
歴史やいわれや語呂合わせなど掘り返せば毎日いろいろな記念日と行事があるようです。
私が使っている暦には今日は時の記念日とありますが他にも商工会の日、路面電車の日、ミルクキャラメルの日、歩行者天国の日、無糖茶飲料の日、緑豆の日、無添加の日、夢の日、谷津干潟の日、てっぱん団らんの日、Doleスムージーの日、社会教育法施行記念日、ローストビーフの日、無添加住宅の日、ロートの日、ドリーム号の日、ところてんの日、糖化の日、パンケーキの日、アメリカンフライドポテトの日、バイナリーオプションの日、コッペパンの日、Windows 10 の日、スカイプロポーズの日と引っ張り出せばこんなにたくさんの~の日があります。
●暦にある「時の記念日(6月10日の記念日)」は・・
1920年(大正9年)に東京天文台(現:国立天文台)と生活改善同盟会が制定。「時間をきちんと守り、欧米並みに生活の改善・合理化を図ろう」と呼びかけ、時間の大切さを尊重する意識を広めるために設けられた。
記念日の日付は、『日本書記』の天智天皇10年4月25日(グレゴリオ暦671年6月10日)の項に、「漏刻(ろうこく)を新しき台に置く。始めて候時を打つ。鐘鼓を動す。」とあることに因む。「漏刻」とは水時計のことで、容器に水が流入・流出するようにして、その水面の高さの変化で時をはかる。

また、1999年(平成11年)のこの日、日本の標準時を電波で全国に発信することが開始された。電波を送信する施設は福島県の大鷹鳥谷山の山頂付近にある「おおたかどや山標準電波送信所」で、郵政省通信総合研究所によって建設され、40kHzの長波で高さ250mのアンテナから全国に発信されている。
●ついでにもう一つ「夢の日(6月10日 記念日)」は・・
香川県直島に住む女性が制定。
「む(6)ちゅう(10)」(夢中)の語呂合わせと、「夢は叶う」の「叶」の字に十が含まれることから。夢を叶えてくれた人、夢の実現に力を貸してくれた人に感謝し、自分の夢について考え、語り合う日。
両親から十分な食事を与えてもらえず、虐待もうけて5歳の女の子がなくなった事件。
親に許しを請う文章をノートに残していたという。
両親の意向に従おうと、必死な思いだったことをうかがわせる記述だったという。
「おねがい ゆるして もうぜったいやらないからね」
5歳の平均体重20キログラムには到底満たない死亡時の体重は12kgだった。
世の中には色々なことが起きますがこのような事件だけは絶対起きてほしくない。
充分な食事を与えないで死に追いやることの非情さは心のどの部分から出てくるのでしょうか?


癌で入院をしていた家内の兄が午前2時頃に息を引き取った。
私たちにはなくてはならないかけがえのない人であった。
遠く離れていて年に何度も会うことはかなわなかったが、もうあのしゃがれた声で人懐っこく話す義兄に会うことが出来ないのは悲しいことだ。
親に許しを請う文章をノートに残していたという。
両親の意向に従おうと、必死な思いだったことをうかがわせる記述だったという。
「おねがい ゆるして もうぜったいやらないからね」
5歳の平均体重20キログラムには到底満たない死亡時の体重は12kgだった。
世の中には色々なことが起きますがこのような事件だけは絶対起きてほしくない。
充分な食事を与えないで死に追いやることの非情さは心のどの部分から出てくるのでしょうか?

癌で入院をしていた家内の兄が午前2時頃に息を引き取った。
私たちにはなくてはならないかけがえのない人であった。
遠く離れていて年に何度も会うことはかなわなかったが、もうあのしゃがれた声で人懐っこく話す義兄に会うことが出来ないのは悲しいことだ。

今日、6月6日は二十四節気の一つ「芒種」です。
ブログを調べてみますと「芒種」の日には毎年同じような記事を書いているようです。
調べてみますとカテゴリー(季節)で2013・6・11(少し遅れて入梅の日に書いているこの年は5日が芒種)と2017・6・7にカテゴリー(暦)で2014・6・6に記事が残っているのがわかりました。
Wikipediaには芒(のぎ 、イネ科植物の果実を包む穎(えい)すなわち稲でいう籾殻にあるとげのような突起)を持った植物の種をまくころ。『暦便覧』には「芒(のぎ)ある穀類、稼種する時なり」と記されている。実際には、現在の種まきはこれよりも早い。
西日本では梅雨入りのころ。沖縄県では小満から芒種が梅雨の時期に当たり、梅雨のことを沖縄方言で「小満芒種(すーまんぼーすー)」と言う。
暦便覧にある「稼種する」という言葉、あまり耳にしない言葉なので調べてみましたが辞書にもないようです。
あまり使われなくなって廃れた言葉かもしれません。
自分なりに「稼」の意味からつなぎ合わせて理解したところによると。
稼種するとは・・か【稼】の意味1 穀物を植える。2 取り入れた穀物。3 働く。かせぐ。ー種を植える、種をまく
以上のように理解をしましたが、意味としてはこの様な意味の言葉ではないかと思われます。

