2018年03月19日

青い目の人形の話

この童謡は幼稚園か小学生のころに習った覚えがあります。
今日の春秋を担当された方がどうしてこの青い目の人形の話を取り上げられたのかは知る由もありません。
人形の贈られた時期が3月だったということからかも知れませんが、読み手の私には昨日からの彼岸入りを含めて、昔を偲ぶには良い機会ではないかと感じられます。
小さな歴史の出来事ですが、子供から大人に育つ間に人間はどうしてここまで変わっていくのだろうと思わせる節も感じます。
戦争を挟さむと何故「友情人形」が「敵性人形」になるんでしょうか?

1927年3月、米国からの舟が大量の人形を続々と日本に運んだ。総数は1万3千体近くにも及び、全国の幼稚園や小学校に寄贈された。「友情人形」とも「青い目の人形」とも呼ばれている►取り組んだのは宣教師のシドニー・ギューリックさん。熊本などでの布教活動を終えて戻った米国で、反日感情の高まりに心を痛めた。やがて排日移民法が成立。それでも変わらぬ友好を願い、子供たちに呼びかけて人形を集めた►しかし、日米が開戦すると軍部は「敵性人形」の処分を命じる。多くが壊されたり焼かれたりした中で、一部は大切に守られてきた。厳しい監視の目を盗んで心ある人たちがかくまった。今全国に約330体が残るそうだ►最近の本紙にも人形たちの「その後」が報じられている。長崎県島原市は、京都府福知山市で愛知県幸田町との間で人形交流を深める構想があるという。3市町に1体ずつ残る人形を「3姉妹」と縁付けて、平和へのメッセージ発信をと願う►大分県日田市では、ひな祭りに合わせて地元の幼稚園が保管する2体が園児たちとパレードした。寄贈当時の熱烈な歓迎ぶりを再現したという►不幸な歴史を挟みながらも、90年以上も生き続ける友好の思い。併せて、勇気ある人たちの行動があったことも次の世代に伝えていきたい。日本の子供たちがお小遣いを出し合って、米国にお返しの人形を贈ったことも。
西日本新聞 【春秋】 2018・3・19


青い目の人形の話
野口雨情
青い眼の人形※1921年に発表された日本の童謡

青(靑)い眼(目)をしたお人形はアメリカ生れのセルロイド(ト)
日本の港へついたとき一杯涙をうかべてた
「わたしは言葉がわからない迷ひ子になつたらなんとせう」
やさしい日本の嬢ちやんよ仲よく遊んでや(遣)つとくれ ・・・


野口雨情(のぐち うじょう、1882年(明治15年)5月29日 - 1945年(昭和20年)1月27日)は、詩人、童謡・民謡作詞家。多くの名作を残し、北原白秋、西條八十とともに、童謡界の三大詩人と謳われた。
本名、野口英吉 茨城県多賀郡磯原町(現・北茨城市)に生まれる。東京専門学校(現・早稲田大学)に入学し、坪内逍遥に師事するが、1年余りで中退、詩作を始める。
代表作は『十五夜お月さん』『七つの子』『赤い靴』『青い眼の人形』『シャボン玉』『こがね虫』『あの町この町』『雨降りお月さん』『証城寺の狸囃子』『よいよい横町』など、枚挙にいとまがない。他に『波浮の港』『船頭小唄』など。

青い目の人形が送られた学校・幼稚園
熊本県
241体が寄贈され、2体が現存。()は送られた当時の人形の名前
●氷川町立宮原小学校(パトリシア・ジェーン)
●八代市立鏡小学校(ベティ・ジェーン)
王栄幼稚園:九州で最も古い幼稚園で、青い目の人形が贈られた時の写真も残されている


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Posted by マー君 at 11:28│Comments(0)記事
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