2012年12月23日
八代のお城について「その4」・・家老の城・・薩摩のお蔭
1619年麦島城が地震で崩壊した後、加藤忠広[清正の子]は幕府の許可を受け城代加藤正方に球磨川の北岸[松江]に八代城[1622年完成]を築かせる。1632年(寛永9年)加藤氏改易によって細川忠利が熊本城に入り肥後を預かる。八代城は忠利の父忠興[三斉]が城主として入ります。忠興死後[1645年]忠利は筆頭家老かつ将軍直臣の松井興長を八代城主とします。以後明治まで松井氏が居城とします。1672年(寛文12年)落雷により天守・櫓・長塀を消失 1797年(寛政9年)落雷により本丸大書院・三階櫓等消失・・大書院は再建されたが、天守・櫓は再建されなかった。1870年[明治3年]に廃城となる。
③八代城 1622~1870 加藤氏・細川氏・松井氏の流れで八代が統治され1645年以降は細川家の家老とはいえ将軍家直臣の松井家が統治したのは日本広しと言えども珍しい事です。「松井家は徳川・細川の両方から禄を貰います」薩摩が南にいたからです。
③八代城 1622~1870 加藤氏・細川氏・松井氏の流れで八代が統治され1645年以降は細川家の家老とはいえ将軍家直臣の松井家が統治したのは日本広しと言えども珍しい事です。「松井家は徳川・細川の両方から禄を貰います」薩摩が南にいたからです。

Posted by マー君 at 15:40│Comments(0)