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Posted by おてもやん at
9月18日まで八戸市埋蔵文化財センター是川縄文館に展示されている国宝の「合掌土偶」を一目見たくて八戸市へ行ってきました。この土偶は是川遺跡の風張1遺跡(かざはり1いせき)から出土しました。
八戸市の資料によると第15号竪穴住居跡出土土器「合掌土偶」が製作された時期は、土偶の形態からみて、縄文時代後期後半(約3,500年前頃)のものであるとしています。
高さ 19.8㎝
両ももの付け根やひざの割れたところはアスファルトで修復しています。
体の所々に赤い顔料が残っていますがもともとは赤色に塗られていたと考えられます
全身に細かな模様が付けられています



国宝指定書
「合掌土偶の出土状況」
第15号竪穴住居跡の出入り口から向かって奥の北壁際から出土している。右側面を下にし、正面を住居中央に向け、背面は住居壁面に寄りかかるように確認された。また、出土時に欠けていた左足部分は、2.5m離れた西側の床面から出土した。土偶は、一般的に捨て場や遺構外からの出土例が非常に多いが、住居の片隅に置かれた様な状態で出土した例は非常に少ない。
「合掌土偶を出土した第15号竪穴住居」合掌土偶は、平成元年7月、長芋作付けによる緊急発掘調査で出土したものである。
「風張1遺跡位置図」
土偶が出土した風張1遺跡は八戸市庁から南方へ4.3 km、新井田川の右岸に位置し、縄文時代晩期で有名な是川遺跡の対岸に存在する。

八戸市の是川地区にある風張遺跡の竪穴住居跡から出土した縄文時代後期(約3,500年前)の土偶。まるで祈るかのように正面で両手を合わせ、両肘を立てて座るその姿から「合掌土偶」と呼ばれるようになった。信仰や出産などと関連付けて語られることが多く、縄文の精神世界を伝える貴重なものである。平成21年7月、国宝に指定された。

【是川石器時代遺跡】

是川石器時代遺跡は、中居・一王寺。堀田の三つの遺跡からなり、新井田川左岸の段丘上に立地します。前期から晩期の集落遺跡群で、日本考古学史に残る数々の発見がありました。一王寺遺跡では、細長いバケツ型の土器が大量にみつかり、「円筒土器」の名がつけられ、東北地方北部の前・中期の標識名になりました。堀田遺跡は土器とともに宋銭が出土し、縄文文化の週末年代をめぐる論争の舞台となりました。中居遺跡では、漆器をはじめ様々な植物質遺物が出土したことで、全国的に知られています。本遺跡は、長期的な集落の変遷や漆芸技術の系譜を考える上で重要な遺跡です。

今迄に全国で2万点以上出土している土偶で国宝に指定されている物は次の「縄文のビーナス」「縄文の女神」「中空土偶」「仮面の女神」「合掌土偶」の5点だけです。
風張1遺跡から出土した土偶は座った状態で両腕を膝の上に置き、正面で手を合わせ、指を組んだポーズを取っていることから合掌土偶と称されています。
『史跡 是川石器時代遺跡』
八戸市を北流する、新井田川左岸の標高10~44mの台地上に立地する遺跡です。堀田(ほった)遺跡(縄文時代中期)、一王寺(いちおうじ)遺跡(縄文時代前~中期)、中居(なかい)遺跡(縄文時代晩期)の総称で、中でも中居遺跡は亀ヶ岡文化を代表する遺跡の一つです。
集落の規模は、縄文時代中期や後期と比較すると小規模ですが、居住域、墓域、加工場、捨て場、祭祀場など多様な遺構が見つかっています。
中居遺跡の低湿地には沢があり、そこから捨て場が検出されました。捨て場には、トチやクルミといった木の実の殻をはじめ、獣骨や魚骨、貝類など多様な食料残滓(ざんし)が含まれています。特にトチの殻が大量に出土しており、最大80cmの厚さで堆積していました。捨て場からは、通常では腐って残らない、漆器やヤスなど植物質の道具が出土したほか、沢地ではトチのアク抜きをするための水さらし場も見つかっています。
また、花粉・種子・樹木などの分析から、集落やその周辺は、縄文人により有用植物を中心に管理され、人工林から里山を経て狩場である自然林へと繋がるような、同心円状の人為的な生態系を作り出して自然と共生していたと考えられます。
垣ノ島遺跡で登場した縄文の漆工芸技術は、道具を装飾するだけではなく、強化する目的で使われていました。是川石器時代遺跡においても、人工林や里山で、漆液を採取するためにウルシの木の管理を行い、漆液の採取時期を考慮しながら木地となる樹木を伐採・加工するなど、漆製品の高度で計画的な生産活動を読み取ることができます (八戸市埋蔵文化財センター是川縄文館)
  


Posted by マー君 at 10:38Comments(0)歴史