縄文時代の土器を見ていると謎だらけである。
土器の用途を考えれば煮炊き用か貯蔵用と我々の頭には浮かびます。
でもここ八ヶ岳山麓の博物館を廻っていると縄文土器はそれだけではないことに気づかされます。
色々な文様が土器に付いているのです。
中には実用向きではないほどの装飾が施されたものもあります。
どの博物館もかえってそちらの方が多いようです。
縄文中期に栄えた地域の特徴でもあるそうです。
これらの土器は煮炊きに使用された痕跡が残っています。
でもこれらの土器を見つめ直すと土器作成の過程で縄文人がどれほどこの装飾に時間をかけたものか、煮炊き以外に他に何か私たちには計り知れないものの為に心血を注いで土器を作ったと思わざるを得ません。
この土器の写真を撮る前に尖石縄文考古館で1時間半、立命館大文学部教授・矢野健一さんの「西日本の縄文文化」という講座がありその話の中でこの時代には中国やロシア、朝鮮半島にも縄文土器のような装飾文様を持つ土器は見当たらず日本独特の非常に特異な文化であると教わりました。
縄文人とは何なんだ。
どう考えても煮炊きには不便な器を懸命に作り、便利さの追求はそれほど考えなかったのは何故なんだろう・・・・。
でも時代が下がるとともにより実用的な土器に変化していき、弥生時代に近づくほどこの傾向は強まります。
この変化はなんなんでしょう?
自分を着飾るために翡翠に穴をあけてイヤリングやネックレスを作りましたが、木の枝の先に石英の粉を付けて一日がかりでたったの1ミリ程度しか穴が開かないそうです。
とんでもない時間をかけて作りました。
便利さという面から考えるとほぼ満たされている現代の私たちと満たされないものだらけの縄文人を考えると価値観や精神世界などの世界観が全く異なっているように思います。
4日から9日まで八ヶ岳山麓の縄文遺跡と博物館巡りで体も頭の中もぐったりと疲れました。
一晩明けると以前の生活・・・カレンダーを見つめると8日は体育の日・寒露とありました。
日本の行事・暦の説明では・・
10月8日頃(2018年は10月8日)。および霜降までの期間。
太陽黄径195度。
秋分から数えて15日目ごろ。
寒露とは、晩夏から初秋にかけて野草に宿る冷たい露のこと。
秋の長雨が終わり、本格的な秋の始まりになります。この頃になると五穀の収穫もたけなわで、農家では繁忙を極めます。
露が冷たい空気と接し、霜に変わる直前で、紅葉が濃くなり、燕などの夏鳥と雁などの冬鳥が交代される時期でもあります。
この頃は、大気の状態が安定して空気が澄んだ秋晴れの日が多くなります。夜には月も美しく輝いて見えます。寒露の頃になったら、空を見上げてみてはいかがでしょう。これまでと違った、秋の清々しさと趣を感じる空に出会えるはずです。
また「暦便覧」では、「陰寒の気に合つて露結び凝らんとすれば也」とあり。
露が冷気によって凍りそうになるころ。雁などの冬鳥が渡ってきて、菊が咲き始め、蟋蟀(こおろぎ)などが鳴き始めるころ。などの説明があります。
そろそろやっと秋らしくなりますかね。
富士見町からの見た富士山
松本城
一晩明けると以前の生活・・・カレンダーを見つめると8日は体育の日・寒露とありました。
日本の行事・暦の説明では・・
10月8日頃(2018年は10月8日)。および霜降までの期間。
太陽黄径195度。
秋分から数えて15日目ごろ。
寒露とは、晩夏から初秋にかけて野草に宿る冷たい露のこと。
秋の長雨が終わり、本格的な秋の始まりになります。この頃になると五穀の収穫もたけなわで、農家では繁忙を極めます。
露が冷たい空気と接し、霜に変わる直前で、紅葉が濃くなり、燕などの夏鳥と雁などの冬鳥が交代される時期でもあります。
この頃は、大気の状態が安定して空気が澄んだ秋晴れの日が多くなります。夜には月も美しく輝いて見えます。寒露の頃になったら、空を見上げてみてはいかがでしょう。これまでと違った、秋の清々しさと趣を感じる空に出会えるはずです。
