2015年10月15日
晩白柚と島田弥市

晩白柚
島田弥市
『島田弥市』 1884年~1971年 肥後六花の研究と普及推進にあたった小浦(東陽町に県道155号線沿いに小浦川が流れています)出身の植物研究家。種山農業長を務めながら、植物研究家として植物知識の普及にあたり、八代地方に「晩白柚」と呼ばれる特産品をもたらした功労者です。また山間地帯の農民を救うために紹介した生姜は、今では町の基幹作物になっています。・・特産品をもたらした功労者? という事でいろいろ調べてみましたら
島田弥市自伝の中に晩白柚の種苗を南ベトナムから入手して台湾で育て日本に持ち込んだと書かれています。桜井芳次郎が台湾の試験場で育てて『晩白柚』の名付けの親とも語っています・・・育てて名付けたのは桜井芳次郎で育てるように助言をしたのは島田弥市だと思います。
「島田弥市自伝の一説(原文)」
○ 晩白柚(白肉ザボン)種苗の台湾移人と現況
ザボン類は九州各地にも産し,台湾には多数の品種あるも,多くは果肉堅く, 酸味強く果実として喜ばれない。たまたま, 大正8 年2 月農事視察の為め南洋各地に出張の際航海中白肉ザボンが食卓に現はれ曽(かっ)てなき軟肉にて美味を感じたので,此際南方より此の種苗を輸入して生産果を大衆に喜んでもらいたいと考えつつ各地を視察した。南ベトナム国サイゴン植物園視察の際, 白肉種のザボンの種苗を入手し,之を台北士林園芸試験場に栽植したるに,生育,結果良好にて,果肉軟く美味で頗(すこぶ)る好評を博した。試験場で育ての親とも云ふべき桜井芳次郎鼓師は,此のザボンに晩白柚と命名した。台湾にてはザボンを柚と呼ぶが, 本種は晩生種であるから,晩白柚と呼ばれる(オクテシロザボンの意)。以来台湾に栽培が普及し, 日本向移出もされた。鹿児島,態本県下にも種苗が伝播し,八代市以南は気候温暖にて良果を産し, 栽培も増加しつつある。昭和4D年4 月八代市古麓町の産果が献上の光栄に浴した。
Posted by マー君 at 21:45│Comments(1)
│八代
この記事へのコメント
島田氏の事を調べていてたどり着きました。
自伝の一説の紹介など、詳しく書いていただきありがとうございます。
自伝の一説の紹介など、詳しく書いていただきありがとうございます。
Posted by みかんノート at 2022年03月15日 21:54