びっくりしました。
前日の天気予報で覚悟はしていましたが1月にこんなに雪が積もるなんて近年珍しい出来事です。
1月(睦月)は何かにつけ行事が多い月である。1月11日は暦には「鏡開き」とあります。鏡開きはお正月を迎えるために準備した鏡餅を松の内が過ぎたので、年神様をお送りすると同時に年神様の依り代である鏡餅を食べることで神様から力を頂き今年の家族の無病息災を願うというものです。
●松の内
正月の松飾り(門松)のある間。元旦から7日、あるいは15日まで。
※松の内が終われば鏡開きが行われます。
7日の所は11日が鏡開き
15日の所は15日が鏡開き
鏡開きを20日に行う所もあるそうです
●鏡開きの名前については、元々武家の行事であり、餅を切るとか割るというのは縁起上良くないので開くという縁起のいい言葉を選んだと言われています。


えびす祭り、関西では「えべっさん」の名で良く知られている1月のお祭りです。
関西でえびす祭りが有名な神社は西宮戎(にしのみやえびす)と今宮戎(いまみやえびす)があります。
毎年1月9日~11日に行われ、9日が「宵戎(よいえびす)」、10日が「十日戎(とおかえびす)」、11日が「残り福(のこりふく)」と呼ばれます。
「えべっさん」とは「神様」のことで関西では「神さん」と呼んでいますが、全国的には「えびす様」または「恵比寿神」と呼ばれている七福神の一人です。
もともとは持ち物の釣り竿と鯛からも分かるように海の神様ですが、後に農業や商業の神様としても信仰されるようになりました。
「えびす」という神は複数あり、イザナギ、イザナミの子である蛭子命(ひるこのみこと)か、もしくは大国主命(大黒さん)の子である事代主神(ことしろぬしかみ)とされることが多い。少数であるが、えびすを少彦名神や彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)とすることもある。また、外来の神とされることもあります。
九州、特に八代では恵比須祭りはあまり知られてはいませんが、以前(2014・01)街歩きをしていて偶然見つけた小さな春日神社にえびす神が祭られているのを見つけたことを思い出しました。
4年前に撮った㉘案内板には「もともと徳淵にありましたが、寛政20年(1643)三斎が、八代城辰巳(東南)方向の鎮守として当地へ移転。えびす神をまつり、商売繁盛の神として地元商店街の崇拝を集めています。もとの地には古祠(古春日)と春日小路の地名が残っています」とあり細川三斎が八代城主の頃に徳淵の津の辺りにあった春日神社を本町商店街近くに移転したことで古くから八代にもえびす神の信仰があったことが分かります。
侘助(わびすけ)について・・
● ツバキ科の常緑高木。葉は普通のツバキより細く、晩秋から寒中にかけて、一重の白・赤、また赤地に白斑の小さい花をつける。茶花として愛好される。唐椿からつばき。 [季] 冬。
我が家の侘助、年末までは花は見かけなかったが今日咲いているのに気付きました。
●ツバキには 「侘助」 と呼ばれる一群が有り、“葯(やく・雄しべの先端の花粉を作る器官)が退化して花粉を作らないので実(種)も出来ない。
開き切らないのが特徴で、花は小振りで、ラッパ状(お猪口咲き)に咲きます。
一重咲きで、その控えめな咲き姿が好まれて、古くから茶人に好まれました。
椿の仲間ですが、華やかさは全くなく、小さな花で半開のまま下向きに咲きます。
晩秋から春先まで、ぽつりぽつりと咲いていきます。別名を「唐椿」とも言います。
原産地は中国、朝鮮半島と云われていて ツバキの中でもいち早く咲き、「侘助」は冬の季語になっています。
「侘助」の名の由来には諸説有りますが豊臣秀吉朝鮮出兵の折、茶人笠原侘助が持ち帰ったからとも言われています。
ワビスケの定義
A.ウラクツバキそのもの、あるいはウラクツバキ(‘タロウカジャ’=‘ウラク’)から生まれたものであること(ウラクツバキ、ウラクツバキの子、ウラクツバキの子孫)
B.葯(やく・雄しべの先端の花粉を作る器官)が退化して花粉を作らないこと
上記のABを満たすものがワビスケと呼ばれる。
ワビスケの特徴
1.ワビスケの花は一般に小さく(極小輪~中輪)、一重・猪口咲きのものが多い(ラッパ咲きなどもある)。
2.雄しべが花粉を生じないのは「定義」に書いた通りだが、同時に雌しべも不稔かあるいはきわめて結実しにくい。
3.やや早咲きになる傾向がある。
4.子房に毛があるものがある(ないものもある)。
