2019年03月29日
蕨手文について
蕨手文と言う図柄が装飾古墳に描かれているのは福岡県と佐賀県にある古墳に限られるという記事を読んでその地域の特性を感じます。
そしてその範囲を地図に表してみると蕨手文の分布はほぼ行き来可能な近隣地域に固まっています。土器や土偶などにも文様や形状で時期や地域に分類されたものがありますが、古墳に描かれている蕨手文はどうしてこの地域だけで使われる文様として終わってしまったのでしょうか?
昨日の続きにもなりますがGARANDOYA CAFE ⒸNETPIA HITAの古代装飾文様 九州の装飾古墳のブログから学ばせていただきました。
蕨手文 ( わらびてもん )
蕨手文 (わらびてもん)は蕨の形に似た渦巻状の文様で、呪術的な図文と考えられています。
九州にはたくさんの装飾古墳があり、さまざまな種類の文様が描かれていますが、記録のみのものを含めても蕨手文が描かれているのは、以下9つの古墳しかありません。またその全てが6世紀に作られた円墳または前方後円墳であり、横穴式石室を持つものです。
●王塚古墳
おうづかこふん
6世紀半ば
福岡県, 嘉穂郡, 桂川町
蕨手文, 同心円文, 三角文, 双脚輪状文, 騎馬像, 靫, 盾, 大刀
横穴式石室
前方後円墳 全長86m
彩色: 赤, 黄, 緑, 黒, 白
●日ノ岡古墳
ひのおかこふん
6世紀前半
福岡県, うきは市, 吉井町若宮
蕨手文, 同心円文, 靫, 盾, 大刀
横穴式石室
前方後円墳 全長74m
彩色: 赤, 白, 緑, 青
●重定古墳
しげさだこふん
6世紀後半
福岡県, うきは市, 浮羽町朝田
蕨手文, 同心円文, 三角文, 靫, 鞆
横穴式石室
前方後円墳 現存長50m
彩色: 赤, 白, 緑
●塚花塚古墳
つかはなづかこふん
6世紀後半
福岡県, うきは市, 浮羽町朝田
蕨手文, 同心円文, 連続三角文, 靫, 盾
横穴式石室
円墳 径30m 高さ6m
彩色: 赤, 緑
●珍敷塚古墳
めずらしづかこふん
6世紀後半
福岡県, うきは市, 吉井町富永
蕨手文, 同心円文, 靫, 人物, 舟, 鳥, 蟾蜍(ヒキガエル)
横穴式石室
円墳 径12.4m 高さ3.5m
彩色: 赤, 青
●丸山塚古墳
まるやまづかこふん
6世紀後半
福岡県, 八女市, 宅間田
蕨手文, 対角線文, 三角文
横穴式石室
円墳 径30m 高さ5.3m
彩色: 赤, 緑, 黄
●乗場古墳
のりばこふん
6世紀半ば
福岡県, 八女市,吉田乗場
蕨手文, 同心円文, 三角文, 靫, 翳
横穴式石室
前方後円墳 全長約70m
彩色: 赤, 緑, 黄
●鹿毛塚古墳
かげつかこふん
6世紀後半
福岡県, 久留米市, 草野町
蕨手文, 同心円文
(不詳)
円墳 (消滅)
彩色: 赤, 青
●田代太田古墳
たしろおおたこふん
6世紀後半
佐賀県, 鳥栖市, 田代本町太田
蕨手文, 同心円文, 連続三角文, 騎馬, 人物 , 舟盾, 大刀
横穴式石室
円墳 径42m 高さ6m
彩色: 赤, 黒, 緑

1-3世紀に作られた金銀錯嵌珠龍文鉄鏡にも、そのふちどりとして、美しい黄金の蕨手文が廻らされており、また同時代で同じ地域から出土した金錯鉄帯鉤 ( きんさくてったいこう) にも多数の蕨手文が描かれています。



金錯鉄帯鉤 ( きんさくてったいこう) 東京国立博物館所蔵
出土・国:
大分県日田市刃蓮町出土(伝)
形状:
長22.8_最大幅3.7_厚0.75
京都大学元教授梅原末治氏の論文には、金銀錯嵌珠龍文鉄鏡が出土したダンワラ古墳は竪穴式の古式古墳であるが、その副葬品の1つの辻金物の作りから5世紀以降、おそらく5世紀から6世紀に作られた古墳であると書かれています。