また「暦便覧」では、「陰寒の気に合つて露結び凝らんとすれば也」とあり。
露が冷気によって凍りそうになるころ。雁などの冬鳥が渡ってきて、菊が咲き始め、蟋蟀(こおろぎ)などが鳴き始めるころ。などの説明があります。
そろそろやっと秋らしくなりますかね。
毎日朝から晩までそこらじゅうの博物館を巡り土器や土偶を見て廻っているとこんな話に巡り合いました。


(釈迦堂遺跡博物館でのお話)
縄文人によって作られた土偶・・現代の人の祈り・・同じ想いが脈々と引き継がれてきたんですね。
(釈迦堂遺跡博物館でのお話)
縄文人によって作られた土偶・・現代の人の祈り・・同じ想いが脈々と引き継がれてきたんですね。
信州に来て4日目、八ヶ岳山麓を毎日うろうろしていますが未だ富士山には出会いません。富士見町に入って遠くに富士山らしいきれいな三角形が小さく見えました。ちいさくともやっぱりふじさんはうつくしい。今回一番の景色に感動。
井戸尻考古館できょう最初の縄文の遺物を見学中、突然の地震がありました。学芸員の方と思いますが飛んで見えて怪我はなかったかと安否を心配して下さる。なかなか即座に出来るおこないではない。土器文様の研究がある資料について尋ねると完売してないのでと見本をコピーして頂いた。行き届いた心遣いに感服。
展示品は何とか無事であった。
台風が来るのに家族をほったらかして〝ちょっと長野に〟ではないと思う。でもこの旅行は何か月も前から計画を立てて行ったものでたまたま永年にはない台風が今年は襲ってきたというよりは他に言いようがありません。先ほど家に電話を入れたら風が強くなったが心配ないとのこと。これで少し後ろめたさも少しは薄らいだ感じ。いろんな人がこのような経験をお持ちだろうと思います。さて1万5千年前の縄文人たちはどうだったでしょうか?




人間ってなんと自分勝手な生き物なんでしょう?
でも縄文の人たちは自分勝手では生られなかった人たちなんですよ。
人間ってなんと自分勝手な生き物なんでしょう?
でも縄文の人たちは自分勝手では生られなかった人たちなんですよ。
今日の読売1面に特別編集委員の橋本五郎さんが[拝啓 安倍晋三様] 「画竜点睛」何が必要か・・という記事を書かれておられて「画竜点睛」の文字を見て仰天。読めないし、書けないし、意味も分からない・・新聞の見出しも読めないなんて情けないにもほどがある。フリガナくらいはつけてくれればいいのにと思いながら先ずはこの四文字熟語を調べてみました。

画竜点睛(読み)ガリョウテンセイ
デジタル大辞泉の解説
がりょう‐てんせい〔グワリヨウ‐〕【画▽竜点×睛】
《中国、梁の張僧繇(ちょうそうよう)が、金陵の安楽寺の壁にかいた竜に睛(ひとみ)を入れたら、たちまち雲に乗って昇天したという「歴代名画記」七の故事から》最後の大事な仕上げ。また、ほんの少し手を加えることで全体が引き立つこと。→画竜点睛を欠く
[補説]「がりゅう」とは読まない。また、「点睛」を「点晴」とは書かない。
●画竜点睛を欠くの意味
完成寸前のものの最も大事な部分が欠落しているさま・・類語 仏作って魂いれず
物事を行うにあたっての注意力などが足りないさま・・類語 最後のツメが甘い
肝心の部分が足りない様子・・類語 最後の一押しが足りない
必要な一点が欠けているばかりに全体が台無しになるさま・・類語 九仞の功を一簣に欠く (きゅうじんのこうをいっきにかく)
大辞林 第三版の解説
がりょうてんせい【画竜点睛】
〔「水衡記」より。梁の画家張僧繇ちようそうようが、竜を描いて、その睛ひとみを書き加えたところ、竜が天に昇ったという故事から〕
物事全体を生かす中心。また、物事を完璧かんぺきなものにするための最後の仕上げ。 〔「睛」を「晴」とするのは誤り〕
新聞読むのにも一苦労・・。
みなさんもこんなけいけんはありませんか?

