短いコラムの中からいろいろなことを思い出させたりまた教えられる。
今日は〝稲むらの火〟の主人公浜口梧陵(はまぐち・ごりょう)を勉強してみよう。

紀州・広村を襲った津波で村民の避難を誘導した「稲むらの火」の物語のモデル、浜口梧陵(はまぐち・ごりょう)はその後私財を投じて広村堤防を築いた。ラフカディオ・ハーンは「生き神」という一文でその事績を顕彰している▲梧陵は医療への支援でも大きな役割を果たす。名高いのは江戸の西洋種痘所が焼失した際に、何百両も寄付して再建させたことだ。種痘所を作った幕府内の開明派が大老・井伊直弼(いい・なおすけ)により左遷され、再建が絶望視されていた時だった▲この種痘所は後に東大医学部となる。人々の健康を願う高い志にも支えられてきた人類の感染症との闘いである。種痘に始まるワクチンはその闘いの決め手だが、いよいよスピード開発された新型コロナのワクチンの接種が始まった▲Vデー。ワクチンと勝利の頭文字を冠し、英保健相はきのうのワクチン接種開始日をそう呼んだ。認可を受けたワクチンとしては世界初、英国内の指定病院で始まった医療・介護従事者、80歳以上の高齢者らを対象とする接種である▲米国でも近く接種が始まるが、これら感染状況の厳しい国の局面転換への期待を集める新ワクチンだ。日本での接種開始の時期はもちろん気になるが、感染症への対処は人類的な課題でもある。途上国にも適正に配分せねばならない▲途上国むけワクチンの国際共同調達をはかるCOVAX(コバックス)などの取り組みはしっかり支えたい。梧陵は津波防災で世界的に有名だが、その種痘普及への志も受け継がねばならぬ今日の日本人だ。
毎日新聞・余禄 2020/12/09より
以下、Wikipediaより引用
●稲むらの火
稲むらの火(いなむらのひ)は、1854年(嘉永7年/安政元年)の安政南海地震津波に際しての出来事をもとにした物語。地震後の津波への警戒と早期避難の重要性、人命救助のための犠牲的精神の発揮を説く。小泉八雲の英語による作品を、中井常蔵が翻訳・再話したもので、文部省の教材公募に入選し、1937年から10年間、国定国語教科書(国語読本)に掲載された。防災教材として高く評価されている 。 もとになったのは紀伊国広村(現在の和歌山県有田郡広川町)での出来事で、主人公・五兵衛のモデルは濱口儀兵衛(梧陵)である。
●物語の概要
村の高台に住む庄屋の五兵衛は、地震の揺れを感じたあと、海水が沖合へ退いていくのを見て津波の来襲に気付く。祭りの準備に心奪われている村人たちに危険を知らせるため、五兵衛は自分の田にある刈り取ったばかりの稲の束(稲むら)に松明で火をつけた。火事と見て、消火のために高台に集まった村人たちの眼下で、津波は猛威を振るう。五兵衛の機転と犠牲的精神によって村人たちはみな津波から守られた。

●浜口梧陵(はまぐち・ごりょう)
濱口 梧陵(はまぐち ごりょう、文政3年6月15日(1820年7月24日) - 1885年(明治18年)4月21日)は、紀伊国有田郡広村(現・和歌山県有田郡広川町)出身の実業家・社会事業家・政治家。駅逓頭(後の郵政大臣に相当)や、初代和歌山県会議長を務めた。梧陵は雅号で、字は公輿、諱は成則。 醤油醸造業を営む濱口儀兵衛家(現・ヤマサ醤油)当主で、七代目濱口儀兵衛を名乗った。津波から村人を救った物語『稲むらの火』のモデルとしても知られる

●ラフカディオ・ハーン
小泉 八雲(こいずみ やくも、1850年6月27日 - 1904年(明治37年)9月26日)は、ギリシャ生まれの新聞記者(探訪記者)・紀行文作家・随筆家・ 小説家・日本研究家・日本民俗学者。出生名はパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)。ラフカディオが一般的にファーストネームとして知られているが、実際はミドルネームである。アイルランドの守護聖人・聖パトリックにちなんだファーストネームは、ハーン自身キリスト教の教義に懐疑的であったため、この名をあえて使用しなかったといわれる。
ファミリーネームは来日当初「ヘルン」とも呼ばれていたが、これは松江の島根県尋常中学校への赴任を命ずる辞令に、「Hearn」を「ヘルン」と表記したのが広まり、当人もそのように呼ばれることを非常に気に入っていたことから定着したもの[1]。ただ、妻の節子には「ハーン」と読むことを教えたことがある。HearnもしくはO'Hearnはアイルランド南部では比較的多い姓である。
今日は〝稲むらの火〟の主人公浜口梧陵(はまぐち・ごりょう)を勉強してみよう。

