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Posted by おてもやん at

2013年11月01日

妙見祭にちなんで


 お下り 11月22日(金) 午後2時~八代神社発  お上り 11月23日(土) 午前7時30分~塩屋八幡宮発

広報やつしろに八代妙見祭の神幸行列の由来が載っていました。
寛永9年(1632)に八代城主となった細川忠興(三斎)は、入城以来、在城14年間に妙見祭の振興に心魂を傾けました。寛永12年(1635)に寄進した神輿の天井には、自ら龍の絵を描いたと記録されています。忠興の没後は、八代城に入城した松井氏がその意志を引き継ぐことになりました。そして、元禄期以降、行列に獅子、奴、笠鉾、亀蛇などがお供するようになりました。こうして、町衆や百姓衆も参加して天下泰平を楽しむ祭礼へと発展してきたといわれています。

妙見祭と妙見神との関係は 妙見神は白鳳9(680)年、中国の明州(今の寧波)から目深、手長、早足という3人の人間に姿を変えて、亀蛇(きだ)に乗って渡来したとか、百済の聖琳太子となって渡来したという伝説があります。妙見神は竹崎の津から上陸し妙見宮に着かれたと言いますが、八代に来て最初に着いたのが植柳の津(港)、つづいて浅井の津に寄港したといわれています。浅井の津は現在は八代市の中心地になっていて古い港があった様な面影は全くありませんが、八代城の北側、代陽小学校の校庭の南隅に【八王社の樟・くす】と呼ばれるクスの巨木(八代市指定天然記念物 根回り24.5m 幹の回り11.2m)があり、この木の根もとに、浅井神社【もと八王社と呼ばれ明治になり浅井神社と改称される】があります。今、代陽小学校から海はまったく見えませんが、昔は入り江の港になっていました。そこに、底まで見える清らかな湧き水「八つ縄池」があったので、その地を「浅井」と呼ぶようになったといいます。
 さて、浅井の津に着いた妙見神一行はこの浅井で沐浴(もくよく)し身を清めたと伝えられています。そして、妙見宮が創建されるとき、ここに水神である八竜大王を祭る八王社が設けられたと言います。浅井は今は涸れてしまっていますが、以前は妙見祭に奉仕する人や馬はすべて祭りの前にこの泉で身を清めなければならなかったと言います。
 平野の発達に伴い、浅井の津は港としての機能をやがて失います。江戸時代には加藤正方(かとうまさかた)が八代城を今の位置に造りますが、八王社の周辺はその出丸となります。本丸からは北東の鬼門(きもん)にあたり鎮護(ちんご)神として社殿を再興されました。加藤家が改易(かいえき)され、松井氏が城代として八代を治めるようになりますが、代々守護神として、そして農業の神様としてまつられました。享和3(1803)年には神殿・拝殿(しんでん・はいでん)が造営されました。江戸中期以降は妙見宮の末社となり、神馬(しんめ)や獅子舞(ししまい)が奉納されるようになりました。
八王社(浅井神社)は代陽小学校校庭にあり、 海神八竜大王をまつり、八代城北東(鬼門)の守り神でもある。「やつおうさん」と呼ばれている。 今でも11月15日の七五三の祝いの日には妙見さんの神馬や獅子舞を見ることができます。


お城の近くには色々な歴史がありますね。史跡が学校の中とか側にあるのも珍しいと思いませんか?

 

 
 
  


Posted by マー君 at 19:13Comments(0)