画竜点睛(読み)ガリョウテンセイ
デジタル大辞泉の解説
がりょう‐てんせい〔グワリヨウ‐〕【画▽竜点×睛】
《中国、梁の張僧繇(ちょうそうよう)が、金陵の安楽寺の壁にかいた竜に睛(ひとみ)を入れたら、たちまち雲に乗って昇天したという「歴代名画記」七の故事から》最後の大事な仕上げ。また、ほんの少し手を加えることで全体が引き立つこと。→画竜点睛を欠く
[補説]「がりゅう」とは読まない。また、「点睛」を「点晴」とは書かない。
●画竜点睛を欠くの意味
完成寸前のものの最も大事な部分が欠落しているさま・・類語 仏作って魂いれず
物事を行うにあたっての注意力などが足りないさま・・類語 最後のツメが甘い
肝心の部分が足りない様子・・類語 最後の一押しが足りない
必要な一点が欠けているばかりに全体が台無しになるさま・・類語 九仞の功を一簣に欠く (きゅうじんのこうをいっきにかく)
大辞林 第三版の解説
がりょうてんせい【画竜点睛】
〔「水衡記」より。梁の画家張僧繇ちようそうようが、竜を描いて、その睛ひとみを書き加えたところ、竜が天に昇ったという故事から〕
物事全体を生かす中心。また、物事を完璧かんぺきなものにするための最後の仕上げ。 〔「睛」を「晴」とするのは誤り〕
新聞読むのにも一苦労・・。
みなさんもこんなけいけんはありませんか?
昨日のノーベル賞の発表、これで多くの人の命が救われる事でしょう。がん治療には外科手術、放射線療法、化学療法があり、今回のノーベル賞によってがんの免疫療法が加わることになりました。今まで高額な薬価が課題とされていましたがこの受賞で政府による薬価改定のしくみの見直しにつながり今年11月から当初の3分の1以下の価格になるとのこと。
今回本庶佑(ほんじょたすく)教授が研究された内容や仕組みについて新聞など色々見ましたが、しんぶん赤旗電子版のものが自分には一番分かりやすかったので今日は赤旗の記事を紹介します。
読売新聞より
がん免疫療法に光明
今年のノーベル医学・生理学賞は、免疫細胞を制御する仕組みを発見し、がんの免疫療法への応用研究を行った本庶佑・京都大学特別教授らに授与されることが決まりました。
免疫は、生体内に侵入したウイルスや細菌などの異物を排除するしくみ。その役割を担う白血球などは異物の侵入を検知するとさまざまな化学物質を分泌するなどして異物を攻撃し、破壊します。ところが、がん細胞は異物であるにもかかわらず、免疫の攻撃を受けず生き延びます。
本庶さんたちは、細胞があらかじめプログラムされた方法で死ぬ「アポトーシス」という現象にかかわる免疫細胞の研究を進めていました。その中で、免疫細胞がもつ「PD―1」というタンパク質を発見しました。働きを調べた結果、免疫細胞が異物を攻撃するのを抑える“ブレーキ”であることがわかりました。がん細胞は、PD―1を活性化し、免疫細胞の攻撃を逃れていたのです。
免疫細胞をがん治療に応用する試みは以前からありました。免疫細胞の攻撃力を強めようとするもので、いわば免疫細胞の“アクセル”の研究でしたが、成果をあげることはできていませんでした。いくらアクセルを踏んでも、ブレーキが働いて帳消しにしてしまうからです。
免疫細胞にブレーキがあるのは、暴走して正常な細胞を攻撃しないようにするためですが、本庶さんはこの仕組みを逆手にとって、がん細胞が免疫細胞のブレーキを活性化できないようにすれば、がんを治療できると考え、研究を進めました。
米国のベンチャー企業や日本の製薬会社との共同研究で、がん細胞がもつ、免疫細胞のPD―1と結びついてブレーキを利かせるPD―L1などのタンパク質を発見。さらに、その結びつきを阻害する「オプジーボ」が開発され、2014年7月、製造販売承認を得ました。皮膚がんや肺がん、腎臓がんの治療に使われています。
