2021年07月12日
1984年(昭和59年) 島根県・荒神谷遺跡で銅剣を発見
きょうは何の日 - マイあさ! - NHKというNHK主催のネット版今日は何の日があります。ラジオ第1 毎週月曜~日曜 午前5時 / FM 毎週月曜~日曜 午前7時にラジオとFM放送されている番組と関係があるようです。
テレビ主流の今、ラジオを聴く人はあまりいないと思いますがニュースを聞くためにラジオを利用する人もおられるのでしょう。
たまたま見つけたNHKのきょうは何の日目についた記事がありますので紹介します。
きょうは何の日
7月12日~7月18日
7月12日
■1925年(大正14年) ラジオの本放送が始まる
■1965年(昭和40年) 鹿島郁夫さんが小型ヨットで大西洋横断に成功
■1984年(昭和59年) 島根県・荒神谷遺跡で銅剣を発見
■1993年(平成5年) 北海道南西沖地震
7月13日
■1886年(明治19年) 日本の標準時を制定
■1928年(昭和3年) 市川左団次ら一行が歌舞伎モスクワ公演へ出発
■1930年(昭和5年) 初のサッカー・ワールドカップがウルグアイで開幕
■1942年(昭和17年) 妊産婦手帳の発行を決定
■1947年(昭和22年) 登呂遺跡の本格的な発掘調査が始まる
■1985年(昭和60年) ライブ・エイド開催
■2001年(平成13年) 2008年夏のオリンピックが北京に決まる
荒神谷遺跡|出雲観光ガイド【出雲観光協会公式ホームページ】から一部紹介します。
二千年の眠りから覚めた出雲王国の証
一片の土器からはじまった遺跡調査
1983年(昭和58)、広域農道の建設に伴い斐川町神庭西谷周辺で遺跡分布調査を行ったところ、調査員の一人が田んぼの畦で須恵器(古墳時代の後半から日本でつくられた陶質の土器)の破片を拾いました。
この谷の南側に「三宝荒神」が祀られていることから遺跡名を「荒神谷遺跡(こうじんだにいせき)」と命名、翌年1984年から始まった本格的な発掘調査により、銅剣358本が発掘されました。
それまで全国で出土した銅剣の総数は約300本、荒神谷遺跡はそれを一ヶ所で上回る出土数で、当時の日本古代史学・考古学界を大きく揺るがす大発見となりました。
さらに翌年の1985年にはそこから7mほど離れた地点で銅鐸6個、銅矛16本という大量の青銅器が出土。これらは全て1998年に「島根県荒神谷遺跡出土品」として国宝に指定されています。

遺跡の場所は斐川町の仏経山(ぶっきょうざん)から北東3kmの位置にあります。
標高22mの小さな谷間の南向きの斜面に上下二段の加工段が作られ、その下段に刃を起こした状態の銅剣が合計358本、4列に整然と並べた形で埋められていました。
358本の銅剣

銅剣は約2200年前の弥生時代前期、朝鮮半島より武器として伝わってきたといわれ、銅に少量のすずや鉛などをまぜた合金で、作られたときは金色の輝きを帯びていたものと思われます。
これらはいつどこで作られたものかなど、はっきり分かっていませんが、同じ鋳型で製造されたものが多いことから、同じ時期に同じ場所で作られたものだと考えられています。
テレビ主流の今、ラジオを聴く人はあまりいないと思いますがニュースを聞くためにラジオを利用する人もおられるのでしょう。
たまたま見つけたNHKのきょうは何の日目についた記事がありますので紹介します。
きょうは何の日
7月12日~7月18日
7月12日
■1925年(大正14年) ラジオの本放送が始まる
■1965年(昭和40年) 鹿島郁夫さんが小型ヨットで大西洋横断に成功
■1984年(昭和59年) 島根県・荒神谷遺跡で銅剣を発見
■1993年(平成5年) 北海道南西沖地震
7月13日
■1886年(明治19年) 日本の標準時を制定
■1928年(昭和3年) 市川左団次ら一行が歌舞伎モスクワ公演へ出発
■1930年(昭和5年) 初のサッカー・ワールドカップがウルグアイで開幕
■1942年(昭和17年) 妊産婦手帳の発行を決定
■1947年(昭和22年) 登呂遺跡の本格的な発掘調査が始まる
■1985年(昭和60年) ライブ・エイド開催
■2001年(平成13年) 2008年夏のオリンピックが北京に決まる
荒神谷遺跡|出雲観光ガイド【出雲観光協会公式ホームページ】から一部紹介します。
二千年の眠りから覚めた出雲王国の証
一片の土器からはじまった遺跡調査
1983年(昭和58)、広域農道の建設に伴い斐川町神庭西谷周辺で遺跡分布調査を行ったところ、調査員の一人が田んぼの畦で須恵器(古墳時代の後半から日本でつくられた陶質の土器)の破片を拾いました。
この谷の南側に「三宝荒神」が祀られていることから遺跡名を「荒神谷遺跡(こうじんだにいせき)」と命名、翌年1984年から始まった本格的な発掘調査により、銅剣358本が発掘されました。
それまで全国で出土した銅剣の総数は約300本、荒神谷遺跡はそれを一ヶ所で上回る出土数で、当時の日本古代史学・考古学界を大きく揺るがす大発見となりました。
さらに翌年の1985年にはそこから7mほど離れた地点で銅鐸6個、銅矛16本という大量の青銅器が出土。これらは全て1998年に「島根県荒神谷遺跡出土品」として国宝に指定されています。

遺跡の場所は斐川町の仏経山(ぶっきょうざん)から北東3kmの位置にあります。
標高22mの小さな谷間の南向きの斜面に上下二段の加工段が作られ、その下段に刃を起こした状態の銅剣が合計358本、4列に整然と並べた形で埋められていました。
358本の銅剣

銅剣は約2200年前の弥生時代前期、朝鮮半島より武器として伝わってきたといわれ、銅に少量のすずや鉛などをまぜた合金で、作られたときは金色の輝きを帯びていたものと思われます。
これらはいつどこで作られたものかなど、はっきり分かっていませんが、同じ鋳型で製造されたものが多いことから、同じ時期に同じ場所で作られたものだと考えられています。
Posted by マー君 at 08:43│Comments(0)
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