2022年01月30日
カチャーシーのお話
「南部の野山で/あけがたに/ずらりとそろって/カチャカチャカチャ/骨たちが踊る/カチャーシー」。沖縄在住の詩人、
芝憲子さんの詩「骨のカチャーシー」は、こう始まる。カチャーシーはテンポの速い沖縄民謡に合わせた即興の踊りだ▲太平洋戦争末期、激戦地となった本島南部には、犠牲になった沖縄県民や兵士の遺骨が残る。本土復帰を翌月に控えた1972年4月、夫の赴任に伴い沖縄に移り住んだ芝さんが、南部の山中を案内され遺骨を見た衝撃が、詩のきっかけとなった▲74年に出した同名の詩集のあとがきには「遺骨を見て、はじめて戦争というものが少しばかりわかったような気がした」と記している。50年前の詩は、詩劇になり、歌手のまよなかしんやさんによって歌われた▲それが今また注目されている。舞台の劇中歌に使われ、銅版画にもなった。政府が辺野古で進める米軍基地建設用土砂の調達候補地に、遺骨が残る南部を加えたからだ▲死者への冒とくだとして、遺骨収集ボランティアの具志堅隆松さんらから反対の声が上がる。沖縄はかつて本土防衛の捨て石にされた。そんな沖縄の歴史に寄り添う姿勢が欠けてはいまいか▲「でも俺たちはいつまでもここにいる/ここで殺されたと証明するために」。詩には死者の魂を思うこんなフレーズもある。「かき回し」に由来するカチャーシーは、喜怒哀楽をかき混ぜるという意味もあるという。骨たちは、いまどんな思いでカチャーシーを踊っているのだろうか。
毎日新聞余禄・2022/01/30

詩 「骨のカチャーシー」
南部の野山で
あけがたに
ずらりとそろって
カチャカチャカチャ
骨たちが踊る
カチャーシー
半分になった頭蓋骨ふりふり
苔の生えた足の骨曲げて
カチャーシー
これは俺の腕の骨ではない
でも今となってはどれでも同じ
どこの誰だか
気にするものなどいはしない
とにかく骨が集まって
踊ることだけが俺たちの楽しみ
みすぼらしい姿を忘れ
木の枝を踏み鳴らして
ひたすら踊る
カチャカチャカチャ
太陽が輝き出すと
草むらに横たわらねばならない
それから始まる長い長い一日
でも俺たちはいつまでもここにいる
ここで殺されたと証明するために
殺したやつらを忘れないために
やつらが今何をしているか知るために
簡単に拾われて
神社にまつられたりしない (英訳ここまで)
そのうち生きている人たちと踊るのだ
野山から街に繰り出して
俺の得意な三味線(さんしん)をかき鳴らして
島いっぱいにカチャーシー
そうなったら矢も楯もたまらなくなって
島までドッカドッカと踊り出すだろう
さぞ無様なかっこうだろう
明日(あす)の踊りを楽しみに草むらに横たわると
生きている人はのろのろと起きあがり
つらい昨日(きのう)を思い出す
それから始まる短い一日
(1974年詩集『骨のカチャーシー』、2021年『1/2』65号より)
芝憲子さんの詩「骨のカチャーシー」は、こう始まる。カチャーシーはテンポの速い沖縄民謡に合わせた即興の踊りだ▲太平洋戦争末期、激戦地となった本島南部には、犠牲になった沖縄県民や兵士の遺骨が残る。本土復帰を翌月に控えた1972年4月、夫の赴任に伴い沖縄に移り住んだ芝さんが、南部の山中を案内され遺骨を見た衝撃が、詩のきっかけとなった▲74年に出した同名の詩集のあとがきには「遺骨を見て、はじめて戦争というものが少しばかりわかったような気がした」と記している。50年前の詩は、詩劇になり、歌手のまよなかしんやさんによって歌われた▲それが今また注目されている。舞台の劇中歌に使われ、銅版画にもなった。政府が辺野古で進める米軍基地建設用土砂の調達候補地に、遺骨が残る南部を加えたからだ▲死者への冒とくだとして、遺骨収集ボランティアの具志堅隆松さんらから反対の声が上がる。沖縄はかつて本土防衛の捨て石にされた。そんな沖縄の歴史に寄り添う姿勢が欠けてはいまいか▲「でも俺たちはいつまでもここにいる/ここで殺されたと証明するために」。詩には死者の魂を思うこんなフレーズもある。「かき回し」に由来するカチャーシーは、喜怒哀楽をかき混ぜるという意味もあるという。骨たちは、いまどんな思いでカチャーシーを踊っているのだろうか。
毎日新聞余禄・2022/01/30

詩 「骨のカチャーシー」
南部の野山で
あけがたに
ずらりとそろって
カチャカチャカチャ
骨たちが踊る
カチャーシー
半分になった頭蓋骨ふりふり
苔の生えた足の骨曲げて
カチャーシー
これは俺の腕の骨ではない
でも今となってはどれでも同じ
どこの誰だか
気にするものなどいはしない
とにかく骨が集まって
踊ることだけが俺たちの楽しみ
みすぼらしい姿を忘れ
木の枝を踏み鳴らして
ひたすら踊る
カチャカチャカチャ
太陽が輝き出すと
草むらに横たわらねばならない
それから始まる長い長い一日
でも俺たちはいつまでもここにいる
ここで殺されたと証明するために
殺したやつらを忘れないために
やつらが今何をしているか知るために
簡単に拾われて
神社にまつられたりしない (英訳ここまで)
そのうち生きている人たちと踊るのだ
野山から街に繰り出して
俺の得意な三味線(さんしん)をかき鳴らして
島いっぱいにカチャーシー
そうなったら矢も楯もたまらなくなって
島までドッカドッカと踊り出すだろう
さぞ無様なかっこうだろう
明日(あす)の踊りを楽しみに草むらに横たわると
生きている人はのろのろと起きあがり
つらい昨日(きのう)を思い出す
それから始まる短い一日
(1974年詩集『骨のカチャーシー』、2021年『1/2』65号より)