日本の行事・暦
二十四節気には
6月6日頃(2018年は6月6日)。および夏至までの期間。
太陽黄径75度。
小満から数えて15日目頃。
芒(のぎ)のある穀物や稲や麦など穂の出る穀物の種をまく季節ということから、芒種と言われています(実際の種まきは、これよりも早い時季に行います)。
梅の実が青から黄色に変わり、百舌が鳴き始めます。かまきりや蛍が現れ始める頃でもあります。
次第に梅雨めいて、五月雨(さみだれ)の季節に入ります。
芒種の日付・・殆どが6月5日、6月6日のいずれか。
2016年6月5日(日)
2017年6月5日(月)
2018年6月6日(水)
2019年6月6日(木)

暦便覧(こよみびんらん)とは
暦便覧とは、1787年(天明7年)江戸で出版された暦の解説書です。
著者は太玄斎(たいげんさい)。
内容は、抜粋しますと
それぞれの月(正月から12月)であったり、大小の月のこと、閏月のこと、七曜のこと、二十八宿吉凶、日蝕、月蝕のこと、雑節のことなどが書いてあります。
その中に二十四節気の解説のページもあり、現代においても二十四節気を説明する時には
よく引用されています。
・立春 (りっしゅん) 春の気たつを以て也
・雨水 (うすい) 陽気地上に発し、雪氷とけて雨水となれば也
・啓蟄 (けいちつ) 陽気地中に動き、ちぢまる虫、穴をひらき出れば也
・春分 (しゅんぶん) 日天の中を行て昼夜等分の時也
・清明 (せいめい) 万物発して清浄明潔なれば、此芽は何の草としれる也
・穀雨 (こくう) 春雨降りて百穀を生化すれば也
・立夏 (りっか) 夏の立つがゆへ也
・小満 (しょうまん) 万物盈満(えいまん)すれば草木枝葉繁る
・芒種 (ぼうしゅ) 芒(のぎ)ある穀類、稼種する時也
・夏至 (げし) 陽熱至極しまた、日の長きのいたりなるを以て也
・小暑 (しょうしょ) 大暑来れる前なれば也
・大暑 (たいしょ) 暑気いたりつまりたるゆえんなれば也
・立秋 (りっしゅう) 初めて秋の気立つがゆへなれば也
・処暑 (しょしょ) 陽気とどまりて、初めて退きやまんとすれば也
・白露 (はくろ) 陰気ようやく重なりて露にごりて白色となれば也
・秋分 (しゅうぶん) 陰陽の中分となれば也
・寒露 (かんろ) 陰寒の気に合って、露むすび凝らんとすれば也
・霜降 (そうこう) つゆが陰気に結ばれて、霜となりて降るゆへ也
・立冬 (りっとう) 冬の気立ち初めていよいよ冷ゆれば也
・小雪 (しょうせつ) 冷ゆるが故に雨も雪となりてくだるがゆへ也
・大雪 (たいせつ) 雪いよいよ降り重ねる折からなれば也
・冬至 (とうじ) 日南の限りを行て日の短きの至りなれば也
・小寒 (しょうかん) 冬至より一陽起るが故に陰気に逆らう故益々冷る也
・大寒 (だいかん) 冷ゆることの至りて甚だしきときなれば也
日課として時間が許す限りブログを書くようにしていますが、今日、新聞を読んでいると熊本地震で崩れた八代城の石垣修復から石垣がなぜ崩れたのかを解き明かすような記事がありました。記事の中には江戸期の修復に粗さがあったことが積み直しで判明したと写真付きで説明しています。本来なら密着させて並べなければならない根石同士に大きな隙間があるのが写真を見ますよく分かります。何故このような修復作業を行ったのかは山内淳司学芸員は①当時は幕府の「一国一城令」で城壁の石積み技術を持った石工が減っていた②八代城の石垣は江戸時代以前に盛んだった自然石を積む「野面積み」だったため、対応できる石工が少なかったーと説明。
上の2枚の写真は今年1月21日に国史跡八代城跡石垣修復見学会が行われた際に撮った写真です。
加藤家や細川家の家紋が入った瓦のかけらが石垣の裏に詰める「裏込め石」から見つかったのです。
江戸時代初め1622年に八代城が完成しました。当時の城代は加藤正方。その後細川氏が城主になっています。
細川氏の家紋入りの瓦が「裏込め石」から見つかった事が城主が細川氏に代わってから石垣が崩れ修復したことが分かります。
積み直しで判明したことの見学会が6月16日にあります。
午前9時~11時 8時半から厚生会館前で受付。
見学は無料ですが事前申し込みが必要。八代市文化振興課=0965(33)4533
昨日(6/3)は2ヶ月に一度の「くまもとの大地」による現地説明会がありました。
津奈木温泉、四季彩の駐車場に9時集合、肥薩火山区の見学です。
九州の梅雨入りは南部が5月26日、北部5月28日で天候の方が心配されていましたがこの日は朝からいいお天気で参加者も20人にもなる見学会になり鹿児島や福岡からも参加者がおられました。
肥薩火山区って⁇・・勉強不足の私にとってはあまり聞き慣れない単語です。
しかし今回は珍しく色んな資料を揃えていただきその資料には肥薩火山区とは・・山本敬(1960)によって命名された。熊本県・宮崎県。鹿児島県にまたがる東西約50㎞南北約20㎞の東西に長い帯状の地域。主に後期新生代の火山岩類が分布する。この地域の火山岩類は主に輝石安山岩からなり、一部に角閃石安山岩・角閃石流紋岩を伴う。と地質図まで揃えて説明がありました。
肥薩火山区の火山活動は永尾ら(1999)によると、
ステージ1(760万年~250万年前)、
ステージ2(250万年~200万年前)、
ステージ3(200万年~40万年前)に区分される。
①入戸火砕流堆積物・観察場所・・水俣市古城
入戸火砕流(いとかさいりゅう、いりとかさいりゅう)は、約2万5千年前に姶良カルデラの大噴火で発生した大規模な火砕流。堆積物はシラスと呼ばれ、鹿児島県を中心とした九州南部に広がり、シラス台地など様々な地形を形成した。記号はA-Ito。なお、この時の噴火で火砕流とともに発生した火山灰は姶良Tn火山灰と呼ばれている。
