何とか選挙権を持ってる人は投票場へ足を運んでください‼
政治に関心を‼
毎日新聞
第26回参院選は10日、各地で投票が始まり、総務省のまとめによると、午前11時現在の全国平均投票率(選挙区)は10・44%で、2019年7月の前回選挙(9・70%)を0・74ポイント上回っている。前回の投票率(同)は48・80%だ
投票は午後8時に締め切られ、11日未明には大勢が判明する。
安倍元首相銃撃は「民主主義への挑戦」なのか 参院選にどう臨む

安倍晋三元首相(67)が銃撃されて死亡した事件は各方面に衝撃を与えた。「民主主義の根幹が揺らいだ」「安全神話が崩れた」――。さまざまな声が上がるなか、私たちは参院選にどう臨めばいいのか。識者2人に聞いた。
生きたい社会を選択――政治学者・五野井郁夫さん

安倍氏の銃撃事件後、冷静さを欠いたさまざまな言論が拡散した。拡散力のある著名人たちが、メディアや野党による安倍氏への批判が容疑者の思想に影響し、事件が起きたのだと根拠もなく主張した。一方、野党の政治家も「長期政権が招いた事件だ」と発言して批判を浴びた。
いずれも事件の背景がまだ解明されていない発生直後の発信であり、論理があまりに飛躍しているのではないか。右派左派問わず、自身の主張を正当化したり、敵対する勢力を批判したりするために個人の死を利用することは許されない。
確かに長期政権を敷いた元首相が白昼、殺害されるという事件は私たちを不安にする。だからこそ、分かりやすいストーリー、説明がほしくなる。冷静さが失われることもある。報道では、宗教に関連した背景が動機に絡むと伝えられており、複雑怪奇な様相をみせている。事実に基づかない悪意や分断をあおる言論に注意しなくてはいけない。
同時に安倍氏の「弔い合戦」とのフレーズにも注意が必要だ。個人の死を政治利用しないためにも、追悼は追悼として、選挙は選挙として分けて考えた方がいいだろう。
何より、演説中の元首相が銃撃されて死亡するという民主主義が踏みにじられた事件の直後だからこそ、なぜ社会は不安に満ちているのか、自分はどのような社会に生きたいのか、それらを冷静に確認し、自身に合った選択をする機会にしなければならない。【聞き手・山下智恵】
今こそ冷静な判断を――作家・高村薫さん

政治家は、その理念や信条を体現している存在だ。そのため、政治家への襲撃は彼らの理念や信条に反対を表明する最も直接的な方法であると言える。過去にも長崎市長や衆院議員らが右翼団体に襲撃されたことがあったが、いずれも理念への反発が事件の背景にあった。
しかし、今回逮捕された山上徹也容疑者はどうなのか。真相はまだ分からない。ただ、報道によれば、特定の宗教団体への恨みを抱いていたものの、安倍氏の政治信条に反対しているわけではないという。政治家襲撃の動機が、理念や信条によるものではないとすれば、非常に特殊な事例と言えるのではないか。
安倍氏が銃撃されたことを受け、この事件を「民主主義への挑戦」や「民主主義の崩壊」ととらえる人もいるが、私は違うと思う。
10日に参院選の投開票を迎える。事件の影響は少なくないだろう。今後、自民党内の勢力図が大きく変わっていく可能性はある。ただ、私たちが注目すべきはそのようなことではない。今回の選挙が過ぎてしまうと今後3年間は(衆院の解散・総選挙がなければ)国政選挙がない。与党勢力圧勝のムードが強い中で、この先に何が起こるのか、今こそ冷静に一人一人が考える必要がある。
防衛費の増大を認めていいのか。アジア各国との緊張関係はどうするのか。何よりも憲法を改正すべきかどうか。今回の選挙は、それらの方向性を決めるものになるはずだ。少なくとも、与野党による論戦がしっかり行われる国会になることを期待したい。【聞き手・井川加菜美】
政治に関心を‼
毎日新聞
第26回参院選は10日、各地で投票が始まり、総務省のまとめによると、午前11時現在の全国平均投票率(選挙区)は10・44%で、2019年7月の前回選挙(9・70%)を0・74ポイント上回っている。前回の投票率(同)は48・80%だ
投票は午後8時に締め切られ、11日未明には大勢が判明する。
安倍元首相銃撃は「民主主義への挑戦」なのか 参院選にどう臨む

安倍晋三元首相(67)が銃撃されて死亡した事件は各方面に衝撃を与えた。「民主主義の根幹が揺らいだ」「安全神話が崩れた」――。さまざまな声が上がるなか、私たちは参院選にどう臨めばいいのか。識者2人に聞いた。
生きたい社会を選択――政治学者・五野井郁夫さん

安倍氏の銃撃事件後、冷静さを欠いたさまざまな言論が拡散した。拡散力のある著名人たちが、メディアや野党による安倍氏への批判が容疑者の思想に影響し、事件が起きたのだと根拠もなく主張した。一方、野党の政治家も「長期政権が招いた事件だ」と発言して批判を浴びた。
いずれも事件の背景がまだ解明されていない発生直後の発信であり、論理があまりに飛躍しているのではないか。右派左派問わず、自身の主張を正当化したり、敵対する勢力を批判したりするために個人の死を利用することは許されない。
確かに長期政権を敷いた元首相が白昼、殺害されるという事件は私たちを不安にする。だからこそ、分かりやすいストーリー、説明がほしくなる。冷静さが失われることもある。報道では、宗教に関連した背景が動機に絡むと伝えられており、複雑怪奇な様相をみせている。事実に基づかない悪意や分断をあおる言論に注意しなくてはいけない。
同時に安倍氏の「弔い合戦」とのフレーズにも注意が必要だ。個人の死を政治利用しないためにも、追悼は追悼として、選挙は選挙として分けて考えた方がいいだろう。
何より、演説中の元首相が銃撃されて死亡するという民主主義が踏みにじられた事件の直後だからこそ、なぜ社会は不安に満ちているのか、自分はどのような社会に生きたいのか、それらを冷静に確認し、自身に合った選択をする機会にしなければならない。【聞き手・山下智恵】
今こそ冷静な判断を――作家・高村薫さん