オプジーボをめぐっては薬価が非常に高いことが問題となり、日本共産党の小池晃参院議員が2016年10月の予算委員会で追及。翌年2月に半額に切り下げられた経緯があります。(間宮利夫)

本庶佑(ほんじょたすく)
生年月日:1942年1月27日 (76歳)
出身地:京都市
受賞歴:ロベルト・コッホ賞
本庶 佑は、日本の医師、医学者。勲等は文化勲章。学位は医学博士。京都大学名誉教授・高等研究院特別教授、公益財団法人先端医療振興財団理事長、ふじのくに地域医療支援センター理事長、静岡県公立大学法人顧問、日本学士院会員、文化功労者。
今回本庶佑(ほんじょたすく)教授が研究された内容や仕組みについて新聞など色々見ましたが、しんぶん赤旗電子版のものが自分には一番分かりやすかったので今日は赤旗の記事を紹介します。
がん免疫療法に光明
今年のノーベル医学・生理学賞は、免疫細胞を制御する仕組みを発見し、がんの免疫療法への応用研究を行った本庶佑・京都大学特別教授らに授与されることが決まりました。
免疫は、生体内に侵入したウイルスや細菌などの異物を排除するしくみ。その役割を担う白血球などは異物の侵入を検知するとさまざまな化学物質を分泌するなどして異物を攻撃し、破壊します。ところが、がん細胞は異物であるにもかかわらず、免疫の攻撃を受けず生き延びます。
本庶さんたちは、細胞があらかじめプログラムされた方法で死ぬ「アポトーシス」という現象にかかわる免疫細胞の研究を進めていました。その中で、免疫細胞がもつ「PD―1」というタンパク質を発見しました。働きを調べた結果、免疫細胞が異物を攻撃するのを抑える“ブレーキ”であることがわかりました。がん細胞は、PD―1を活性化し、免疫細胞の攻撃を逃れていたのです。
免疫細胞をがん治療に応用する試みは以前からありました。免疫細胞の攻撃力を強めようとするもので、いわば免疫細胞の“アクセル”の研究でしたが、成果をあげることはできていませんでした。いくらアクセルを踏んでも、ブレーキが働いて帳消しにしてしまうからです。
免疫細胞にブレーキがあるのは、暴走して正常な細胞を攻撃しないようにするためですが、本庶さんはこの仕組みを逆手にとって、がん細胞が免疫細胞のブレーキを活性化できないようにすれば、がんを治療できると考え、研究を進めました。
米国のベンチャー企業や日本の製薬会社との共同研究で、がん細胞がもつ、免疫細胞のPD―1と結びついてブレーキを利かせるPD―L1などのタンパク質を発見。さらに、その結びつきを阻害する「オプジーボ」が開発され、2014年7月、製造販売承認を得ました。皮膚がんや肺がん、腎臓がんの治療に使われています。
オプジーボをめぐっては薬価が非常に高いことが問題となり、日本共産党の小池晃参院議員が2016年10月の予算委員会で追及。翌年2月に半額に切り下げられた経緯があります。(間宮利夫)

本庶佑(ほんじょたすく)
生年月日:1942年1月27日 (76歳)
出身地:京都市
受賞歴:ロベルト・コッホ賞
本庶 佑は、日本の医師、医学者。勲等は文化勲章。学位は医学博士。京都大学名誉教授・高等研究院特別教授、公益財団法人先端医療振興財団理事長、ふじのくに地域医療支援センター理事長、静岡県公立大学法人顧問、日本学士院会員、文化功労者。
9月は台風に振り回された月でした。
どの場所を通過していくか自分たちのこと、子供たちのこと、兄弟のこと、そして友人や知人のことが心配と緊張感の緩まない日が続く月でありました。日本中の人が同じ思いをされたでしょう。
何事もなかったかのようにこの花は今朝一斉に花を咲かせました。
キバナセンナ
下の赤いのはローゼル
今日から10月です。
10月の和風月名は「神無月」と言われますがどんな意味があるのでしょう?
