2014年06月17日

その後の馬門石

まだ文字がなかった頃、大和の王や各地の王が何故死んだ後に入る棺の素材として馬門石を選んだのか、そのあたりの事は全く何も解明されないまま古墳時代、棺に赤い石を使うという1つのブームは過ぎ去ります。どれくらいの墓の数にこの石が使われたのか、古墳といわれるものが現在のコンビニの数ほど日本全土にあるとの事ですが、現在調査の段階では先日ブログで紹介した熊本、岡山、大阪、奈良、滋賀から発見された14例です。でも各地の王たちの情報力や道具が十分でなかった時代この人達の技術力には感心させられます。
馬門石の2期目の隆盛期は江戸時代轟泉水道の大改修に大量の馬門石が使われたことに端を発し熊本地区、宇土、玉名地区の井樋(水門)、鳥居、祠(ほこら)などの共同施設に馬門石は使われることになります。
宇土市の船場橋近辺の写真です。馬門石があちこちに使われています。
その後の馬門石

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Posted by マー君 at 09:58│Comments(0)歴史
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