政治家は、その理念や信条を体現している存在だ。そのため、政治家への襲撃は彼らの理念や信条に反対を表明する最も直接的な方法であると言える。過去にも長崎市長や衆院議員らが右翼団体に襲撃されたことがあったが、いずれも理念への反発が事件の背景にあった。
しかし、今回逮捕された山上徹也容疑者はどうなのか。真相はまだ分からない。ただ、報道によれば、特定の宗教団体への恨みを抱いていたものの、安倍氏の政治信条に反対しているわけではないという。政治家襲撃の動機が、理念や信条によるものではないとすれば、非常に特殊な事例と言えるのではないか。
安倍氏が銃撃されたことを受け、この事件を「民主主義への挑戦」や「民主主義の崩壊」ととらえる人もいるが、私は違うと思う。
10日に参院選の投開票を迎える。事件の影響は少なくないだろう。今後、自民党内の勢力図が大きく変わっていく可能性はある。ただ、私たちが注目すべきはそのようなことではない。今回の選挙が過ぎてしまうと今後3年間は(衆院の解散・総選挙がなければ)国政選挙がない。与党勢力圧勝のムードが強い中で、この先に何が起こるのか、今こそ冷静に一人一人が考える必要がある。
防衛費の増大を認めていいのか。アジア各国との緊張関係はどうするのか。何よりも憲法を改正すべきかどうか。今回の選挙は、それらの方向性を決めるものになるはずだ。少なくとも、与野党による論戦がしっかり行われる国会になることを期待したい。【聞き手・井川加菜美】
明日は七夕です。
次男坊の子供たちは幼稚園で七夕様を作ったでしょうか?
短冊には何を書きましたか?

七夕の笹飾り

『市中繁栄七夕祭』(名所江戸百景の一つ。歌川広重):江戸後期
旧暦の7月15日の夜に戻って来る祖先の霊に着せる衣服を機織して棚に置いておく習慣があり、棚に機で織った衣服を備えることから「棚機・たなばた」という言葉が生まれた。その後仏教が伝来すると、7月15日は仏教行事「盂蘭盆(盆)」となり、棚機は盆の準備をする日ということになって7月7日に繰り上げられた。
これに中国から伝わった織女・牽牛の伝説が結び附けられ、天の川を隔てた織姫(織女星、こと座のベガ)と彦星(牽牛星、わし座のアルタイル)が年に一度の再会を許される日とされた。
今日は何の日~毎日が記念日~より
次男坊の子供たちは幼稚園で七夕様を作ったでしょうか?
短冊には何を書きましたか?

七夕の笹飾り

『市中繁栄七夕祭』(名所江戸百景の一つ。歌川広重):江戸後期
旧暦の7月15日の夜に戻って来る祖先の霊に着せる衣服を機織して棚に置いておく習慣があり、棚に機で織った衣服を備えることから「棚機・たなばた」という言葉が生まれた。その後仏教が伝来すると、7月15日は仏教行事「盂蘭盆(盆)」となり、棚機は盆の準備をする日ということになって7月7日に繰り上げられた。
これに中国から伝わった織女・牽牛の伝説が結び附けられ、天の川を隔てた織姫(織女星、こと座のベガ)と彦星(牽牛星、わし座のアルタイル)が年に一度の再会を許される日とされた。
今日は何の日~毎日が記念日~より
暦には今日は「灌仏会」とあります。
灌仏会とは一体、どのような意味を持つものなんでしょうか。
灌仏会 - Wikipediahttps://ja.wikipedia.org › wiki › 灌仏会
灌仏会(かんぶつえ)は、釈迦の誕生を祝う仏教行事である。日本では原則として毎年4月8日に行われ、一般的には花祭・花祭り・花まつり(はなまつり)と呼ばれている。

誕生仏 東大寺

灌仏会(花祭り)の花御堂と誕生仏
花まつり
明治時代のグレゴリオ暦導入後、4月8日は関東地方以西で桜が満開する時期である事から浄土真宗の僧侶安藤嶺丸が「花まつり」の呼称を提唱して以来、宗派を問わず灌仏会の代名詞として用いられている。
灌仏会とは一体、どのような意味を持つものなんでしょうか。
灌仏会 - Wikipediahttps://ja.wikipedia.org › wiki › 灌仏会
灌仏会(かんぶつえ)は、釈迦の誕生を祝う仏教行事である。日本では原則として毎年4月8日に行われ、一般的には花祭・花祭り・花まつり(はなまつり)と呼ばれている。

誕生仏 東大寺

灌仏会(花祭り)の花御堂と誕生仏
花まつり
明治時代のグレゴリオ暦導入後、4月8日は関東地方以西で桜が満開する時期である事から浄土真宗の僧侶安藤嶺丸が「花まつり」の呼称を提唱して以来、宗派を問わず灌仏会の代名詞として用いられている。

昨日から春の全国交通安全運動が行われています。
毎日毎日ニュースはロシアのウクライナ侵攻のニュースばかりで自国の行事や出来事にももっと目を向けてもらいたい。
そんな気持ちで今日は春の全国交通安全運動について取り上げてみました。
春の全国交通安全運動(4月6日~15日)
国家地方警察本部長官通達に基づき1948年(昭和23年)から実施。
自動車普及に伴う交通事故の急増を受けて、1962年(昭和37年)からは政府の重要施策として交通対策本部が中心となり、交通事故撲滅のために「秋の全国交通安全運動」(9月21日~30日)とともに行っている。
広く国民に交通安全思想の普及・浸透を図り、交通ルールの遵守と正しい交通マナーの実践を習慣付けるとともに、国民自身による道路交通環境の改善に向けた取組を推進することにより、交通事故防止の徹底を図ることを目的としている。また、期間中の4月10日を「交通事故死ゼロを目指す日」に制定し、合わせて運動を行っている。
節分とは季節を分けるということです。
昔の日本では、春は一年のはじまりとされ、特に大切にされたようです。
そのため、春が始まる前の日、つまり冬と春を分ける日だけを節分と呼ぶようになったんだとか。
ちなみに暦の上で春が始まる日を「立春(りっしゅん)」(2月4日ごろ)と呼びます。
2月4日は二十四節気の立春、2月3日は節分の日となります。