金銀錯嵌珠龍文鉄鏡がダンワラ古墳に納められ地上から消えた直後の6世紀に、これら9つの古墳は作られています。鏡の存在とその文様を知っていた人々(ダンワラ古墳の葬儀に来た親戚?)が、埋めた鏡の魔力を惜しみ求めて自分の古墳に蕨手文を描かせたのでしょうか。
■ 名 称: 金銀錯嵌珠龍文鉄鏡 (きんぎん さくがん しゅりゅうもん てっきょう)
【 国の重要文化財 】
"錯嵌"(さくがん)とは象嵌(ぞうがん)のことです
■ 年 代: 1世紀~3世紀 弥生時代
■ 出土地: 大分県日田市日高町 東寺 ダンワラ古墳 (竪穴式古式古墳) 1933年消滅
■ 大きさ: 直径21.1cm、厚み2.5mm
■ 材 質: 鉄 (99%)
■ 装 飾: 金、銀、宝玉
金 : 純金を24金とした場合 20金 (金84%、銀5%、水銀11%)
銀 : 970 (/1000) (銀97%、錫2%、鉛0.7%、銅0.3%)
古代の金の精製は金鉱石に水銀を混ぜ、できた合金を加熱して水銀を揮発させる方法でした。この金に含まれる5%の銀は混ぜられたものですが、11%の水銀はもとの金に含まれていたものではないかと推測されます。
*古代の他地域で装飾に使われた金は良く精製されており、水銀は含まれていません
赤、青、緑、白色等、数種類の石玉は、まだ分析調査されていませんが、この時代の日本では大変珍しいトルコ石が認められることから、ヒスイをはじめとする高価で希少な宝石も予想されます。なお復元レプリカには、ルビー、ヒスイ、水晶、トルコ石が使われています。
■ 文 様:
竜をはじめとする多種類の文様が約0.4ミリの細い金線で繊細に装飾されています。また高い技術で、金、銀、石玉が象嵌(ぞうがん)されています。
盤の外側は金のうずまき文様、蕨手文で縁取られています。この文様は、呪術を意味すると考えられており、所有者はシャーマンではないかと推測されます。 竜と虎の文様について
■ 文 字: 長宜◆孫 (◆は欠落)
中央部に金で書かれた文字は、1文字欠落していますが 「長宜子孫」(ちょうぎしそん)であるとされており、中国で秦・漢の時代に流行し、女性に対してよく使われた「子孫繁栄」を意味する吉祥句です。
*吉祥句(きっしょうく): 祈りを込めた、おめでたいお祝いの言葉
■ 類似する古代の鏡:
中国・三国時代(184~280年)の書に「魏(ぎ)の曹操(そうそう)が金錯鉄鏡(きんさくてっきょう)を持っていた」と書かれていますが、大きさは直径約46cmの大きなものだったようです。
日本から魏へは、239年に卑弥呼が朝貢の使者を送っていることがわかっています。
■ 東寺ダンワラ古墳からの他の出土物
鉄刀、轡、鉄製貝装雲珠(かいそううんじゅ)、鉄製貝装辻金物、碧玉製管玉(へきぎょくせいくだだま)、水晶製切子玉(きりこだま)、ガラス製小玉、勾玉(まがたま)
近辺からの関連のある出土物としては、金錯鉄帯鉤 (きんさくてつたいこう・男性用の鉄製バックル)
*金錯鉄帯鉤の装飾の金にも、11%の水銀が含まれています。
■ 近辺の金鉱:
九州の古代の出土物には豪華絢爛なものが多数あります。その富の豊かさの背景には、黄金の国ジパングと言われた理由、金の産出を外すことはできません。金が出なかった古代の中国にとって、金は最も歓迎される交易品であり、貢物(みつぎもの)であったことでしょう。
この鏡が出土した日田市には、東洋最大規模と言われた鯛生金山はじめ、15の金山の存在がわかっています。また金の精製に不可欠な水銀が大分県内で採掘されていたことは、豊後国風土記(720~740年)にも記されています。(現在わかっている九州の水銀鉱は大分県のみ)
