2019年05月27日

百人一首の日

5月27日の記念日といえば「百人一首の日」というものがあります。
誰もが一度は耳にしたことのある、百人一首や藤原定家の名前、ボケ防止のためにおさらいをしてみました。

1235年(文暦2年)のこの日、公家・歌人の藤原定家(1162~1241年)によって『小倉百人一首』が完成された。
藤原定家の日記『明月記』の文暦2年5月27日の項に、定家が親友の宇都宮入道蓮生(頼綱)の求めに応じて書写した和歌百首の色紙が、京都・嵯峨の小倉山荘(嵯峨中院山荘)の障子に貼られたとの記述があり、この記事が小倉百人一首の初出ではないかと考えられている。
この色紙は障子の装飾のために作成されたもので、当時はこの百人一首に一定の呼び名はなく、「小倉山荘色紙和歌」「嵯峨山荘色紙和歌」「小倉色紙」などと呼ばれた。その後、小倉山の山荘で和歌百首を選んだということから「小倉百人一首」の名称が定着した。
百人一首とは、100人の歌人の和歌を、1人1首ずつ選んでつくった和歌集のこと。『後撰百人一首』や『源氏百人一首』などもあるが、通常、百人一首といえば『小倉百人一首』を指し、歌がるたとして広く用いられている。藤原定家が選んだ100首の内訳は、恋43、四季32、旅4、別離1、その他20である。
百人一首の日
雑学ネタ帳より

藤原 定家(ふじわら の さだいえ/ていか)は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての公家・歌人。諱は「ていか」と音読みされることが多い。『小倉百人一首』の撰者で権中納言定家を称する。
●時代
平安時代末期 - 鎌倉時代初期
●生誕
応保2年(1162年)
●死没
仁治2年8月20日(1241年9月26日)
Wikipediaより


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Posted by マー君 at 14:31│Comments(0)日記
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