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Posted by おてもやん at

2022年06月12日

日記の日

今日は何の日/by こよみのページによりますと2022年6月12日は〝日記の日〟となっていますが内容はほとんどの人がご存知の〝アンネの日記〟が書き始められた日なんですね。アンネの日記は知っていてもいつから書き始めてその後どうなったのか詳しく覚えている方は少ないと思いますので少しの間お付き合いください。


ー日記の日ー
1942(昭和17)年、ユダヤ人の少女アンネ・フランクによって「アンネの日記」が書き始められた日。アンネの家族は、ナチス・ドイツのユダヤ人迫害を逃れて、アムステルダムの隠れ家に身を隠した。日記は隠れ家に入る少し前の13歳の誕生日に父から贈られたものと言われる。1944(昭和19)年8月1日、アンネらは隠れ家から連れ出されて、ポーランドのアウシュビッツに送られたため、日記はこの日で終わっている。アンネの死は1945(昭和20)年3月31日。ドイツのベルゲン・ベルゼン強制収容所で、病死とされている。


アンネ・フランク
ドイツ国のフランクフルト・アム・マインに生まれたが、反ユダヤ主義を掲げる国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)の政権掌握後、迫害から逃れるため、一家で故国ドイツを離れてオランダのアムステルダムへ亡命した。しかし第二次世界大戦中、オランダがドイツ軍に占領されると、オランダでもユダヤ人狩りが行われ、1942年7月6日隠れ家での生活に入ることを余儀なくされた(フランク一家の他にヘルマン・ファン・ペルス一家やフリッツ・プフェファーもこの隠れ家に入って、計8人のユダヤ人が隠れ家で暮らした)。ここでの生活は2年間に及び、その間、アンネは隠れ家でのことを日記に書き続けた。

1944年8月4日にナチス親衛隊(SS)に隠れ家を発見され、隠れ家住人は全員が強制収容所へと移送された。アンネは姉のマルゴット・フランクとともにベルゲン・ベルゼン強制収容所へ移送された。同収容所の不衛生な環境に耐え抜くことはできず、発疹チフスを罹患して15歳にしてその命を落とした。1945年3月上旬ごろのことと見られている。

隠れ家には、アンネがオランダ語でつけていた日記が残されていた。父・オットーの会社の社員で隠れ家住人の生活を支援していたミープ・ヒースがこれを発見し、戦後まで保存した。8人の隠れ家住人の中でただ一人戦後まで生き延びたオットーはミープからこの日記を手渡された。オットーは娘・アンネの戦争と差別のない世界になってほしいという思いを全世界に伝えるため、日記の出版を決意した。この日記は60以上の言語に翻訳され、2,500万部を超える世界的ベストセラーになった。
wikipediaより  


Posted by マー君 at 10:23Comments(0)今日は何の日