5.花にやや強い香りを持つものがある。
6.花色が紫を帯びた桃色になるものが多い。
有楽椿(宮崎県西都市)
有楽椿(ウラクツバキ)の名は、東京に有楽町の名を残したことでも知られる織田有楽斎長益(おだ・うらくさい・ながます:1547~1621)が、茶花として愛用したことに由来します。 有楽斎は織田信長の実弟で、大阪冬の陣では豊臣方に与しましたが、後に堺・京都などに隠棲しました。 千利休の七哲といわれ、有楽流として一流派をなした人物でもありました。
ウラクツバキは、室町時代のころ中国から導入されたと見られるツバキ属の原種西南山茶(ピタールツバキ)と日本のヤブツバキとの間にできた雑種とも言われていますが、出生は明らかにされていません。 関東では太郎冠者(たろうかじゃ)の名で呼ばれます。
宮崎県内では34本の存在が確認されていますが、特に西都市尾八重地区の樅木尾有楽椿が県内トップの幹周を誇ります。 尾八重地区だけでも3本の県指定天然記念物(樅木尾、尾八重、大椎葉)がありましたが、このうち尾八重有楽椿は枯死してしまいました。 画像3枚目は、その生前の花を掲載しています(上2枚は樅木尾)。
花は12月から4月頃まで咲き、淡桃色に紫を帯び、ラッパ咲きで微香があります。 近年、樅木尾有楽椿の周囲は広い駐車場を備えた椿の里公園として整備され、開花期には多くの来訪者があります。
● ツバキ科の常緑高木。葉は普通のツバキより細く、晩秋から寒中にかけて、一重の白・赤、また赤地に白斑の小さい花をつける。茶花として愛好される。唐椿からつばき。 [季] 冬。
●ツバキには 「侘助」 と呼ばれる一群が有り、“葯(やく・雄しべの先端の花粉を作る器官)が退化して花粉を作らないので実(種)も出来ない。
開き切らないのが特徴で、花は小振りで、ラッパ状(お猪口咲き)に咲きます。
一重咲きで、その控えめな咲き姿が好まれて、古くから茶人に好まれました。
椿の仲間ですが、華やかさは全くなく、小さな花で半開のまま下向きに咲きます。
晩秋から春先まで、ぽつりぽつりと咲いていきます。別名を「唐椿」とも言います。
原産地は中国、朝鮮半島と云われていて ツバキの中でもいち早く咲き、「侘助」は冬の季語になっています。
「侘助」の名の由来には諸説有りますが豊臣秀吉朝鮮出兵の折、茶人笠原侘助が持ち帰ったからとも言われています。
ワビスケの定義
A.ウラクツバキそのもの、あるいはウラクツバキ(‘タロウカジャ’=‘ウラク’)から生まれたものであること(ウラクツバキ、ウラクツバキの子、ウラクツバキの子孫)
B.葯(やく・雄しべの先端の花粉を作る器官)が退化して花粉を作らないこと
上記のABを満たすものがワビスケと呼ばれる。
ワビスケの特徴
1.ワビスケの花は一般に小さく(極小輪~中輪)、一重・猪口咲きのものが多い(ラッパ咲きなどもある)。
2.雄しべが花粉を生じないのは「定義」に書いた通りだが、同時に雌しべも不稔かあるいはきわめて結実しにくい。
3.やや早咲きになる傾向がある。
4.子房に毛があるものがある(ないものもある)。
5.花にやや強い香りを持つものがある。
6.花色が紫を帯びた桃色になるものが多い。
有楽椿(宮崎県西都市)
有楽椿(ウラクツバキ)の名は、東京に有楽町の名を残したことでも知られる織田有楽斎長益(おだ・うらくさい・ながます:1547~1621)が、茶花として愛用したことに由来します。 有楽斎は織田信長の実弟で、大阪冬の陣では豊臣方に与しましたが、後に堺・京都などに隠棲しました。 千利休の七哲といわれ、有楽流として一流派をなした人物でもありました。
ウラクツバキは、室町時代のころ中国から導入されたと見られるツバキ属の原種西南山茶(ピタールツバキ)と日本のヤブツバキとの間にできた雑種とも言われていますが、出生は明らかにされていません。 関東では太郎冠者(たろうかじゃ)の名で呼ばれます。
宮崎県内では34本の存在が確認されていますが、特に西都市尾八重地区の樅木尾有楽椿が県内トップの幹周を誇ります。 尾八重地区だけでも3本の県指定天然記念物(樅木尾、尾八重、大椎葉)がありましたが、このうち尾八重有楽椿は枯死してしまいました。 画像3枚目は、その生前の花を掲載しています(上2枚は樅木尾)。
花は12月から4月頃まで咲き、淡桃色に紫を帯び、ラッパ咲きで微香があります。 近年、樅木尾有楽椿の周囲は広い駐車場を備えた椿の里公園として整備され、開花期には多くの来訪者があります。

