2020年08月30日
中山武敏と少年法
安倍首相の辞任表明後自民党内は大混乱のようだ。政策論より選挙の顔・・勝ち馬探しに躍起の様子。
自民党総裁選は緊急時の規定を適用して党員・党友投票は実施しない議員票中心の選出方法で行うらしい。
何か最後まで安倍さんの思惑が匂う辞任劇だ。
政界の泥臭い話と打って変わって心が洗い清められるような話が今日の余禄にありましたので紹介します。
福岡の筑豊は炭鉱労働者の町だった。少ない賃金でも大酒を飲み、カネがなくなると、わが子に盗みをさせる父親もいた。小学5年生の男児が書いた「どろぼう」という詩がある▲<父ちゃん 何し僕をどろぼうに行かするトか 悪いチ知っちょって 何し行かするトか。待っちょってやるき いもをほって来いチいうたり どう線をぬすんで来いチいう。僕、おとろしいトばい。(略)小使いげなくれんだチいいき 父ちゃん もう、どろぼうせんごとしょう>▲人権派弁護士として有名な中山武敏さんが自伝「人間に光あれ」の中でこの詩を紹介している。非行には見過ごせない理由がある。罪だけ見て罰するのはたやすい。問題の本質を見つめることが大切だと言う▲18、19歳の犯罪が厳罰化される見通しだ。少年法の見直しを進める法制審議会は9月にも最終案をまとめる。教育の視点が軽視されれば更生の機会が奪われる。「どろぼう」の子のように家庭環境が事件につながるケースは今も多い▲中山さんは1944年に福岡の被差別部落で生まれた。大学の夜間部で学び、司法試験に合格する。母が廃品回収のリヤカーを引き、家計を支えた。差別されても、人間の良いところを見ることを教わった。そんな親がいなければ自分も道を誤っていたかもしれない。そう思い、人と向き合ってきたのではないか▲中山さんは弱い立場の人に寄り添い続けている。その人生の軌跡から、子どもを包み込む少年法の精神の大切さを教えられる。
毎日新聞「余禄」2020年8月30日

中山 武敏(なかやま たけとし、1944年2月6日 - )
経歴
福岡県直方市の被差別部落に生まれる。実父の中山重夫は大日本帝国陸軍戦車隊の整備兵として中国戦線に参加し、日本軍の残虐行為を目撃したと主張、戦後は南京大虐殺の証言を続け、反戦平和運動やカトリック教会の部落解放運動の発足に寄与し、部落解放同盟東京都連合会江戸川支部長や東京江戸川区日中友好協会会長などを務めた。
父が靴の修理、母が廃品回収で生計を支える貧困家庭に育ち、働きながら苦学し、定時制高校を経て、1968年、中央大学法学部二部卒業。1969年に司法試験合格、司法修習(23期)を経て、1971年に弁護士を開業。中山武敏法律事務所を部落解放同盟中央本部の松本記念会館内に置く。
早乙女勝元を隣人に持つ縁から、2006年10月、原告100名以上、弁護団110名から成る東京空襲訴訟原告団を結成し、弁護団長に就任。2007年3月9日、日本政府に訴状を提出、国に謝罪と総額約8億円(1人当たり1100万円)を要求したが、一審・二審共敗訴し、2013年5月、最高裁で敗訴が確定した。
日弁連立法対策センター委員、重慶大爆撃訴訟原告弁護団、「軍隊を捨てた国・コスタリカに学ぶ平和をつくる会」共同代表、「韓国併合」100年市民ネットワーク共同代表、北足立九条の会の呼びかけ人をも務める。
2015年には、朝日新聞の慰安婦報道について、植村隆に「一緒にたたかおう。この問題は植村さんだけの問題ではない。日本の民主主義の問題だ」と呼びかけて『週刊文春』と西岡力を提訴させた。
弟の中山末男は、部落解放同盟筑後地区協議会委員長を務めている。
Wikipediaより
自民党総裁選は緊急時の規定を適用して党員・党友投票は実施しない議員票中心の選出方法で行うらしい。
何か最後まで安倍さんの思惑が匂う辞任劇だ。
政界の泥臭い話と打って変わって心が洗い清められるような話が今日の余禄にありましたので紹介します。
福岡の筑豊は炭鉱労働者の町だった。少ない賃金でも大酒を飲み、カネがなくなると、わが子に盗みをさせる父親もいた。小学5年生の男児が書いた「どろぼう」という詩がある▲<父ちゃん 何し僕をどろぼうに行かするトか 悪いチ知っちょって 何し行かするトか。待っちょってやるき いもをほって来いチいうたり どう線をぬすんで来いチいう。僕、おとろしいトばい。(略)小使いげなくれんだチいいき 父ちゃん もう、どろぼうせんごとしょう>▲人権派弁護士として有名な中山武敏さんが自伝「人間に光あれ」の中でこの詩を紹介している。非行には見過ごせない理由がある。罪だけ見て罰するのはたやすい。問題の本質を見つめることが大切だと言う▲18、19歳の犯罪が厳罰化される見通しだ。少年法の見直しを進める法制審議会は9月にも最終案をまとめる。教育の視点が軽視されれば更生の機会が奪われる。「どろぼう」の子のように家庭環境が事件につながるケースは今も多い▲中山さんは1944年に福岡の被差別部落で生まれた。大学の夜間部で学び、司法試験に合格する。母が廃品回収のリヤカーを引き、家計を支えた。差別されても、人間の良いところを見ることを教わった。そんな親がいなければ自分も道を誤っていたかもしれない。そう思い、人と向き合ってきたのではないか▲中山さんは弱い立場の人に寄り添い続けている。その人生の軌跡から、子どもを包み込む少年法の精神の大切さを教えられる。
毎日新聞「余禄」2020年8月30日

中山 武敏(なかやま たけとし、1944年2月6日 - )
経歴
福岡県直方市の被差別部落に生まれる。実父の中山重夫は大日本帝国陸軍戦車隊の整備兵として中国戦線に参加し、日本軍の残虐行為を目撃したと主張、戦後は南京大虐殺の証言を続け、反戦平和運動やカトリック教会の部落解放運動の発足に寄与し、部落解放同盟東京都連合会江戸川支部長や東京江戸川区日中友好協会会長などを務めた。
父が靴の修理、母が廃品回収で生計を支える貧困家庭に育ち、働きながら苦学し、定時制高校を経て、1968年、中央大学法学部二部卒業。1969年に司法試験合格、司法修習(23期)を経て、1971年に弁護士を開業。中山武敏法律事務所を部落解放同盟中央本部の松本記念会館内に置く。
早乙女勝元を隣人に持つ縁から、2006年10月、原告100名以上、弁護団110名から成る東京空襲訴訟原告団を結成し、弁護団長に就任。2007年3月9日、日本政府に訴状を提出、国に謝罪と総額約8億円(1人当たり1100万円)を要求したが、一審・二審共敗訴し、2013年5月、最高裁で敗訴が確定した。
日弁連立法対策センター委員、重慶大爆撃訴訟原告弁護団、「軍隊を捨てた国・コスタリカに学ぶ平和をつくる会」共同代表、「韓国併合」100年市民ネットワーク共同代表、北足立九条の会の呼びかけ人をも務める。
2015年には、朝日新聞の慰安婦報道について、植村隆に「一緒にたたかおう。この問題は植村さんだけの問題ではない。日本の民主主義の問題だ」と呼びかけて『週刊文春』と西岡力を提訴させた。
弟の中山末男は、部落解放同盟筑後地区協議会委員長を務めている。
Wikipediaより
Posted by マー君 at 10:30│Comments(0)
│記事