入戸火砕流の堆積物は粒子の大きさの分布に特徴があることから流れた範囲を特定することができる。鹿児島県の薩摩半島と大隅半島の山岳部を除くほぼ全域、宮崎県の南西部から中央平野部にかけて、熊本県の人吉市から五木村にかけての低地と水俣市、さらには高知県宿毛市にまで及んで入戸火砕流の堆積物が採取されている。場所によっては約150mの厚みで堆積した地域もあり、堆積物の総量は約200km3にもなる。一般に火砕流は低地に沿って流れる傾向を持つが、700m以上の高さを持つ九州山地を越えた地域にも広がっており、標高1200m以上の高地にある大浪池でも堆積物が確認されている。
火砕流堆積物が特に厚く積もった場所においては、火砕流自身が持っていた熱によって溶結し溶結凝灰岩と呼ばれる岩石を形成した。この岩石は特に鹿児島湾の北部から東部にかけて広く分布している。
名称の由来は、現在の鹿児島県霧島市国分重久、発見当時の国分市入戸(いりと)のシラス崖において発見された火山噴出物の痕跡が1956年に「入戸軽石流」(Ito pumice flow)という表現で学会に報告されたことによる。その後1964年頃から「入戸火砕流」とも呼ばれるようになった。火砕流発生の年代は放射性炭素年代測定によって調査されており、1970年代の報告では2万1千年前から2万2千年前の間とされていたが、1980年代に行われたより精密な測定手法で約2万5千年前とされた。ステージ1
●シラス (地質)
シラス(白砂、白州)は、九州南部一帯に厚い地層として分布する細粒の軽石や火山灰である。鮮新世から更新世にかけての火山活動による噴出物であるが、地質学においてはこのうち特に入戸火砕流による堆積物を指す。古くは白い砂を意味する一般的な言葉であり、現代でも東北地方においてはこの意味で使われる。
②板状節理・観察場所・・水俣市大崎
角閃石安山岩とその風化の様子を観察。最近まで採掘していた採石場跡で崖は板状節理が発達し角閃石安山岩でできています。
安山岩の噴出時期は390万年前。かって市営採掘場として砕石されていたこの石材は「鉄平石」といわれ、壁や床にはめ込む建築材や道床のバラス等に利用されていました。ステージ1
③柱状節理・観察場所・・水俣市宝川内
ここでは、四万十累層に貫入した見事な柱状節理が見られます。ステージ1
宝川内の採石場では、急冷されたガラス質の安山岩と、斑状岩で明灰色の安山岩が観察できる。
廣田さんからこれは貴重な採石資料になると教わりました。
④なべ滝・板状節理・観察場所・・水俣市長崎
このなべ滝のある場所は板状節理が観察しやすく肥薩洪水安山岩から出来ている。溶岩の内部断面が観察できる。
肥薩洪水安山岩(仮称) ステージ2
肥薩火山区の西北西ー島南東に連なる広大な平坦面をつくる溶岩。基底部には、スコリア状の自破砕溶岩が見られる場所もある。自破砕溶岩の上部は黒色ガラス質で斜長石斑晶が目立つ安山岩が見られるが、全体的に灰色の斑状岩で斜長石と輝石が目立つ。板状節理が発達している。
以前は道から滝までの道が整備されていなかったので、「幻の滝」と言われていた。最近道が少し整備されて滝まで行けるようになりました が勾配が急なため上り下りには要注意。特に幼児や年寄りには不向きです。
⑤?観察場所・・水俣市宝川内(ほうかわち)
ステージ3という地形肥薩洪水型安山岩によってつくられた大地の形成後、ドーム状もしくはピラミッド型の山頂を形成する粘り気の強い溶岩の噴出でできた。
平成15年(2003)7月20日、宝河内土石流災害、死者15人。
⑤は現地まで行けずに写真のみ。
今回はツルに足をとられたり坂道で足が上がらなくて大変でした。
地学の勉強にも体力が必要なことを改めて思い知らされました。
やっぱり歳には勝てないのかなー。
こんな日があるのをご存知でしたか?
読売新聞社が平成4年(1992)に提唱したとのこと。
日付は5月第2日曜日の「母の日」と、6月第3日曜日の「父の日」の間に当たることに由来する。
「ベビーデイ」の日付は以下の通り。
2016年6月5日(日)
2017年6月4日(日)
2018年6月3日(日)
2019年6月2日(日)
赤ちゃん(Baby)にまつわる様々な問題について考える日としている。
「赤ちゃん」とは、産まれたばかりの子供のことである。
「赤子」「赤ん坊」ともいう。母子保健法では、「赤ちゃん」を出生からの経過期間によって定義しており、生後0日から28日未満の子供を「新生児」、1歳に満たない子供を「乳児」としている。
「赤ちゃん」の語源は、新生児の皮膚の色が赤く見えることに由来する。
これは、新生児の血液に含まれる赤血球の量が大人よりも多いため、また、新生児の肌が薄く、血管が透けて見えるためである。
ということですが「赤ちゃん」の語源なんて知っていましたか?
今日がその「ベビーデイ」です。
これで赤ちゃんから敬老の日までそれなりの年齢になれば記念日を迎える訳です。
Posted by マー君 at
17:54
│Comments(0)
もうどうにも我慢ならずとこの記者の方は「ソンタク虫」の物語を作られて今の政治情勢を風刺したのでしょう。
このまま今の政治情勢を放っておくわけにはいきません。
多くの人が疑問を持ち、疑いの眼で成り行きを見てきました。
隠したり、嘘の答弁をしたり、文書の書き換えまでして国民の目をごまかす様な事がいまだに続いています。
政治そのものの在り方が問われる大事件です。
一日も早く真相を明らかにしてほしいものです。