昨日こんな事がありました。
「明日は成人式だけど大地(孫)に祝いをしてあげないといけないね」
成人の日が近づいていて初めて気づくんだからそれから孫に祝辞のメール。
孫からは「5月生まれだから来年ですよ」との返事。
成人式って今年、20歳に成る人の為のものなのか、既に20歳に成った人の式なのかそれが分からなくてお正月から夫婦揃っての大失策。
単なるあわてんぼうなのか、アホなのか、それともそろそろボケの始まりか。
今年初めての失笑。
今日、1月7日は無病息災を祈って七草がゆをいただく日です。

七草(ななくさ)は、人日の節句(1月7日)の朝に、7種の野草あるいは野菜が入った粥(七草粥)を食べる風習のこと。
元々の「七草」は秋の七草を指し、小正月1月15日のものは「七種」と書く。この七種も「ななくさ」と読み、一般には7日正月のものを七草と書くなど、現在では元々の意味がわからなくなり、風習だけが形式として残った。これらの事から、人日の風習と小正月の風習が混ざり、1月7日に「七草粥」が食べられるようになったと考えられる。
●春の七草・・昔の呼び名と今の呼び名()
①セリ・芹(セリ)
②ナズナ・薺(ナズナ)
③ゴギョウ・御形(ハハコグサ)
④ハコベラ・繁縷(コハコベ)
⑤ホトケノザ・仏の座(コオニタビラコ)
⑥スズナ・菘(カブ)
⑦スズシロ・蘿蔔(ダイコン)
※春以外に夏・秋・冬の七草もあるそうです。

七草(ななくさ)は、人日の節句(1月7日)の朝に、7種の野草あるいは野菜が入った粥(七草粥)を食べる風習のこと。
元々の「七草」は秋の七草を指し、小正月1月15日のものは「七種」と書く。この七種も「ななくさ」と読み、一般には7日正月のものを七草と書くなど、現在では元々の意味がわからなくなり、風習だけが形式として残った。これらの事から、人日の風習と小正月の風習が混ざり、1月7日に「七草粥」が食べられるようになったと考えられる。
●春の七草・・昔の呼び名と今の呼び名()
①セリ・芹(セリ)
②ナズナ・薺(ナズナ)
③ゴギョウ・御形(ハハコグサ)
④ハコベラ・繁縷(コハコベ)
⑤ホトケノザ・仏の座(コオニタビラコ)
⑥スズナ・菘(カブ)
⑦スズシロ・蘿蔔(ダイコン)
※春以外に夏・秋・冬の七草もあるそうです。