節分は、「みんなが健康で幸せに過ごせますように」という意味をこめて、悪いものを追い出す日。
「鬼は外、福はうち」と言いながら豆まきをします。
節分という言葉には、「季節を分ける」という意味があり昔の日本では、春は一年のはじまりとされ、特に大切にされたようです。
そのため、春が始まる前の日、つまり冬と春を分ける日だけを節分と呼ぶようになったとか。
保育や子育てが広がる“遊び”と“学び”のプラットフォーム [ほいくる]より抜粋
昔の日本では、春は一年のはじまりとされ、特に大切にされたようです。
そのため、春が始まる前の日、つまり冬と春を分ける日だけを節分と呼ぶようになったんだとか。
ちなみに暦の上で春が始まる日を「立春(りっしゅん)」(2月4日ごろ)と呼びます。
2月4日は二十四節気の立春、2月3日は節分の日となります。

節分は、「みんなが健康で幸せに過ごせますように」という意味をこめて、悪いものを追い出す日。
「鬼は外、福はうち」と言いながら豆まきをします。
節分という言葉には、「季節を分ける」という意味があり昔の日本では、春は一年のはじまりとされ、特に大切にされたようです。
そのため、春が始まる前の日、つまり冬と春を分ける日だけを節分と呼ぶようになったとか。
保育や子育てが広がる“遊び”と“学び”のプラットフォーム [ほいくる]より抜粋
1月1日の「大正月(おおしょうがつ)」に対して、1月15日を「小正月(こしょうがつ)」という。また、14日から16日までの3日間を「小正月」とする場合などがある。
1月1日から1月7日までを「大正月」と呼ぶ場合もあり、この「小正月」までが門松を飾る期間として「松の内」ともいう。「松の内」に忙しく働いた主婦をねぎらう意味で、「小正月」を「女正月」という地方もある。その他、「小年(こどし)」「二番正月」「若年」「花正月」「返り正月」「戻り正月」と呼ぶ地方もある。
この日の朝には米と小豆を炊き込んだ「小豆粥(あずきがゆ)」を食べる習慣があり、早朝に食べることから「あかつき粥」などとも呼ばれる。また、地方によっては餅花(もちばな)や繭玉(まゆだま)を飾る。
「小正月」の伝統行事として、左義長(さぎちょう:日本各地)、なまはげ(秋田県)、あまめはぎ(石川県・新潟県)、かまくら(秋田県や新潟県など降雪地域)などがあり、行事を通して病気や厄災を払ったりする。
かつて「元服の儀」を「小正月」に行っていたことから、1月15日は「成人の日」という国民の祝日となった。「成人の日」は2000年(平成12年)から1月の第2月曜日に変更されている。
リンク:Wikipedia

1月1日から1月7日までを「大正月」と呼ぶ場合もあり、この「小正月」までが門松を飾る期間として「松の内」ともいう。「松の内」に忙しく働いた主婦をねぎらう意味で、「小正月」を「女正月」という地方もある。その他、「小年(こどし)」「二番正月」「若年」「花正月」「返り正月」「戻り正月」と呼ぶ地方もある。
この日の朝には米と小豆を炊き込んだ「小豆粥(あずきがゆ)」を食べる習慣があり、早朝に食べることから「あかつき粥」などとも呼ばれる。また、地方によっては餅花(もちばな)や繭玉(まゆだま)を飾る。
「小正月」の伝統行事として、左義長(さぎちょう:日本各地)、なまはげ(秋田県)、あまめはぎ(石川県・新潟県)、かまくら(秋田県や新潟県など降雪地域)などがあり、行事を通して病気や厄災を払ったりする。
かつて「元服の儀」を「小正月」に行っていたことから、1月15日は「成人の日」という国民の祝日となった。「成人の日」は2000年(平成12年)から1月の第2月曜日に変更されている。
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正月に神(年神)や仏に供えた鏡餅を下げて食べる日とされる。

神仏に感謝し、また無病息災などを祈って、汁粉や雑煮などで食す。武家では鏡餅を刃物で切ることは切腹を連想させるため、手や木槌で割る風習があった。また、「切る」「割る」という言葉は避けて「開く」という言葉が使われた。
商家では新年の初めに蔵を開いて商売繁盛を祈る行事をこの日に行う。「鏡」は円満を、「開く」は末広がりを意味する。鏡餅の割れ方で占いをする地域もあり、「鏡餅の割れが多ければ豊作」と言われている。
もとは松の内が終わる正月15日「小正月」の後の20日に行われたが、江戸時代に11日に改められた。現在まで続く風習であるが、その日は1月11日に限らず、京都の一部では1月4日、松の内が1月15日の地方では1月20日に行われるなど、地方によって異なる場合もある。
リンク:Wikipedia、コトバンク

