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Posted by おてもやん at
今日は先日前山光則先生の引率でお伺いした石牟礼道子さんの1回忌の日、石牟礼道子さんは作家でもあり詩人でもありました。
89年前、童謡詩人の金子みすゞさんも今日亡くなっています。



みすゞ忌(3月10日 記念日)
童謡詩人・金子みすゞ(かねこ みすず)の1930年(昭和5年)の忌日。
みすゞの墓がある仙崎の遍照寺では「みすゞ忌」法要が行われる。
金子みすゞについて
1903年(明治36年)4月11日に山口県大津郡仙崎村(現:長門市仙崎)に生まれる。本名はテル。郡立大津高等女学校(現:山口県立大津緑洋高等学校)を卒業。
10代半ばから詩を作り始める。同県下関市に移り住んだ1923年(大正12年)の20歳頃から雑誌『金の星』『童話』などに詩を投稿する。西條八十から「若き童謡詩人の中の巨星」と称賛され、童謡や詩を多数発表する。
しかし、結婚後に夫と不仲になり、夫から詩作を禁じられ断筆。さらに、夫から病をうつされ離婚が決まり、26歳の若さで自ら命を絶った。代表作には「私と小鳥と鈴と」「大漁」などがあり、500編余りの作品を綴ったとされる。
現在では「私と小鳥と鈴と」が小学校の国語教科書に採用されることも多い。また、みすゞの生誕100年目にあたる2003年(平成15年)4月11日には生家跡に「金子みすゞ記念館」が開館し、直筆の詩作のメモなどが展示されている。

作家・石牟礼道子さん
石牟礼道子さん(90)は水俣病の恐ろしさ、患者や家族の苦しみや悲しみを世の中に訴え続けている作家です。
1927年3月、今の熊本県天草市で生まれ、まもなく対岸の水俣市へ移り住みました。「奇病」のうわさが出始めた59年ごろ、長男が入院していた水俣市立病院に新しい病棟ができ、その屋上で患者たちを見かけたのが、水俣病に関心を持つきっかけでした。
水俣市職員が持っていた熊本大学の研究資料に、患者が落ちないようにベットに手足をくくりつけているとか、言葉が出なくなって犬がほえるように叫ぶなどと書かれているのを見てショックを受けたそうです。
以来、診察の現場に出向いて患者の様子を見守ったり、水俣病で子供を亡くした人の話に耳を傾けたりしました。患者らの裁判やチッソとの交渉を支えました。
石牟礼さんはたくさんの作品を書きましたが、最も有名なのが、「苦海浄土 わが水俣病」です。社会の発展の犠牲になった患者や家族の苦しみを描きました。60年に最初の原稿を発表し、69年に刊行。三部作が完結したのは2004年でした。
「患者さんの思いが私の中に入って来て、その人たちになり代わって書いているような気持だった。とにかく書いて思いを吐き出さないと耐えられなかた」。執筆当初の気持ちをそう振り返っています。
石牟礼さんは「私たちの暮らしが豊かになる代償として、苦しみをその身に引き受けた方々です。亡くなるのを待つ、などということは決してあってはならないのです」と話し、水俣病の問題の解決を求めています。


  


Posted by マー君 at 09:50Comments(0)出来事