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Posted by おてもやん at

2014年02月07日

国宝青井阿蘇神社



1/29 パレアにて~国宝青井阿蘇神社と中世社寺建築~という演目で青井阿蘇神社宮司の福川義文氏による講演がありました。内容は青井阿蘇神社が国宝に指定されたいきさつとその背景を詳しくお話し頂きました。神社の話であり、その上建築の事と成れば聞いている時はわっかた様な感じでいても思い出すと、宮司さんから微に入り細にわたり神社建築のお話を聞いたにもかかわらず、ほとんど思い出せません。主要な部分だけ青井阿蘇神社のブログからひろってみました。

青井阿蘇神社(あおいあそじんじゃ)は、熊本県人吉市にある神社である。旧社格は県社で、現在は神社本庁の別表神社。地元では親しみを込めて「青井さん」と称されている。
阿蘇神社の三神を祭神とする神社。平安時代の大同元年(806年)に創建され、平成18年に創建1200年を迎えた。鎌倉時代から明治維新までの約700年に渡ってこの地を治めた相良家歴代当主の保護により、たびたび改修が行われてきた。中でも、本殿、廊、幣殿、拝殿、楼門の五つの社殿は、相良20代長毎(ながつね)と重臣相良清兵衛(せいべえ)の発起により、慶長15年(1609年)から18年にかけて造営され、平成20年6月9日国宝に正式に指定された。

青井阿蘇神社の三柱の神々
相良氏入国より約400年前、今から1200年前の大同元年(806年)に神社が創建されました。
阿蘇の広大な原野を開拓し、その守り神として阿蘇山のふもとに鎮まる阿蘇神社の御祭神十二神のうち、三神の御分霊が、重陽の日9月9日に青井阿蘇神社に祀られたのです。
御祭神の名は、初代の天皇である神武天皇の孫にあたられる健磐龍命(たけいわたつのみこと)、その妃の阿蘇津媛命(あそつひめのみこと)、お二人の子供の國造速甕玉命(くにのみやつこはやみかたまのみこと)の三柱の神々です。
この開拓の守護神である阿蘇神社の神々を祀り、ご加護を受けながら人吉球磨地方の開拓が営まれ、安住の地を整えていったのではないかと思われます。
【開拓の祖を祀る阿蘇神社】
阿蘇神社の御分霊をお祀りした神社は、全国に523社が鎮座し、内訳としては熊本県に461社、大分県に32社、福岡県に7社、宮崎県に5社、長崎県に4社と九州に509社が鎮座し、青森県を北限とし本州に14社が確認されていることから、古来より開拓の神として厚い信仰が寄せられてきたことが伺えます。

国宝
 北側から南に本殿、廊、幣殿、拝殿、楼門、五棟一連の御社殿は、相良20代長毎(ながつね)が江戸時代はじめの慶長15年(1609年)から18年の4ヵ年にわたり造営したものです。本殿はじめ一連の御社殿がすべて同時期のものであるということは全国的に見ても大変貴重なもので、平成20年6月9日に九州内では55年ぶり、県内では初となる国宝に指定されました。

国宝指定を受けたのは、本殿、廊、幣殿、拝殿、楼門の建造物五棟と、附(つけたり)として造営時の棟札一枚と改築の年代や内容が明記された銘札五枚。現在の社殿群は、慶長15年(1610)から同18年に4ヶ年をかけて造営されたもので、まもなく400年を迎えます。一連の社殿が同時期のものは全国でも珍しいということです。急勾配のかやぶき屋根をはじめ、随所に桃山様式をとり入れた多彩な装飾や色彩、南九州地方にみられる雲龍の彫刻が施されているのが特徴で、拝殿横に神供所を配置するL字状の配置は、球磨地方の社寺建築の規範となっています。
国宝の指定件数は全国で1,075件目。建造物では214件目。神社の指定は37件目で、昭和36年以来47年ぶり。茅葺の社寺建造物では初めて。九州内では22件目中、建造物は6件目で、昭和28年指定の長崎県大浦天主堂以来55年ぶり。神社では大分県宇佐八幡宮本殿に次いで2件目となります。

「国宝の指定基準」
重要文化財の中でも極めて優秀で、かつ文化史的に意義の深いもの
青井阿蘇神社の評価としては、
①中世球磨地方に展開した独自性の強い意匠を継承しつつ、桃山期の華やかな意匠を機敏に摂取している。
②完成度も高く、近世球磨地方における社寺造営の手本となっている。
③彫刻技法や特異な拝殿形式などは、広く南九州地方にその影響が認められる。
(文化庁プレス発表資料より抜粋)


