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Posted by おてもやん at
熊本は日本赤十字社発祥の地です。
東京の飯田橋にもそのような歴史の話がありますが熊本の歴史を熊本洋学校の館長から 1877(明治10)年、 熊本洋学校に博愛社が設立された (博愛社は 1887(明治20)年に「日本赤十字社」と改称された。)と言う様な話を聞いてからは熊本が日本赤十字社の発祥の地だと思っています。

水前寺公園(水前寺成趣園)の東隣。夏目漱石記念館と並んで「ジェーンズ邸」 (=洋学校教師館)と呼ばれる 美しい建物がある。 ここは 西南戦争時に 日赤創設者・佐野常民が 有栖川宮熾仁親王に ”敵味方の別なく 戦傷者を手当する救護団体を設立する”ことを訴えて 許可を得, 「博愛社」を設立した場所である。
ジェーンズ邸には「赤十字発祥の地」というような記念碑はない。わずかに 説明用に 小さな展示(「日本赤十字発祥の部屋」)があるだけだが, 日本赤十字が設立されるのに重要な役割を果したこの建物を無視することは出来ないので, あえて ここを発祥の地コレクションに加えた。
■1871(明治4)に「洋学校教師館」として建築。L.L.ジェーンズの家族4人の住居として使用 (明治9年まで)
■1877(明治10) 西南戦争に際し, 征討大総督 有栖川宮熾仁親王の宿舎・本営となる。 佐野常民らが『敵・味方の別なく戦傷者を救護したい』との願いを提出, 有栖川宮から この館で『直許』が下り 博愛社が創設される。日赤発祥のセレモニーの場所となった。 (博愛社は, 10年後に日本赤十字社となる)
■1887(明治20)年から, 熊本県の物産館, 県立高等女子学校創立時の校舎, 日露戦争時のロシア軍将校の捕虜宿舎などに使用。
■1932(昭和7)年, 日本赤十字社に譲渡され, 現在の水道町へ移築。日赤記念館, 日赤熊本支部事務局, 血液センターなどとして36年間使用。
■1968(昭和43)年 熊本市へ譲渡。1970(昭和45)年 現在地へ移築され, 県有形文化財「ジェーンズ邸」として 保存・公開される。
残念なことに熊本洋学校は2年前の熊本地震で壊れてしまって現在はありません。

スイス国旗



正視に堪えない惨状だった。1859年、北イタリアのソルフェリーノ。イタリア統一を巡り、サルデーニャ・フランス連合軍とオーストリア軍が激戦を繰り広げた►戦場には多数の死傷者が放置された。それを目撃した一人の実業家は強い衝撃を受けた。地元の人たちを説いて救護隊を組織し、負傷者を手当てした►「なぜ敵兵も助けるのか」。問われて彼は言った。「傷ついた者に敵も味方もない。人間は皆、兄弟です」。彼の名はアンリ・デュナン►この体験から、国際的な救護活動の必要を痛感したデュナンの提唱によって、64年に16ヶ国がジュネーブ条約を締結。敵味方の区別なく救助、保護する国際組織が生まれた。国際赤十字である。赤十字マークはデュナンの祖国、スイス国旗の配色を逆にしたものだ。昨日はデュナン生誕190年だった►その志を継いだ人が日本にも。佐賀出身の佐野常民だ。西南戦争で多くの人が死傷している現状を知り赤十字のような救護団体の設立を明治政府に願い出たが、却下された。窮した佐野は征討総督の有栖川宮熾仁親王に直訴。「逆徒」の薩摩兵も助けたいという思いに感銘を受けた親王は許可を与え、日本赤十字社の前身となる博愛社の活動が始まった►デュナンを奮い立たせたのはナイチンゲールの看護活動だった。愚かな戦争はなくならないが、「皆、兄弟」の博愛精神も確かに受け継がれている。
西日本新聞 【春秋】 2018・05・09

●佐野常民(さのつねたみ・1822-1902)
文政5年(1822年)佐賀藩士として佐賀郡早津江(現在の川副町)に生まれ、天保3年(1832年)藩医佐野常徴(孺仙)の養子となり、藩主から「栄壽」の名を賜った。藩校弘道館に学び、その後江戸の古賀侗庵、京都の広瀬元恭、大阪の緒方洪庵、江戸の伊東玄朴等の塾で漢学、医学、蘭学、物理学、化学、外科術、冶金術等を修め、長崎海軍伝習所で航海術、造艦術、砲術などを学んだ。
政治家・赤十字事業の創始者。名は栄寿、のち栄寿左衛門。日本人による最初の蒸気車・蒸気船の模型を作り走らせた。枢密顧問官・第一次松方内閣の農商務相を歴任。日本赤十字社の初代社長。龍池会(のち日本美術協会)を結成して美術工芸の発展にも貢献した。明治35年(1902)歿、80才。

  


Posted by マー君 at 11:25Comments(0)歴史