日本列島の北は青森県から南は鹿児島県まで徐福伝説があります。中国を出たことは確かなのですが、日本にたどり着いた証拠はなにもありません。一時期、中国でも徐福がいた事さえ疑問視された時期がありましたが、1982年6月、「中華人民共和国、江蘇(こうそ)省・かん楡(ゆ)県に徐福村が有り徐福伝説が残っており徐福が実在した事がわかりました。

西日本新聞 【春秋】 2016・4・2
今から2千年以上前、不思議な術を使う男が3千人の若い男女を伴い、船で中国を出発した。男の名は徐福。目的は東方の神山にある不老不死の霊薬だった►徐福が訪れた、という伝承は日本各地に残っている。佐賀県には、一行が霊薬を求めてたどった道筋が詳しく言い伝えられ、徐福が掘り当てたとされる温泉もある►史書は、徐福が「平原光沢」の地を得て王となり中国には戻らなかった、と伝えるのみだが、徐福の上陸地はどこか、終焉の地は、と想像をかき立てられる。ひょっとすると、一行はいくつかのグループに分かれて日本各地を訪ねたのかも知れない►大掛かりな船団を仕立てて徐福を送り出したのが、中国を初めて統一した秦の始皇帝だ。全てを手に入れた地上の覇者が最後に欲したのは、自らが神となること。すなわち不老不死である►始皇帝は兵士や軍馬をかたどった実物大の像を作らせ、自分の陵墓に納めた。「兵馬俑・へいばよう」と呼ばれる像の数は何と8千体。それ以上に、生きた人間がそのまま固まったかのように見える精緻な技巧に驚かされる。像は1体ずつ顔が違うそうだ。始皇帝を守った兵士たちを写実したとも►徐福の帰りを待ちわびながら、永遠に続く、現実そっくりの「帝国」を築こうとしたのか。九州国立博物館の「始皇帝と兵馬俑」展で実物の兵馬俑を間近に見ると、2千年の時を超えて伝わる始皇帝の執念に息をのんだ。

西日本新聞 【春秋】 2016・4・2
今から2千年以上前、不思議な術を使う男が3千人の若い男女を伴い、船で中国を出発した。男の名は徐福。目的は東方の神山にある不老不死の霊薬だった►徐福が訪れた、という伝承は日本各地に残っている。佐賀県には、一行が霊薬を求めてたどった道筋が詳しく言い伝えられ、徐福が掘り当てたとされる温泉もある►史書は、徐福が「平原光沢」の地を得て王となり中国には戻らなかった、と伝えるのみだが、徐福の上陸地はどこか、終焉の地は、と想像をかき立てられる。ひょっとすると、一行はいくつかのグループに分かれて日本各地を訪ねたのかも知れない►大掛かりな船団を仕立てて徐福を送り出したのが、中国を初めて統一した秦の始皇帝だ。全てを手に入れた地上の覇者が最後に欲したのは、自らが神となること。すなわち不老不死である►始皇帝は兵士や軍馬をかたどった実物大の像を作らせ、自分の陵墓に納めた。「兵馬俑・へいばよう」と呼ばれる像の数は何と8千体。それ以上に、生きた人間がそのまま固まったかのように見える精緻な技巧に驚かされる。像は1体ずつ顔が違うそうだ。始皇帝を守った兵士たちを写実したとも►徐福の帰りを待ちわびながら、永遠に続く、現実そっくりの「帝国」を築こうとしたのか。九州国立博物館の「始皇帝と兵馬俑」展で実物の兵馬俑を間近に見ると、2千年の時を超えて伝わる始皇帝の執念に息をのんだ。