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Posted by おてもやん at

2019年12月08日

何のために!続き

昨日の【春秋】に先日アフガニスタンで亡くなった中村哲医師は芥川作家の火野葦平と叔父、甥の間柄だったそうである。中村さんの死を悼み【春秋】は次のように著している。

北九州市若松区の高塔山にこんな詩碑がある。<泥によごれし背嚢(はいのう)に/さす一輪の菊の香や>。作者は若松出身の芥川賞作家、火野葦平である
▼日中戦争に出征した葦平。弾薬が詰まった背嚢を背負い、大陸を泥にまみれ行軍した。その体験を記した兵隊3部作のヒットで国民的作家となるが、戦後は「戦犯」の烙印(らくいん)に苦悩した
▼3部作の一つ「土と兵隊」にこんなシーンが。中国軍とにらみ合う闇夜の陣地に赤ん坊の泣き声が響く。戦闘の巻き添えになった母子だった。葦平は銃弾が飛び交う下をはって母子の元へ。虫の息の母親に布団を掛け、赤ん坊は凍えぬよう布団でぐるぐる巻きにした
▼戦場での真実の物語は米国のノーベル文学賞受賞者に感銘を与えた。中国を舞台に大河小説「大地」を著したパール・バックである。同じ米国出身で2月に亡くなったドナルド・キーン氏も「感動的で、人間味溢(あふ)れる事件に打たれた」と記した
▼そんな人間味あふれる現場主義者、葦平の血脈を持つ人が帰らぬ人となった。葦平のおいの中村哲さん。危険なアフガニスタンでかんがい事業に突き進む姿に、兵隊と苦楽を共に死地インパールまで赴いた葦平の姿を重ねていたが…
▼民の生活が改善すると困る勢力でも現地にいるのか。疑問と憤怒が渦巻く頭に葦平の詩が浮かぶ。<兵隊なれば、兵隊はかなしきかなや>。悲しくて悔しくてやりきれない。必ず真相解明を。


●火野葦平・ひのあしへい
ジャンル
芸術文化
出身
福岡県
生年月日
1907年1月25日
没年月日
1960年1月24日
年齢
満52歳没
小説家。本名は玉井勝則。旧制小倉中学校(現・福岡県立小倉高等学校)在学中に文学を志すようになり、早稲田大学英文科に入学、大学中退後は家業を継いでいた。1938年、出征前に書いた小説『糞尿譚』が第6回芥川賞を受賞し一躍注目を集めるようになる。その後発表した『麦と兵隊』『土と兵隊』『花と兵隊』のいわゆる「兵隊三部作」がベストセラーとなり人気作家となった。戦後、戦犯作家とされ公職追放を受けたが、追放解除後再び筆をとり、故郷の若松にある「河伯洞」と東京の「鈍魚庵」を飛行機で往復しながら精力的に作家活動を行い、自伝的長編『花と竜』や『革命前後』など多数の作品を世に送り出し流行作家の地位を確立した。しかし、1960年1月24日、自宅でもある「河伯洞」2階の書斎において睡眠薬自殺を図り自らその命を絶った。残されていたノートには「死にます、芥川龍之介とは違うかもしれないが、或る漠然とした不安のために。すみません。おゆるしください、さようなら」と書かれていたという。『真珠と蛮人』が絶筆となった。火野が住居として書斎として使用していた「河伯洞」の名は、河童をこよなく愛していた火野が命名したもので「河童のすみか」という意味。なお、北九州市若松にある若松市民会館内に火野葦平資料館があり、書斎が復元されている。
wikipedia、昭和ガイドより  


Posted by マー君 at 09:50Comments(0)記事