神仏に感謝し、また無病息災などを祈って、汁粉や雑煮などで食す。武家では鏡餅を刃物で切ることは切腹を連想させるため、手や木槌で割る風習があった。また、「切る」「割る」という言葉は避けて「開く」という言葉が使われた。
商家では新年の初めに蔵を開いて商売繁盛を祈る行事をこの日に行う。「鏡」は円満を、「開く」は末広がりを意味する。鏡餅の割れ方で占いをする地域もあり、「鏡餅の割れが多ければ豊作」と言われている。
もとは松の内が終わる正月15日「小正月」の後の20日に行われたが、江戸時代に11日に改められた。現在まで続く風習であるが、その日は1月11日に限らず、京都の一部では1月4日、松の内が1月15日の地方では1月20日に行われるなど、地方によって異なる場合もある。
リンク:Wikipedia、コトバンク
神さまも正月にじっとしていると飽きるのか。七福神が相撲をとる江戸小話「福遊び」では、えびすが大黒天とがっぷり四つに組み、土俵の外に投げる◆ところが行司は軍配を上げてくれない。納得のいかないえびす顔に「見事な投げだが、えびす殿の 鯛たい が先に落ちたもので」と言う(『爆笑!大江戸ジョーク集』中公ラクレ)。いつも脇に鯛を抱えてニコニコ笑う福の神は、庶民に親しまれる存在だろう◆えびすにゆかりの神社は、きょうが「宵 戎えびす 」、あすは「本戎」、11日は「残り福」と、三日にわたる「十日戎」の祭礼に入る。商売に携わる人が参拝する習いと聞く◆コロナ感染が爆発的に広がっている。店を営む人は、かつて閉店時刻を早め、酒の提供を諦めていた。客席を減らして感染防止策に金と時間を費やした。この正月は休み、四股を踏んでさあ今年こそ…と仕切り線に手をついたとたん出鼻をくじかれた。悔しいご心情が察せられる◆神として不完全な体に生まれたえびすは両親に船に乗せられ、海へ流されたと伝わる。商売繁盛の信仰を集める神さまにも、苦難に見舞われる過去があったらしい。
読売新聞編集手帳・2022/01/09
宵戎(読み)よいえびす
精選版 日本国語大辞典「宵戎」の解説
よい‐えびす よひ‥【宵戎】
〘名〙 正月九日、十日戎の前夜祭に、大阪の今宮、兵庫県西宮などの戎神社に参詣すること。《季・新年》
※大坂繁花風土記(1814)年中行事「正月九日。宵戎とて今宮へ参詣す。西宮へも参詣す」
●関西ではえびすの事を親しみを持って「えべっさん」と呼んでいます。

読売新聞編集手帳・2022/01/09
宵戎(読み)よいえびす
精選版 日本国語大辞典「宵戎」の解説
よい‐えびす よひ‥【宵戎】
〘名〙 正月九日、十日戎の前夜祭に、大阪の今宮、兵庫県西宮などの戎神社に参詣すること。《季・新年》
※大坂繁花風土記(1814)年中行事「正月九日。宵戎とて今宮へ参詣す。西宮へも参詣す」
●関西ではえびすの事を親しみを持って「えべっさん」と呼んでいます。

正月の各種行事・飾りを終える日。
正月を迎える準備を始めるのは「正月事始め」で、かつては旧暦12月13日、現在は新暦12月13日に行われる。「煤(すす)払い」や、門松などに用いる松を山から切ってくる「松迎え」などの正月の準備にとりかかる日である。
これに対して、「正月事納め」は「松の内」または「注連(しめ)の内」の期間に飾られた門松や注連縄(しめなわ)の飾りを取り外す日である。「松の内」「注連の内」はかつては1月1日の「元日」から1月15日までとされていたが、現在は1月7日までとするところが多い。また、関東では1月7日、関西では1月15日までとする地域が多い。
リンク:Wikipedia

正月を迎える準備を始めるのは「正月事始め」で、かつては旧暦12月13日、現在は新暦12月13日に行われる。「煤(すす)払い」や、門松などに用いる松を山から切ってくる「松迎え」などの正月の準備にとりかかる日である。
これに対して、「正月事納め」は「松の内」または「注連(しめ)の内」の期間に飾られた門松や注連縄(しめなわ)の飾りを取り外す日である。「松の内」「注連の内」はかつては1月1日の「元日」から1月15日までとされていたが、現在は1月7日までとするところが多い。また、関東では1月7日、関西では1月15日までとする地域が多い。
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七五三の行事についてはほとんどの人はご存知だと思われるがいつ頃始まってどんな謂れがあるのかは詳しく知っている人は少ないと思います。
今日の春秋に340年前に将軍吉宗が11月15日に愛息の健やかな成長を願い「髪置き」という儀式を行ったことが発端だというような話が有り、今日の勉強の一つとして取り上げてみました。

徳川5代将軍の綱吉は、「生類憐(あわれ)みの令」で人々を苦しめたことで知られる。一方で現代まで続く習慣の生みの親、との説がある。1681年の11月15日。愛息の健やかな成長を願い「髪置き」という儀式を行ったことが発端だ▼江戸の呉服屋がこの話を聞き、商売になると考えて宣伝した。将軍家をまねて裕福な武士や商人が晴れ着を買い、わが子に着せて祝うようになる。やがて庶民にも広がった。七五三の起こりである▼時代は違ってもこの日の情景は今も同じだろう。江戸時代の川柳に「そこを押へちゃ見へねいと十五日」とある。晴れの装いが汚れないように肩車。おっと、目をふさいだら歩けないよ▼「礼服で乳をのんでる十五日」「方々の花嫁になる十五日」「袴(はかま)着のどうだましてもぬがぬなり」。昔は数え年で参ったから、まだ幼い乳飲み子も。あちこちで「お嫁さんのようだね」と声を掛けられ、袴が気に入って脱がないわんぱくにひと騒動だ▼今日の日曜日は、そんなほほ笑ましい光景が各地で見られることだろう。子育ての環境は厳しいからこそ、社会全体で子どもたちの成長を支えていきたい▼折から、18歳以下の子どもに条件付きで10万円相当の給付をするそうだ。財源は税金なのに、一部政党が自己の手柄のごとくPRするのはしゃくに障る。加えて振る舞いのつけは、本日晴れ着の次世代が担う。お国から頂く千歳飴(ちとせあめ)の味はいかに?
2021/11/14 西日本新聞 春秋
今日の春秋に340年前に将軍吉宗が11月15日に愛息の健やかな成長を願い「髪置き」という儀式を行ったことが発端だというような話が有り、今日の勉強の一つとして取り上げてみました。