■ 経 緯:
国の重要文化財に指定されてから43年もの長い間、この美しい鏡が一般国民の知るところとならなかったのは、大変残念なことです。
1933年
昭和8年
大分県日田市日高町 ダンワラ古墳で渡辺音吉氏により発見される。さびた鉄のかたまりであったが、つまみがあったことから鏡と判断し湿気を避けるため、石炭箱に石灰といっしょに入れて三芳小学校に寄贈
1940年代
第二次世界大戦中~終戦後、展示していた三芳小学校から盗まれる
1960年
昭和35年
梅原末治 京都大学教授が、奈良の古美術商から 「伝・日田出土」の「鉄のかたまり」として購入
1962年
昭和37年
天理大学付属天理参考館で白木原好美教授により表面の研ぎ出しが行われ、金銀玉の装飾が現れる。付着していた石灰粉からダンワラ古墳出土の鉄鏡と認められる。
1964年
昭和39年
国の重要文化財に指定、東京国立博物館に収蔵される
2006年
平成18年
12月 東京国立博物館から九州国立博物館に貸し出し
2007年
平成19年
1月1日~1月28日 九州国立博物館で展示
2009年
平成21年
10月20日~11月29日 九州国立博物館で展示
●ダンワラ古墳
ダンワラ古墳(ダンワラこふん)は、大分県日田市日高町にあった古墳。国の重要文化財の金銀錯嵌珠龍紋鉄鏡(きんぎんさくがんしゅりゅうもんてっきょう)の出土地として知られている。
概要
1933年(昭和8年)、国鉄久大本線豊後三芳駅付近で線路の盛土を採集している際、石棺が出土し、その中から金銀錯嵌珠龍紋鉄鏡が発見された。
発見当時にはこの鉄鏡が注目を集めることはなかったが、1962年(昭和37年)に、梅原末治によってその価値が見いだされ、発見者の渡辺音吉の案内による現地調査が行われた。その結果、日田市日高町の通称ダンワラと呼ばれる場所から出土したものと判断され、その場所がダンワラ古墳と呼ばれるようになった。ただし、発見から調査までの間に約30年が経過しており、この古墳は前述の線路工事によって発見時に破壊されていたため、ダンワラ古墳が実際の出土地であったかどうかは確かではない。
金銀錯嵌珠龍紋鉄鏡は、直径21.1cm、厚さ2.5mmの反りのない鏡で、背面の装飾は腐蝕のために剥落した部分が多いものの、約3分の1が残存しており原状をうかがうことができる。全面に金で竜文が象嵌されており、その角や爪は銀の象嵌とされ、眼や体の所々には赤や緑の玉が嵌入されている。中心のつまみ付近には漢代の書体で「長宜子孫」(子は欠落)の4文字が金で刻まれている。この鉄鏡は漢代のものと考えられている。現在は東京国立博物館が所有しているが、九州国立博物館で常設展示されている。
発見者によれば、石棺からは鉄鏡と同時に鉄刀、轡が出土し、近辺からは碧玉製管玉、水晶製切子玉、ガラス製小玉なども出土したという。また、日田市から出土した帯の金具である金錯鉄帯鉤(きんさくてったいこう)3点も、一説には同じ古墳から出土したともいう。
ダンワラ古墳は、一説には当時の日田地方の豪族日下部氏の古墳とも言われるが、その被葬者や、このような豪華な副葬品が納められた理由は明らかでない。
Wikipediaより
そしてその範囲を地図に表してみると蕨手文の分布はほぼ行き来可能な近隣地域に固まっています。土器や土偶などにも文様や形状で時期や地域に分類されたものがありますが、古墳に描かれている蕨手文はどうしてこの地域だけで使われる文様として終わってしまったのでしょうか?