紀州・広村を襲った津波で村民の避難を誘導した「稲むらの火」の物語のモデル、浜口梧陵(はまぐち・ごりょう)はその後私財を投じて広村堤防を築いた。ラフカディオ・ハーンは「生き神」という一文でその事績を顕彰している▲梧陵は医療への支援でも大きな役割を果たす。名高いのは江戸の西洋種痘所が焼失した際に、何百両も寄付して再建させたことだ。種痘所を作った幕府内の開明派が大老・井伊直弼(いい・なおすけ)により左遷され、再建が絶望視されていた時だった▲この種痘所は後に東大医学部となる。人々の健康を願う高い志にも支えられてきた人類の感染症との闘いである。種痘に始まるワクチンはその闘いの決め手だが、いよいよスピード開発された新型コロナのワクチンの接種が始まった▲Vデー。ワクチンと勝利の頭文字を冠し、英保健相はきのうのワクチン接種開始日をそう呼んだ。認可を受けたワクチンとしては世界初、英国内の指定病院で始まった医療・介護従事者、80歳以上の高齢者らを対象とする接種である▲米国でも近く接種が始まるが、これら感染状況の厳しい国の局面転換への期待を集める新ワクチンだ。日本での接種開始の時期はもちろん気になるが、感染症への対処は人類的な課題でもある。途上国にも適正に配分せねばならない▲途上国むけワクチンの国際共同調達をはかるCOVAX(コバックス)などの取り組みはしっかり支えたい。梧陵は津波防災で世界的に有名だが、その種痘普及への志も受け継がねばならぬ今日の日本人だ。
毎日新聞・余禄 2020/12/09より
以下、Wikipediaより引用
●稲むらの火
稲むらの火(いなむらのひ)は、1854年(嘉永7年/安政元年)の安政南海地震津波に際しての出来事をもとにした物語。地震後の津波への警戒と早期避難の重要性、人命救助のための犠牲的精神の発揮を説く。小泉八雲の英語による作品を、中井常蔵が翻訳・再話したもので、文部省の教材公募に入選し、1937年から10年間、国定国語教科書(国語読本)に掲載された。防災教材として高く評価されている 。 もとになったのは紀伊国広村(現在の和歌山県有田郡広川町)での出来事で、主人公・五兵衛のモデルは濱口儀兵衛(梧陵)である。
●物語の概要
村の高台に住む庄屋の五兵衛は、地震の揺れを感じたあと、海水が沖合へ退いていくのを見て津波の来襲に気付く。祭りの準備に心奪われている村人たちに危険を知らせるため、五兵衛は自分の田にある刈り取ったばかりの稲の束(稲むら)に松明で火をつけた。火事と見て、消火のために高台に集まった村人たちの眼下で、津波は猛威を振るう。五兵衛の機転と犠牲的精神によって村人たちはみな津波から守られた。

●浜口梧陵(はまぐち・ごりょう)
濱口 梧陵(はまぐち ごりょう、文政3年6月15日(1820年7月24日) - 1885年(明治18年)4月21日)は、紀伊国有田郡広村(現・和歌山県有田郡広川町)出身の実業家・社会事業家・政治家。駅逓頭(後の郵政大臣に相当)や、初代和歌山県会議長を務めた。梧陵は雅号で、字は公輿、諱は成則。 醤油醸造業を営む濱口儀兵衛家(現・ヤマサ醤油)当主で、七代目濱口儀兵衛を名乗った。津波から村人を救った物語『稲むらの火』のモデルとしても知られる

●ラフカディオ・ハーン
小泉 八雲(こいずみ やくも、1850年6月27日 - 1904年(明治37年)9月26日)は、ギリシャ生まれの新聞記者(探訪記者)・紀行文作家・随筆家・ 小説家・日本研究家・日本民俗学者。出生名はパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)。ラフカディオが一般的にファーストネームとして知られているが、実際はミドルネームである。アイルランドの守護聖人・聖パトリックにちなんだファーストネームは、ハーン自身キリスト教の教義に懐疑的であったため、この名をあえて使用しなかったといわれる。
ファミリーネームは来日当初「ヘルン」とも呼ばれていたが、これは松江の島根県尋常中学校への赴任を命ずる辞令に、「Hearn」を「ヘルン」と表記したのが広まり、当人もそのように呼ばれることを非常に気に入っていたことから定着したもの[1]。ただ、妻の節子には「ハーン」と読むことを教えたことがある。HearnもしくはO'Hearnはアイルランド南部では比較的多い姓である。