徳川5代将軍の綱吉は、「生類憐(あわれ)みの令」で人々を苦しめたことで知られる。一方で現代まで続く習慣の生みの親、との説がある。1681年の11月15日。愛息の健やかな成長を願い「髪置き」という儀式を行ったことが発端だ▼江戸の呉服屋がこの話を聞き、商売になると考えて宣伝した。将軍家をまねて裕福な武士や商人が晴れ着を買い、わが子に着せて祝うようになる。やがて庶民にも広がった。七五三の起こりである▼時代は違ってもこの日の情景は今も同じだろう。江戸時代の川柳に「そこを押へちゃ見へねいと十五日」とある。晴れの装いが汚れないように肩車。おっと、目をふさいだら歩けないよ▼「礼服で乳をのんでる十五日」「方々の花嫁になる十五日」「袴(はかま)着のどうだましてもぬがぬなり」。昔は数え年で参ったから、まだ幼い乳飲み子も。あちこちで「お嫁さんのようだね」と声を掛けられ、袴が気に入って脱がないわんぱくにひと騒動だ▼今日の日曜日は、そんなほほ笑ましい光景が各地で見られることだろう。子育ての環境は厳しいからこそ、社会全体で子どもたちの成長を支えていきたい▼折から、18歳以下の子どもに条件付きで10万円相当の給付をするそうだ。財源は税金なのに、一部政党が自己の手柄のごとくPRするのはしゃくに障る。加えて振る舞いのつけは、本日晴れ着の次世代が担う。お国から頂く千歳飴(ちとせあめ)の味はいかに?
2021/11/14 西日本新聞 春秋

台風のため朝の散歩がおろそかになり足の筋肉がどんどん退化していくのが良く分かります。
歳をとるということは恐ろしい事です。
今日は漢字の勉強です。
熊本県立八代高等学校の入り口に「鳳雛祭」の看板が出ていましたがなかなか上手く読めません。
息子の出身高校なのでもっと教育に関心を持っていれば読めたはず。
働くことが美徳の年代、学校行事に参加するなんてもってのほか。・・・
恥ずかしい限りである。
話を「鳳雛祭」に戻そう、散歩から帰ってすぐ言葉の意味を調べてみました。
鳳雛(ほうすう)の意味は将来すぐれた人物になることが期待される子供。
八代高校では体育祭や文化祭を鳳雛祭(体育の部)・鳳雛祭(文化の部)として行っています。
暦には9月9日「重陽」とあります。
「重陽」とは何ぞや?
調べてみますと節句の一つで重陽の節句というもの。
節句
人日(1月7日)
上巳(3月3日)
端午(5月5日)
七夕(7月7日)
重陽(9月9日)

小さい頃母に連れられて枚方の菊人形展を見学したことを思い出しました。
重陽(ちょうよう)は、五節句の一つで、9月9日のこと。旧暦では菊が咲く季節であることから菊の節句とも呼ばれる。
陰陽思想では奇数は陽の数であり、陽数の極である9が重なる日であることから「重陽」と呼ばれる。奇数の重なる月日は陽の気が強すぎるため不吉とされ、それを払う行事として節句が行なわれていたが、九は一桁の数のうち最大の「陽」であり、特に負担の大きい節句と考えられていた。後、陽の重なりを吉祥とする考えに転じ、祝い事となったものである。
邪気を払い長寿を願って、菊の花を飾ったり、菊の花びらを浮かべた酒を酌み交わして祝ったりしていた。また前夜、菊に綿をおいて、露を染ませ、身体をぬぐうなどの習慣があった。現在では、他の節句と比べてあまり実施されていない。
Wikipediaより
「重陽」とは何ぞや?
調べてみますと節句の一つで重陽の節句というもの。
節句
人日(1月7日)
上巳(3月3日)
端午(5月5日)
七夕(7月7日)
重陽(9月9日)

小さい頃母に連れられて枚方の菊人形展を見学したことを思い出しました。
重陽(ちょうよう)は、五節句の一つで、9月9日のこと。旧暦では菊が咲く季節であることから菊の節句とも呼ばれる。
陰陽思想では奇数は陽の数であり、陽数の極である9が重なる日であることから「重陽」と呼ばれる。奇数の重なる月日は陽の気が強すぎるため不吉とされ、それを払う行事として節句が行なわれていたが、九は一桁の数のうち最大の「陽」であり、特に負担の大きい節句と考えられていた。後、陽の重なりを吉祥とする考えに転じ、祝い事となったものである。
邪気を払い長寿を願って、菊の花を飾ったり、菊の花びらを浮かべた酒を酌み交わして祝ったりしていた。また前夜、菊に綿をおいて、露を染ませ、身体をぬぐうなどの習慣があった。現在では、他の節句と比べてあまり実施されていない。
Wikipediaより
本来は旧暦7月16日であるが、明治の改暦後は、多くの地域で月遅れの8月16日に行われる。
お盆に帰ってきた先祖の霊を送り出す行事で、京都の五山送り火・奈良の高円山大文字送り火・長崎の精霊流しなどが有名である。家庭の玄関先や庭で行われる規模のものもある。仏教が庶民の間に浸透した室町時代以後に年中行事として定着したといわれている。
京都五山の送り火のうち大文字
五山送り火は、この日に京都府京都市左京区にある如意ヶ嶽(大文字山)など五山で行われるかがり火である。宗教・歴史的な背景から「大文字の送り火」と呼ばれることがある。京の夏の夜空を焦がす京都の名物行事・伝統行事であり、葵祭・祇園祭・時代祭とともに京都四大行事の一つとされる。
リンク:Wikipedia
今日は何の日雑学ネタ帳より
お盆に帰ってきた先祖の霊を送り出す行事で、京都の五山送り火・奈良の高円山大文字送り火・長崎の精霊流しなどが有名である。家庭の玄関先や庭で行われる規模のものもある。仏教が庶民の間に浸透した室町時代以後に年中行事として定着したといわれている。