昨日の続きにもなりますがGARANDOYA CAFE ⒸNETPIA HITAの古代装飾文様 九州の装飾古墳のブログから学ばせていただきました。
蕨手文 ( わらびてもん )
蕨手文 (わらびてもん)は蕨の形に似た渦巻状の文様で、呪術的な図文と考えられています。
九州にはたくさんの装飾古墳があり、さまざまな種類の文様が描かれていますが、記録のみのものを含めても蕨手文が描かれているのは、以下9つの古墳しかありません。またその全てが6世紀に作られた円墳または前方後円墳であり、横穴式石室を持つものです。
●王塚古墳
おうづかこふん
6世紀半ば
福岡県, 嘉穂郡, 桂川町
蕨手文, 同心円文, 三角文, 双脚輪状文, 騎馬像, 靫, 盾, 大刀
横穴式石室
前方後円墳 全長86m
彩色: 赤, 黄, 緑, 黒, 白
●日ノ岡古墳
ひのおかこふん
6世紀前半
福岡県, うきは市, 吉井町若宮
蕨手文, 同心円文, 靫, 盾, 大刀
横穴式石室
前方後円墳 全長74m
彩色: 赤, 白, 緑, 青
●重定古墳
しげさだこふん
6世紀後半
福岡県, うきは市, 浮羽町朝田
蕨手文, 同心円文, 三角文, 靫, 鞆
横穴式石室
前方後円墳 現存長50m
彩色: 赤, 白, 緑
●塚花塚古墳
つかはなづかこふん
6世紀後半
福岡県, うきは市, 浮羽町朝田
蕨手文, 同心円文, 連続三角文, 靫, 盾
横穴式石室
円墳 径30m 高さ6m
彩色: 赤, 緑
●珍敷塚古墳
めずらしづかこふん
6世紀後半
福岡県, うきは市, 吉井町富永
蕨手文, 同心円文, 靫, 人物, 舟, 鳥, 蟾蜍(ヒキガエル)
横穴式石室
円墳 径12.4m 高さ3.5m
彩色: 赤, 青
●丸山塚古墳
まるやまづかこふん
6世紀後半
福岡県, 八女市, 宅間田
蕨手文, 対角線文, 三角文
横穴式石室
円墳 径30m 高さ5.3m
彩色: 赤, 緑, 黄
●乗場古墳
のりばこふん
6世紀半ば
福岡県, 八女市,吉田乗場
蕨手文, 同心円文, 三角文, 靫, 翳
横穴式石室
前方後円墳 全長約70m
彩色: 赤, 緑, 黄
●鹿毛塚古墳
かげつかこふん
6世紀後半
福岡県, 久留米市, 草野町
蕨手文, 同心円文
(不詳)
円墳 (消滅)
彩色: 赤, 青
●田代太田古墳
たしろおおたこふん
6世紀後半
佐賀県, 鳥栖市, 田代本町太田
蕨手文, 同心円文, 連続三角文, 騎馬, 人物 , 舟盾, 大刀
横穴式石室
円墳 径42m 高さ6m
彩色: 赤, 黒, 緑

1-3世紀に作られた金銀錯嵌珠龍文鉄鏡にも、そのふちどりとして、美しい黄金の蕨手文が廻らされており、また同時代で同じ地域から出土した金錯鉄帯鉤 ( きんさくてったいこう) にも多数の蕨手文が描かれています。



金錯鉄帯鉤 ( きんさくてったいこう) 東京国立博物館所蔵
出土・国:
大分県日田市刃蓮町出土(伝)
形状:
長22.8_最大幅3.7_厚0.75
京都大学元教授梅原末治氏の論文には、金銀錯嵌珠龍文鉄鏡が出土したダンワラ古墳は竪穴式の古式古墳であるが、その副葬品の1つの辻金物の作りから5世紀以降、おそらく5世紀から6世紀に作られた古墳であると書かれています。
金銀錯嵌珠龍文鉄鏡がダンワラ古墳に納められ地上から消えた直後の6世紀に、これら9つの古墳は作られています。鏡の存在とその文様を知っていた人々(ダンワラ古墳の葬儀に来た親戚?)が、埋めた鏡の魔力を惜しみ求めて自分の古墳に蕨手文を描かせたのでしょうか。
