8月19日(水) 八代市立図書館 歴史講座 講師 佐藤 伸二先生の「加藤時代の治水事業と清正信仰」①八代平野を中心として のお話がありました。内容は清正公信仰が形になったのが加藤神社であると捉えて、県内各地に建立されている加藤神社の創建時期や所在地などを整理することにより、県内の清正公信仰が見えて来るのではという切り口でお話を始められました。後日加藤神社や清正公信仰のことを調べてみますと北海道から宮崎までほぼ全国で信仰があるという事がわかりました。また日本人には信仰の形として人を神に祀るような神の概念を持っている事、例えば豊臣秀吉は豊国大明神、徳川家康は東照大権現、菅原道真は天満大自在天神などが挙げられます。
加藤清正(1562-1611)は関ヶ原の戦いまでは豊臣方の戦国武将で秀吉亡き後徳川方の大名として肥後の国を治めます。しかし加藤家は慶長16年(1611年)に清正が死去して子の加藤忠広が継承するが、寛永9年(1632年)に第3代将軍・徳川家光に素行を咎められ、改易となっています。理由は嫡男・光広が諸大名の名前と花押を記した謀反の連判状の偽物を作って遊んだこととされ、他家にも火の粉が降りかかり、ともすれば乱を起こすような行為は領主の子としての資格を厳しく問われたものであった。加藤家の後明治の時代になるまで細川家が肥後の国を治めますが八代は細川家家老の松井家が治める事になります。1587年肥後国人一揆の責任を取らされ佐々成政が自刃した後、加藤清正(数え 27歳) 北半国 熊本 19万4916石、小西行長(数え 31歳) 南半国 宇土、益城、八代 14万6300石を秀吉より与えられますが、清正が熊本に居たのはわずか24年間、何故加藤清正が地元熊本で「清正公さん」と親しまれ敬い崇められ清正公信仰という肥後の一地域の信仰がどのようにして全国に広がっていったのか、清正に照準を向けて考えると清正の残した事績を掘り下げる事により少しずつ見えて来ると思われます。しかし佐藤伸二先生は「清正公信仰」の着眼点を地元に残っている神社に目をつけそこから生まれてきた大きな流れを紐解いて行こう・・ここがこの講義の着目点のように思われました。
清正公信仰① 日本人の神の概念


 


同じカテゴリー(歴史)の記事画像
地図の日(最初の一歩の日)(4月19日 記念日)
五百円札発行記念日(4月2日 記念日)
3月30日の出来事
蓮如忌(3月25日 記念日)
北方領土問題について
北方領土の日・2月7日
同じカテゴリー(歴史)の記事
 地図の日(最初の一歩の日)(4月19日 記念日) (2023-04-19 08:58)
 五百円札発行記念日(4月2日 記念日) (2023-04-02 09:08)
 3月30日の出来事 (2023-03-30 08:50)
 蓮如忌(3月25日 記念日) (2023-03-25 08:56)
 北方領土問題について (2023-02-08 09:50)
 北方領土の日・2月7日 (2023-02-07 09:26)

Posted by マー君 at 11:38│Comments(0)歴史
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。