2014年06月15日
これも勉強
日奈久街中に残っている薩摩街道です
市報の伝言板に◎薩摩街道今昔 現地バス調査という八代郷土史の会の企画が6月13日にありましたので早速参加をしましたが参加人数が多すぎてバスには乗れずに、バスの後に自分の車でついていくという段取りの悪い企画でした。バスの中では市内にある薩摩街道の要所、要所の説明があったそうなんですが、バスの後ろからついていくだけの私達はただ、今車で走っている所が薩摩街道なんだくらいの理解で、それよりも前を走っているバスを信号や交差点で見失なわ無い様に運転する事に気を取られて大変でした。車でただ走るだけの勉強は学ぶことも少なかったのですが、事故もなく無事に過ごせたと思えば、まあいいかと慰める外ありません。資料だけは戴いたので今から勉強です。
薩摩街道(さつまかいどう)は、江戸時代に整備された脇往還(わきおうかん)【江戸時代の五街道以外の主要な街道をいい、「脇街道」や「脇道」とも呼ばれた。脇往還もまた、五街道と同様に道中奉行が管理しており、宿駅・一里塚・並木などが整備された所も多い。】のひとつである。 1635年、将軍徳川家光によって「参勤交代」の制度が設けられました。これにより、諸国大名は一年ごとに江戸と領地を往復。そのための道として諸街道が形成・整備されていきました。薩摩街道は熊本市の札の辻(熊本市新町1丁目)を出発点とし、長六橋を渡り白川を下り、宇土、松橋、小川、竜北、宮原、八代、田浦、佐敷、津奈木、水俣を経て薩摩に至る道です。江戸時代には人吉の相良氏や鹿児島の島津氏の参勤交代路となり、熊本県南部の交通の大動脈でした。薩摩藩の参勤交代路は、江戸初期には比較的海路を利用することが多かったようですが、江戸中・後期になると肥後路を通り豊前街道へ出るのが主流になったようです。八代市内の薩摩街道は、龍峯の岡町小路から二見赤松町までの25㎞が古絵図や旅日記などによって確認されています。
13日に車で走った道は薩摩街道の九里木跡~十五里木跡ですがこの「〇〇里木」とは・・・?江戸時代、街道沿いの一里(約4㎞)毎に旅人の目印として一里塚が置かれました(薩摩街道は熊本城下の「札の辻」を始点とします)この塚には遠くからでも見えるよう、榎や松等の巨木(理数木)が植えられ、旅人はその木陰で休息をとりました。十二里木には茶店もあったといいます。
寄り道をしたみたいです
会長さんの好み(古墳時代)かもしれません。ちょっと寄り道。この後日奈久の方に向かいますが路地に入り込んでのトラブルが2回ありました。
日奈久ばんぺい湯前も薩摩街道です。
生活習慣病重症化予防教室
八代市立博物館〝もののふと茶の湯〟
久々の講演会
病院での市民講座『麻酔科医って何しているの』(闘病日誌)
「追悼 石牟礼道子ツアー」第2回
学芸員のこだわり八代学(第5回)
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Posted by マー君 at 08:33│Comments(0)
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