「大切な木が虫食いになっている」と村人が訴えた。森の番人が森の中心にある「最強の木」を調べるとソンタク虫が巣くっていた。どこにでもいる虫だが、甘い匂いに群がる習性が►「切り倒すほどでもない」と番人は判断し、放っていたら虫は大繁殖。被害は周りに広がり、森はひどいありさまに。村人「木を見て森を見ず」と怒ったが後の祭り。実は、番人の胸の中にもソンタク虫が巣くっていて・・・►森友学園を巡る決裁文書改ざんで、検察は最強官庁の面々を不起訴とした。法に触れるほどひどいものではないと見たようだ。法律論や裁判の勝算に限れば不起訴の判断もあり得よう。が、問題の根っこはそこではない►文書はないとうそをつき、改ざんし、捨てさせるー。文書が何より大切な役人にとってあり得ない行動は、何のためか、誰のためか。国民が知りたいのはこの点だ。法の番人は「木を見て森を・・・」の感が募る►これが、公文書から政治家の関与を意図的に削除しても罪に問われないという前例になれば最悪だ。出世や保身に目がないソンタク虫が繁殖し、公文書の信頼性を食い荒らそう。行政ひいては国そのものが信じられなくなる►驚いたことに、与党はこれで幕引きを、と。改ざん文書にだまされたのは国会なのに。一度は「刑事訴訟の恐れ」で逃げられたが、今度こそ。国会は国民を代表し、威信を懸けて真相を明らかにせねば。
西日本新聞 【春秋】 2018・06・02
このまま今の政治情勢を放っておくわけにはいきません。
多くの人が疑問を持ち、疑いの眼で成り行きを見てきました。
隠したり、嘘の答弁をしたり、文書の書き換えまでして国民の目をごまかす様な事がいまだに続いています。
政治そのものの在り方が問われる大事件です。
一日も早く真相を明らかにしてほしいものです。