■ 名 称: 金銀錯嵌珠龍文鉄鏡 (きんぎん さくがん しゅりゅうもん てっきょう)
【 国の重要文化財 】
"錯嵌"(さくがん)とは象嵌(ぞうがん)のことです
■ 年 代: 1世紀~3世紀 弥生時代
■ 出土地: 大分県日田市日高町 東寺 ダンワラ古墳 (竪穴式古式古墳) 1933年消滅
■ 大きさ: 直径21.1cm、厚み2.5mm
■ 材 質: 鉄 (99%)
■ 装 飾: 金、銀、宝玉
金 : 純金を24金とした場合 20金 (金84%、銀5%、水銀11%)
銀 : 970 (/1000) (銀97%、錫2%、鉛0.7%、銅0.3%)
古代の金の精製は金鉱石に水銀を混ぜ、できた合金を加熱して水銀を揮発させる方法でした。この金に含まれる5%の銀は混ぜられたものですが、11%の水銀はもとの金に含まれていたものではないかと推測されます。
*古代の他地域で装飾に使われた金は良く精製されており、水銀は含まれていません
赤、青、緑、白色等、数種類の石玉は、まだ分析調査されていませんが、この時代の日本では大変珍しいトルコ石が認められることから、ヒスイをはじめとする高価で希少な宝石も予想されます。なお復元レプリカには、ルビー、ヒスイ、水晶、トルコ石が使われています。
■ 文 様:
竜をはじめとする多種類の文様が約0.4ミリの細い金線で繊細に装飾されています。また高い技術で、金、銀、石玉が象嵌(ぞうがん)されています。
盤の外側は金のうずまき文様、蕨手文で縁取られています。この文様は、呪術を意味すると考えられており、所有者はシャーマンではないかと推測されます。 竜と虎の文様について
■ 文 字: 長宜◆孫 (◆は欠落)
中央部に金で書かれた文字は、1文字欠落していますが 「長宜子孫」(ちょうぎしそん)であるとされており、中国で秦・漢の時代に流行し、女性に対してよく使われた「子孫繁栄」を意味する吉祥句です。
*吉祥句(きっしょうく): 祈りを込めた、おめでたいお祝いの言葉
■ 類似する古代の鏡:
中国・三国時代(184~280年)の書に「魏(ぎ)の曹操(そうそう)が金錯鉄鏡(きんさくてっきょう)を持っていた」と書かれていますが、大きさは直径約46cmの大きなものだったようです。
日本から魏へは、239年に卑弥呼が朝貢の使者を送っていることがわかっています。
■ 東寺ダンワラ古墳からの他の出土物
鉄刀、轡、鉄製貝装雲珠(かいそううんじゅ)、鉄製貝装辻金物、碧玉製管玉(へきぎょくせいくだだま)、水晶製切子玉(きりこだま)、ガラス製小玉、勾玉(まがたま)
近辺からの関連のある出土物としては、金錯鉄帯鉤 (きんさくてつたいこう・男性用の鉄製バックル)
*金錯鉄帯鉤の装飾の金にも、11%の水銀が含まれています。
■ 近辺の金鉱:
九州の古代の出土物には豪華絢爛なものが多数あります。その富の豊かさの背景には、黄金の国ジパングと言われた理由、金の産出を外すことはできません。金が出なかった古代の中国にとって、金は最も歓迎される交易品であり、貢物(みつぎもの)であったことでしょう。
この鏡が出土した日田市には、東洋最大規模と言われた鯛生金山はじめ、15の金山の存在がわかっています。また金の精製に不可欠な水銀が大分県内で採掘されていたことは、豊後国風土記(720~740年)にも記されています。(現在わかっている九州の水銀鉱は大分県のみ)
