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Posted by おてもやん at

2019年03月02日

中国残留孤児問題

随分前の話だがこうして記事に目を通せばすぐに思い出す。
先の戦争がもたらした悲劇として捉えたことを。
「平成」は何とか戦争もなく終わりそうであるが、近隣諸国との関係はいまだに改善されていない状態です。
友好関係が上手くいかないといつかは争い事が起きないとは限りません。
反省すべきことは反省し、新たな未来に向かってより平和な国にしていきたいものです。


「落葉帰根」。木の葉が地上に舞い降りて土に帰るように、人もまた最後は故郷へと戻るー。この言葉に万感の思いを重ねる47人が、38年前の今日3月2日、成田空港に降り立った►終戦間際、旧ソ連の侵略を伴う混乱で、幼いまま大陸に残され、中国の人々に救われた日本人。彼らの存在が広く知られ、肉親を捜す集団訪日調査が開始されたのは1981年。47人はその第1陣だった►いわゆる中国残留孤児。その数は分かっただけで2818人。81年以降の30回に及ぶ訪日調査などを通じて、ようやく実態が掘り起こされた。しかし「二つの祖国」を持つことが新たな苦悩をもたらした►「落地生根」。この言葉に運命を託した人もいる。植物の種子が与えられた土で根を張るように、異国であってもその地で生き抜いていくー。►日本への永住帰国の断念。事情は一様ではないが、何よりも自分を育ててくれた養父母らを見捨てるわけにはいかない、という人が少なくなかった。作家の故山崎豊子さんが大作「大地の子」で描いた主人公もそうだった►厚生労働省はホームページで今も1500人余りの「孤児名鑑」を掲載している。実は孤児のうち日本での身元が判明したのは半数以下だ。肉親捜しは今も続いている。日中の国交正常化(共同声明調印)は1972年の「9月29日」。2013年に逝った山崎さんの命日がこの日と重なったことを思い出す。
西日本新聞 【春秋】 2019・3・2

山崎豊子(ヤマサキ・トヨコ)


(1924-2013)大阪市生れ。京都女子大学国文科卒業。毎日新聞大阪本社学芸部に勤務。その傍ら小説を書き始め、1957(昭和32)年に『暖簾』を刊行。翌年、『花のれん』により直木賞を受賞。新聞社を退社して作家生活に入る。『白い巨塔』『不毛地帯』『二つの祖国』『大地の子』『沈まぬ太陽』など著作はすべてベストセラーとなる。1991(平成3)年、菊池寛賞受賞。2009年『運命の人』を刊行。同書は毎日出版文化賞特別賞受賞。大作『約束の海』を遺作として 2013(平成 25)年に逝去。
  


Posted by マー君 at 10:46Comments(0)歴史記事