五山送り火は、この日に京都府京都市左京区にある如意ヶ嶽(大文字山)など五山で行われるかがり火である。宗教・歴史的な背景から「大文字の送り火」と呼ばれることがある。京の夏の夜空を焦がす京都の名物行事・伝統行事であり、葵祭・祇園祭・時代祭とともに京都四大行事の一つとされる。
リンク:Wikipedia
今日は何の日雑学ネタ帳より
「雛祭り(ひなまつり)」は、女の子の健やかな成長を願う伝統行事。3月3日は「上巳(じょうし)」または「桃の節句」と呼ばれる。
一般的には「桃の節句」と呼ばれ、女の子のいる家庭では、雛人形を飾り、桃の花・菱餅・雛あられを供えて祀り、白酒や寿司などの飲食を楽しむ節句祭りが行われる。
雛祭りは江戸時代までは和暦(旧暦)の3月の節句(上巳、桃の節句)である3月3日(現在の4月頃)に行われていた。明治の改暦以後はグレゴリオ暦(新暦)の3月3日に行なうことが一般的になった。東北・北陸など一部の地域では、旧暦3月3日または新暦4月3日に祝う文化が残っている。
3月3日の「上巳(じょうし)」は「じょうみ」とも読み、1月7日の「人日(じんじつ)」、5月5日の「端午(たんご)」、7月7日の「七夕(しちせき)」、9月9日の「重陽(ちょうよう)」とともに「五節句」の一つである。上旬の巳(み)の日の意味であり、元々は3月上旬の巳の日であったが、古来中国の三国時代の魏より3月3日に行われるようになったと言われている。旧暦の3月3日は桃の花が咲く時期であるため「桃の節句」と呼ばれる。
上巳(桃の節句)の日には、紙製の小さな人形に穢れ(けがれ)を移して川や海に流して、災厄を祓う(はらう)祭礼を行っていた。この「流し雛」の風習は平安時代からあり、現在でも日本各地にその風習が残っている。その人形が次第に精巧なものになって流さずに飾っておくようになり、雛祭りとして発展していった。
雛祭りは始めは宮中や貴族の間で行われていたが、やがて武家社会でも行われるようになり、江戸時代には女の子の「人形遊び」と「節句の儀式」が結び付けられ、庶民の行事となった。
元々は、5月5日の「端午の節句」とともに男女の区別なく行われていたが、江戸時代ごろから、豪華な雛人形は女の子に属するものとされ、端午の節句は菖蒲(しょうぶ)の節句とも言われることから、尚武(しょうぶ:武道・武勇を重んじること)にかけて男の子の節句とされるようになった。
リンク:Wikipedia、コトバンク 今日は何の日より
一般的には「桃の節句」と呼ばれ、女の子のいる家庭では、雛人形を飾り、桃の花・菱餅・雛あられを供えて祀り、白酒や寿司などの飲食を楽しむ節句祭りが行われる。
雛祭りは江戸時代までは和暦(旧暦)の3月の節句(上巳、桃の節句)である3月3日(現在の4月頃)に行われていた。明治の改暦以後はグレゴリオ暦(新暦)の3月3日に行なうことが一般的になった。東北・北陸など一部の地域では、旧暦3月3日または新暦4月3日に祝う文化が残っている。
3月3日の「上巳(じょうし)」は「じょうみ」とも読み、1月7日の「人日(じんじつ)」、5月5日の「端午(たんご)」、7月7日の「七夕(しちせき)」、9月9日の「重陽(ちょうよう)」とともに「五節句」の一つである。上旬の巳(み)の日の意味であり、元々は3月上旬の巳の日であったが、古来中国の三国時代の魏より3月3日に行われるようになったと言われている。旧暦の3月3日は桃の花が咲く時期であるため「桃の節句」と呼ばれる。
上巳(桃の節句)の日には、紙製の小さな人形に穢れ(けがれ)を移して川や海に流して、災厄を祓う(はらう)祭礼を行っていた。この「流し雛」の風習は平安時代からあり、現在でも日本各地にその風習が残っている。その人形が次第に精巧なものになって流さずに飾っておくようになり、雛祭りとして発展していった。
雛祭りは始めは宮中や貴族の間で行われていたが、やがて武家社会でも行われるようになり、江戸時代には女の子の「人形遊び」と「節句の儀式」が結び付けられ、庶民の行事となった。
元々は、5月5日の「端午の節句」とともに男女の区別なく行われていたが、江戸時代ごろから、豪華な雛人形は女の子に属するものとされ、端午の節句は菖蒲(しょうぶ)の節句とも言われることから、尚武(しょうぶ:武道・武勇を重んじること)にかけて男の子の節句とされるようになった。
リンク:Wikipedia、コトバンク 今日は何の日より

針供養(はりくよう)は、縫い針を供養する目的で、2月8日または12月8日に行われる行事である。
この日は裁縫を休んで、古い錆びた針や折れた針など使えなくなった縫い針を集めて社寺に納めたり、豆腐やこんにゃくなどの柔らかいものに刺したりして供養をする。
各地の社寺で行われているが、主に淡島神社または淡島神を祀る堂がある寺院で行われる。東京都江東区にある浅草寺境内の淡島堂、和歌山県和歌山市の淡嶋神社などが有名である。
2月8日は「御事始め」の日であり、農作業や裁縫は休み、それから一年の作業が始まる。12月8日は「御事納め」の日で、農作業など一年の作業が終わる。
針供養の日付は、一般的には2月8日であるが、関西地方や九州地方では12月8日が一般的で、また、寺や神社によって日付が異なる場合がある。
鉄の針が大量生産されるようになったのは室町時代のことであり、和歌山の淡島信仰と結びついた針供養の風習が、各地をまわる淡島願人(あわしまがんにん)を通じて日本全国に広まったのは江戸時代中期以降のことである。
リンク:浅草寺、淡嶋神社、Wikipedia
雑学ネタ帳今日は何の日より