「神社の歴史」
806年 阿蘇神社の分霊を勧請して創建
807年 尾方権之助大神惟基が初代大宮司となり青井姓に改称
1198年 相良家初代・長頼が遠江(静岡県)から下向し氏神として祭る
1472年 相良為続が雨ごい祈願で神楽などを奉納
1610年 相良長毎が本殿、幣殿、廊を造営
1611年 拝殿を造営
1613年 楼門を造営
1868年 社名を青井大明神から青井神社に改称
1872年 青井阿蘇神社に改称
1877年 西南戦争に参加した日本二番隊が戦勝祈願
1933年 旧国宝保存法に基づき本殿など旧国宝指定
1950年 文化財保護法に基づき国指定重要文化財に
1982年 球磨神楽が国選択の無形民俗文化財に
2006年 鎮座1200年祭
2008年 国宝指定

当神社は平安時代初期に阿蘇三神を祭神に創健されましたが、相良氏と阿蘇氏は南北朝内乱期や戦国時代には対立関係にあることが多く、そのためか阿蘇神社や阿蘇大宮司家との宗教上の密接な交流を示す資料は残されていません。阿蘇三神を祭るものの青井阿蘇神社自体は中世、近世を通して人吉球磨地方で独自の宗教的展開を図っていたといわれています。




本殿(ほんでん)
御扉(みとびら)は神仏習合の思想を偲ばせる真言密教の法具である「輪宝(りんぽう)」の金具、その背面には金箔地に社紋の「並び鷹の羽(ならびたかのは)」が描かれ、御扉両脇の亀甲文様をした蔀戸(しとみと)は、各部ごとに花弁(はなびら)が描かれていた痕跡があります。
また両側面の妻(つま)の部分には昇龍や降龍、瑞雲(ずいうん)や藤の彫刻が一面に施され豪華な造りとなっています。
側面、背面全体にみられる×型の桟(さん)、緑や赤で塗られた格狭間(こうざま)とよばれる文様の位置に人吉球磨の社寺建造物の特徴がうかがえます。




廊(ろう)
右左両柱には「あ・うん」の形相をした一対の龍の彫刻があり、向って右が剣を、左が梵鐘を巻き込んでいますが、このような形式は南九州の近世社寺建造物に影響を与えたとされています。





幣殿(へいでん)
本殿から向かって縦長に配置され、内部は四季折々の花鳥風月、外部は動植物の華麗な彫刻や餝(かざり)金具の装飾で彩られています。 柱を超えてつながる画題の彫刻や露(つゆ)を表現した 餝金具の手法は、当時の最先端技法をいち早く取り入れたとされています。
【内部見学可能】





拝殿(はいでん)
建造物の内部が拝殿・神楽殿(かぐらでん)・神供所(じんくしょ)の三部屋に仕切られているのが最大の特徴です。 神楽殿には天体にたとえたヤツジメとよばれるこの地方独特な舞台装飾が施され、10月8日の夕刻には国の無形民俗文化財に選択されている球磨神楽(くまかぐら)が演じられます。
【内部見学可能】




楼門(ろうもん)
高さ12メートルにおよぶ禅宗(ぜんしゅう)様式と桃山(ももやま)様式が華麗に調和した建造物です。 上層軒先の四隅にはめ込まれた陰陽一対の鬼面は人吉様式とよばれ、全国に類例がないとされています。
欄間の彫刻は、二十四孝物語(にじゅうしこうものがたり)をはじめ大陸の影響をうけたものが施され、天井には経年により彩色の剥落がみられますが、二体の龍が描かれています。




◆幣殿内外壁面彫刻
 本殿はじめ一連の御社殿は慶長15年(1610年)から18年までの4ヵ年をかけて造営されたものです。幣殿の上部には青・緑・赤で色塗られた格狭間(こうざま)と呼ばれる模様があります。本来格狭間は仏像や厨子を安置する須弥壇の基壇部分に用いられる様式で、仏教の聖地である須弥山を摸したものですが、建物の上部に設えてあるものは他では見ることができないこの地方独特のものです。
 本殿側の幣殿外壁は下絵の墨を入れただけで、彫刻も施さず色付けもせず400年たったいまでも未完成の状態です。完成させてしまえばあとは朽ちゆくとの観点から、故意にこの一部分を残したものと考えられます。



◆黒塗りで急な勾配が見事な茅葺き屋根 桃山様式
 御社殿すべてが黒を基調に漆塗り、細部の木組みに赤漆を塗り、彫刻や模様は極彩色を用いるとともに各所に装飾が施され一般に桃山様式と呼ばれる技法で建てられています。
 なんといっても屋根の棟が高く勾配が急な萱葺き屋根が一番の特徴で、青井阿蘇神社をはじめ、人吉球磨地方にはこのような歴史的建築物が数多く残されています。




◆文化財の宝庫 人吉球磨地方の建造物
 人吉球磨地方は、熊本県の文化財の約3分の2を有する文化財の宝庫で、「国指定重要文化財建造物」については県内23件のうち13件を占め全国的に稀にみる地域といわれています。
これは、相良氏が室町から江戸時代にかけて数多くの社寺を建設したこと、さらに、700年という長い間、藩主一族が変わらなかったという特異な地域性と無関係ではありません。
 昭和31年には全面復元解体修理が文化庁の監督のもと行われ、400年前の姿を現在に伝えています。


  


Posted by マー君 at 07:18Comments(0)講座