2021年04月23日

馬門石について②

昨日、スマホの調子が悪くて熊本まで行った帰りに宇土に寄って来ました。
宇土市周辺には赤みがかった石材で造られた井戸や石橋など町のあちこちで見ることができます。
この石は宇土市網津町字馬門でしか産出しない事から馬門石と呼ばれています。
随分前に大阪に帰省した時に高槻市にある今城塚古墳(継体天皇陵)の石棺に馬門石がつかわれていた事を資料館ではじめて知りました。
その頃から地学に興味を持ち網津町の馬門にも何度も足を運んで見学したことを覚えています。
その頃の記事ありますので一部分転載します。
2014/6/13の記事になります。
馬門石について②
馬門石について②


今回はどこかで道を間違って目的地にはたどり着けませんでしたが、大歳神社の先のどこか(すぐ近く)に馬門石石切場があります。馬門石は第26代継体天皇の陵墓とされる大阪府の今城塚古墳(6世紀前半)や、第33代推古天皇の初陵とされる奈良県の植山古墳(6世紀末~7世紀前半)など、当時の最有力者が葬られたとみられる古墳から、馬門石製の棺が見つかっています。馬門石が使われ始めた古墳時代(今から1400~1600年前)5~7世紀の頃 何故、ピンク色に発色した馬門石が石棺として何百キロも離れた関西や中国地方のいくつもの古墳に利用されたのか、本当の理由は解明されていません。ただ九州の古墳に多く見られる装飾古墳の石棺にベンガラで赤く塗られた石室が多いことから、当時の人達の色に関するイメージの中に赤という色については、大地の色であり日本の暮らしを彩る自然な色(神秘的な色)として人々に最も好まれた色として特殊な感覚を感じさせる色であったのかも知れません。また棺は卑弥呼の時代では木棺だったのがこの頃になると石棺に変わっています。馬門石は熊本県宇土市網津町字馬門付近に産する凝灰岩で、約9万年前の阿蘇山の噴火により流れ出た火砕流が堆積し、数年から十数年をかけて冷えて固まったものですこの堆積岩は「阿蘇溶結凝灰岩(あそようけつぎょうかいがん)」と呼ばれ、ふつは灰色~黒褐色ですが、馬門地区に堆積した岩層にはピンク色のものが含まれており、別名「阿蘇ピンク岩」とも呼ばれています。ピンク色は鉄分が酸化したり、基質が脱ガラス化作用をしたことによるものと考えられておりますが、この「赤い石」は地質学的に今も解明されていない点の多い謎の石です。
また当時(古墳時代)はあじさいの湯あたりまではすぐ近くに海が広がっていたそうです。そしてこの馬門石が古墳時代に、はるか860キロも離れた大和の地へ運ばれていた事について宇土市では2005年7月~8月にかけて古代船「海王」と丸太台船「有明」を使って大王のひつぎ実験航海イベントを実施して大阪南港まで航海しその後大阪府高槻市の今城塚古墳まで人力で馬門石で作った石棺を運んでいます。当時新聞やテレビでも報道されたので記憶がある方も多いと思います。


ピンク色をした石(馬門石)
ここで紹介するピンク色をした石は、宇土市網津町馬門(まかど)地方にしか見られない珍しい石です。馬門付近に行くと、神社の鳥居がこのピンク色をした馬門石でつくられているなど、石材として利用されていることが分かります。この石は、近くの網津川から馬門地方の山側に入ったところで見られます。採石場への道案内が示されています。
どうやってできたのでしょうか
この馬門石は、阿蘇火砕流堆積物です。約9万年前、阿蘇で最大規模の火山活動が起こり、高温の火山灰や軽石等が、火砕流となって火口から低地へ流れ下りました。そのときできた堆積物を阿蘇火砕流堆積物と呼んでいます。この堆積物は九州各県に広がるもので、その規模は大変おおきなものです。
火砕流は熱を保ったまま堆積し、多くの場合、中に含まれている軽石は溶けてつぶれた状態になり、黒いレンズ状の模様をつくっています。このようにしてできた岩石は、高温であったため全体も溶けて固まったようになっており、たたくと焼き物のように響く音がします。そこで、溶結凝灰岩(ようけつぎょうかいがん)とも呼びます。しかし、この馬門地方の阿蘇火砕流堆積物は、火口から離れているためか軽石が比較的溶けておらず、全体的にも柔らかい岩石となっているものが多いようです。近くの網津川周辺や川底には、灰色の阿蘇火砕流堆積物がよく露出しています。理由はよく分かりませんが、馬門地方のものはなぜかピンク色をしています。

●石材としての利用
馬門石は、ピンク色で美しく、柔らかいため加工もしやすい岩石です。近くの鳥居がこの石でできているように、石材として様々な利用がなされたようです。宇土市では、江戸時代から水道管として使われており、現在も現役として給水を続けています。また、宇土市中心部の船場橋も、馬門石で造られていることでよく知られており、石の観察にも適しています。さらに古墳時代では中国地方や近畿地方まで運ばれ、豪族を埋葬する石棺として使われたという歴史も明らかにされています。
熊本県総合博物館ネットワーク・ポータルサイトより

馬門石について②
馬門石について②
馬門石について②
馬門石について②
馬門石について②
馬門石について②
馬門石について②
馬門石について②

※大阪の高槻市にある今城塚古墳(継体天皇陵)の石棺にも馬門石がつかわれていたそうです。
宮内庁治定の継体天皇陵(太田茶臼山古墳)は茨木市にありますがここは5世紀の半ば頃に造られており今城塚は継体天皇が活躍した6世紀前半頃なので今城塚古墳の周りから出土した埴輪の研究から年代的にどう見ても合わないため現在は今城塚古墳の方が継体天皇陵であると一般に思われています。



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Posted by マー君 at 10:04│Comments(0)地学
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