2022年08月12日
斎藤茂吉のお話
「陸奥(みちのく)をふたわけざまに聳(そび)えたまふ蔵王の山の雲の中に立つ」。大正から昭和にかけて活躍した歌人の斎藤茂吉は、故郷・山形の山河を愛し、多くの歌を残している▲蔵王、鳥海山や、最近、記録的な大雨に見舞われた最上川。この地は雄大な自然に恵まれているが、他にも意外な「お国自慢」がある。選挙である▲衆参両院選挙での山形県の投票率は、全都道府県で首位が続いている。先の参院選では、全国平均を10ポイント近く上回る61・87%となり、国政選挙4連覇を果たした▲投票率が高い理由は明確にはわかっていない。真面目な県民性を指摘する声もある。県選管によると、若者向けの主権者教育に熱心なことや、3世代同居率が日本一で投票に参加する大人を間近に見る機会が多いことも影響しているのではないか、という▲若者の声を政治に反映させる活動をしている日本若者協議会の室橋祐貴さんは、遊佐町(ゆざまち)で20年近く続く「少年議会」などの取り組みを挙げる。「中高生が自分たちの代表を選挙を通して選び、政策を実現するための独自の予算も持っている。有権者になる前から、日常的に民主主義を体験し、その意義や政治の重要性を学んでいるからこそだと思う」と話す▲茂吉が生まれた金瓶(かなかめ)村、現在の上山(かみのやま)市の投票率は、県全体を上回る64・19%だった。投票所までの移動手段がない有権者に、市が借り上げた乗合自動車で送迎の支援をした地域もあったという。首位の陰には、やはり一朝一夕でない努力がある。
毎日新聞余録 2022/08/12(金)

1952年頃 斎藤茂吉
斎藤 茂吉(さいとう もきち、1882年〈明治15年〉5月14日- 1953年〈昭和28年〉2月25日)は、日本の歌人・精神科医。伊藤左千夫門下。大正から昭和前期にかけて活躍したアララギの中心人物。
精神科医として、青山脳病院(現在の東京都立梅ヶ丘病院や斉藤病院)の院長を務めた。長男は精神科医で随筆家の斎藤茂太、次男は精神科医・随筆家・小説家の北杜夫、孫は随筆家の斎藤由香。
毎日新聞余録 2022/08/12(金)

1952年頃 斎藤茂吉
斎藤 茂吉(さいとう もきち、1882年〈明治15年〉5月14日- 1953年〈昭和28年〉2月25日)は、日本の歌人・精神科医。伊藤左千夫門下。大正から昭和前期にかけて活躍したアララギの中心人物。
精神科医として、青山脳病院(現在の東京都立梅ヶ丘病院や斉藤病院)の院長を務めた。長男は精神科医で随筆家の斎藤茂太、次男は精神科医・随筆家・小説家の北杜夫、孫は随筆家の斎藤由香。
1882年(明治15年)5月14日
山形県南村山郡金瓶村
(現在の山形県上山市)
死没
山形県南村山郡金瓶村
(現在の山形県上山市)
死没
Posted by マー君 at 12:01│Comments(0)
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