魏志倭人伝の世界へ・・

魏志倭人伝の世界へようこそ


パレアでくまもと県民カレッジの講座が始まりました平成26年度第1回目の講座は環濠集落【方保田東原遺跡】~魏志倭人伝の世界から・・という題名で県立装飾古墳館の学芸課長の坂口圭太郎氏が熊本県にある遺跡の中から魏志倭人伝の時代に存在した熊本県にある小国の遺跡の話をされました。
魏志倭人伝の中で語られている日本の最初の姿は倭人は帯方郡(たいほうぐん)=韓国ソウル近辺の東南の大海の中にあって、山や島に囲まれていて国はかって百余国に分かれていて、後漢王朝の時に朝見する者もあった。今の時代(魏)に使者の往来がある国は30国。・・・・
魏志倭人伝とは3世紀の邪馬台国,および2~3世紀の倭人の風習などが記されている中国の文献。《三国志》魏書東夷伝の中の一部を通称したもの。著者は西晋の陳寿(233‐297)で,その成立は3世紀後半。陳寿とほぼ同時代の魚豢(ぎょかん)の撰になる《魏略》の記述を受けつぎ,邪馬台国の存在していた時代とは,それほど隔りのない時期に書かれたものであるから,その史料的価値は高い。倭人伝は,倭国の地理的位置づけから書きはじめられ,帯方郡より邪馬台国への道程,倭にあった諸小国の名称,倭人の生活風俗などが,かなり詳細に記述されている。 【世界大百科事典 第2版の解説より】
倭人伝が書かれたこの時代(弥生後期~古墳初期)の熊本県内の主な遺跡として方保田東原遺跡((かとうだひがしばるいせき)山鹿市)、うてな遺跡(菊池市七城町)、二子塚遺跡(嘉島町)、稲佐津留遺跡(玉東町)、八島町遺跡(熊本市八島町)、夏目遺跡(錦町)があります。県立装飾古墳館の学芸課長の坂口圭太郎氏の説明では同じ時期の遺跡であれば、どれだけの鉄製品が出土したかで遺跡の価値が違ってくると話されます。日本には青銅器も鉄器もほぼ同時期に入ってきているので、鉄器の文化をいち早く取り入れた集落が栄えていったと思われます。
上記遺跡の中で鉄製品が数多く出土している遺跡は方保田東原遺跡((かとうだひがしばるいせき)山鹿市)、と二子塚遺跡(嘉島町)、の遺跡です。とくに方保田東原遺跡については

■争いに備えた大規模な集落
方保田東原(かとうだひがしばる)遺跡は、菊池川とその支流の方保田川にはさまれた台地上に広がる弥生時代後期から古墳時代前期に繁栄した大集落遺跡です。広さは35~40haと広大で、遺跡は防御用の溝をめぐらしたいわゆる「環濠集落」で、有名な吉野ヶ里遺跡に匹敵する規模といっても過言ではありません。
当時、倭国は100以上のクニ(  現代でいう“国家”とは違い、極めて小さい規模の共同体という意味で”クニ”と表記します。)とクニが戦争を繰り返し、30余りにまとまっていきます。そのなかの一つが方保田東原遺跡を中心地としたクニと考えられます。これまでの調査結果から、幅8mの大溝や多数の溝が発見され、外敵から集落を守っていたことが分かっています。
住居跡からは柱跡から足跡と思われるものまで見つかっています。ただし、足跡とされるものについては研究が進められており、まだ断定できる段階ではありません。また、鉄器を作った鍛冶場と思われる住居跡も発見されています。

■方保田東原遺跡から出土した文化財
3世紀後半から4世紀初頭の時期、熊本県北部は全国的にも鉄製品が数多く発見される地域として知られています。特に、方保田東原遺跡の出土品は鉄器の占める割合が高く、全国で唯一といわれる石包丁形鉄器が発見されています。石包丁は稲の収穫道具であるため大量に用意しなければなりません。そのため、材料が入手しやすく、また製作しやすい粘板岩や片岩などの岩石でつくることが一般的です。 また、特殊な出土品として巴形銅器( 形状は南海産の「スイジ貝」をモデルとし、機能的には公式儀礼で用いられる盾の留め金を覆う装飾であるが、盾の四隅に配し、邪悪なものを退散させる意味を持つ。)をはじめとする数多くの青銅器があります。青銅器は本来黄金色に光り輝き、太陽の輝きに近いこの輝きは、それを持つ者に対して神秘的な力を感じさせます。このため、クニの権力者はこれらを祭器や儀器として使用し、これらの青銅器が数多く出土している方保田東原遺跡を中心としたクニは菊池川流域のなかでも大きな力を持っていたと考えられます。
 さらに、山陰や山陽など西日本各地でつくられたと考えられる土器が多数出土していることから、交易が盛んに行われ、繁栄していたことも分かってきました。
 このような発見から、方保田東原遺跡は弥生時代の中九州を代表する重要な遺跡と評価され、国指定の史跡となっています。ただし、残念ながら指定を受けている範囲は遺跡全体の13分の1にすぎず、できるだけ広い範囲を保護していくためにも、指定地域を広げる必要があります。これほど貴重な遺産であるため、次の世代へ大切に手渡すことが大切と思われます。【熊本県 地域発 ふるさとの自然と文化】より
また古墳館の学芸課長の坂口圭太郎氏は出土する鉄製品のなかに多くの鉄片が出てくるのですが、以前は鉄片が出てもそんなに重要視はされなかったのですが最近になって輸入された鉄片を加工したのではないかという見方をして、鉄片が多いほど大陸との交易が盛んであったとし、それに似合う品物を輸出する力があったと考えられると話されます。

歴史の見方も少しずつ進歩している事がわかります。・・また山鹿に行って見るか。・・興味をもつことは人を元気にしてくれます。


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Posted by マー君 at 07:45│Comments(0)講座
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