京都 法輪寺 針供養
・案内 京都市西京区の嵐山渡月橋近くにある法輪寺(ほうりんじ)。真言宗五智教団に属しており、御本尊は虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)。
嵐山の中腹に位置しており、境内にある舞台からは渡月橋をはじめ嵯峨野エリアが一望できる。男女とも数え年13歳でおこなう祝い事である十三参り(じゅうさんまいり)のお寺として知られている。
法輪寺の針供養法要は毎年2回、2/8と12/8に行われる。この針供養法要は、長年使用した針に感謝し休んでもらうための法要。天皇の命が始まりであったという起原にちなんで12月には皇室から預かった針の供養も行う。
法要は、本堂にて織姫の舞が奉納された後に、拝観者が冷たいコンニャクに大きな針を刺していき、僧侶による読経が行わる。皆でこれまでしっかり働いてくれた針に感謝を捧げ、ありがたい存在であることを見つめ直します。
この日は裁縫を休んで、古い錆びた針や折れた針など使えなくなった縫い針を集めて社寺に納めたり、豆腐やこんにゃくなどの柔らかいものに刺したりして供養をする。
各地の社寺で行われているが、主に淡島神社または淡島神を祀る堂がある寺院で行われる。東京都江東区にある浅草寺境内の淡島堂、和歌山県和歌山市の淡嶋神社などが有名である。
2月8日は「御事始め」の日であり、農作業や裁縫は休み、それから一年の作業が始まる。12月8日は「御事納め」の日で、農作業など一年の作業が終わる。
針供養の日付は、一般的には2月8日であるが、関西地方や九州地方では12月8日が一般的で、また、寺や神社によって日付が異なる場合がある。
鉄の針が大量生産されるようになったのは室町時代のことであり、和歌山の淡島信仰と結びついた針供養の風習が、各地をまわる淡島願人(あわしまがんにん)を通じて日本全国に広まったのは江戸時代中期以降のことである。
リンク:浅草寺、淡嶋神社、Wikipedia
雑学ネタ帳今日は何の日より

京都 法輪寺 針供養
・案内 京都市西京区の嵐山渡月橋近くにある法輪寺(ほうりんじ)。真言宗五智教団に属しており、御本尊は虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)。
嵐山の中腹に位置しており、境内にある舞台からは渡月橋をはじめ嵯峨野エリアが一望できる。男女とも数え年13歳でおこなう祝い事である十三参り(じゅうさんまいり)のお寺として知られている。
法輪寺の針供養法要は毎年2回、2/8と12/8に行われる。この針供養法要は、長年使用した針に感謝し休んでもらうための法要。天皇の命が始まりであったという起原にちなんで12月には皇室から預かった針の供養も行う。
法要は、本堂にて織姫の舞が奉納された後に、拝観者が冷たいコンニャクに大きな針を刺していき、僧侶による読経が行わる。皆でこれまでしっかり働いてくれた針に感謝を捧げ、ありがたい存在であることを見つめ直します。
晦日正月・晦日節(1月31日 年中行事)今日はみそかについて勉強します。


「晦日正月(みそかしょうがつ)」または「晦日節(みそかぜち)」ともいい、正月の終わりの日として祝うところもある。
正月の松飾りのある期間「松の内」に年始回りをしなかった家を訪ねる日。またはお蕎麦を食べて祝う日など、地方によってこれらの習慣が残っているところもある。
「晦日」について
「晦日(みそか・つごもり)」は、旧暦でその月の最後の日のことである。12月31日のことを「大晦日(おおみそか)」というが、これは「晦日」のうちで一年の最後の日という意味である。
「晦日」は「三十日」とも書くが、かつて29日の月の場合は30日が存在しないので、「晦日」のほうが混乱が起きず都合がよかった。現在でも「三十日」と表記し「みそか」と呼ぶことが多い。月末に食べる蕎麦「三十日蕎麦(みそかそば)」や、支払いを月末にすること「三十日払い(みそかばらい)」などがある。
リンク:コトバンク、Wikipedia
雑学ネタ帳今日は何の日より


「晦日正月(みそかしょうがつ)」または「晦日節(みそかぜち)」ともいい、正月の終わりの日として祝うところもある。
正月の松飾りのある期間「松の内」に年始回りをしなかった家を訪ねる日。またはお蕎麦を食べて祝う日など、地方によってこれらの習慣が残っているところもある。
「晦日」について
「晦日(みそか・つごもり)」は、旧暦でその月の最後の日のことである。12月31日のことを「大晦日(おおみそか)」というが、これは「晦日」のうちで一年の最後の日という意味である。
「晦日」は「三十日」とも書くが、かつて29日の月の場合は30日が存在しないので、「晦日」のほうが混乱が起きず都合がよかった。現在でも「三十日」と表記し「みそか」と呼ぶことが多い。月末に食べる蕎麦「三十日蕎麦(みそかそば)」や、支払いを月末にすること「三十日払い(みそかばらい)」などがある。
リンク:コトバンク、Wikipedia
雑学ネタ帳今日は何の日より
十日戎(とおかえびす)とは、七福神の一柱である戎(恵比寿)神(えびす様)を祀る神社の祭礼である。
西日本で一般的に行われる。商売繁盛を願って多くの人々が参拝し、縁起物を飾った笹や熊手を授かる。多くの神社では前日の宵戎(よいえびす)から翌日の残り福までの3日間行われるが、前々日の宵々戎から行う神社もある。
大阪市浪速区にある今宮戎神社(いまみやえびすじんじゃ)は、十日戎が一般的な西日本の中でも、最も賑わい、お賽銭に大金が飛び交うことで有名。毎年100万人以上の参拝者が訪れる。
雑学ネタ帳より