こんな言葉はご存知でしょうか。
「六日年越し」「七日正月」
一月六日から一月七日の事をこう呼ぶらしいのですが、何処の話でしょうか?
正月には色々な行事が各地で行われますが、そのすべてを知っている人はそう多くはいないと思います。
日本の文化は引き継がれるものや廃れていくものなど、年月の積み重ねによって色々な形で変わってきています。
正月六日に行われた正月行事の一つで、六日の日を「六日年」や「六日年越」と呼び、もう一度「年をとり直す」という日でした。
翌七日は「七日正月」といい、六日年越しと七日正月は一対として使われました。
●六日年越しとは
正月6日に行われた正月行事の一つ。神年越し、女の年越し、馬の年越しなどという地方もあった。この夜の行事は大みそかに似たものが多く、麦飯を食べ、沢がにをちがやの串に刺して戸口にはさむ地方、「蘇民将来」と書いた札を戸口に張る地方や、ひいらぎなどとげのある木の枝を戸口に差したり、かに年取りといってかにを食べ、その鋏を戸口に刺したりする地方もある。またこの夜、翌日の七草粥に入れる七草をまな板に載せ、神棚の前で包丁でたたきながら、「七草なずな、唐土の鳥と日本の鳥と、渡らぬ先に…」などと唱える行事は、東京でも近年まで行われていた。
●七日正月とは
正月七日の祝い。五節句のはじめとして、七種粥(ななくさがゆ)を食べて祝う。七種の節句。
※五節句には、3月3日、5月5日のように奇数の重なる日が選ばれていますが、1月だけは1日(元旦)を別格とし、7日の人日(じんじつ)を五節句の中に取り入れています。
五節供(五節句)は中国から伝えられ、江戸時代に民間に普及したものであるが、現在みるこれらにもなんらかの神祭の意味を認めることができる。なお、節供の語は節の日の供え物がその日を代表するようになったとする考えがあり、おせち(御節)料理は正月に限らず本来は節の日一般の食べ物を指す語だったといわれている。…
「五節句」の制度は明治6年に廃止されましたが、今での年中行事の一環として定着しています。
年越しいろいろ
大晦日→元旦
六日年越し→七日正月
十四日年越し→小正月(一月一五日)
節分→立春
新聞での天気予報は「5日の九州は昼頃まで雨や雪が降る。北部を中心に大雪の恐れ、午後は太平洋側で晴れ間が出る。最高気温は9℃前後。」
地元八代でも朝から冷たい雨が降っています。
今日は二十四節気による小寒。
小寒とは・・

【小寒】 しょうかん
1月5日頃(2018年は1月5日)。
および大寒までの期間。
太陽黄経285度
冬至 から数えて15日目頃、冬至 と大寒の中間。寒さが加わる頃という意味で、いわゆる「寒の入り」のこと。
小寒から節分までの30日間を「寒の内」といい、寒風と降雪の時節で、寒さが厳しくなる頃。これから冬本番を迎えます。
寒稽古や寒中水泳が行われるのは、この「寒」の時季です。
※立春が「寒の明け」になります。
この日から、寒中見舞いを出し始めます。
●冬至 → 小寒 → 大寒
地元八代でも朝から冷たい雨が降っています。
今日は二十四節気による小寒。
小寒とは・・
【小寒】 しょうかん
1月5日頃(2018年は1月5日)。
および大寒までの期間。
太陽黄経285度
冬至 から数えて15日目頃、冬至 と大寒の中間。寒さが加わる頃という意味で、いわゆる「寒の入り」のこと。
小寒から節分までの30日間を「寒の内」といい、寒風と降雪の時節で、寒さが厳しくなる頃。これから冬本番を迎えます。
寒稽古や寒中水泳が行われるのは、この「寒」の時季です。
※立春が「寒の明け」になります。
この日から、寒中見舞いを出し始めます。
●冬至 → 小寒 → 大寒
正月の三が日も終わり、1月4日は「官庁御用始め」「仕事始め」です。
わが家の子供たちもそれぞれ自分たちの家に帰り家内と二人きりのいつもに戻りました。
朝の散歩中、この時期に見かけなくなったものといえば正月飾りの「門松」です。
正月飾りには「門松」、「しめ飾り」、「鏡餅」などがありますが、「しめ飾り」も最近では飾っているところと飾らないところがあって、八代でも年々飾らないところが増えているようです。
私たちの家庭を振り返っても家を建てた頃からつい最近までは「しめ飾り」と「鏡餅」は飾っていましたが、今では「鏡餅」も飾らなくなりました。
わが家の場合は床の間の使い方に変化があって以前のように本来の床の間の利用方法ではなくなったことがそうさせたのかも知れません。
何事も年々変わっていくのが世の常。・・・
正月にお餅を食べるようになった理由と由来
1. 日本に最初に渡来したコメはもち米だったが、ウルチ米が普及し、今ではほとんど作られなくなった。
2. お餅はハレの日に神さまに捧げる神聖な食べ物であり、その文化が継承された。
3. 平安時代の正月行事「歯固めの儀」をきっかけに、正月にお餅を食べるようになった。
お正月に食べるお餅には・・
年神様に供えた「神聖なお餅」を神棚から下ろし、そのお餅をいただくことで、一年の無病息災を祈る。・・というそんなありがたい意味が込められています。
◎餅は長く伸びて切れない → 寿命も伸びて切れない → おめでたい

