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Posted by おてもやん at


こんな言葉はご存知でしょうか。
「六日年越し」「七日正月」
一月六日から一月七日の事をこう呼ぶらしいのですが、何処の話でしょうか?
正月には色々な行事が各地で行われますが、そのすべてを知っている人はそう多くはいないと思います。
日本の文化は引き継がれるものや廃れていくものなど、年月の積み重ねによって色々な形で変わってきています。

正月六日に行われた正月行事の一つで、六日の日を「六日年」や「六日年越」と呼び、もう一度「年をとり直す」という日でした。
翌七日は「七日正月」といい、六日年越しと七日正月は一対として使われました。

●六日年越しとは
正月6日に行われた正月行事の一つ。神年越し、女の年越し、馬の年越しなどという地方もあった。この夜の行事は大みそかに似たものが多く、麦飯を食べ、沢がにをちがやの串に刺して戸口にはさむ地方、「蘇民将来」と書いた札を戸口に張る地方や、ひいらぎなどとげのある木の枝を戸口に差したり、かに年取りといってかにを食べ、その鋏を戸口に刺したりする地方もある。またこの夜、翌日の七草粥に入れる七草をまな板に載せ、神棚の前で包丁でたたきながら、「七草なずな、唐土の鳥と日本の鳥と、渡らぬ先に…」などと唱える行事は、東京でも近年まで行われていた。
●七日正月とは
正月七日の祝い。五節句のはじめとして、七種粥(ななくさがゆ)を食べて祝う。七種の節句。

※五節句には、3月3日、5月5日のように奇数の重なる日が選ばれていますが、1月だけは1日(元旦)を別格とし、7日の人日(じんじつ)を五節句の中に取り入れています。
五節供(五節句)は中国から伝えられ、江戸時代に民間に普及したものであるが、現在みるこれらにもなんらかの神祭の意味を認めることができる。なお、節供の語は節の日の供え物がその日を代表するようになったとする考えがあり、おせち(御節)料理は正月に限らず本来は節の日一般の食べ物を指す語だったといわれている。… 
「五節句」の制度は明治6年に廃止されましたが、今での年中行事の一環として定着しています。

年越しいろいろ
大晦日→元旦
六日年越し→七日正月
十四日年越し→小正月(一月一五日)
節分→立春







  


Posted by マー君 at 11:27Comments(0)行事