「大切な木が虫食いになっている」と村人が訴えた。森の番人が森の中心にある「最強の木」を調べるとソンタク虫が巣くっていた。どこにでもいる虫だが、甘い匂いに群がる習性が►「切り倒すほどでもない」と番人は判断し、放っていたら虫は大繁殖。被害は周りに広がり、森はひどいありさまに。村人「木を見て森を見ず」と怒ったが後の祭り。実は、番人の胸の中にもソンタク虫が巣くっていて・・・►森友学園を巡る決裁文書改ざんで、検察は最強官庁の面々を不起訴とした。法に触れるほどひどいものではないと見たようだ。法律論や裁判の勝算に限れば不起訴の判断もあり得よう。が、問題の根っこはそこではない►文書はないとうそをつき、改ざんし、捨てさせるー。文書が何より大切な役人にとってあり得ない行動は、何のためか、誰のためか。国民が知りたいのはこの点だ。法の番人は「木を見て森を・・・」の感が募る►これが、公文書から政治家の関与を意図的に削除しても罪に問われないという前例になれば最悪だ。出世や保身に目がないソンタク虫が繁殖し、公文書の信頼性を食い荒らそう。行政ひいては国そのものが信じられなくなる►驚いたことに、与党はこれで幕引きを、と。改ざん文書にだまされたのは国会なのに。一度は「刑事訴訟の恐れ」で逃げられたが、今度こそ。国会は国民を代表し、威信を懸けて真相を明らかにせねば。
西日本新聞 【春秋】 2018・06・02

松江豊寿
日本での第九交響曲にまつわる話をここまで知っている人は少ないと思う、心が清められる素晴らしい話です。
日本人であることに誇りを感じます。
年の瀬を彩るベートーベンの交響曲第9番。合唱部分の「歓喜の歌」が有名だ。アジアで最初の演奏されてから、きょうで100年になる。場所は徳島県鳴門市にあった坂東俘虜収容所►第1次大戦中、中国で捕虜になったドイツ兵約千人が暮らしていた。「世界のどこにバンドーのような収容所があるでしょうか」。当時の捕虜の一人は過酷な労働を強いる収容所が珍しくなかった当時。坂東では、ドイツのパンやソーセージ、菓子などを作って売る商売や新聞の発行、スポーツ、音楽などの活動が認められた。住民との交流も活発に行われた►四国霊場1番札所のこの地には巡礼者をもてなす「お接待」の習慣が根付いていて、住民は捕虜を「ドイツさん」と呼んで親しんだという。坂東が「模範収容所」となったのは、よそ者に寛容な土地柄に加え、当時の所長、松江豊寿の力が大きかった►松江は会津藩の出身で、戊辰戦争後は「朝敵」の汚名を受けて苦しいい生活を送った。それだけに「敗者の気持ちが分かる人」と伝わる。軍部の「捕虜に甘い」との批判にも「彼らも祖国のために戦ったのだから」と人道的な収容所運営を貫いた►第9は、人々の手を取り合って苦しみを乗り越える喜びを歌う。松江の志と坂東の歴史とも響き合おう。鳴門市ではきょう、当時の演奏人数などを再現した記念演奏会が開かれる。
西日本新聞 【春秋】 2018・06・01
●松江 豊寿(まつえ とよひさ、1872年7月11日(明治5年6月6日) - 1956年(昭和31年)5月21日)は、日本の陸軍軍人、政治家。最終階級は陸軍少将。第9代若松市長。
第一次世界大戦中に板東俘虜収容所所長を務め、在任中にドイツ人俘虜を人道的に扱い地元の住民とドイツ人俘虜を交流させた。この時、ドイツ人俘虜によって日本で初めてベートーベンの交響曲第9番が演奏された。映画『バルトの楽園』の主人公としても知られる。