昭和の昔、フリーカメラマンに区分けがあった。ファッションを撮る人を“婦人科”、コマーシャルを専門にする人を“商業科”と称した◆田沼武能さんはルポルタージュなど報道分野を担う“社会科”に進んだ。のちにライフワークとなる「世界の子供たち」の写真を撮り始めたのは1965年にさかのぼる。子供を撮るなんて素人だと仲間に言われ、意地になった。ところが、やってみるとなかなか難しい◆子供がカメラを意識した瞬間、無心で遊ぶ姿ではなくなるためという。ヤラセなど論外だとかつて本紙に語っている◆田沼さんが93歳で亡くなった。ユニセフ(国連児童基金)への協力で知られるが、仕事を依頼されたのではない。友人の黒柳徹子さんが親善大使に就いたと聞き、自費での同行を申し出た。旧ユーゴスラビアでは「民族浄化」の名のもと、玩具や菓子に爆弾が仕掛けられる環境下の子供たちを撮影した。「悲劇や苦悩のなかでも子供は未来を見つめ、生きようとしていた」◆今秋の黒柳さんの視察にも同行したいと伝えていた。子供たちが安心して暮らせる世界になっていないからだろう。
読売新聞編集手帳 2022/06/03


※世界の子供と共にその姿を撮り続けた人生・・なかなか出来るものではありません。
心からお悔やみ申し上げます。
読売新聞編集手帳 2022/06/03


※世界の子供と共にその姿を撮り続けた人生・・なかなか出来るものではありません。
心からお悔やみ申し上げます。