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Posted by おてもやん at
1976(昭和51)年6月26日、世間の関心は東京・日本武道館に注がれていた。人気プロレスラー、アントニオ猪木とボクシング世界ヘビー級王者、ムハマド・アリの異種格闘技戦である▲立って戦うアリと、寝たままキックを仕掛ける猪木の戦術はかみ合わず「世紀の凡戦」などと酷評された。だが、実際はアリ側の要望でルールはがんじがらめで、アリのパンチがかすめた猪木の頭には大きなコブができていた(「アントニオ猪木」瑞佐富郎(みずき・さぶろう)著)▲その元レスラー、猪木さん79歳の訃報である。横浜生まれで中学時代にブラジルに移住、力道山(りきどうざん)にスカウトされた。茶の間に据えたテレビを家族がそろって見た時代、「卍固(まんじがた)めの猪木」はジャイアント馬場と並ぶヒーローだった▲アリとの一戦で猪木さん側は巨額債務を抱えたとされる。行動には毀誉褒貶(きよほうへん)もあったが、東京ドーム興行を実現させるなど、格闘技ブームを体現した▲参院議員を務めた政治家としては90年、イラクの日本人人質解放は特筆すべき功績だろう。「売名行為」との批判も浴びながらイラクに乗り込み、救出に冷ややかだった政府をよそに約40人を連れ帰った。北朝鮮とも独自のパイプを持ち、個人外交ができる数少ない政治家だった▲ここ数年は難病の「全身性アミロイドーシス」を患いながら「燃える闘魂」のキャッチフレーズそのままに闘病のメッセージを送り続けた猪木さんである。強烈な個性を放った人生のページが閉じられ、「昭和」はまた、遠くなった。
毎日新聞余禄 2022/10/02

「あるがままでいい」死去のアントニオ猪木さん生前9・21撮影

アントニオ猪木さん「国会に卍固め」プロレスラー初の国会議員 イラクで日本人人質解放
元プロレスラーで参院議員も務めたアントニオ猪木さん(本名・猪木寛至)が1日午前7時40分、心不全のため都内にある自宅で死去した。79歳。故人の遺志により、通夜および葬儀は家族葬で行い、後日に「お別れの会」を行う予定。

  ◇  ◇

 アントニオ猪木さんは、政治家の顔も持っていた。スポーツ平和党を結党し、「スポーツを通じて世界の平和」を掲げて1989年の参院選に立候補。「国会に卍固め」「消費税に延髄斬り」「リクルートに逆十字固め」といった刺激的なキャッチフレーズを掲げ、50人中50人目という劇的な当選を果たした。90年9月には、イラク戦争目前のバグダッドで日本人人質を解放すべく、政府の抵抗を押し切ってイラク入り。プロレスと音楽のイベント「平和の祭典」を開催する一方で要人との会談を重ね、人質解放を勝ち取った。政党の後ろ盾や官僚の根回しがなくても政治家は大仕事をなし得ることを見事に証明した、政治家・猪木のハイライトだった。

 栄光は長くは続かなかった。91年に都知事選出馬を表明するも福田赳夫元首相や佐川清・佐川急便会長らの要請で断念。金丸信氏、森喜朗氏、小沢一郎氏ら大物も猪木下ろしに動いたとされる。

 93年には側近の新間寿氏や元公設秘書から脱税などの金銭疑惑を暴露され窮地に。拳銃密輸疑惑にも巻き込まれるなど、スキャンダルにまみれた。

 参院議員、衆院議員、文科相を務めた馳浩石川県知事、元参院議員の大仁田厚、神取忍らにプロレスラー政治家への道を開いた猪木さんだが、95年の改選で落選。得票数は半減していた。

 2013年、日本維新の会から参院当選。18年ぶりに国政復帰し、1期を務めた。国会質問では、安倍晋三首相(当時)が猪木信者であることを告白する一幕もあった。

 当初の公約を愚直に守り、在職中も在野でもキューバのカストロ議長と会談したり、北朝鮮と頻繁に往来したりして平和外交に努めた猪木さんの死に、前参院議員でジャーナリストの有田芳生氏は「北朝鮮との重要なルートが、また消えてしまいました。安倍総理、菅総理、岸田総理は、拉致対策本部の役に立たないルートを信じて、何も進みませんでした」と、大きな損失を嘆いた。

  


Posted by マー君 at 11:27Comments(0)