【鏡餅】は、日本の伝統である、餅を神仏に供える正月飾り(床飾り)であり、 穀物神である「年神(歳神)」への供え物であり、「年神(歳神)」の依り代である。
名称の由来
鏡餅という名称は、昔の鏡の形に似ていることによる。昔の鏡は青銅製の丸形で、神事などに用いられるものであった。三種の神器の一つ、八咫鏡【やたのかがみ】を形取ったものとも言われる。また、三種の神器の他の二つ、八尺瓊勾玉【やさかにのまがたま】に見立てた物が橙(ダイダイ)、天叢雲剣【あまのむらくものつるぎ】に見立てた物が串柿であるとされる。
【鏡開き】
正月の鏡餅を下げ,砕いた小片を雑煮や汁粉に入れて食べる祝い。主として1月11日の行事。古くは1月20日に行われていたが,江戸時代に3代将軍家光の忌日が20日であるため11日に改められたという。武家では甲冑を納めた櫃を開く具足開きが,町家では蔵開き,帳祝いが行われ,鏡餅を下げて主従や家族どうしで共食し,互いの関係を密にした。農家でも田打正月,鍬初めなどといって田畑に初鍬を入れ,そこに松や鏡餅の砕片を供えたり,臼起しといって暮に伏せた臼を起こし儀礼的に米つき等の作業をすることが行われ,同時に雑煮や汁粉を食べた。
●ハレ
もともとハレとは、折り目・節目を指す概念である。ハレの語源は「晴れ」であり、「晴れの舞台」(=生涯に一度ほどの大事な場面)、「晴れ着」(=折り目・節目の儀礼で着用する衣服)などの言い回しで使用されている。これ対し普段着を「ケ着」と言ったが明治以降から言葉として使用されなくなった。また、現代では単に天気が良いことを「晴れ」というが、江戸時代まで遡ると、長雨が続いた後に天気が回復し、晴れ間がさしたような節目に当たる日についてのみ「晴れ」と記した記録がある。
1. 日本に最初に渡来したコメはもち米だったが、ウルチ米が普及し、今ではほとんど作られなくなった。
2. お餅はハレの日に神さまに捧げる神聖な食べ物であり、その文化が継承された。
3. 平安時代の正月行事「歯固めの儀」をきっかけに、正月にお餅を食べるようになった。
お正月に食べるお餅には・・
年神様に供えた「神聖なお餅」を神棚から下ろし、そのお餅をいただくことで、一年の無病息災を祈る。・・というそんなありがたい意味が込められています。
◎餅は長く伸びて切れない → 寿命も伸びて切れない → おめでたい

