今月初めの〝熊本の大地の成り立ち〟の集まりで「ミグマタイト」の観察の際に緑川の川床で採集した石の中に廣田女史から「竹葉石」といわれた石がありました。

竹葉石を調べているとakaazukiのブログに茨城の竹葉石の話があります。
茨城には町屋石という不思議な石があります。町屋というのは産出する地区の名前です。
マントル上部を構成するカンラン岩が地下深くで加水分解を受けて、蛇紋岩に変わります。
その蛇紋岩が熱変性を受けて再結晶化し、白黒の不思議な模様を作り出します。
その模様から、斑石(まだらいし)、笹目石、竹葉石とも呼ばれます。
カンラン岩が変成してできるため、カンラン岩とも蛇紋岩とも表記されていて、以前、名前を調べようとした時に混乱しました。どちらの表記でも間違いではないようです。・・・

茨城県町屋石の画像
日本大百科全書(ニッポニカ)の解説
竹葉石
ちくようせき
超塩基性岩の石材の一種で、黒色を呈する粗粒な柱状結晶がちらばってみえる石。熊本県宇城(うき)市小川町、茨城県常陸太田(ひたちおおた)市などに産するが、産出はまれである。命名は結晶がちょうど竹の葉のようにみえることによるが、ほかに笹石(ささいし)、絣石(かすりいし)とよばれることもある。いずれも結晶配列の模様による。黒色の結晶は橄欖石(かんらんせき)から変わった蛇紋石であり、岩石としては蛇紋岩である。なお、熊本県産のものは斑石(まだらいし)ともよばれるが、茨城県産の斑石(別名町屋石(まちやいし))とは区別される。[斎藤靖二]
[参照項目] | 塩基性岩 | 蛇紋岩 | 蛇紋石 | 石材
竹葉石を調べていると泰勝寺にあるガラシャ夫人の手水鉢が竹葉石で作られているらしいことが分かりました。
ブログ「肥後の国くまもとの歴史」にガラシャと手水鉢について詳しく書かれているものがあり歴史話ですが紹介します。
【熊本市】ガラシャ夫人の手水鉢(泰勝寺跡)
ガラシャ夫人の手水鉢(ちょうずばち)
泰勝寺跡(たいしょうじあと)
熊本市黒髪4-610
TEL 096-344-6753(立田自然公園)
『関ヶ原の戦い』が始まる7月、石田三成は細川忠興を西軍に引き込むためにガラシャを人質にとる作戦に出る。
大坂玉造邸にいたガラシャは人質を拒み、屋敷に火を放って最後を遂げた。
この手水鉢は、命をたつ直前、手水鉢を水鏡にして最後の身支度を整えたと伝えられている。


ガラシャ夫人の手水鉢
辞世の句
「散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ」
ガラシャの父・明智光秀は主君・織田信長に謀反して本能寺の変で信長を自刃をおいやった。その後、ガラシャは味土野(現・京都府京丹後市弥栄町)に隔離・幽閉。
その後、秀吉に許され大阪玉造の細川家に戻るが、最後は人質を拒み、家老の小笠原秀清少斎に槍で部屋の外から胸を貫かせてなくなった。
戦国の世を生きたガラシャ。時代に翻弄され・・・ この時代、女も戦っていた。
ガラシャ夫人の手水鉢(ちょうずばち)
※今後の課題としてガラシャ夫人の手水鉢の確認が残りました

竹葉石を調べているとakaazukiのブログに茨城の竹葉石の話があります。
茨城には町屋石という不思議な石があります。町屋というのは産出する地区の名前です。
マントル上部を構成するカンラン岩が地下深くで加水分解を受けて、蛇紋岩に変わります。
その蛇紋岩が熱変性を受けて再結晶化し、白黒の不思議な模様を作り出します。
その模様から、斑石(まだらいし)、笹目石、竹葉石とも呼ばれます。
カンラン岩が変成してできるため、カンラン岩とも蛇紋岩とも表記されていて、以前、名前を調べようとした時に混乱しました。どちらの表記でも間違いではないようです。・・・

茨城県町屋石の画像
日本大百科全書(ニッポニカ)の解説
竹葉石
ちくようせき
超塩基性岩の石材の一種で、黒色を呈する粗粒な柱状結晶がちらばってみえる石。熊本県宇城(うき)市小川町、茨城県常陸太田(ひたちおおた)市などに産するが、産出はまれである。命名は結晶がちょうど竹の葉のようにみえることによるが、ほかに笹石(ささいし)、絣石(かすりいし)とよばれることもある。いずれも結晶配列の模様による。黒色の結晶は橄欖石(かんらんせき)から変わった蛇紋石であり、岩石としては蛇紋岩である。なお、熊本県産のものは斑石(まだらいし)ともよばれるが、茨城県産の斑石(別名町屋石(まちやいし))とは区別される。[斎藤靖二]
[参照項目] | 塩基性岩 | 蛇紋岩 | 蛇紋石 | 石材
竹葉石を調べていると泰勝寺にあるガラシャ夫人の手水鉢が竹葉石で作られているらしいことが分かりました。
ブログ「肥後の国くまもとの歴史」にガラシャと手水鉢について詳しく書かれているものがあり歴史話ですが紹介します。
【熊本市】ガラシャ夫人の手水鉢(泰勝寺跡)
ガラシャ夫人の手水鉢(ちょうずばち)
泰勝寺跡(たいしょうじあと)
熊本市黒髪4-610
TEL 096-344-6753(立田自然公園)
『関ヶ原の戦い』が始まる7月、石田三成は細川忠興を西軍に引き込むためにガラシャを人質にとる作戦に出る。
大坂玉造邸にいたガラシャは人質を拒み、屋敷に火を放って最後を遂げた。
この手水鉢は、命をたつ直前、手水鉢を水鏡にして最後の身支度を整えたと伝えられている。


ガラシャ夫人の手水鉢
辞世の句
「散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ」
ガラシャの父・明智光秀は主君・織田信長に謀反して本能寺の変で信長を自刃をおいやった。その後、ガラシャは味土野(現・京都府京丹後市弥栄町)に隔離・幽閉。
その後、秀吉に許され大阪玉造の細川家に戻るが、最後は人質を拒み、家老の小笠原秀清少斎に槍で部屋の外から胸を貫かせてなくなった。
戦国の世を生きたガラシャ。時代に翻弄され・・・ この時代、女も戦っていた。
ガラシャ夫人の手水鉢(ちょうずばち)
※今後の課題としてガラシャ夫人の手水鉢の確認が残りました