八代市の球磨川河口新萩原橋のすぐ近く萩原堤に「宮崎八郎戦没ノ碑」があります。

碑銘は司馬遼太郎の書です。

八代市萩原老人クラブの方達が平成9年にわかり易い石碑を残してくれています。

ここは明治10年の西南戦争の激戦地の1つでもあります。宮崎八郎は、玉名郡荒尾村(現在の熊本県荒尾市)の出身で、中江兆民の民約論に影響を受け、明治8(1875)年に植木学校を設立するなど自由民権運動で活躍しますが西南戦争では、 参謀長だった宮崎八郎は薩軍を援助し奮戦しますが4月6日に若干27歳の若さでここ萩原堤で戦死しました。

八郎の弟達(民蔵、彌蔵、滔天)も有名で特に孫文との交流が深く、中国建国の立役者でもある宮崎滔天(トウテン)の長男(龍介)が、今、朝の連ドラで高視聴率を続けている「花子とアン」の中に出てくる花子の友人、葉山蓮子の三度目の旦那さんです。葉山蓮子は大正から昭和時代にかけての歌人で実名は柳原燁子(あきこ)、通称柳原白蓮です。大正三美人 の1人としても、またその頃まだ姦通罪が幅をきかせていた時代に命がけの恋をし、その恋を貫き通して世間を騒がせた白蓮事件をおこしました。その相手が宮崎龍介です。 宮崎八郎は龍介にとっては伯父にあたります。宮崎龍介は大正・昭和期の編集者・弁護士・社会運動家で1892年(明治25年)11月2日 - 1971年(昭和46年)1月23日まで生きて、昭和42年6月号の文藝春秋に白蓮のことを「私のところへ来てどれだけ私が幸福にしてやれたか、それほど自信があるわけではありませんが、少なくとも私は、伊藤や柳原の人々よりは燁子の個性を理解し、援助してやることが出来たと思っています。波瀾にとんだ風雪の前半生をくぐり抜けて、最後は私のところに心安らかな場所を見つけたのだ、と思っています。」と語っています。八代の名勝萩原堤からNHKの「花子とアン」に繋がるお話です。
碑銘は司馬遼太郎の書です。
八代市萩原老人クラブの方達が平成9年にわかり易い石碑を残してくれています。
ここは明治10年の西南戦争の激戦地の1つでもあります。宮崎八郎は、玉名郡荒尾村(現在の熊本県荒尾市)の出身で、中江兆民の民約論に影響を受け、明治8(1875)年に植木学校を設立するなど自由民権運動で活躍しますが西南戦争では、 参謀長だった宮崎八郎は薩軍を援助し奮戦しますが4月6日に若干27歳の若さでここ萩原堤で戦死しました。
八郎の弟達(民蔵、彌蔵、滔天)も有名で特に孫文との交流が深く、中国建国の立役者でもある宮崎滔天(トウテン)の長男(龍介)が、今、朝の連ドラで高視聴率を続けている「花子とアン」の中に出てくる花子の友人、葉山蓮子の三度目の旦那さんです。葉山蓮子は大正から昭和時代にかけての歌人で実名は柳原燁子(あきこ)、通称柳原白蓮です。大正三美人 の1人としても、またその頃まだ姦通罪が幅をきかせていた時代に命がけの恋をし、その恋を貫き通して世間を騒がせた白蓮事件をおこしました。その相手が宮崎龍介です。 宮崎八郎は龍介にとっては伯父にあたります。宮崎龍介は大正・昭和期の編集者・弁護士・社会運動家で1892年(明治25年)11月2日 - 1971年(昭和46年)1月23日まで生きて、昭和42年6月号の文藝春秋に白蓮のことを「私のところへ来てどれだけ私が幸福にしてやれたか、それほど自信があるわけではありませんが、少なくとも私は、伊藤や柳原の人々よりは燁子の個性を理解し、援助してやることが出来たと思っています。波瀾にとんだ風雪の前半生をくぐり抜けて、最後は私のところに心安らかな場所を見つけたのだ、と思っています。」と語っています。八代の名勝萩原堤からNHKの「花子とアン」に繋がるお話です。