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Posted by おてもやん at
                          福岡の珍敷塚(めずらしづか)古墳の壁画‥上 エジプトのセン・ネジェム古墳の壁画‥下

昨日(12/17)、八代市厚生会館ホールで吉村作治先生による『日本の祭りとその起源・日本のお祭りの起源は古代エジプトにあった』という特別講演会がありました。この企画は八代の妙見祭が先月ユネスコ無形文化遺産登録が決まった事を記念して、八代妙見祭保存振興会・八代市が主催して行ったものです。
吉村作治先生は1966年アジア初の早大エジプト調査隊を組織し現地に赴いて以来、約半世紀にわたり発掘調査を継続し、数々の発見により国際的評価を得る。エジプトの歴史について国内第一人者です。話は妙見祭の話から神輿で運ばれる神様の話になり広がって行くのですが、この祭りというものが『神事』、『神輿』、『余興』というもので構成されており、古代エジプトの祭り「オペト祭」が原型ではないかと話されます。ルクソール神殿は、新王国時代にカルナック神殿の副神殿として建てられました。これは年に1度、ナイル川の増水期に、アメン神が妻ムト女神と過ごすために訪れる「オペト祭・豊穣を祈る祭」のために造られました。ルクソール神殿にこれらの神を迎えるとき、オペト祭という盛大な祭りが行われた。古代エジプト人たちが最も楽しみにしていた祭りの一つです。その祭りの様子がカルナック神殿やルクソール神殿のパピルス柱(高さ19m)の大列柱廊の左右の柱にはオペトの祭りのレリーフが多数描かれているという話をされました。又1954年および1987年にギザの大ピラミッドの付近で発見された2隻の船クフ王の船は紀元前2500年頃、古代エジプト・古王国時代第4王朝のファラオであったクフのために造られたとされていて、この船は、復活する王を運ぶ儀式の船に似ていたため「太陽の船」と呼ばれています。太陽信仰は日本だけではなく、古代文明のエジプトやマヤでも世界中で信仰されていたもので古代エジプトの初期には死者は北極星のまわりに帰ると考えられていました。夜の間に星々や星座は沈んでしまいますが北極星だけは決して見えなくなることはありません。そのことから「永遠に生きるもの」、「滅亡を知らないもの」とされ、死者の永世の世界だと思われるようになりました。北極星信仰は妙見信仰などに今日も残っており、古代エジプトの信仰が神様の違いはあれ、同じ多神教を信仰する日本にも何らかの形で伝播したということです。時代がうつるにつれ、死者の国は西方の地下にあると考えられるようになりました。太陽は西に沈み、死者の国を通って東方に再生すると思われたからです。大ピラミッドの脇には巨大な太陽の舟が埋められていましたが、このような船によって太陽は東方の再生の地に運ばれると考えられていました。これは日本の古代でもエジプトの太陽信仰と全く同じような死者に対しての畏怖とよみがえりをねがう太陽信仰がありました。エジプトにもそして日本にもミイラというものが存在します。6世紀ごろの古墳の(珍敷塚古墳)絵がエジプトのセン・ネジェム古墳の絵にそっくりという話もありました。福岡の浮羽地区には原(はる)古墳,鳥船塚(とりふねづか)古墳,などにも船の装飾古墳があります。これは決して偶然ではありません。古代の世界ははるか大昔から繋がっていたと考えることが妥当だと話されます。
その外、先生の話にはピラミッドは王の墓ではなく、神様を祀る神殿であるという話もされました。日本の教科書には、いまだに墓とされていることには憤慨されていました。この話には訳があって、ピラミッドが墓だとする文部省に対して、それなら王の墓を別の場所で見つければ自分の主張が認められるだろうと墓を探されたそうです。今はピラミッドが墓だと教科書に記述している国はあまり無いそうです。ピラミッドは日本の神社と同じで神様が降臨する部屋があるだけで、死者を埋葬する部屋は無いそうです。

八代市厚生会館入り口



   


Posted by マー君 at 17:12Comments(0)講座