■ 経 緯:
国の重要文化財に指定されてから43年もの長い間、この美しい鏡が一般国民の知るところとならなかったのは、大変残念なことです。
1933年
昭和8年
大分県日田市日高町 ダンワラ古墳で渡辺音吉氏により発見される。さびた鉄のかたまりであったが、つまみがあったことから鏡と判断し湿気を避けるため、石炭箱に石灰といっしょに入れて三芳小学校に寄贈
1940年代
第二次世界大戦中~終戦後、展示していた三芳小学校から盗まれる
1960年
昭和35年
梅原末治 京都大学教授が、奈良の古美術商から 「伝・日田出土」の「鉄のかたまり」として購入
1962年
昭和37年
天理大学付属天理参考館で白木原好美教授により表面の研ぎ出しが行われ、金銀玉の装飾が現れる。付着していた石灰粉からダンワラ古墳出土の鉄鏡と認められる。
1964年
昭和39年
国の重要文化財に指定、東京国立博物館に収蔵される
2006年
平成18年
12月 東京国立博物館から九州国立博物館に貸し出し
2007年
平成19年
1月1日~1月28日 九州国立博物館で展示
2009年
平成21年
10月20日~11月29日 九州国立博物館で展示
●ダンワラ古墳
ダンワラ古墳(ダンワラこふん)は、大分県日田市日高町にあった古墳。国の重要文化財の金銀錯嵌珠龍紋鉄鏡(きんぎんさくがんしゅりゅうもんてっきょう)の出土地として知られている。
概要
1933年(昭和8年)、国鉄久大本線豊後三芳駅付近で線路の盛土を採集している際、石棺が出土し、その中から金銀錯嵌珠龍紋鉄鏡が発見された。
発見当時にはこの鉄鏡が注目を集めることはなかったが、1962年(昭和37年)に、梅原末治によってその価値が見いだされ、発見者の渡辺音吉の案内による現地調査が行われた。その結果、日田市日高町の通称ダンワラと呼ばれる場所から出土したものと判断され、その場所がダンワラ古墳と呼ばれるようになった。ただし、発見から調査までの間に約30年が経過しており、この古墳は前述の線路工事によって発見時に破壊されていたため、ダンワラ古墳が実際の出土地であったかどうかは確かではない。
金銀錯嵌珠龍紋鉄鏡は、直径21.1cm、厚さ2.5mmの反りのない鏡で、背面の装飾は腐蝕のために剥落した部分が多いものの、約3分の1が残存しており原状をうかがうことができる。全面に金で竜文が象嵌されており、その角や爪は銀の象嵌とされ、眼や体の所々には赤や緑の玉が嵌入されている。中心のつまみ付近には漢代の書体で「長宜子孫」(子は欠落)の4文字が金で刻まれている。この鉄鏡は漢代のものと考えられている。現在は東京国立博物館が所有しているが、九州国立博物館で常設展示されている。
発見者によれば、石棺からは鉄鏡と同時に鉄刀、轡が出土し、近辺からは碧玉製管玉、水晶製切子玉、ガラス製小玉なども出土したという。また、日田市から出土した帯の金具である金錯鉄帯鉤(きんさくてったいこう)3点も、一説には同じ古墳から出土したともいう。
ダンワラ古墳は、一説には当時の日田地方の豪族日下部氏の古墳とも言われるが、その被葬者や、このような豪華な副葬品が納められた理由は明らかでない。
Wikipediaより
Posted by マー君 at 09:55│Comments(0)
│歴史