【鏡餅】は、日本の伝統である、餅を神仏に供える正月飾り(床飾り)であり、 穀物神である「年神(歳神)」への供え物であり、「年神(歳神)」の依り代である。
名称の由来
鏡餅という名称は、昔の鏡の形に似ていることによる。昔の鏡は青銅製の丸形で、神事などに用いられるものであった。三種の神器の一つ、八咫鏡【やたのかがみ】を形取ったものとも言われる。また、三種の神器の他の二つ、八尺瓊勾玉【やさかにのまがたま】に見立てた物が橙(ダイダイ)、天叢雲剣【あまのむらくものつるぎ】に見立てた物が串柿であるとされる。
【鏡開き】
正月の鏡餅を下げ,砕いた小片を雑煮や汁粉に入れて食べる祝い。主として1月11日の行事。古くは1月20日に行われていたが,江戸時代に3代将軍家光の忌日が20日であるため11日に改められたという。武家では甲冑を納めた櫃を開く具足開きが,町家では蔵開き,帳祝いが行われ,鏡餅を下げて主従や家族どうしで共食し,互いの関係を密にした。農家でも田打正月,鍬初めなどといって田畑に初鍬を入れ,そこに松や鏡餅の砕片を供えたり,臼起しといって暮に伏せた臼を起こし儀礼的に米つき等の作業をすることが行われ,同時に雑煮や汁粉を食べた。
●ハレ
もともとハレとは、折り目・節目を指す概念である。ハレの語源は「晴れ」であり、「晴れの舞台」(=生涯に一度ほどの大事な場面)、「晴れ着」(=折り目・節目の儀礼で着用する衣服)などの言い回しで使用されている。これ対し普段着を「ケ着」と言ったが明治以降から言葉として使用されなくなった。また、現代では単に天気が良いことを「晴れ」というが、江戸時代まで遡ると、長雨が続いた後に天気が回復し、晴れ間がさしたような節目に当たる日についてのみ「晴れ」と記した記録がある。
本来「正月」は1月の別称ですが、1日が元旦、3日までを三が日、7日までを松の内といい、さらに1月15日(地方によっては20日)の「小正月」まで、さまざまなお正月行事が行われます。1月を「睦月・むつき」と呼ぶのも、正月に一家揃って睦みあう様子を表したもの。多くの方がお正月を家族で過ごし、当たり前のようにおせちを食べたり、お年玉のやりとりをしたりしていますが、一つ一つのものごとにも大切な意味が込められています。
睦月とは陰暦で正月・一月のこと
睦月は親類知人が互いに往来し、仲睦まじくする月からとする説が有力視されている。【言語由来辞典】

1月1日の八代宮
初詣
お正月のお出かけといえば初詣。本来は、氏神様や菩提寺に新年の挨拶をするものですが、江戸時代に、その年の吉方向(恵方)にある社寺にお参りする「恵方詣」「恵方参り」が流行しました。
初詣は早いほうが良いとされているので、三が日を過ぎたら松の内(一般的には1月7日)に、遅くとも小正月(1月15日)を目安にすると良いでしょう。
睦月とは陰暦で正月・一月のこと
睦月は親類知人が互いに往来し、仲睦まじくする月からとする説が有力視されている。【言語由来辞典】
1月1日の八代宮
初詣
お正月のお出かけといえば初詣。本来は、氏神様や菩提寺に新年の挨拶をするものですが、江戸時代に、その年の吉方向(恵方)にある社寺にお参りする「恵方詣」「恵方参り」が流行しました。
初詣は早いほうが良いとされているので、三が日を過ぎたら松の内(一般的には1月7日)に、遅くとも小正月(1月15日)を目安にすると良いでしょう。
元旦の語源由来について


元旦の「元」は初めの意味。「旦」は「日」が「太陽」、その下の横棒が「地平線」で、地平線から太陽が現れることを示し、「日の出」や「朝」の意味を持つ。1年の最初の朝なので、元日の朝を意味する。元旦は朝を意味しているが古くから元日の意味でも用いられているので朝に限って使われる言葉ではありません。朝は一日の始まりであり1月1日は1年の始まりと捉えてもおかしくはありません。



元旦の「元」は初めの意味。「旦」は「日」が「太陽」、その下の横棒が「地平線」で、地平線から太陽が現れることを示し、「日の出」や「朝」の意味を持つ。1年の最初の朝なので、元日の朝を意味する。元旦は朝を意味しているが古くから元日の意味でも用いられているので朝に限って使われる言葉ではありません。朝は一日の始まりであり1月1日は1年の始まりと捉えてもおかしくはありません。