十日戎
豊臣時代の頃になりますと庶民のえびす様への信仰はより厚くなり、また豊臣秀頼は片桐且元に社殿造営の普請奉行を命じています。またこの頃より市街が発達し、大阪町人の活躍が始まり、江戸期になると大阪は商業の町としてより一層の繁栄を遂げ、それと期を一にして今宮戎神社も大阪の商業を護る神様として篤く崇敬されるようになりました。十日戎の行事もこの頃から賑わいをみせ、延宝三年(1675)の現存する最も古い大阪案内の図「葦分舟」にも十日戎の状景が描かれています。
また文芸の分野においても江戸初期の俳人小西来山の句集で今宮のことが書かれており、中期の大田蜀山人の紀行文にも十日戎が記されています。また浄瑠璃「艶容女舞衣」では十日戎が重要な背景として設定されています。
明治には、それまでの問丸が雑喉場の魚市場、材木商組合、麻苧商組合、蝋商組合、漆商組合、金物商組合等が講社を結成し、十日戎はより一層盛んになりました。
このように時代とともに盛大になってゆく祭礼ですが、惜しくも昭和二十年の戦災で神社はことごとく焼失しました。しかしながら昭和三十一年には本殿が復興し、再び十日戎も活況を呈するようになり、現在では年の最初のお祭りとして十日戎の3日間に約百万人を超える参詣者があります。
今宮戎神社ホームページより
西日本で一般的に行われる。商売繁盛を願って多くの人々が参拝し、縁起物を飾った笹や熊手を授かる。多くの神社では前日の宵戎(よいえびす)から翌日の残り福までの3日間行われるが、前々日の宵々戎から行う神社もある。
大阪市浪速区にある今宮戎神社(いまみやえびすじんじゃ)は、十日戎が一般的な西日本の中でも、最も賑わい、お賽銭に大金が飛び交うことで有名。毎年100万人以上の参拝者が訪れる。
雑学ネタ帳より

十日戎
豊臣時代の頃になりますと庶民のえびす様への信仰はより厚くなり、また豊臣秀頼は片桐且元に社殿造営の普請奉行を命じています。またこの頃より市街が発達し、大阪町人の活躍が始まり、江戸期になると大阪は商業の町としてより一層の繁栄を遂げ、それと期を一にして今宮戎神社も大阪の商業を護る神様として篤く崇敬されるようになりました。十日戎の行事もこの頃から賑わいをみせ、延宝三年(1675)の現存する最も古い大阪案内の図「葦分舟」にも十日戎の状景が描かれています。
また文芸の分野においても江戸初期の俳人小西来山の句集で今宮のことが書かれており、中期の大田蜀山人の紀行文にも十日戎が記されています。また浄瑠璃「艶容女舞衣」では十日戎が重要な背景として設定されています。
明治には、それまでの問丸が雑喉場の魚市場、材木商組合、麻苧商組合、蝋商組合、漆商組合、金物商組合等が講社を結成し、十日戎はより一層盛んになりました。
このように時代とともに盛大になってゆく祭礼ですが、惜しくも昭和二十年の戦災で神社はことごとく焼失しました。しかしながら昭和三十一年には本殿が復興し、再び十日戎も活況を呈するようになり、現在では年の最初のお祭りとして十日戎の3日間に約百万人を超える参詣者があります。
今宮戎神社ホームページより
正月の各種行事・飾りを終える日。
正月を迎える準備を始めるのは「正月事始め」で、かつては旧暦12月13日、現在は新暦12月13日に行われる。「煤(すす)払い」や、門松などに用いる松を山から切ってくる「松迎え」などの正月の準備にとりかかる日である。

これに対して、「正月事納め」は「松の内」または「注連(しめ)の内」の期間に飾られた門松や注連縄(しめなわ)の飾りを取り外す日である。「松の内」「注連の内」はかつては1月1日の「元日」から1月15日までとされていたが、現在は1月7日までとするところが多い。また、関東では1月7日、関西では1月15日までとする地域が多い。
雑学ネタ帳より
正月を迎える準備を始めるのは「正月事始め」で、かつては旧暦12月13日、現在は新暦12月13日に行われる。「煤(すす)払い」や、門松などに用いる松を山から切ってくる「松迎え」などの正月の準備にとりかかる日である。

これに対して、「正月事納め」は「松の内」または「注連(しめ)の内」の期間に飾られた門松や注連縄(しめなわ)の飾りを取り外す日である。「松の内」「注連の内」はかつては1月1日の「元日」から1月15日までとされていたが、現在は1月7日までとするところが多い。また、関東では1月7日、関西では1月15日までとする地域が多い。
雑学ネタ帳より


「人日(じんじつ)」は五節句の一つ。この日「七日正月(なぬかしょうがつ)」は「七草粥(ななくさがゆ)」を食べることから「七草の節句」ともいう。
古来中国では、正月の1日を鶏の日、2日を狗(犬)の日、3日を猪(豚)の日、4日を羊の日、5日を牛の日、6日を馬の日とし、それぞれの日にはその動物を殺さないようにしていた。そして、7日目を人の日(人日)とし、犯罪者に対する刑罰は行わないことにしていた。
また、この日には7種類の野菜(七草)を入れた羹(あつもの:野菜などを入れた熱い汁物)を食べる習慣があり、これが日本に伝わって「七草粥」となった。
これら「人日の節句」の風習は、日本では平安時代から始められ、江戸時代より一般に定着したとされる。「人日」を含む五節句が江戸幕府の公式行事となり、将軍以下全ての武士が七草粥を食べてこの日を祝った。
このような経緯からも分かるように、本来は旧暦1月7日の風習であるが、現在では新暦1月7日の年中行事となっており、日本ではこの日の朝に七草粥を食べて祝う習慣が残っている。
ちなみに、五節句とは、1月7日「人日(じんじつ)」・3月3日「上巳(じょうし)」・5月5日「端午(たんご)」・7月7日「七夕(しちせき)」・9月9日「重陽(ちょうよう)」の五つの節句のことである。

明日は七日正月七草がゆ、今日は六日年越し。
正月七日を「七日正月」といい、その前日を年越しとして祝う。正月行事の一つ。
「神年越し」「女の年越し」「馬の年越し」などという地方もあった。七日正月の朝に七草粥を食べる行事は全国的にあるが、準備はすでに六日年越しから始まっていた。七草粥に入れる七草をまな板に載せ、神棚の前で包丁でたたきながら、「七草なずな、唐土の鳥と日本の鳥と、渡らぬ先に…」などと唱える行事があった。
雑学ネタ帳より