馬門石は日本最古の上水道の石管として使われました。
第2期馬門石の隆盛期は江戸時代・明和6年(1769年)第六代宇土藩主・細川興文(おきのり)公が轟泉水道の大改修に伴ない破損の激しかった土管を馬門石を使った石管に改修し大量の馬門石を使用したことに端を発し熊本地区、宇土、玉名地区の井樋(水門)、鳥居、祠(ほこら)などの共同施設に馬門石が使われることになります。
もともと宇土市周辺では井戸を掘っても塩水が混じることが多く、水に恵まれない土地でした。そこで宇土藩第二代藩主である細川行孝公が、正保3年(1646年)に、轟水源から400分の1の勾配で、延長4.8kmにも及ぶ土管を、城下まで結ぶ大工事を行なったと言われています。
この轟水源が有名なのは、日本に現存する最古の上水道として水を供給しているからであり近隣住民約120戸の生活用水として現在も使用されています。また、現在も飲料水として利用されていることから、定期的に水質が検査され(pH7.9)、法的にも水質基準を十分満たしています。


上の写真が上水道に使われていた馬門石製の石管






ここの井戸にも馬門石が使われています




宇土細川家の菩提寺跡には轟泉資料館があります

轟泉資料館・・開館時間 午前9時~午後5時 開館日 火曜日,木曜日,日曜日・・休みが多いので要注意 入館料は無料です

宇土細川藩関連資料や轟泉水道の資料が展示されています

この上は宇土細川家の墓所ですが今の時期は蚊が多くて長居は出来ません







宇土にも素晴らしい歴史が有りますね
第2期馬門石の隆盛期は江戸時代・明和6年(1769年)第六代宇土藩主・細川興文(おきのり)公が轟泉水道の大改修に伴ない破損の激しかった土管を馬門石を使った石管に改修し大量の馬門石を使用したことに端を発し熊本地区、宇土、玉名地区の井樋(水門)、鳥居、祠(ほこら)などの共同施設に馬門石が使われることになります。
もともと宇土市周辺では井戸を掘っても塩水が混じることが多く、水に恵まれない土地でした。そこで宇土藩第二代藩主である細川行孝公が、正保3年(1646年)に、轟水源から400分の1の勾配で、延長4.8kmにも及ぶ土管を、城下まで結ぶ大工事を行なったと言われています。
この轟水源が有名なのは、日本に現存する最古の上水道として水を供給しているからであり近隣住民約120戸の生活用水として現在も使用されています。また、現在も飲料水として利用されていることから、定期的に水質が検査され(pH7.9)、法的にも水質基準を十分満たしています。
上の写真が上水道に使われていた馬門石製の石管
ここの井戸にも馬門石が使われています
宇土細川家の菩提寺跡には轟泉資料館があります
轟泉資料館・・開館時間 午前9時~午後5時 開館日 火曜日,木曜日,日曜日・・休みが多いので要注意 入館料は無料です
宇土細川藩関連資料や轟泉水道の資料が展示されています
この上は宇土細川家の墓所ですが今の時期は蚊が多くて長居は出来ません
宇土にも素晴らしい歴史が有りますね