみや)、海岸の田島にある辺津宮(へつみや)に鎮座しています。三宮を総称して宗像大社とよびます。
宗像三女神は、もともとは筑紫(つくし)の宗像氏を中心とした海人族(あまぞく)、玄界灘の航海民が崇拝した地方神です。朝鮮半島・中国などの大陸との交易・交流の増大などを背景として、宗像氏と大和朝廷との関係が親密になる中で、しだいにその信仰を拡大させていきます。その結果、記紀神話に組み入れられることになりました。
古事記と日本書紀の本文ではこの三女神は、天照大御神が須佐之男命の持つ十拳剣(とつかのつるぎ)を三段に折り、天の真名井(あめのまない)の水を振りそそいでから口に噛んで、吹き出したときの霧から化生(けしょう)します。
ちなみにこの行為は、須佐之男命に邪心があるか否かを証明する誓約の一環と考えられていますが、古事記では女神が生まれたことにより須佐之男命の潔白が証明されるのに対して、日本書紀では同じ理由で邪心ありとされています。記紀神話の世界観の違いが現れている箇所です。
●うけい(うけひ)は、古代日本で行われた占いである。宇気比、誓約、祈、誓などと書く。
ある事柄(例えば「スサノオに邪心があるかどうか」)について、『そうならばこうなる、そうでないならば、こうなる』とあらかじめ宣言を行い、そのどちらが起こるかによって、吉凶、正邪、成否などを判断する。
●日本書紀(にほんしょき)は、奈良時代に成立した日本の歴史書。日本に伝存する最古の正史で、六国史の第一にあたる。舎人親王らの撰で、養老4年(720年)に完成した。神代から持統天皇の時代までを扱う。漢文・編年体をとる。全30巻。系図1巻が付属したが失われた
●古事記(こじき、ふることふみ)は、日本最古の歴史書である。その序によれば、和銅5年(712年)に太安万侶が編纂し、元明天皇に献上された。
●天照大御神(アマテラス)は、伊勢神宮の内宮に祀られている神で、皇室(天皇家)の祖神・皇祖神(こうそしん)として崇められています。古事記では天照大御神、日本書紀では天照大神と表記されています。読みはどちらもアマテラスオオミカミです。
●須佐之男命(スサノオ)は悪逆非道な行いによって高天原を追放された後、勇猛な善神に変じて出雲国を治めた神です。素盞嗚尊、建速須佐之男命、神素盞嗚尊、須佐乃袁尊、神須佐能袁命、須佐能乎命牛頭天王、祇園様、天王様なども呼ばれます。
「『神宿る島』宗像沖ノ島と関連遺産群」(ユネスコへの推薦理由)
本資産は、「神宿る島」沖ノ島を崇拝する文化的伝統が、古代東アジアにおける活発な対 外交流が進んだ時期に発展し、海上の安全を願う生きた伝統と明白に関連し今日まで継承さ れてきたことを物語る稀有な物証である。 沖ノ島には4世紀から9世紀の間の古代祭祀の変遷を示す考古遺跡が、ほぼ手つかずの状 態で現代まで残されてきた。沖津宮、中津宮、辺津宮の古代祭祀遺跡を含むこれらの三つの 場は、宗像大社という信仰の場として現在まで続く。18世紀までに成立した沖津宮遙拝所 は、上記で述べたような沖ノ島を遥拝する信仰の場である。そして、その信仰を担い育んだ 宗像氏の存在を物語る資産が、新原・奴山古墳群である。
【構成資産】
宗像大社沖津宮(沖ノ島、小屋島、御門柱、天狗岩)、宗像大社沖津宮遙拝所、
宗像大社中津宮、宗像大社辺津宮(以上、福岡県宗像市)、新原・奴山古墳群(福岡県福津市)
【関係年表】
平成21年 暫定一覧表に記載
平成28年1月 ユネスコへの推薦書提出 にかかる閣議了解
同年同月 推薦書の提出
同年9月7日~11日 イコモス現地調査
平成29年5月 イコモス勧告
同年7月2日~12日 第41回世界遺産委員会
Posted by マー君 at 16:46│Comments(0)
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