くらしの歳時記に詳しく説明がありましたので紹介します。
ただし旧暦での話になっています。
新暦ではひと月ぐらいの誤差がありますので間違われないように。
●今年の場合、旧暦の10月1日は新暦では11月8日になります。
また旧暦での10月の月末(10/29)は新暦では12月6日になりますので旧暦の10月は新暦では11月8日~12月6日になります。

神無月(かんなづき/かみなしづき) 10月
神々が出雲の国に行ってしまい留守になるという意の「神なき月」が転訛して「神無月」。神々が集まる出雲の国では「神在月(かみありつき)」といいます。
神無月の由来
神無月(かんなづき)は、旧暦で10月のこと。「かみなづき」「かむなづき」とも言います。でも、あるところでは「神在月」(かみありつき)と逆の意味で呼ばれています。それはなぜでしょうか?
「神無月」と「神在月」について
10月は全国の八百万の神様が、一部の留守神様を残して出雲大社(島根県出雲市)へ会議に出かけてしまうと考えられてきました。
その為、神様が出かけてしまう国では神様がいないので「神無月」、反対に出雲の国(島根県)では神様がたくさんいらっしゃるので「神在月」というわけです。
また、「神無月」の無を"の"と解して「神の月」とする説もありますが、「神無月」も「神在月」も、神々が集う大切な月という意味です。
会議の議題は?
年に一度、出雲大社に集まった神様たちは、人の運命や縁(誰と誰を結婚させようか)などを話し合います。遠く離れた者同士が知り合い、結婚するようなことがありますが、この会議の結果なのかもしれませんね。その為、出雲大社は縁結びの総本山でもあります。
また、来年の天候、農作物や酒の出来なども話し合われているそうです。
会議の場所が出雲大社なのは?
出雲大社の祭神は大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)。天を象徴する天照大神(あまてらすおおみかみ)に対し、大地を象徴する神様です。
大国主大神にはたくさんの子どもたちがおり、その子どもたちを全国各地において国を管理させました。そして、子どもたちが年に一度出雲大社に戻り、その年の報告や来年の相談をしたのです。やがて、他の神様も一緒に出雲に集まるようになったといわれています。
十月の神様の出張スケジュール
・10月1日:「神送り」出雲に出発
各家庭で、旅立つ神様にお弁当としてお餅やお赤飯を供えます。
・10月10日:「神迎え」出雲に到着
出雲の国・稲佐の浜で神様を迎え、出雲大社へ向かいます。
・10月11日~17日:「神在祭」(かみありさい)
神議(かむはかり)という会議をします。
出雲大社では、会議処である上宮で祭りを執り行います
また、神々の宿泊所となる境内の19社でも連日祭りが行われます。
・10月17日:「神等去出祭」(からさでさい)
出雲大社から出発、出雲の国へ。
・10月26日:「第二神等去出祭」
出雲の国から出発。再び出雲大社でお祭りをします。
・10月末日:「神迎え」帰宅
各家庭でお餅や作物を入れたすいとんなどを供えます。
※日付けは旧暦。出雲大社では旧暦で神を迎える行事が行われています。
※地方によって行事内容や日付けが異なる場合もあります。
留守神様って?
では10月は島根県以外に神様はいないのでしょうか?
いいえ、全ての神様が出雲に出かけてしまうのではなく、留守番をする神様がいます。
代表的な神様が「恵比須神」(えびすしん)。またその他には「金毘羅神」(こんぴらしん)、「竈神」(かまどしん)、「道祖神」(どうそじん)などがいます。
こうした留守神様を祭るために、十月に「恵比須講」(えびすこう)を行う地方も多くあります。
多くの神様が留守の間にも、ちゃんと留守神様として私たちを守ってくれているのですね。
どの場所を通過していくか自分たちのこと、子供たちのこと、兄弟のこと、そして友人や知人のことが心配と緊張感の緩まない日が続く月でありました。日本中の人が同じ思いをされたでしょう。
何事もなかったかのようにこの花は今朝一斉に花を咲かせました。
今日から10月です。
10月の和風月名は「神無月」と言われますがどんな意味があるのでしょう?
くらしの歳時記に詳しく説明がありましたので紹介します。
ただし旧暦での話になっています。
新暦ではひと月ぐらいの誤差がありますので間違われないように。
●今年の場合、旧暦の10月1日は新暦では11月8日になります。
また旧暦での10月の月末(10/29)は新暦では12月6日になりますので旧暦の10月は新暦では11月8日~12月6日になります。

神無月(かんなづき/かみなしづき) 10月
神々が出雲の国に行ってしまい留守になるという意の「神なき月」が転訛して「神無月」。神々が集まる出雲の国では「神在月(かみありつき)」といいます。
神無月の由来
神無月(かんなづき)は、旧暦で10月のこと。「かみなづき」「かむなづき」とも言います。でも、あるところでは「神在月」(かみありつき)と逆の意味で呼ばれています。それはなぜでしょうか?
「神無月」と「神在月」について
10月は全国の八百万の神様が、一部の留守神様を残して出雲大社(島根県出雲市)へ会議に出かけてしまうと考えられてきました。
その為、神様が出かけてしまう国では神様がいないので「神無月」、反対に出雲の国(島根県)では神様がたくさんいらっしゃるので「神在月」というわけです。
また、「神無月」の無を"の"と解して「神の月」とする説もありますが、「神無月」も「神在月」も、神々が集う大切な月という意味です。
会議の議題は?
年に一度、出雲大社に集まった神様たちは、人の運命や縁(誰と誰を結婚させようか)などを話し合います。遠く離れた者同士が知り合い、結婚するようなことがありますが、この会議の結果なのかもしれませんね。その為、出雲大社は縁結びの総本山でもあります。
また、来年の天候、農作物や酒の出来なども話し合われているそうです。
会議の場所が出雲大社なのは?
出雲大社の祭神は大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)。天を象徴する天照大神(あまてらすおおみかみ)に対し、大地を象徴する神様です。
大国主大神にはたくさんの子どもたちがおり、その子どもたちを全国各地において国を管理させました。そして、子どもたちが年に一度出雲大社に戻り、その年の報告や来年の相談をしたのです。やがて、他の神様も一緒に出雲に集まるようになったといわれています。
十月の神様の出張スケジュール
・10月1日:「神送り」出雲に出発
各家庭で、旅立つ神様にお弁当としてお餅やお赤飯を供えます。
・10月10日:「神迎え」出雲に到着
出雲の国・稲佐の浜で神様を迎え、出雲大社へ向かいます。
・10月11日~17日:「神在祭」(かみありさい)
神議(かむはかり)という会議をします。
出雲大社では、会議処である上宮で祭りを執り行います
また、神々の宿泊所となる境内の19社でも連日祭りが行われます。
・10月17日:「神等去出祭」(からさでさい)
出雲大社から出発、出雲の国へ。
・10月26日:「第二神等去出祭」
出雲の国から出発。再び出雲大社でお祭りをします。
・10月末日:「神迎え」帰宅
各家庭でお餅や作物を入れたすいとんなどを供えます。
※日付けは旧暦。出雲大社では旧暦で神を迎える行事が行われています。
※地方によって行事内容や日付けが異なる場合もあります。
留守神様って?
では10月は島根県以外に神様はいないのでしょうか?
いいえ、全ての神様が出雲に出かけてしまうのではなく、留守番をする神様がいます。
代表的な神様が「恵比須神」(えびすしん)。またその他には「金毘羅神」(こんぴらしん)、「竈神」(かまどしん)、「道祖神」(どうそじん)などがいます。
こうした留守神様を祭るために、十月に「恵比須講」(えびすこう)を行う地方も多くあります。
多くの神様が留守の間にも、ちゃんと留守神様として私たちを守ってくれているのですね。